恐怖がいつまで続くのか、僕は知らない


 体が妙に軽い、閃光に包まれているのか闇の中なのか…目を開けているはずなのに、何も写らない。触れるものも無く、一体何がどうしたんだろうかとおぼろげに思っていた。
  何かが心に引っ掛かった・・、
  「あぁ…、そうか……」
 思い出した。 腕を引っ張り背を弾き出す手、驚きの表情で遠ざかって行く少女。迫るダンプ。情けないことに最後に心で呟いた言葉は愛する人の名ではなく、両親へ伝えたい言葉でもなかった。
 マジかよ!
 そう、引きつり笑いに似た驚き顔の俺は、心でそう呟いていた。 世界が真っ暗になった所で記憶がプツリと途切れている。まさかとは思うが、あの妙な顔のままアスファルトに倒れてるんじゃないだろうな…。いや、相手はダンプだ。今ごろずたずたのスルメみたいになっているに違いない。
  あぁ、そうなんだ。俺、死んだんだ。 あれ?考えたり思ったり出来るんだから、死んではいないのか? それとも死後の世界ってやつが本当にあったってわけ?

  「あ・た・り。 そうです、貴方は死んでしまったのよ」
 突然、顔のすぐ前に女性の顔がふわりと浮き出てきて、俺の目を覗き込みながらそう言った。これ以上無いって思えるくらい柔らかな微笑を湛えながら。
  「そして、ここは現世との境界線です。貴方が迷わぬように私が参りました」
 そうか、ほんわか光ってにこやかにしているこの人は天使か。
 髪も体の輪郭もぼやけて印象だけの存在のような天使は、光で出来ていると思えるほど空間に溶け込んで見える。そのせいだろうか。いきなり眼前に顔が現れても、死んだと言われても、何故だか現実感がない。
  現実感…。現実って何だ? 死んでても現実っていうんだろうか?
  差し出される手に何の違和感も無く手を乗せて、こうやって天界へと昇るのだなぁ…などと何となくそう思う。 引かれる腕が緩やかに伸び天使の腕が伸びて、体が緩やかに浮上していく。間隔が空いたせいで、遠ざかるように見える天使。微笑を絶やさない天使の、おぼろげに光るシルエットの背後。空間に輝く一対のそれを見た瞬間、…俺の体中の毛が逆立っていくのをはっきりと感じた。


 親父の田舎だ…、小さい俺。
 毛の逆立つ感覚から連鎖的に思い出された記憶が、立体シアターの様に俺の周りに広がっていた。
 覚えてる、断片的にだけど…。
 走り回れるといっても、幼い危うさの残る自分が庭に立っている。初孫の可愛さと写真ではなく本物が来た事の嬉しさで、老夫婦は満面の笑みを零してた。 明るいうち追い掛け回していた鶏。真っ赤な夕焼けの空の下、籠に入れられていた。でも…、家族全員が笑顔で語らうその中。爺さんの手に一羽の鶏が捕まっていた。

 止めろ…
 孫のために美味しい料理を食べさせたい…、ああ、分かるさ。新鮮な物を。 何が起こるか分かってる。ぽかんと口をあけて突っ立ってる、幼い自分だけが分かっていない。
 真っ赤な夕日が世界を赤く染め上げる。鈍い音が響いた。
 羽音…。
 やつは駆けずり回る。ぐるぐると無茶苦茶に、やがてやつの足が幼い俺に向かって勢いよく近づいて来た。頭の無い鶏が羽音も激しく、爬虫類に似た足でカツカツと近づいてくる!
 逃げた。必死になって逃げた!
 止めろ…、やめろ…!!
 羽音が近づく。逃げる…必死に。
        やめろぉ〜〜〜〜〜〜……!!!
 何も無い平坦な場所で、無様に転がる俺。羽音は更に近づいてくる! 真っ赤な夕日。 鋭い爪が、爬虫類に似たその足が、ガツガツと俺の背を蹴って通り過ぎた。
  止めろぉ〜ぉお〜〜〜〜っっっ……!
 鋭い爪の感覚が俺の背を鷲掴みにする。


 
「は…、羽根が…ぁ……っっ!! うわぁぁ〜〜っ!止めろ!離せっ、来るなぁ〜〜っっっっ!!!」
  「きゃっ、どうしたんですかっ!?」
 急激に遠ざかる天使の声。俺は無我夢中で天使の手を振り解き、次の瞬間中空を失速して落ちていっていた。落ち行く俺に何度も追いついて、手を差し出す天使。
 俺は幾度もその手を逃れ、ひたすら落ちていった。世界がだんだん暗くなる…。俺は、地獄へ向かっているんだろうか? あの手を掴めば楽園が待っている。でも、耳に届く羽音が俺の心を掻きむしる。体中の毛が、ぶつぶつと立ち恐怖が渦を巻く。あの日から、鳥どころか翼や羽を象る物でさえ恐ろしくてたまらない。
 風圧が俺を叩く、そしてすぐに体を砕くほどの衝撃を受けて俺は止まった。
 死んだか…?
 いや。激しい痛みを感じたのに、意外に体は起き上がっていた。 死んだ人間は2度は死なないのか…。 呆然と見上げた。でも、空は高い。天国がどれほど高みに位置しているのか、ここからではまったく分からなかった。ただただ周りが暗かった。じっとりと湿って底無し沼のような大地…。
  ……?
  ずぶり…、体が沈んだ。
  冗談じゃない!
  何か掴む物は無いかと急いで辺りに目を向ける。ない!ない! ずぶり。今度は膝まで足を取られていた。
  「捕まって!」
 闇に近い地上で眩しいほどの輝きがそう叫んだ。
  「うわぁーーーーーーーっっ!!」
 天使の手。俺を救おうと差し出される手に、出来る事ならすがりたい。だけど、体が逃げる。 手をつき泥を跳ね上げながら、これ以上ないくらい惨めな姿で逃げていた。まるで砂浜の小亀だ…。追ってから逃れようと、少しでも安全な海へ逃げ延びようとする小亀。
  バサバサ…
 空からの敵が舞い降りる。鋭いくちばし、大きな影が近づいて来る。来る!
  「来るなぁ〜〜ぁぁ! 嫌だ!いやだぁ!助けてくれよぉ、誰かぁ……!」
  「悪い事を思っちゃ駄目よっ! いい事を考えるの、貴方の心が作り上げてるのよ。悪いことを考えちゃ駄目!」
  振り仰いだ瞳に輝く真っ白な翼が写った。逃れたい…。あいつの手の届かぬ海の中……。
 ごぼ…こぽこぽ・・  こぽぽ ごぼごぼ…
 一瞬にして世界は水の中。
 あぁ…、逃れられた…俺は助かったのか…?
 でも、…息苦しい。驚いた俺の目の前を、勢いよく気泡が通り過ぎる。途端に苦しさが増した。俺は驚きに声を上げ、肺に満たされていたほとんど全ての空気を吐き出していた。 バタバタと無闇に手足をばたつかせ、必死で上を目指す。そこには水面があるはず、そこには空気に満ちた空があるはず。でも、世界が暗さを増していく。気が遠くなる。
 苦しい…くるしい…。
 ほのかな明るさは頭上にあるのに、ちっとも近づかない。必死に動かす両腕は水をかいているのだろうか? 本当に俺は水の中にいるのか? 近づかない、ちかづいてこない。羽音、羽音が近づく。
  ドスッ! ザクザクッ!!
  体が燃えるように熱かった。 腕を動かす事を忘れ苦しさも忘れて、ゆるりと胸に目を落とす。そこには羽をばたつかせ、細い物が突き刺さっていた。5・6匹だろうか…? 信じられず見つめる俺は、奴らの力でぐんぐん後ろへ流されていった。やがてそれは天を目指すように飛びあがっていた。タールの様に黒くぬるりと揺れる水面のその上を、100メートル、200メートルと飛んで行く。銀の羽をばたつかせ、俺の存在など知らぬふうに、飛魚は飛び続ける。
 苦しくはないのか? 何故、…なぜ飛び続けるんだ?
 飛魚は飛ぶ、500メートル・600メートル…。
 何のために飛び続けるんだ…? 何故、なぜ、ナゼ……
  グワシッ!
 何かがいきなり俺の両肩を鷲掴みにした。鋭い何かが、強風と大きな羽音を作り出している。絶望だけが俺の中にある。もう恐怖に麻痺したのか心が凍ってしまったのか、自分でも分からない。
  「ああっ……!!」
   ぶちぶちっ… びちゃびちゃちゃ……
  肩に食い込ませていた片方の足を引き離し、飛びながらやつは食事を始めていた。飛魚ごと俺の腹に鋭い爪を食い込ませ、美味しそうに食べる音が頭上から聞こえた。朦朧としながら顔を上げると、口元を真っ赤に染めた愛らしい女性の顔があった。人の顔を持つ鳥…。 口から滴り落ちる赤い雫が、俺の顔に零れ落ちる。
  「私、ずっと貴方の事好きだったのよ。食べちゃいたいくらいって言ったの、本当なんだから…」
  ああ、そうだろう。内臓は一番美味しい所らしいからな…。
  「もう離さない、絶対。絶対よ、誰がなんと言っても…私、今分かったのこんなに貴方の事愛してるって…!」
 あぁ…最悪だ…。人の顔を持った鳥だなんて、どんなに美人でも願い下げだ…。
  これが地獄か?針の山や火の海地獄とかではなく、本人が一番恐怖し苦しむ物が準備されているのが地獄か?
  「死なないでっ! お願い目を開けてっ、お願いよぉ〜っ!!」
 自分で人を苦しめておいて、いい気なもんだ…。
 顔にかかる雫は温かく、声が耳元でがんがんと響く。
   ピーポー… ピーポー…
  ははは…、地獄にも救急車が?


  「シュンペル! あぁっ!気がついたのねッ!! 私よ、分かる!?」
 愛らしい少女の顔が目に飛び込んできた。年のころは17・8歳だろうか。 少女の背後に青い空がのどかに広がっている。どうやら彼女に抱きとめられているらしかった。
 誰だっけ…? 知っているような…
 朦朧とした意識を掻き回して、記憶の糸を引っ掛け様としてみる。思い出したくないような、怖いような感覚をのらりくらりとかわしながら。
 少女の大きな瞳から、涙が音を立てて幾つも顔の上に零れ落ちた。
  「…祐美…」
  「あぁ…、ちゃんと名前言ってくれたぁ。ユミエル感激☆」
 更に涙が零れ落ちてくる。 夕立みたいだ… 不意に真っ赤な夕日が脳裏をよぎっていった。
  頬を濡らす涙を拭う少女の腕に時計。羽を模した腕時計に、俊平の瞳が釘付けになった。瞳は更に彼女の姿を捉えていき、徐々に全身を見る事が出来るようになってきた。無意識に体が後ずさり彼女から離れて行く。ずるずると、腰が抜けた様に上向きに這いずっていた。
「シュンペルが死んだらどうしようって、怖くて哀しくていっぱいいっぱい泣いちゃったんだよぉ〜」
  「…シュンペル…って言うなっ…。俺は俊平だっ…」
  「素晴らしい人にはエルがつくのよ。ミカエル、ラファエル、ガブリエル…、え〜っとそれからぁ……」
 彼女の頭には妙な形の帽子がぷわりと乗っかっていた。ピンクのカタツムリみたいにうずを巻いた帽子、その両側に白い羽がついている。背後から少し見え隠れしているのは羽のようだ…。どうみても手製でつけたような、綿が入った布製の羽。
  し、新種の…エンジェラー…!

小説の挿絵

  「ユミエルね、シュンペル意外に誰も愛せないわ。死んじゃったら超悲しい!」
 勝手に言ってろっ…
 我が世界に浸っている彼女と青ざめている俊平を、通りすがりの多くの人間が見下ろしている。
  「初めてあった時の事覚えてる? ユミエル見てシュンペル雷に撃たれたみたいに、驚愕の表情をしてたわ!」
 当たり前だ、その格好!
  街角でばったり出会ったその時も、祐美は体中あちこちに羽をあしらっている格好だった。
  「あぁ! あの時よっ、この人しかいないって。あの表情、瞬間的に私の全てを理解してくれた表情だった!!」
  誤解だっ!!!!!!
  顔面蒼白の俊平は、ありったけの思いを叫んでいたが声にはなっていなかった。
  「ダンプから身を呈して救ってくれた貴方を、私一生全身全霊愛するわっ!」
 俊平はぶるぶると顔を振った…つもりだったが、ただ怯えて震えているようにしか見えなかった。しかし、彼女には喜びに打ち震えているふうにしか見えていない。
  「シュンペルぅ〜〜〜〜っ!」
  「ぎゃぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」
  羽を散らした絵柄のワンピースの彼女は、両手を広げて俊平に抱き付こうと飛び上がった。無我夢中で絶叫し走り出す俊平を、きょとんとした顔で救急隊員が見送った。
  「……元気そうだな」
  「でも…、一応病院連れてかないとまずくない?」


 人垣をかき分け、ふらつく頭を必死に抑えて俊平は逃げる。 逃げる背後から、黄色い声がいつまでも追いかける。
  これは夢か? 現実か?
  何処からが夢で、何処からが現実なのか…。
  俺はまだ幼児で、背後から追いつこうとするあいつから、今もまだ逃げようとしている最中か?
 それとも打ち所が悪くて、あれからずっとベッドの上で夢を見続けているんだろうか…。
 それとも…それとも…。

 幼児からの記憶その物が全て、全て夢の中だったのか?
  同じ夢を繰り返しくりかえし、生と死の狭間で人生の夢を見つづけているだけなのだろうか?

 怖い夢から目覚めて安堵する夢を見たときの様に、夢と現とが重なりない交ぜになって不安をかきたてる。 私は存在しているのか、どちらが夢なのか。
  真っ赤な夕日がビル街に落ちて行く、何処へ行くのかも分からず走りつづける俊平の体を真っ赤に染めて、世界が赤く燃える。
  これはまだ地獄の一部だろうか…。
 いつまで続くんだ…? 天国ってなんだろう…。

  本当に天使に羽があるのなら…、俺にとって天国もきっと地獄に違いない。




 あうあう…、深い意味はありません。何か宗教について言いたいわけでもありません。(^-^;) (_ _;)@@
 SFフォーラムの創作の部屋という所に、長編をアップしています。これは長編を書く手がぱたりと止まってしまって、他のを書けば気分が変わるかと書いた物です。ええ、もう乗りのまま転がるままにドタドタと書いて、ほとんど練る事もなく仕上げました。しばし落ち着いて練り直しの時間を作ろうかと思ったのですが、勢いがなくなりそうで怖いので止めました。で、こいつは勢いが命の作品だっ!と決め付けて、完成という形をとったのでした。
 酷評が沢山来るだろうなぁ・・・と怖さ半分で読んだ感想。意外に好意的な感想が多くてホッとしつつ、今度は乗りだけではなくてちゃんと熟考した作品もアップしなくちゃな・・・、と思ったのでした。

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