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| 前編 第一番霊場 青岸渡寺 〜 第十六番霊場 清水寺 |
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| 弘法大師の四国88箇所霊場の巡礼は広く知られていますが、ここ関西にも奈良時代から |
| 現在に至る迄西国33箇所観音霊場の巡礼があります。観音様とは極楽浄土から現世に降り立った |
| 仏様であるとの事、静寂な古刹にゆっくり浸り、過去の人生を振り返ると共に残された人生の中に |
| 何かを見出せたらとの思いから首題の巡礼の旅を計画しました。 |
| 古人の巡礼者に出来る丈近づく為に以下3箇条を厳守する事にしました。 |
| 1. 33箇所観音霊場を順番に巡礼する。 |
| 2. 車を使うが野宿・自炊を原則とし、出来るだけ古人の通った道を辿る。 |
| 3. 有料道路は使わず、出来るだけ歩く。 |
| 巡礼の旅は2001年7月16日、早朝5:30分自宅を出発する事で始めました。 |
| 第一番観音霊場の那智山を目指して一路本州の南端への旅です。瀬田川渓谷を下り |
| 宇治平等院を通過、奈良市内を一気に通り抜けて五条市へ、ここから山中を十津川沿いに南下、 |
| 途中谷瀬の吊橋を過ぎる頃から雨となり、何時の間にか熊野川に合流、昼頃奥熊野古道へ入りました。 |
| ここから熊野路です。本宮の道の駅で飯盒炊爨で昼食、午後渡瀬温泉に寄り道して西日本一広いと |
| 言う露天風呂に入って休養、雨の中の露天風呂も一興でした。その後熊野川沿いに南下して |
| 太平洋に突き当たり、海岸沿いに続く国道42号線を右折、やがて那智駅前で右折して那智山へ登りました。 |
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| 自宅を出発して295km走行して第一番の観音霊場青岸渡寺に到着です。目の前に落差133mの那智滝が見えます。 |
| ここからが西国33箇所観音霊場巡礼へのスタートです。 |
| 下山して再び国道42号線を南下、途中東京の八丈島と同緯度に位置している本州最南端の潮岬灯台に立ち寄り、 |
| 夕方白浜温泉に到着、走行距離365km、今夜はここで車中泊と決め再び露天風呂で一汗を流す事にしました。 |
| 早朝国道42号線を南下、みかんで有名な有田を通過し約110km走行、和歌山市の 第二番霊場 紀三井寺 へ到着です。 |
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この坂は結縁坂と言われています。 |
| 紀国屋文左衛門が母を背負って参詣の折、 |
| 草履の鼻緒が切れたのを宮司の娘に助けられ |
| これが縁で結ばれ、後に宮司が出資した |
| みかん舟で大儲けをした事は有名です。 |
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| 境内 3箇所に |
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| ≪清浄水≫ ≪吉祥水≫ ≪楊柳水≫ と言う |
| 湧き水があり、近江の三井寺と区別する為 |
| 紀三井寺となったのが寺の興りとの事です。 |
| 和歌山市で奈良・京都に通じる |
| 国道24号線に入る。これより紀州路です。 |
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約30kmで第三番霊場の粉河寺に到着です。 |
| 鎌倉時代には七堂伽藍、550ヶ所に坊がある |
| 広大な寺であったと言う。 |
| 豊臣秀吉に焼き討ちされたがその後徳川吉宗に |
| 厚く庇護され再建されたとの事、 |
| 枕草子にも出てくるお寺です。 |
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| 桃山時代の作と言われる枯れ山水の |
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| 粉河寺庭園は実に素晴らしい。 |
| 又高さ33mの本堂は翼を広げた鳥の様で |
| どっしりとした重厚さがあり歴史を感じる |
| 左甚五郎作の野荒しの虎も安置されていて |
| 流石、紀州の大寺です。 |
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| 第四番霊場は大阪の河内で45km程先です。国道480号線の峠越えであるが国道とは名ばかりで |
| やっと車が擦れ違える程の道幅で、神経を使いながらの山岳ドライブとなりました。 |
| やっとの思いで峠を越えた所に小さな村があり、聖井水と言う湧き水を発見しました。 |
| 弘法大師が石を杖で叩いたら湧き出したとの事、ペットボトルを抱えて水場まで下りました。 |
| 小径の両側は収穫時のソルダム畑で甘い香りが一杯でした。収穫作業をしている御夫婦と立ち話、 |
| 帰りに完熟ソルダムをもぎり、抱えているペットボトルの上に5〜6個程乗せて呉れました。 |
| 買ったものと異なり木で完熟しているので実に美味しかった。 |
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第四番霊場施福寺は山の頂上にある厳しい霊場です。 |
| 山門を潜り暫くすると急坂な山道となり、 |
| 最後は長い階段となり早足で30分の歩行です。 |
| 途中湧き水もあり、一息入れられるが高齢者には |
| かなりきつい行程です。早朝散歩で鍛えられているので、 |
| それ程の苦労も無く上れました。 |
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| 国道170号線で約30km走行、藤井寺駅前に |
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| あるのが第五番霊場の葛井寺です。 |
| 国宝で日本最古の十一面千手千眼観世音菩薩の仏像が |
| 本尊で苦しみ、悩める人々を救おうと |
| 二手が胸の前で合掌されている事から |
| 厄除け信仰の深い寺と言われているとの事でした。 |
| 本堂でお参りしていた所、一転俄かに掻き曇り見る々内に雨と風が強くなり出しました。ここから自宅まで2時間位なので |
| 一旦帰宅する事にしました。 結局自宅を出発して帰宅する迄の走行距離は約650kmでした。 |
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再度自宅を早朝に出発して国道24号線から |
| 169号線に入り大和路を約80km走行して |
| 第六番霊場の壺坂寺に到着です。 |
| この寺は続日本書記や枕草子にも登場する |
| 程の古来から有名な寺です。 |
| 寺の起こりは大宝元年(701年)と古く、 |
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| 本尊の十一面千手観音は眼病に霊験あらたかな |
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| 仏様として知られています。 |
| 明治時代に世話物浄瑠璃や浪曲で共感を呼んだ |
| 沢市・お里の夫婦愛を描いた≪壺坂霊験記≫の |
| 寺です。ひょんな事から家内の父親が |
| 浪曲好きで唸っていた事を思い出しました。 |
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大和路を約10km北上すると飛鳥に入り、 |
| 第七番霊場の岡寺(龍蓋寺)に到着です。 |
| この寺は明日香の高松塚古墳の近くにあり、 |
| 大変古く663年の創建とされています。 |
| 正倉院の写経記録にも名前が出ていて、 |
| 12世紀末に書かれた歴史書 ≪水鏡≫ 冒頭は |
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| ≪ つつしむべき年にて龍蓋寺へもうではべり ≫ |
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| と記されているとの事です。農民を苦しめていた龍を |
| 寺の僧侶が法力で池に封じ込め、大きな石で蓋を |
| したと言う伝説が寺号の由来で、その僧侶が |
| 法相宗の祖と呼ばれる義淵僧正・行基・良弁等 |
| 奈良時代の名僧を誕生させたとの事です。 |
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大和路から伊勢路につながる初瀬街道を15km |
| 走行すると第八番霊場の長谷寺に到着です。 |
| 7000株のボタンが咲く4月下旬〜5月上旬は |
| 取り分け素晴らしいが四季折々の花に色採られる |
| 美しい寺で古今和歌集・枕草子・源氏物語等々 |
| 数々の文学に登場します。 |
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| 仁王像を安置した山門を通り、回廊式の登廊を |
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| 登り切ると東大寺の大仏殿の次に大きい |
| 舞台造りの本堂があります。686年天武天皇の |
| 快気祈願の為に建立され、奈良県内でも |
| 屈指の大寺です。江戸時代には伊勢参りの |
| 途中にも立ち寄る庶民も多数いたそうです。 |
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長谷寺の門前町の外れに |
| 西国33箇所霊場巡拝の開祖である |
| 徳道上人の廟所のある法起院があります。 |
| 夢の中で閻魔大王から苦しむ人々を救う為に |
| 33観音霊場を造り広めよと告げられたのが |
| 西国33ヶ所巡礼の始まりと伝えられています。 |
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| 第九番霊場は約30km先の奈良公園内にある |
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| 興福寺境内の南円堂です。 |
| 本尊は鎌倉時代の仏師運慶の父親である康慶と |
| 一門の作とされている国宝の観世音菩薩です。 |
| ついでに公園内にある猿沢の池で休憩して |
| 東大寺の大仏にお参りして鎌倉時代の傑作である |
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| 大好きな仁王像を見て帰宅しました。ここから自宅までは約50km,1時間の走行でした。 |
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自宅を出て瀬田川渓谷から宇治川沿いに |
| 約20km走行して宇治橋を渡ると |
| 第十番霊場の三室戸寺です。 |
| 宇治は平安貴族の別荘地として栄え、 |
| 源氏物語や宇治十帖の舞台としても知られています。 |
| ここから京都府です。 |
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| 朱塗りの山門を抜けると |
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| 5000坪はあると思われる広い庭園があり、 |
| 4月下旬〜5月中旬には桜・紫陽花・ツツジ・蓮が |
| 咲き乱れます。光仁天皇・花山天皇・白川天皇、 |
| 三帝の離宮となった事から |
| 三室戸寺の名前になったと言われています。 |
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| ここから約10km先の伏見に醍醐寺があります。醍醐山一帯に多数のお堂があり、五重塔や金堂等々の |
| 国宝・重文級の建造物・仏像が多くある洛南最大の寺院で山麓部を下醍醐、山上部を上醍醐と呼ばれています。 |
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| 豊臣秀吉が永眠5ヶ月前に、国宝の五重塔や金堂を大改修をして、吉野から700本もの桜を移植して |
| 行った ≪醍醐の花見の宴≫ は良く知られていて、現在も桜の名所です。 |
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山門を潜ると、きつい坂道と階段が延々と続きます。 |
| 路端の道標は1丁〜20丁(2km)まであり、 |
| 登る事1時間で、清水が湧いている醍醐水に辿り着きます。 |
| 醍醐味と言う言葉はここから来ているとの事、 |
| 更に100段程登るとやっと上醍醐寺に到着です。 |
| 今までで一番厳しい霊場でした。 |
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| 自宅の二階自室から岩間山が見えます。 |
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| 頂上にあるのが第十二番霊場の岩間寺です。 |
| 参道から見えるのが我が町で、約8km |
| 往復2時間の行程です。 |
| 途中には冷たい湧き水があり、 |
| 夏場には週2回のペースで汲みに行きます。 |
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この山の麓までは毎朝の散歩コースです。 |
| 開祖は泰澄大師で雨乞いに関する雷神伝説や |
| 芭蕉の俳句 ≪古池や蛙飛び込む水の音≫ は |
| 広く知られています。 |
| 地元では ぼけ封じの寺 としても知られているので |
| ボケない様に十分なお参りをして帰宅しました。 |
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| 地元大津市にある第十三番霊場の石山寺と |
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| 十四番霊場の三井寺は約20kmの徒歩による |
| 巡礼です。自宅から瀬田川沿いに40分で |
| 第十三番霊場の石山寺です。このコースは |
| 景色が良く、時々早朝散歩で来る事もあります。 |
| 山門を通ると長い参道があり、急な石段を上ると |
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天然記念物である硅灰石の岩塊があり、 |
| その上に国宝の本堂や多宝塔があります。 |
| 更に登ると近江八景の一つ ≪石山秋月≫ |
| として知られている月見亭に出ます。 |
| 現在は木が大きくなり、視界を遮っていますが |
| 平安時代には琵琶湖越しに比良山が望遠出来、 |
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| 素晴らしい景観であったと想像出来ます。紫式部が当寺に篭り、名月を見ながら源氏物語の須磨・明石の巻を |
| 著した事は知られていますが ≪枕草子≫ ≪更級日記≫ 等々平安文学に度々登場する寺です。 |
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| 第十四番霊場の三井寺には瀬田川沿いに |
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| 唐橋を通り、琵琶湖湖岸を12km位、2時間半で |
| 比叡山の麓にある三井寺に到着です。 |
| 琵琶湖を見下ろす高台にあり、大変綺麗な音色で |
| 知られる近江八景の一つ ≪三井晩鐘≫ があります。 |
| 又現在でも昏々と湧いている霊泉があり、 |
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天智・天武・持統 三天皇が産湯に使ったので |
| 御井寺 ⇒ 三井寺となったのが |
| 寺号の由来になったとの事です。 |
| 三井寺と比叡山は仲が悪く、紛争が絶えず |
| 弁慶が引き摺って持ち帰ったと言う |
| ≪弁慶の引摺鐘≫ もあります。 |
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| 往復走行距離約60km、東山界隈にある山科の番外霊場・第十五番霊場・第十六番霊場の巡礼です。 |
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| 東海道53次での最後の難所逢坂山の峠を |
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| 国道1号線で一気に越すと山科です。 |
| 更に進み東山の麓で右折すると番外の元慶寺です。 |
| この寺は小倉百人一首 ≪ 天つ風雲の通い路 |
| 吹きとじよ 乙女の姿しばしとどめむ≫ でおなじみの |
| 六歌仙の一人 遍昭僧正が創建した寺です。 |
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後に観音霊場を中興した花山法皇が |
| 2年間ここで歳月を送ったとの事で、 |
| 西国33箇所観音霊場の番外札所になっています。 |
| 近くには忠臣蔵の大石内蔵助が隠遁を装ったと言う |
| 岩屋寺もあります。 |
| 再び国道1号線で京都に向かい東山トンネルを抜け、 |
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| 東大路通を左折して暫く走行すると |
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| 第十五番霊場の今熊野観音です。 |
| 弘法大師がこの地を訪れた時熊野権現と名乗る |
| 老人から十一面観音像を託されます。 |
| これを聞いた嵯峨上皇の命により弘法大師が堂を |
| 建てたのが当寺の興りと言われています。 |
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境内には弘法大師の祈りにより湧き出したと言う |
| 五智水と言う清水が湧き出しています。 |
| 後に後白河天皇の頭痛が治ったとの言い伝えから |
| 頭痛平癒・厄除け開運の観音として信仰を集め、 |
| 最近ではボケ封じを祈願する人も多いとの事で、 |
| 私もボケ封じについて祈願して来ました。 |
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| 逆に東大路通りを戻ると第十六番霊場で |
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| 京都を代表する人気寺 清水寺です。 |
| 奈良時代末期、坂上田村麻呂が妻の安産祈願に |
| 鹿狩りに来た所、僧賢心に殺生を諌められ、 |
| 観音の教えを説かれ、滝の傍に仏殿を建立、 |
| この滝が ≪音羽の滝≫ です。 滝とは名ばかりでです。 |
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日本10大名水の一つと言われています。 |
| この清水が寺号の由来との事です。 |
| 昔から ≪清水の舞台から飛び降りた気持ち≫ と |
| 表現される通り、ここから京都市街が一望出来ます。 |
| 京都市随一の観光名所であり、何時も観光客で |
| 賑わっていて小生にとっては苦手なスポットです。 |
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