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はじめに
 ハンドル名のYUJIROは87年7月に亡くなった俳優の石原裕次郎氏にあやかったもので、ファンの1人としてかつてのスーパースターの名を拝借した。

 時代の寵児と言われた彼は、戦後で括るよりはもっと広く日本映画史上の最大のスターと言った方が正しいだろう。映画館に足を運んだ観客動員数でみても戦前・戦後を通じて彼を凌ぐ俳優は他にいない。
 映画産業はS33年をピークに斜陽化が始まったと言われている。理由としては無論、TVの普及など科学進歩の大きな流れと、戦後日本の高度経済成長と共に育まれた価値観の多様化の側面が否定出来ない。しかし一つの見方だが、仮りに石原裕次郎が映画界に登場しなかったならば斜陽化の波は逆にもっと早く押し寄せていたと言えるのではないだろうか!。当時、上映館・入場者数は現在と比較にならない程圧倒的に多く、GW(ゴールデンウイーク)の言葉を生むほどに映画は大衆を引き付ける娯楽の象徴であった。

  ?陽のあたる坂道?(1958年4月16日封切)



 キネマ旬報の古い資料によると全国映画館入場者数のピークはS33年。日本映画の配給収入のそれはS34年である。正に爆発する石原裕次郎ブームの到来を裏書きするような記録である。
 日本映画の各年別配給トップ10では、S32年暮に正月映画として上映した『
嵐を呼ぶ男』がトップ10の3位に裕次郎作品として始めて登場する。この映画には逸話があり、当初、予想を遥かに超える観客数に日活上層部自身が驚愕し、急遽上映館を増やして溢れる観客を運んだと伝えられる。そして他の映画会社は圧倒する裕次郎人気に半ば呆れ果て、興行的にも状況は散々だったと言われている。
 人気は加熱し、翌年のS33年は裕次郎作品9本全てが大ヒットする。主演として年間製作本数9本それ自体が今では驚きだが、この中には作家石坂洋次郎が石原裕次郎のために書下した代表作でもある『陽のあたる坂道』がある。このほか『紅の翼』『明日は明日の風が吹く』『風速40メートル』がトップ10の上位を独占している。
 そしてS34年は『世界を賭ける恋』『若い川の流れ』『男が命を賭ける時』『清水の暴れん坊』。
 S35年は『天下を取る』『闘牛に賭ける男』『喧嘩太郎』『やくざ先生』。
 S36年はスキー骨折事故の影響で作品自体が減ったものの『あいつと私』『堂々たる人生』『アラブの嵐』3本が堂々ランク入り。
 S37年は『花と竜』『銀座の恋の物語』『零戦黒雲一家』と相次いでトップ10に名を連ねている。
 こうして見るとこの時期、映画における観客動員の多くは一人裕次郎が支えていたと言っても決して過言ではない。視点を変えれば石原裕次郎が時代を築き、文化をも創出したのである。
 前述のようにもしも映画界に石原裕次郎が登場しなかったならばと言う架空の前提でものを言えば、映画産業の隆盛期は過去に一層シフトし、斜陽化の始まりと速度が実はもっと以前から急激に起こっていたのではないかとの推察も強ち的外れとは言えまい。歴史もまた大幅な塗り変えを余儀無くされたに違いない。
 誤解を恐れずに言えば、社会現象でもあった裕次郎ブームが、あるいは裕次郎人気に依存した映画界全体が、時代を見据えると言った点では逆に大きな錯覚を招いてしまったのではないだろうか。近年、単発的な大ヒット作品はあるものの、映画のその後の全般的な衰退からそのような思いを拭い切れない。

 何はともあれ一時代。空前と言える多くの観客を映画に引き寄せ、人々を魅了し熱狂させた稀有の才能と独立プロをいち早く興し、古い因襲や体質に果敢に挑み、映画界の改革・革新に向けた情熱と足跡は称賛されて余りある。映画『黒部の太陽』の実現はその象徴であったとさえ言えるだろう。数年前、NHKテレビが実施した人気投票による世論調査で『戦後、日本人が最も愛したスター』の第1位に石原裕次郎が選ばれているのも至極当然な結果として頷ける。
 少年時代。映画館に通いつめた1人のファンとして、あの衝撃的なデビューと、爆発したエネルギーを独り占めし、そして時代から喝采を受け圧倒的支持を得た今は亡き銀幕の超スーパースターを長く記憶にとどめておきたい。



 カラオケでは石原裕次郎以外に歌わ(え)ないことにしていますが、 次に紹介する歌はカラオケの台詞にありません。歌詞を御存知の方はかなりの裕次郎オタクと言えるでしょう。
 映画『俺は待ってるぜ』『錆びたナイフ』『夕陽の丘』は共にヒットメロディーの映画化ですが、挿入歌はレコードと台詞を変えています。

  【俺は待ってるぜ】(S32年日活映画『俺は待ってるぜ』挿入歌)
   石原 裕次郎 歌
   石崎 正美  作詞
   上原 賢六  作曲

   夜の終りに   瞬く星が
   一つ消えて行く 遠い空
   契る縁は    はかないものよ
   今宵出船の   侘しいドラに
   誓う二人の   その幸せを
   俺は待ってるぜ


  【錆びたナイフ】(S33年日活映画『錆びたナイフ』挿入歌)
   石原 裕次郎 歌
   萩原 四郎  作詞
   上原 賢六  作曲

   暗闇に光っても 何も言わない   
   まっかに錆びた ジャックナイフがいとしいよ
   俺もここまで  泣きに来た
   同じおもいの  旅路の果てだ



  【夕陽の丘】(S39年日活映画『夕陽の丘』挿入歌)
    石原 裕次郎  歌
    萩原 四郎   作詞
    上原 賢六   作曲

   帰らぬ人の   想いは遠く
   求めてむなしい 愛の証(あかし)
   かいなき命   ある限り
   こころの傷は  また疼く

   去り行く人の  悲しみに
   沈む夕陽が   瞳にしみる
   ひとりの影は  終わりなく
   さいはての旅は 何処へか



  ヒットメロディーの映画化ではありませんが
  映画『鉄火場の風』の主題歌「最果てから来た男」も挿入歌と発売レコードでは一部歌詞が違います。

  【最果てから来た男】(S35年日活映画『鉄火場の風』挿入歌)
   石原 裕次郎 歌
   熊井 啓   作詞
   小杉 太一郎 作曲

   凍てついた海を越え 俺はやって来た
   何時も夜明けに   胸に疼いた面影よ
   其(そ)は     仮初の恋なのか
   愛しき瞳      今は何処に
   ああ 俺は最果てから来た男さ




 因みに自身の思い出に残る映画を三つあげると『乳母車』『あじさいの歌』『あいつと私』の文芸作品が…。
同様に好きな歌は文芸物とは逆に紅の翼』 『鷲と鷹』の痛快アクション映画主題歌や『口笛が聞こえる港町』。それにプラスして『わが人生に悔いなし』と言ったところでしょうか。


【写真館】
 ここにその昔。友人から貰った裕次郎氏の秘蔵写真が一枚だけあります。

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