運動学習の変わるべき方向性


 1学期が終わった。前期の大学の講義も間もなく終了する。最近、研修をしていて「これは!?」というキーワードがいくつかあった。それを紹介することにしたい。


「フィットネス」が新指導要領に登場する?


 体育の内容に「体ほぐし(仮称)」というのが導入される。これまでの体操領域(自分の体にどんな効果があるかを知りながら行うような運動)をもっと「フィットネス」っぽくしたものらしい。まあ、はっきり言えば「フィットネス」かな?
“仮称”というように、その名称をどうするかで議論になっているらしい。「横文字を導入するのはどうか?」という意見があるようだ。「フィットネス」をうまく日本語に訳すのは難しい。単に、そういう言葉がないというだけでなく、そういう概念自体が今までの日本になじみの薄いものだからである。まさに、フィットネスにフィットする言葉が見当たらないというところだ。

 これが新指導要領に登場するということは、どういうことだろう。運動の学習が「フィットネス」重視型、つまりライフスタイルとしての運動の学習(私はこれまで余暇活用型などと言ってきた)へと転換しようとしていることの表れであろう。体育も生き残りをかけているというわけだ。

フィットネスをどのように獲得させるかについては、次の本がオススメである。

スーザン・カリッシ『知っておきたい子どもの健康(フィットネス)ポイント』ベースボールマガジン社 1998年



目標観を変える必要がある。


 保健の学習は、行動変容に意味がある。それなのに、これまでは「〜について理解する」といった言葉で多くの目標がつくられていた。授業が子どもの健康に貢献するためには、授業目標=行動目標にする必要がある。

 上の図は、JKYB食生活教育プログラムの授業目標である。アメリカ版の直訳という感じもするが、表現の仕方がこれまでのものとずいぶん違うことに気付く。知識や態度についても「理解する」ではなく、「述べる」「議論する」「検討する」となっている。主体的な学習でなければ達成できない目標である。



自分の体をモニターする能力を育てる。


 また横文字だ。「監視する」じゃ直訳すぎる。「自分の体を客観的に見つめる」とでもしておこうか。運動中の自分の体にどんな変化が起きているのかなんて、スポーツに熱中したら考えもしない。でも、それじゃ困るわけだ。熱中し楽しみながらも、自分の体の変化に敏感であれば、傷害も防げるはずだ。
 やみくもに運動強度や頻度を高めても、自分の体は効果的に変わらない。「モニターする」ということは、自分の体に対する自己評価とも言える。


自己評価ができる“アイテム(武器)”を子どもに与える。


 運動の学習の場合、「うまくできたかどうか」という技能的な視点でしか自己評価することができなかったのではないだろうか。「できなかったけど楽しかった」というのも真実であるが、もっと掘り下げれば、何か楽しかったわけがあるはずである。RPGゲームみたいだが、そのへんをもっと具体化させていこうということである。
 例えば、「心地よい汗がかけた」ということの背景には、運動の強度、回数などが適切だったということがあるはずである。また、自分の健康状態に合っていたかどうかということもある。そういう視点で自己評価させれば、これまでとはちがった学習ができそうである。

ハートレイトモニター(ポラール社)

 その具体的なアイテムになりそうなのが、心拍数である。私もハートレイトモニターというのをつけてランニングすることがある。自分が感じる主観的な苦しさと客観的な心拍数の数値を同時に意識できるのがいい。また、心拍数はその日の体調や天候の状況によって小刻みに変わる。つまり、今の自分に最も合った指標となってくれるのである。



健康教育は、総合学習で行うべきものではない。


 結論を先に言ってしまうと、健康教育を総合学習で行おうとすると、今ある系統的な内容の保健学習さえくずされてしまう危険性があるということである。今までもちゃんとやってきていないのに、もっとやらなくなってしまったら、それはもう健康教育の名に値しないのは明らかである。

 総合学習は、生活科の発展としてとらえるのが正しいのであって、健康教育に関して過度の期待を寄せるのはまちがいのようだ。それよりも、体育の授業を改善する方が先決のようだ。これについては、反論もありそうだが…。


ご意見・ご感想をお待ちしています。
豊島 登 Noboru Toyoshima