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「浄化と祓え」の由良湊神社

由良湊神社は
今を去ること干余年の昔、
『延喜式神名帳』に記された
延喜式内の由緒ある神社です。

当神社の創立年代は不詳ですが、この地に居住していた淡路海人によって、由良水門の鎮護として祀られたものと思われます。

「淡路」の地名は[「阿波に行く路」に由来すると云われますが、鎮座地の由良は淡路上陸の要所として古より栄え、延喜の制では由良駅が置かれ馬五頭が配されていたほどでした。
中世の状況については、『朝野群載』に僅かな記述があるのみで詳細は不明ですが、八幡神の信仰が全国的に盛んになるにつれ、いつしか八幡宮が祀られたようです。

近世、成山城城主の池田忠長が、現由良小学校地に在った八幡宮を再興して氏神と定め、由良湊神社を境外摂社としました。
次いで、阿波・淡路両国の領主蜂須賀氏も成山城を居城としましたが、寛永年間に「由良引け」を断行、国府が洲本へ移りました。
この時、藩邸を築く為に八幡宮を湊神社の境内に移して社殿を造営しましたが、本社・摂社の関係は依然として旧の如くでした。

明治3年に両社を合併して、延喜式の社名「由良湊神社」と称し、現在に至っています。

延喜式【えんぎしき】
平安中期の法典。延喜五年醍醐天皇の命により藤原時平、忠平らが編集。弘仁式、貞観式以降の式を取捨し、集大成したもの。

朝野群載【ちょうやぐんさい】
院政期の詩文集。平安中・後期の詩、文章、各種古文書などを集成、部類したもの。

成山城【なるやまじょう】
慶長18年、池田忠雄が由良成山に築城したのがはじまり。
元和元年、淡路国は阿波徳島城主蜂須賀氏に加増され、岩田・笹田氏を城番とした。寛永の由良引けで本拠が洲本城へ移され廃城となった。

由良引け【ゆらびけ】
国府を由良から洲本へ移すため、寛永8年(1631)から同12年にかけて、武家屋敷をはじめ町家や寺院などを移転したこと。

 

○出石神社について

紀淡海峡を一望する生石(おいし)山に鎮座する 出石(いずし)神社は、日本書紀に鎮座の伝説が記されています。

 

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