後編 【群馬県・長野県・山梨県・東京都】

鳩待峠の早朝です。
早々に朝食、出発の準備が完了です。
尾瀬への入口で記念撮影、愈々出発です。
所々に熊除けの鐘がありました。
鉢合せをしない様に2,3回叩いてから進みます。
殆んどが下りの木道で、3.3km約1時間で予定通り山の鼻ビジターセンターに到着、
尾瀬ヶ原のビデオを見ながら小休止、近くの至仏山荘を経て愈々尾瀬ヶ原です。
正面に燧ケ岳が見える筈ですが雲の中です。
木道を進むと
湿原の中に池塘が点在している上田代です。
池塘に周囲の景色が映るのがいいのですが
早朝の為無理でした。
2.2km、40分で牛首分岐に出ます。ここは前方に燧ケ岳、後方に至仏山が見える
尾瀬ヶ原一のビューポイントの筈が両山とも雲の中でした。
しかし紅葉が始まっていました。
源五郎掘⇒中田代を経て2km、40分で竜宮です。
更に木道を進むと前方に燧ケ岳が
全容を表わしました。
見晴十字路を経て
3.3km、80分で元湯山荘に到着です。
これで尾瀬ヶ原を縦断した事になります。
ここからは木道ではなく本格的な登山道です。先ず0.6km、30分で平滑ノ滝です。
展望台から見るとただ急流の川と言う感じでした。更に1.2km、50分急坂の上り下りがあり、
三条の滝に到着です。展望台から見た滝は豪快そのものでした。
来た登山道を元湯山荘まで戻り、
今夜の宿の東電小屋を目指しました。
開通して間もない只見川に架かる東電尾瀬橋です。
目指す東電小屋はもう直ぐです。
気付いたら雲が切れて燧ケ岳と至仏山が
全容を現わしていました。
東電小屋へは裏から着いたので、一旦通り越して記念撮影してチェックインしました。
夕食後、小屋の責任者が国立公園、尾瀬ヶ原について写真で説明して呉れました。
国立公園、尾瀬ヶ原のほぼ70%は東京電力が所有している事、
季節の高山植物の紹介がありました。
現在ツキノワグマが4家族暮らしていて、時々木道を横切って移動するとの事、
熊は時速60km程で走れるので逃げても無駄で、睨みながらそーっと後退りして
距離を置くのが最良で、出会い頭に遭遇するのが一番危険と説明がありました。
熊の通り道には必ず鐘が設置してあるので必ず鳴らして進む様に言われました。
この時期(9月初旬)の尾瀬ヶ原の高山植物です。

ズミの実

ズミの実

サラシナショウマ

エゾリンドウ

ミヤマアキノキリンソウ

ドクゼリ

ヤマトリカブト

ウメバチソウ
早朝、朝霧の中を出発、どうやら今日は天気に恵まれそうです。
東電小屋を出て直ぐに熊出没注意の看板、
昨夜の説明を思い出し、殆んど人に会わない
単独行動なので心底恐くなりました。
鐘を叩き、小屋で記念に買った鈴を鳴らし、
細心の注意を払って木道を進みました。
1km、15分程でヨッピ吊橋に到着です。
更に進むと、前方に至仏山、
後方に燧ケ岳の全容が現われました。
実に雄大でこれぞ尾瀬ヶ原でした。
2.3km、50分で昨日通った牛首分岐に到着です。
昨日と違って点在する池塘に周囲の山影や雲が映り、静寂の中、素晴らしい光景に見とれました。
ここで尾瀬ヶ原を心行くまで堪能しました。
2.2km、40分で山ノ鼻ビジターセンターへ、
後は3.3km、90分山道を登り、鳩待峠へ
登りの途中から見えた至仏山の稜線です。
漸く尾瀬の入口鳩待峠です。
1泊2日の山歩きで少しスリムになった
気がします。
鳩待峠から戸倉温泉を経て山岳道路を32km下って吹割の滝に到着です。
天然記念物の吹割の滝は、高さ7m、巾30m余り、
ごうごうと落下、飛散する瀑布は豪快そのものでした。
時々近付き過ぎて、落下死亡事故も起きるそうです。
国道120号線で15km、道の駅白沢です。
この道の駅には日帰り温泉施設の
望郷の湯があります。予定より早く着いたので
近くの大型スーパーで夕食と朝食のパンを
仕入れました。帰りにコインランドリーを発見、
溜まった洗濯をしました。
気になっていた洗濯が出来やれやれでした。
夕食はニギリ寿司とインスタント味噌汁です。
明るい内に夕食を済ませて、望郷の湯へ
広い露天風呂があり、ゆっくり山の疲れを
癒せました。

本日の走行距離   35.0km
道の駅、白沢の隣がりんご園でした。
写真を撮って下さいと言わんばかりに、
1個だけ塀の外に稔っていました。
翌早朝に出発、沼田市を経て榛名湖へ向いました。途中の大理石村、ロックハート城です。
スコットランドの古城を移築復元し、中世ヨーロッパの町並みを再現したとありました。
約70kmで榛名湖です。
湖畔には湖畔の宿記念公園がありました。
中央に乙女の像があり、歌碑の前に立つと
高峰三枝子が歌って一世を風靡した名曲、
『湖畔の宿』のメロディが流れます。
早朝の湖の景色にぴったりでした。
湖畔沿いを一周ドライブ後、ロープウエイで榛名山(1449m)に上りました。
生憎天気が今一で周囲の山々は雲の中です。唯一眼下の榛名湖だけが見渡せました。
榛名湖から伊香保温泉へ、
途中の高根展望台です。
眼下に広がるのは渋川市街です。
伊香保温泉へは下り坂の山岳ドライブです。
12kmで伊香保温泉の入口にある
徳富蘆花記念文学館に到着です。
蘆花は夫人と度々訪れ、自ら生涯の策源地と称して
晩年、晴耕雨読の生活を送っていたが
伊香保千明仁泉亭の一室で永眠したとありました。
伊香保温泉の代名詞、石段街です。
上の伊香保神社まで延々と石段が続きます。
両側に温泉旅館とお土産屋が並んでいます。
今夜は日帰り温泉、黄金の湯館です。
24時間営業で¥980.でした。
中のレストランで夕食としました。
天麩羅定食です。

本日の走行距離   46.6km
翌日、伊香保温泉からJR高崎へ向いました。
JR高崎駅で友人と待ち合わせ、
集合は軽井沢万平ホテルです。
今年も又現役の時会社で苦労を共にして来た
仲間達が小生の旅行に合わせて呉れて、
今日から2泊3日の旅の始まりです。
途中横川SAで懐かしく食べた峠の釜飯です。
当時短い停車中に遽しくホームで買い、
列車の中で食べたあの雰囲気が無く、
当時の味が思い出せず、何だか味が落ちた様に
思えました。
PM.1:30予定通り万平ホテルに到着、
カフェテラスで一年振りに再会、
皆元気でやれやれでした。
ここのロイヤルミルクティは、
ジョン・レノンが愛したことで有名です。
白糸ハイランドウエイで
万座温泉を目指します。途中から雨となり、
誰もいない白糸の滝になりました。
浅間白根火山ルートに入り、
鬼押出し園に到着です。目の前の浅間山は
雲の中で全く見えません。
丁度雨が上がったので園内を散策しました。
火口で鬼があばれ岩を押し出したと言う
噴火の印象が、名前の由来だそうです。
散策路の浅間山観音堂です。
万座ハイウエーで快適なドライブ50kmで
万座温泉ホテルに到着、チェックイン後
渋峠の日本国道最高地点、2172mを
目指しました。
丁度雲が切れて雄大な景色が展開しました。
日本国道最高地点往復約18km,45分の
ドライブで今宵の宿、万座ホテル日進舘に
到着です。

本日の走行距離   161.9km
標高1800m、星に一番近い温泉、
『長寿の湯』『極楽の湯』『満天の湯』に入り、
天然温泉を満喫しました。
写真は『極楽の湯』です。
泉質は最高、極楽・極楽でした。
翌朝、出発前に全員で記念撮影です。
天気が悪くて雨が降り出しました。
白根山の湯釜と弓池を散策予定でしたが雨が本格的に降り出したのでパスする事にしました。
約15km程下り、草津温泉に到着です。この頃から晴れ間が出る様になりました。
温泉街を散策して、日本一広いと言う西の河原露天風呂で入浴して一休みです。
温泉街をぶらぶらして湯畑へ・・・
山岳ドライブで沼田へ、関越自動車道で沼田ICから水上ICへ、
天気が良かったので天神山(1502m)にロープウエイとリフトで上がる事にしました。
丁度雲間に谷川岳のトマの耳とオキの耳が目の前に見えました。
天神山のピークです。
この分なら明日も好天に恵まれそうです。
16kmで宝川温泉、汪泉閣です。
昔は藤原湖を船でしか行けなかった
秘湯でしたが道路が整備され
物凄く俗化されていました。
露天風呂も整備され過ぎていて昔の自然は消えてしまい期待倒れでした。
何が日本一の露天風呂なのか
理解に苦しむ所です。
プールと間違えているのか、
若い3人連れが水着で入浴していたのには
驚きました。
もう二度と行きたくない温泉でした。

本日の走行距離   143.3km
翌日は雲一つ無い快晴となりました。水上ICから沼田ICへ、赤城山への山岳ドライブです。
65kmで赤城山の大沼です。
大沼のほとりに赤城神社がありました。
全国に多くの分社を持つ赤城信仰の中心地
とありました。
大沼に沿って暫く進むと
赤城山ビジターセンターがあり、
周囲1km程の高層湿原が広がっています。
湿地には木道が敷かれていて、
小尾瀬とも呼ばれています。
景色を楽しみながら約1時間の散策です。
散策後赤城山を下りて前橋で遅目の昼食、
ここで2泊3日の旅行を終わりました。
JR組を高崎駅まで送って
又一人旅の始まりです。
JR高崎駅⇒高崎IC⇒松井田妙義ICをへて、道の駅みょうぎに到着です。
長い石段を上ると妙義神社です。神社の裏が山崩れで工事中の為、通行禁止でした。
一旦道の駅まで戻り、山岳道路で中之岳大駐車場へ、第一石門、カニの横這い第二石門まで
鎖を頼りに登りましたが急な岩場の連続で暗くなると危険なので退却する事にしました。
遠景は夕日の荒船山です。
道の駅、みょうぎに戻る途中にある、
妙義ふれあいプラザもみじの湯で
汗を流して休息です。
夕食はレストランでラーメンライスとしました。
今夜は道の駅、みょうぎで車中泊です。
どうやら明日も天気になりそうです。

本日の走行距離   172.7km
道の駅、みょうぎの夜明けです。松井田の早朝の田園風景が見渡せます。
松井田妙義IC⇒上田菅平ICを経て68kmで上田城跡公園に到着です。
武田信玄家臣真田幸隆の子昌幸が上田城築城、昌幸、幸村は豊臣方についたが、
徳川方についた信之(昌幸の長男)が1622年まで上田を統治した後、
江戸時代は上田藩松平氏五万三千石の居城となったとありました。
上田城の再現された大手門です。
12kmで無言館です。戦死した画学生宅を訪ねて蒐集した絵が展示されています。
ここには一度来たかった思いがありました。

≪ あなたを知らない ≫
遠い見知らぬ異国で死んだ画学生よ、私はあなたを知らない。
あなたの絵は朱い血の色に染まっているが、それは人の身体を流れる血ではなく、
あなたが別れた祖国のあの故郷の夕灼け色、あなたの胸をとめている父や母の愛の色だ。
どうか恨まないで欲しい、どうか泣かないで欲しい・・・
窪島 誠誠一郎
絵は全て撮影禁止でした。
上田菅平IC⇒松本ICを経て、95kmで江戸時代から滾々と湧いている 『源智の井戸』 です。
ここで足柄SAで汲んで来た水を入れ替え、補充をしました。
3kmで国宝の松本城です。石川氏が秀吉への忠誠の証として黒くしたそうです。
関ヶ原の闘い後、小笠原貞慶が徳川家康の後ろ盾により深志城を取り返して
松本城と名銘したとありました。
山岳道路で扉峠へ、峠からは
ビーナスラインで快適なドライブ32km、
約100分で美ヶ原高原美術館です。
以前は矢鱈に料金所がありましたが
無料化され、実に快適なドライブでした。
野外美術館の作品です。雲一つ無い青空により一層栄えていました。

愛のモニュメント

神の化身(ガンジー像です)

空相

雲の墓標
標高2034mから360°の大パノラマです。
今日は通って来た浅間山も望遠出来ます。
ビーナスラインを扉峠まで戻り快適なドライブが続き、15km,45分で三峰展望台です。
浅間山が近くに望遠出来る様になりました。
快適なドライブで10km、30分で
八島高原です。
湿原が広がっています。30数年前、
子供達が小学生の頃ここでキャンプをした事を思い出して、当時の跡を歩きました。
懐かしくなり、その場で子供達にメール送信、直ぐに返信があり、今でも覚えているとの事でした。
あの日は家内を残して、
子供達と鷲ヶ峰に登り、翌日に4人で
車山を経て白樺湖へ下り、湖岸の温泉で
1泊して帰りました。
子供達は二人乗りの自転車で湖岸を
一周した事も覚えていました。
今日は懐かしい昔を思い出した1日でした。
8km、で霧ケ峰富士見台です。
八ヶ岳連邦が目の前に広がっています。
遠方がガスっていて、肉眼では見える富士山が写真に写らず残念でした。
車山を経て約10kmで白樺湖です。
湖岸を半周程すると、日帰り温泉施設の
白樺湖温泉、すずらんの湯です。
今夜は湖畔で車中泊です。
インスタントのイカ焼きそばとライスで
簡単に済ませました。こう言う場所では
何を食べても実に美味しいものです。
満足、満足、でした。

本日の走行距離は   251.1km
出発前、白樺湖岸からの
蓼科山(2530m)です。
今日も天気になりそうです。
ピラタス蓼科ロープウエーへの途中にある
女の神展望台です。
八ヶ岳連邦が目の前に展開し、
南アルプス・中央アルプスの御岳山まで
素晴らしい眺望でした。
八ヶ岳連峰です。学生時代を思い出します。
左:北岳 と 右:甲斐駒ケ岳です。
中央アルプスの木曾御岳山です。
15km、45分の山岳ドライブで北八ヶ岳、横岳山麓 のロープウエイ駅に到着です。
一気に標高2240mへ、北横岳(標高2472m)と縞枯山(標高2403m)の鞍部にある坪庭です。
坪庭の遊歩道一周1km 、 約30分の散策でした。
目の前の蓼科山(2530m)です。
学生時代に登りました。
なだらかな様に見えますが
山頂直下は急斜面の標高差約800mの直登でした。
急なガレ場となっていて大変な思いをして
登った事を思い出しました。
縞枯れ現象は遊歩道からも見えます。
山頂に向かって山の斜面が何列もの白い縞に
見えます。
南八ヶ岳連峰です。
左:主峰の赤岳(2899m)
右:阿弥陀岳(2805m)
南アルプス連峰の北岳(3192m)・
甲斐駒ケ岳(2966m)・仙丈ケ岳(3033m)です。
中央アルプスの木曾御岳山(3067m)です。
ピタラス蓼科ロープウエイから諏訪へ、25kmで諏訪大社上社本宮に到着です。
日本の三大奇祭のひとつ、7年に1度の御柱祭りがあります。次回は平成22年です。
中でも木落としは危険で平成四年のお祭りまで五度連続死者が出ています。
境内に雷電為右衛門の銅像がありました。
当時勧進相撲が行われていたそうです。
中央自動車道で諏訪IC⇒小淵沢ICを経て
八ヶ岳高原ラインで快適なドライブ
約50kmで天女山です。
鬱蒼とした木々で展望はなく、石碑と名前の
由来があるだけでした。
八ヶ岳の権現岳への登山道を30分程
登ると天の河原に出ます。
天の河原にある道標と八ヶ岳の権現岳(2715m)です。
正面に富士山が望遠出来ました。
富士の姿はやっぱり日本一の山です。
7kmで美し森駐車場です。
散策路の階段を10分程上がると
美し森展望台です。
目の前に八ヶ岳の主峰の赤岳(2899m)と横岳(2830m)の岩峰が迫って来ます。
美し森から10kmでJR最高所駅の小海線野辺山駅です。標高:1345mです。
野辺山駅から清里駅を過ぎて約10kmで吐竜の滝に到着です。
竜が水を吐くように、 水が岩の上を流れ落ちるところから付いたそうです。
県道28号線で八ヶ岳山麓を下り、中央自動車道の長坂ICを越して南アルプスの懐へ向います。
約25kmで白州、尾白の森名水公園べるがに到着です。
公園内の尾白の湯で入浴、露天風呂で1日の疲れを癒しました。
今夜は近くの尾白川オートキャンプ場です。
流石にこの時期はシーズンオフで
チェックインしたのは1人だけと言われました。
今夜はキャンプ定番のカレーにしました。

本日の走行距離   132.6km
キャンプ場の夜明けです。
今日も天気に恵まれて快晴です。
南アルプスの甲斐駒ケ岳(2966m)が
目の前に聳えています。
朝食は景色を眺めながら、
焼き餅を5個、味噌汁に入れた雑煮です。
食後のコーヒーが格別でした。
国道20号線、甲州街道に出て釜無川沿いに韮崎に向かいます。
40kmで昇仙峡に到着です。一方通行の川沿いの路を進みます。
石門で通行止めになっていましたが強引に進みました。
石門を潜ると、日本の滝100選にも選ばれている落差30mの仙峨滝です。
甲府市内へ12kmで武田神社です。御存知の武田信玄の館跡です。
大好きな『武田節』を口ずさみながらお参りしました。
実は転勤で東京を離れる時、よくこの歌詞が好きで唄っていました。

【武田節】
1. 甲斐の山々 陽に映えて 2. 祖霊(それい)まします この山河
   われ出陣に うれいなし    敵にふませて なるものか
   おのおの馬は 飼いたるや    人は石垣 人は城
   妻子(つまこ)につつが あらざるや    情けは味方 仇は敵
   あらざるや    仇は敵
武田神社を後に約20kmでほったらかし温泉です。
こっちの湯とあっちの湯があります。
こっちの湯は清掃中で、あっちの湯に入りました。
丁度昼時で一人だけ入浴していました。
眼下に甲府盆地が開け、甲斐の山々や富士山が望遠出来る絶景です。
雄大な景色を眺めながらの露天風呂は最高でした。
旅の話で盛り上がり、写真を撮らせて欲しいと頼んだら快諾してくれました。
この写真はその男性が撮って呉れた1枚です。
露天風呂を満喫、途中の道沿いでお土産の葡萄を買って帰路に着きました。
一宮御坂ICから中央自動車道・首都高速を経て千住新橋ICで下りて165km走行、
千住の実家にPM.4予定通り到着しました。

本日の走行距離   232.5km

生まれ育ったのは東京下町の千住です。何時でも行けるの思いから
東京の名所写真は殆んどありません。良い機会なので出来るだけ歩いて歴史散策をしました。
手始めは忠臣蔵の道を辿る事にしました。見事に主君の仇討ちを遂げた赤穂浪士が江戸の町を
走り抜けたそのルートを辿りました。
調査によると、午前4時頃吉良邸に討ち入り、午前6時頃には本懐を遂げて吉良邸を退去、
午前8時頃には主君の眠る泉岳寺に到着しています。小生も吉良邸を午前6時に出発する為に
千住の実家を5時に出発しました。
地下鉄日比谷線五反野駅⇒秋葉原駅⇒総武線両国駅です。両国駅で降りると目の前が蔵前国技館です。
明日から9月場所で、関取の幟が活気を出していました。
JR両国駅を挟んで、歴史にしばしば登場する
本所松坂町です。
10分程歩くと吉良邸跡です。
現在は小さな公園になっています。
吉良上野介義央の上屋敷跡です。
当時は
松坂町1〜2丁目(現両国2〜3丁目)の
約8400uを占める広大な屋敷だった
とありました。
直ぐ近くに時津風部屋がありました。
弟子をリンチして殺してしまい
親方が追放された部屋です。
元来、名横綱の双葉山が起こした名門で
立派な造りの部屋でした。
徒歩3分の回向院です。本懐を遂げた浪士達は休息を請うたそうですが入門を拒否されてしまい、
そのまま泉岳寺を目指しています。
江戸一の大火、振り袖火事で多数の死者が出て、
その人達を弔う為に回向院は建立されたそうです。
その時勧進相撲が行われ、
以来力士のお墓も建てられたそうです。
境内の片隅には鼠小僧の墓もありました。
墓石を削る人がいて、小さくなっていました。
回向院の前の京葉道路を5分で、武蔵と下総との二国に架かる事から名付けられた両国橋です。
橋の袂に大高源五の句碑がありました。
討入りの夜、俳句の師匠宝井其角に会って詠んだものといわれています。
武家屋敷を抜ける近道の両国橋を避けて隅田川を南下するコースを辿ったそうです。
この道は何時か来た道で見覚えがありました。5年前の『奥の細道を辿る旅』で通りました。
芭蕉は37歳の時、江戸から深川に引っ越しています。その時の庵がこの隅田川沿いにありました。
更に隅田川を南下して万年橋を渡ると
橋の袂に弟子の白露山の大麻で理事長を
辞職した北の海部屋がありました。
マンションの一角に稽古場のある思ったより
質素な部屋でした。
角界一の出羽の海部屋を見て来たので
そう思えたのかも知れません。
清洲橋、隅田川大橋を過ぎると永代橋です。橋の袂に赤穂浪士休息の碑がありました。
東詰めに乳熊屋という味噌屋があり主人の作兵衛は、赤穂浪士を店に招き入れて、
甘酒粥を振る舞ったそうです。乳熊屋は現存していました。
赤穂浪士達は永代橋を渡ります。この地域は江戸時代から海運の中心でした。
現在では三井倉庫・リバーサイドタワー ・三菱倉庫・住友倉庫などの高層ビルが林立しています。
鍛冶橋通りから八丁堀へ向う途中の亀島橋の袂に
堀部安兵衛武庸の碑がありました。
中山安兵衛武庸剣道の達人で高田馬場の仇討ちで
江戸中知れ亘っていたそうです。
浅野家家臣堀部弥兵衛が見込み養子縁組をして
堀部姓に変わったとありました。
この碑には
堀部安兵衛武庸の履歴が記されてありました。
新大橋通りで30分程で、聖路加国際病院です。
隣の聖路加看護大学に浅野内匠頭長矩上屋敷跡と説明版と石碑がありました。
聖路加病院内には慶応義塾発祥の地と立教学院発祥の地があったと石碑がありました。
10分で築地本願寺です。
赤穂浪士、間新六の供養塔です。
本懐を遂げて泉岳寺へ引き揚げる途中、
金子50両を自身の供養料として
塀外から内へ投じたと伝えられています。
地下鉄で築地駅⇒東銀座駅⇒新橋駅へ
徒歩15分で田村右京太夫屋敷跡です。
ここで浅野内匠頭が自刃しました。
日比谷通りに浅野内匠頭終焉の地の
石碑がある筈でしたが道路工事で移動して
いました。

新橋駅へ戻りJR品川駅へ、
中山道の時一緒に旅に同行して呉れた
10年来のメル友の是松さんと
中央改札口のトライアングルクロックで
待ち合わせです。
態々激励に来て呉れました。
一緒に泉岳寺へ、
是松さんはゴルフで鍛えられているせいか、
早足なのには閉口しました。
山門をくぐると、大石内蔵助良雄銅像があります。
連判状を手にして江戸方向をじ っとにらんでいる
姿を表しています。
田村邸で浅野内匠頭が切腹をしたときにその鮮血がついたとされる石と
吉良上野介義央の首この井戸で洗って主君の墓前に供えたと言われています。
浅野内匠頭の墓と47士では無く大石内蔵助良雄以下46人の墓です。
寺坂吉右衛門行高は討入った後、大石内蔵助に言われていた通り一行を離れ、
主人の奥様のもと赤穂に報告に戻っていて、切腹処分にならず生き延び、
終生供養のために過ごしたそうです。
浅野内匠頭の墓です。
大石内蔵助良雄の墓と大石主税良金の墓です。
天野屋利兵衛は、
赤穂の浅野家に出入りする商人でした。
仇討ち計画をうちあけられ、大量の武器を
調達したと言われています。
一介の商人が大量の武 器を注文するなど
おかしいと、役人に捕らえられて拷問を受ける。
それでも利兵衛はひるむことなく大見得を切った
そうです。 「天野屋利兵衛は男でござる」
芝居や講談で有名な一場面です。
大石内蔵助以下17人が切腹したと言う
肥後熊本藩屋敷跡を探しましたが
発見出来ず、仕方なくタクシーで新橋駅へ、
ゆりかもめでお台場海浜公園に到着、
昼食としました。
是松さんは当年78歳、10歳も先輩なのに
この食欲、元気いっぱいでした。
10年後、こうありたい、と元気を貰いました。
食事後、カメラをタクシーに忘れた事に気付き
急遽ここで別れる事になりました。
後日、カメラは無事戻ったとの事、
やれやれでした。
お台場を散策、自由の女神像です。

1998〜1999年日本におけるフランス年を記念して
パリ市セーヌ川の自由の女神がここお台場に移築、
フランスへ帰国後、駐スランス大使館の協力で
帰国した自由の女神の型取りが行われたそうです。
従って
パリのセーヌ川にある自由の女神と同じものです。
続いてフジテレビへ、7Fまでエスカレーターです。
25Fの球体展望室までは更にエレベーターで到達です。
フジテレビの出口で、ハピふる!と言う番組とか、インタビューされました。
朝食は和食か、洋食か年齢別に調査しているとの事でした。
球体の展望室からの展望です。レインボウブリッジと対岸の都心が目の前に広がっています。
再びゆりかもめで新橋駅へ、
地下鉄で浅草へ出ました。
浅草は生まれ故郷の千住から30分程での
繁華街で懐かしい故郷です。
雷門は何時もの様に人、人、人、でした。
仲見世を通って浅草寺へ
人込みで歩くにも大変でした。
宝蔵門(桜門)過ぎると本堂です。
余りにも人の多さにびっくり、
お参りして早々に退散しました。
浅草から地下鉄で押上駅を経て京成で柴又駅へ、
改札口を出ると、「男はつらいよ」
渥美清のトラさんの銅像がありました。
柴又帝釈天への参道、撮影現場の
「とらや」は何時も人込みです。
名物の草団子が食べたくなり買いました。
柴又帝釈天(題経寺)は、
東京葛飾区と千葉県松戸市の境、
江戸川沿いに、300年程前の寛永年間に
開創されたとありました。
帝釈天を過ぎ江戸川の土手を上がると
矢切の渡しです。
江戸川を柴又から、対岸の千葉県へと.
渡らせてくれます。¥200.です。
渡し船に揺られると、自然と歌の情景が浮かびます。

「つれて逃げてよ・・・」
「ついておいでよ・・・」
夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し
親のこころに そむいてまでも
恋に生きたい 二人です
対岸の西連寺の境内に
伊藤左千夫『野菊の墓』の文学碑があり、
小説の一節が刻んでありました。
再び矢切の渡しで柴又へ、
何時しか日も傾いたので家路に着きました。

本日の走行距離   0km (鉄道・徒歩のみ)
翌日は実家の町内ではお祭りとかで、
路上駐車が出来なくなり、
1日スケジュールを切上げる事にしました。
幸い長年のメル友である後藤さんが
繰り上げを了解して呉れたので
自宅にお邪魔させて戴きました。
初対面なのに御夫婦で歓迎して戴きました。
自家農園で採れた沖縄の瓜と陶房屋根に実っていた
キウイを袋にいっぱい貰いました。
陶房前にて
記念に戴いた後藤さんの作品二点です。大事にさせて戴きます。
旅行・陶芸・家庭菜園を趣味にする、
後藤さんの素晴らしいホームページです。

計画した『日本の旅』関東編を全て終了、
常磐自動車道⇒首都高速⇒東名高速⇒名神高速で無事帰宅しました。

本日の走行距離   653.9 km 
 
【あとがき】
『日本の旅』関東編は全走行距離:3,133.1km、日光国立公園・尾瀬国立公園・南房総国定公園・
水郷筑波国定公園・妙義荒船佐久高原国定公園・八ヶ岳中信高原国定公園を尋ねました。
今年も現役時代に共に働いた仲間達や学生時代の友人達が小生の旅に合わせて呉れて旧交を暖めました。
10年来メル友の横浜在住の是松さんが泉岳寺とお台場を案内して呉れました。
又旅の最後に初対面にも拘わらず千葉県我孫子の後藤さんの自宅を訪問、御夫婦に歓迎されました。
後藤さんの菜園や陶房を拝見、インターネットで何時も拝見しているので大変懐かしく思いました。
皆さんの暖かい思い遣りに感謝です。   ではでは・・・

次の『日本の旅』は信越・北陸・中部編を計画、8月23日〜9月6日と11月上旬〜です。
10月1日からUPしますので引き続き宜しくお願いします。 ではでは、又お会いしましょう!

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