運動会について考える


今年も運動会が終わった。終わってみれば、子どもたちもがんばって成長したような気もする。いい思い出にもなってよかったなとも思う。しかし、どうも運動会のあり方が毎年のように気にかかっている。それは何か?

 去年の運動会のことである。私は初めての体育主任ということで、相当緊張していた。うまく時間通りに流れるだろうかという気持ちでいっぱいだった。入場行進の準備ができた。なぜか練習の時よりもずっと早い。時計も見ずに入場を初めてしまったら、予定時刻の10分も前だった。開会式の最中に、さっそく苦情が来た。地域の方からである。「毎年、入場行進が楽しみで見に来ているのに、なぜ早く始めたのか」というのである。教頭にもおこられた。

  運動会は、学校の行事というだけでなく、地域の行事でもあるのだ。

ということをその時実感した。

 さて、学校の運動会って本当に地域の行事でもあるんだろうか。それなら、町会や自治会、子ども会の運動会とどうちがうというのだろう。ちがうのは、おそらく

 「体育学習的要素」が入っているかいないか。

なのだろう。でも、今の学校の運動会にどれほどの体育学習的要素が入っているだろうか? 

ふだんの体育学習とはかけ離れているような気がしてならない。体育という教科は、決してそんな教科ではない。

 それなら、いっそのこと

  運動会はお祭りだ。

と割り切ってしまったらどうだろうか。体育科のねらいがどうのなんていうことをぬきにして。合科的なカリキュラムにして、「みんなで楽しい運動会をつくろう」という学習単元を設けるのだ。子ども自身が種目を決め、練習を計画する。プログラムづくりや準備の分担も児童会で行ったりして。いいなあと思うんだけど…。
 今年の運動会は、新たな取り組みとして、開閉会式の司会を子どもにやらせることにした(高校野球も今年からそうなりましたよね)。形としては、「児童中心」になった。でも、お膳立ては全て教師だから、子どもは創意工夫することができない。そのへんまで変えられたらいいなと思うのだが…。

 もし、地域と一緒になった方がもっとお祭りとして盛り上がるんだったら、積極的に地域と対話を進めるべきだと思う。それなのに、学校からは地域との話し合いを進めようとする気配がない。校長の考え方にかかっていると言ってしまえばそれまでだが。

 9月22日付、朝日新聞の「声」欄にも「運動会の成功 だれのためか」という21歳の学生さんの投書が載っていた。現状の運動会を

と批判している。そして、次のような改善策を出している。

 私と同意見である。こういう考え方をしている人ってけっこういるんじゃないかなと思う。具体的な取り組みになっていくことを望んでいる。


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豊島 登 Noboru Toyoshima