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| 私も山が好き |

1967年キリスト教会の宣教師としてフィンランドから来日し、今や国会議員として活躍するツルネン・マルテイさん。多忙な議員活動の合間に、時間を見つけてはキャンプや山登り、遍路、そして有機農業に取り組み、「食の安全・大地の安全」を国民に訴え続けている。
―山や自然との出会いは
私の実家はフィンランドで林業中心の酪農農家をやっていたんです。自宅があった村は11軒しかなく、隣村まで5キロ。まさに森の中だったのです。生まれも育ちも自然の中でした。だから出会いといえば生まれたときから、ですね。
それに9歳頃からボーイスカウトに入っていてキャンプはそのころから始めました。リーダーになった20歳頃には零下20度の冬にもキャンプしたこともあります。数えたらテント泊600回くらいになるでしょうか。もちろんハイキングも合わせてやっていました。フィンランドは山というより森が多い。それでいつの間にか「森男」と呼ばれるようになってしまいました。
―フィンランドでの思い出の山は
もっとも苦しかったのは、1966年2月、25歳のとき、ラップランドの山で6日間、150キロのスキー縦走をやったときです。4日目に猛吹雪に遭ってしまい、遭難寸前の状態にまでなりました。そこの標高は700メートルほどで高くはないですが、岩とハイマツの吹きさらし。10メートル先が見えないほどのホワイトアウト状態で、耳も鼻も凍りつくほどの寒さ。私がリーダーだったので必死でした。「もう無理だ」と諦めていたときに偶然、山小屋を発見できた。もし小屋が見つからなかったら、14人全員遭難していたかもしれません。
それと1960年、キャンプ中に地雷が爆発したことです。ラップランドには戦後も地雷がかなりの数、残っていた。運悪くも地雷の真上で我々はキャンプファイヤーを作ってしまった。火をつけてすぐにドカーンときました。でも不幸中の幸い、全員、ちょっとのケガだけですみました。
―日本で最初に行った山は
日本に来て2年間は野尻湖の外国人村で生活していました。夏の黒姫山や妙高山に登りました。ご来光を見たりしてね。3、4年目に上高地の小梨平でキャンプして前穂高、奥穂高に登りました。それ以後上高地が多くなり、10回ほど行っていますね。長い山行は30年ほど前ですが、蓮華温泉から上高地までの21泊の縦走をしたことがあります。
―上高地のキャンプではどんな楽しみ方を
2週間ほどのキャンプ中に徳本峠や前穂高、涸沢、焼岳などへのハイキングです。フィンランドでのキャンプと交互にやっていますから、2年に1回のサイクルです。それとどこのキャンプでも同じですが、ファイヤーを囲んでコーヒーを飲みながら、時にはアルコールでリラックスしながらの語らい。森から癒され、森の霊気に包まれ、大自然からエネルギーをもらうという楽しみ方です。
―日本とフィンランドの山との相違点は
フィンランドの最高峰は1200メートル程度で丘陵地が多い。それに対し日本の北アルプスなどは3000メートルの岩山です。違いは山の険しさですね。逆に似ている点は花です。フィンランドの実家の庭先に咲いているような花が、北アルプスの稜線で見ることができる。気候、気温もフィンランドとそっくりです。空気も似ていますね。
―四国歩き遍路に行かれたらしいですが
興味を持ったのは、日本に来て4、5年目にある日記を読んでからです。家出をした16歳の女の子が書いたもので、いろいろな思いを込めて遍路を旅する内容だった。その本に感動して「一度、私も歩いてみたいなー」と思い始めたんです。でも湯河原で英語塾をやっていた頃はなかなかできなかった。国会議員になれたことを機に、日本人の生き方や文化をもっと理解するため、そして悟りを見つけることができればという思いで、実行に移しました。
―生き方や文化をもっと理解するとは
私はクリスチャンですが、日本という国をさらに深く知るために日本の宗教を理解することも非常に大切なことです。お寺では本を見ながら声を出して般若心経を唱えました。私の神様は森の中にもいますし、寺や神社にもいます。
―遍路の具体的な計画は
2004年秋から。国会閉会中の休みを利用して歩き始め、5回目の区切り打ちで06年1月、ついに結願しました。1200キロをのべ50日かけて歩きました。1日25キロ。ほとんど山と森です。最長1ヵ月続けたこともあります。6日歩いて1日休む、50分歩いたら10分休むというパターン。休憩中は両足をガードレールに上げ寝転がったりしました。フィンランドでの兵役中に習った長距離歩行のコツで、血液循環がよくなるので、疲れが取れる。途中で家内は足をくじいて1週間ほど車移動をした時もあったのですが、私はずーっと歩きました。
―遍路でのエピソードは
八十三番の一宮寺をお参りしたとき、悟りに似たひらめきがあった。「私がやるべきことは、食と大地の安全のために有機農業推進に取り組むこと」だと。そしたらその翌々日、歩いている途中で同行していた秘書の携帯電話が鳴ったんですね。内容は国会の代表質問で、20分間話してほしいという依頼。テレビを通して日本中に私の思いを伝えられる初めての代表質問でした。
―昔から有機農業には関心があったのですか
もともと湯河原では16年ほど前から家庭菜園をやっていました。04年、フィンランドに里帰りしたとき、向こうの国会の有機農業議員連盟の人たちと意見交換する機会があったのですが、そのとき「なぜ、日本に有機農業の議員連盟がないのだろう」と思いました。それで「日本でも有機農業議員連盟を作ろう」と決心したわけです。今は超党派で172人の仲間がいます。
―トレーニングは
議員宿舎の下にトレーニングジムがあります。朝食前にランニングマシンなどで40分ほどトレーニングして、20分ほど歩いて議員会館に来ます。これだけでもすごく体調がいいし、仕事にも山登りにも積極的に取り組める気がします。
自然や山登りを楽しみ、日本の生活や文化、宗教を理解する。そして有機栽培を通じて「食の安全、大地の安全向上」に取り組むことが与えられた使命である、とツルネンさんははつらつとした笑顔で強調した。
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| 山の専門誌『岳人』 2009年3月号より |
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