中編(富山県・石川県・福井県)


1時間45分走行、上越IC⇒黒部ICを経て名水の里、黒部です。
黒部市生地地区では北アルプスの湧き水があり、名水の里と言われています。
冷たくて、美味しい天然水の補給をしました。
45分で宇奈月温泉駅到着、黒部峡谷鉄道のトロッコ電車で黒部川沿いに終点の欅平駅を目指します。
宇奈月温泉駅・新柳河原発電所・渓谷を進むトロッコ電車です。
1時間20分で終点欅平駅です。
駅前にある黒部川に架かる朱塗りの奥鐘橋を渡ると人喰岩です。
徒歩15分で名剣温泉です。
露天風呂で有名な秘湯です。
暫く山道を進むと通行止めになっていました。ここから先はヘルメットを被り自己責任だそうです。
注意深く進む事にしました。
林道をひたすら歩くと、300メートルほどあるトンネルです。90mおきに避難場所がありますが
工事車が来ると擦れ違えません。車のライトが見えると走って避難場所へ移動せねばなりません。
トンネルが登り坂なので、息切れはするし大変な思いをしました。
トンネルを抜けると黒部川に架かる橋です。渡ると左手が一軒宿の山小屋祖母谷温泉、
右手が河原のどこを掘っても温泉が湧き出す秘湯露天風呂です。
河原に温泉が噴出しているので
黒部川の水を引き入れ、自作の露天風呂を
造ります。
下が黒部の源流の冷水、上が熱湯で
絶えず掻き混ぜていないと入れないのです。
大変疲れる入浴になってしまいました。
仕方なく祖母谷温泉で日帰り入浴して疲れを取りました。
大自然に囲まれた静かな露天風呂は最高でした。
天気予報によると天気は下り坂模様、明日は始発で立山室堂まで行き、
雄山(3003m)と大汝山(3015m)に登る事にしました。
祖母谷温泉⇒欅平駅⇒宇奈月駅⇒黒部IC⇒有磯海SA
夕食は豚汁定食を取り、立山ICで下り、立山駐車場で車中泊としました。
AM.6:00始発のケーブルカーで美女平です。
美女平からは高原バスです。AM.7:30室堂平に到着です。
室堂のバスターミナルを出ると立山登山口に玉殿の湧水がありました。
ここで今日使う分の水を補給して登山を開始しました。
一ノ越山荘までは整備された幅の広い
山道です。周りの景色を楽しみながら
徐々に高度を上げて行きました。
途中の雪渓です。白いと言うよりも
黒く変色していました。
これだけ空気が汚染されている。
何だか恐ろしくなりました。
約1時間で一ノ越山荘に到着です。これから雄山頂上までは岩山です。
更に1時間で雄山頂上に登頂しました。
頂上には雄山神社があります。
10人位づつ纏めて、安全登山の祝詞を
あげてくれ、お神酒を戴きます。¥500也。
これはいい商売だなあ!と
つくづくおもいました。
殆んどガスっていますが
時々ガスが切れて視界が開けます。
大汝山への途中の尾根から見えた
黒部ダムです。
雄山から約30分岩尾根を進むと
大汝山山頂です。一瞬ガスが晴れて
視界が開けました。
天気の関係で殆んどの人達は雄山より先に
行かず、残念乍頂上での写真撮影が
出来ませんでした。
みどりが池(2430m)です。
ガスが下りて来て雨も時間の問題です。
急いで室堂平の散策をすませねば・・・
みくりが池です。
今夜宿泊予定のみくりが池温泉の
屋根が見えて来ました。
この池には温泉が流れ込んでいますので、
雪に覆われません。
みくりが池温泉の傍の急な石段を10分程下ると地獄谷です。立山の浄土山が天国なら、
ここは地獄の谷です。一面グレー一色で所々に硫黄が吹き出ていて硫黄の臭いが立ち込めていました。
早々に石の階段を登り、みくりが池温泉に
チェックインしました。
暫くして予測通り、一転俄に掻き曇り
雨が降り出し、夜中からはどしゃぶりに
成りました。翌朝もどしゃぶりの雨です。
始発の高原バスで下山する事にしました。
横殴りの風雨、雨水が滝のように流れる中、
道を反れない様に細心の注意をして
室堂バスターミナルへ戻りました。
前日の立山登山や室堂平散策で見つけた高山植物です。

オオイタドリ


ヤマハハコ


イワギキョウ


ウサギギク


ミヤマヤンキョウ


ヨツバシオガマ

立山駅まで下りると、雨も止み天気は回復の兆しが見えて来ました。
スケジュールを変更して、1時間30分走行して、立山駅⇒富山市内⇒呉羽の梨園を尋ねました。
旬の味、香水を知人2名と自宅の家内に
送る手配をしました。
ホテルで食べると話したら3個サービスして
呉れました。何時もの通り1番冷蔵庫へ、
翌朝試食、最高の旬の味を堪能しました。
約30分走行して、呉羽梨園⇒小杉IC⇒小矢部IC、メルヘンの小矢部市到着です。
国土省から市長に天下りした官僚がどんどん国の予算を取り建てた箱物です。
皆さん、どう思いますか ?  
津沢保育所です。
本体は東京赤坂にあった旧霊南坂教会、
正面入口は迎賓館です。
蟹谷小学校です。
校舎と時計台は東大教養学部、
体育館は一橋大学の兼松講堂です。
大谷中学校です。本体の塔屋は東大安田講堂、正面は東大教養学部、
高さ47mの塔の先端はオックスフォード大学の学生寮、左右は迎賓館、
体育館は大阪中乃島の中央公会堂、内部は国立劇場とありました。
小学校の近くに自由の女神像もありました。
蟹谷中学校です。
中央の尖塔はオックスフォード大学、
校舎中央と塀はベルサイユ宮殿、
左右は迎賓館です。
知的障害者更正施設、渓明園です。
オーストラリアのシェーンブルン宮殿、
採光は東京丸の内の三菱銀行本店です。
特別擁護老人ホームです。
軽井沢の旧三笠ホテルです。
サイクリングターミナル、宿泊施設です。
ルネッサンス様式の東京駅です。
その他、公民館や配水池等々30箇所の
公共施設が有名建築物になっています。
約50分走行して小矢部市⇒高岡市⇒前田利長墓所へ到着です。
加賀藩第2代藩主。利家の長子です。
利長の墓所から菩提寺の瑞龍寺まで真っ直ぐな道が2km程続きます。
前田利長の菩提寺、瑞龍寺です。

山門(国宝)


仏殿(国宝)


禅堂(重要文化財)


大庫裏(重要文化財)

法堂(国宝)内陣には、
利長公の位牌が安置されています。
10分程走行して高岡駅です。
駅前の大伴家持像です。
高岡市伏木にある雲龍山勝興寺の境内に
越中の国庁があり大伴家持が国守として
赴任していたとありました。

あしひきの 山の木末(こぬれ)の 
ほよ取りてかざしつらくは 
千年寿(ちとせほ)くとそ 
1日のスケジュールが終了、アパホテル<高岡丸の内>にチェックインしました。
8/29(土)、30(日)はこのホテルを予約してあります。理由は二つありました。
理由その1、 衆議院の不在者投票をして旅に出ているので、世紀の政権交代を確認したかった事、
理由その2、 ここ高岡市には大学4年の時、研究室で共同研究して卒論を書いた旧友がいます。
         10年程前に一度会っていますが、最近は年賀状だけになっていました。
         TELすると、何時も留守番電話です。お互いに齢を重ねているので病気にでもなっていないか
         気になっていました。その彼からホテルフロントに伝言があり、ホテルに来るとの事、
久し振りに再会、旧交を暖めました。留守電の訳は、娘さんが金沢大学医学部を卒業、小児科病院を開業、
定年後、そこの事務長を遣っていて、孫達の世話もあり、毎日奥さんと金沢へ通っているとの事でした。
明日は1日案内をして呉れるとの事、元気に活躍の様子やれやれでした。
翌日、約束通り一緒に名所旧跡を案内して
呉れました。ホテルの近くの高岡城址です。
前田家、二代藩主の前田利長の居城です。

城内の公園の特設水上舞台で、
全国から応募した人々が奈良時代の
衣装に身を包んで万葉集に納められている
4516首を、3昼夜に渡り歌い継ぐ、
イベントには感動します。
城内を散策、外堀に架かる朱塗りの朝陽橋と二代藩主前田利長像です。
場内の飲料水として使われた古井戸です。
古城公園からは直ぐ傍の高岡大仏です。奈良の大仏・鎌倉大仏に加え、日本三大大仏です。
約30分走行して、国定公園二上山です。
高岡市内が一望です。
天気が良ければ立山連峰、富山湾、
能登半島まで見渡せます。
平和の鐘と大伴家持像です。
万葉の代表的歌人大伴家持は、越中の国守として5年間この地に赴任しており、
この間に二上山に関わる数多くの歌を残しています。
二上山万葉ラインを下り、
約20分で雨晴海岸です。
義経伝説の岩穴と学生時代の旧友森本です。
駐車場の写真です。森本の背景は富山湾越しに、立山連峰と剣岳があります。
写真は冬場の限られた好天の日しか見えません。年7日位で、北陸の冬は何時も曇天か雪です。
30分走行して
みなとオアシス海王丸パークです。
日本の航海大型練習帆船の海王丸です。
引退後このパークに繋留されています。

アパホテルまで送って貰いお互いの健康を
思いながら別れました。
森本には感謝、感謝、感謝です。

衆議院選挙開票、民主党の圧勝となる。
日本の航海大型練習帆船これで少しは世の中が変わるかも・・・
早朝ホテルを出発、能登半島を海岸沿いに
1時間30分走行して七尾市にある
恵寿総合病院へ、能登半島の中核病院です。
以前大変お世話に成った恩人を尋ねました。小生のHPを時々見てくれているとの事、
懐かしく話が弾み、別れの時使用している腕時計を記念にとプレゼントして呉れました。
感動して涙が出るほど嬉しかったです。大事に使わせて戴きます。感謝です。
15分ほど走行すると、和倉温泉です。
能登島大橋で七尾湾に浮かぶ能登島へ、
島を縦断して再び能登半島の中島へ
海岸沿いに北上しました。
これからは海岸沿いに能登半島を一周です。
約1時間走行、海岸に日本最古の漁法、ぼら待ちやぐらを発見しました。
随分とのんびりした漁でそう言う時間に縛られない生活も良かったかも・・・
更に海岸沿いにすすむと、1時間30分程で
九十九湾海中公園に到着しました。
園内に咲いていたハマナスとその実です。
20分で恋路海岸です。
その昔、深い恋仲となった鍋乃・助三郎がいました。鍋乃に思いを寄せる恋仇の男の罠で
助三郎は海の深みにはまって命を落としてしまいます。鍋乃も助三郎の後を追って海に身を
投げ死んでしまうという悲しい恋の伝説からいつしかこの地「恋路」と呼ぶようになったそうです。
7分で見附島、別名軍艦島です。
空海が佐渡から来て最初に見付けたので
名銘されたとの伝承があるそうです。
成る程、軍艦の容です。
50分で能登半島の最北端、禄剛埼です。先端にある白亜の禄剛埼灯台です。
東京:302km、上海:1598km、釜山:783km、ウラジオストック:772kmとありました。
能登半島先端からは日本海沿いに
南下です。途中、20分の見晴らし台から
木ノ浦海中公園です。
およそ30分で奥能登塩田村です。昔ながらの製法で海水から天然塩を作っています。
10分で曽々木海岸の窓岩です。
昔義経主従がここを訪れたとき、
義経が岩に向かって矢を射たところ、
その矢が岩盤を貫いて穴を開けた、と言う
伝説があります。海面に立つ窓岩を通して
見る落日や夕焼けは絶景です。
5分で下時国家です。源平・壇ノ浦の戦いで敗れた平家一門のうち、
「平家にあらずんば人にあらず」と言った武将平大納言時忠の末裔と呼ばれる
時国家の豪壮な邸宅です。
国指定名勝庭園と
中段の間・上段の間です。
5分で上時国家です。上時国家は、能登に流された大納言平時忠の子孫の本家です。
30分で御陣乗太鼓乃地、名舟海岸です。
天正5年(1577年)、
上杉謙信の能登攻略の時、古老の一計で、
奇妙な面を付け、陣太鼓を打ち鳴らし
上杉軍に奇襲をかけ敗走させたのが
との事、始めはゆっくり、次にやや早く
、最後はもっと早く、三段で打ち切り、
各自が自由な形で見えを切り、面に応じ、
個性を生かした芸を入れる。
10分で白米の千枚田です。白米町の棚田で、山すそが海に落ち込む急斜面に
階段状につくられ 数が多いので千枚田と呼ばれています。
1時間で総持寺祖院です。曹洞宗のお寺で、 曹洞宗大本山であったが
大本山の機能が鶴見総持寺に移った後能登祖院として再興されたとありました。
総持寺開山螢山禅師の霊廟があります。
山門です。
総持寺開山螢山禅師の霊廟の伝燈院と正面に開山の螢山禅師、
右に高祖道元禅師、左に二祖峨山禅師の像と真牌が奉られている法堂(大祖堂)です。
総持寺祖院⇒穴水IC⇒千里浜ICを経て70kmで千里浜なぎさドライブウエイです。
長さ約8qにわたる海岸で、
粒子の細かい砂が海水を含んで固くしまり、
波打ち際でドライブが出来ます。
予定ではここで夕日を眺める計画でしたが
黒い雲が垂れて駄目でした。
今浜IC⇒金沢西IC⇒徳光ハイウエイオアシス
を経て60kmで到着です。
ここで大休止です。夕食は刺身定食です。
隣の松任海浜温泉で一汗流して、
露天風呂を楽しみました。
金沢は『奥の細道』で登場しているので、
今回の旅では通過です。
PM.10美川ICで一旦下りて、Uターンして
美川IC⇒北陸自動車道⇒東海北陸自動車道
⇒城端SAを経て60kmで城端SAです。
今夜はここで車中泊です。
2008.4.28(月)、福井の天空さん講師で蕎麦打ち講習のオフ会があり出席しました。
2009年計画の 『日本の旅』 信越・北陸・中部編 の一環として、一乗谷、朝倉氏遺跡も訪問しました。
因みに天空さんは鎌倉時代からの名刹で朝倉氏の菩提寺の安養寺第40代の住職です。
AM.4自宅を出発、バイパス、国道161号線で北陸自動車道の敦賀ICへ、途中の杉津PAです。
朝靄の敦賀湾と芭蕉句碑です。   ここで朝食、暫しの休憩です。

ふるき名の 角鹿や恋し 秋の月    (芭蕉)
福井ICで下りて、約8kmで一乗谷朝倉遺跡に到着です。
戦国大名の朝倉氏が足羽川の支流の
一乗谷川に沿って築いた城下町です。
川沿いに進むとやがて下城戸です。
巨石を組み合わせた通路があり、
ここが城下町への出入り口です。
この通路は、外側から町の中が
見通せないようにかねおれ状に
作られているところが特徴との事です。
下城戸を通り暫く進むと発掘された
遺跡が続きます。
塀に囲まれた重臣の屋敷や寺院が山際に、
道路を挟んで武家屋敷や庶民の町屋が
並んで、その先には当時の町並みが
復元されてありました。
発掘された塀の石垣や建物礎石を
其の侭使い、柱や壁、建具も出土した遺物に
基づいて復元されているとありました。
復元された武家屋敷です。
鍛冶屋、紺屋、陶器屋など様々な商家の存在が、具体的に発掘されています。
一乗谷川を渡った対岸が
朝倉氏の館跡です。
朝倉館の唐門です。
この唐門は江戸前期に義景の菩提を弔う為、
館跡に建立された松雲院の正門との事です。
朝倉氏は一乗谷の地に
五代100有余年続きますが、
この館跡は、
朝倉氏最後の当主であった義景のもので、
政治や行事など様々なものごとを行った
館跡とありました。
館の東南隅に石造りの朝倉義景の墓がありました。
江戸前期に松雲院が建立される頃造られたと言われています。
館を見下ろす山腹に湯殿跡庭園がありました。中の島や出島があり、
水路が山際に沿って流れて滝口に注ぐ池泉庭園で一乗谷で最も古い庭園とありました。
館の右隣に瓜割清水がありました。当時の儀式や当主の生活用に使われていたそうです。
400年後の現在も澄んだ冷水が湧き人々の生活用水として使われているそうです。
館の左隣が中の御殿跡です。
義景の母高徳院の館跡で
屋敷の礎石や池跡が残っていました。
諏訪館は義景の妻、小少将の館でその庭園は遺跡の中で最も大きく、
石には江戸時代末に彫られた3代貞景、4代孝景の法名が残されているとの事です。
一旦一乗谷川を渡り更に進むと上城戸です。
幅13m、高さ5m、長さは50mの土手です。
下城戸と違い巨石はありません。
二股道を右に500m程で
剣豪の佐々木小次郎が入門した剣の師、
富田勢源の道場跡です。
現在は田圃の中に説明板があるだけでした。
道場跡から300mで石仏群のある
盛源寺です。佐々木小次郎が弟子入りした
富田勢源の菩提寺 です。
富田勢源が創建したと言われています。
寺院への道沿いには石仏が並んでいました。きっと佐々木小次郎もこの光景を見たのであろう。
二股道の左手直ぐに御所、安養寺跡が
ありました。
安養寺は1473年初代朝倉孝景が
朝倉家菩提寺として一乗谷に創建、
1567年には五代朝倉義景が
室町幕府15代将軍の足利義秋を
安養寺に迎え、隣に義秋の御所が
造られました。
朝倉氏が信長に敗れて滅亡、柴田勝家が
北ノ庄に入り、勝家により現在地に移された
と言う名刹です。この安養寺の第40代住職が
メル友の天空さんです。
入口の石段を上がると、
老木が新芽を着けていました。
まだまだ元気です。
歴史の最期の生き証人の様に思えて
仕方ありませんでした。
安養寺前の道路を進むと約3kmで一乗滝です。
長身の美剣士、剣豪佐々木小次郎が
秘剣 『つばめ返し』 をあみ出したと言う
伝説の滝です。
県道で朝倉氏遺跡の上城戸、下城戸を経て
福井市内へ戻ります。一乗谷駅近くに
県立朝倉氏遺跡資料館がありました。
長年の発掘調査により一乗谷朝倉氏
遺跡から出土した陶磁器・石製品・木製品・
金属製品などの出土遺物や地形模型、
朝倉義景館復元模型が展示して
ありました。
資料館前の畑の中を500m程で発掘された
西山光照寺跡がありました。
寺跡には石仏覆屋が再建され、
大型の石仏が約40体、向かい合うように
並べられ保存されていました。
ここで約束の時間が迫ったので
一乗谷を後にして安養寺に向かいました。
左内公園には約10km、30分の走行です。
5年前の2003年に『奥の細道を辿る旅』で尋ねた懐かしい公園です。
ここは橋本左内の生家跡で、左内像と墓がありました。
幕末の福井藩士、
橋本左内は井伊直弼の安政の大獄で
26歳の若さで獄死したとありました。
公園の片隅に芭蕉句碑と芭蕉宿泊地洞哉宅跡の
石碑がありました。
洞哉を尋ねている絵は芭蕉をこよなく尊敬していた与謝野蕪村が画いたものです。
公園から天空さんの安養寺はすぐ傍です。
オフ会メンバーが予定通り安養寺に集合、蕎麦打ちの御指導を戴きました。
ここ安養寺は福井県の景観重要建築に指定されている名所で、枝垂れ桜の季節は観光客で賑わいます。
その前に安養寺境内を御案内させて戴きます。門を入り進むと、大玄関で、その奥が大広間です。
大広間から眺めた境内です。
隣の棟に本堂がありました。
本尊の阿弥陀仏です。
早速お参りさせて戴きました。
綺麗に掃き清められた境内には手入れの行き届いた草木が配置され清々しい気持ちになりました。
先ず枝垂れ桜と芭蕉翁の碑が目に付きました。
境内の枝垂れ桜は観光名所になっていて、開花時には多くの人達が楽しんでいるそうです。
時期が遅く、既に葉桜になっていましたが枝垂れ桜の下に佇む観音様が素晴らしく、
心を和ませて呉れ、一層の風情がありました。
うっかり見落としてしまいましたが、後日天空さんの説明によると、
境内に 『時雨庵祐阿房の句碑 があるとの事です。
祐阿は美濃派の俳人で芭蕉の死100年後、
寛政4年(1792年)に福井の俳人達で百回忌の法会を催しています。
その時の記録の中に芭蕉が訪れた時、洞哉は貧乏で枕が無く、近くの寺院でお堂を建てていたので
木片を貰って枕にしたと記してあります。
『時雨庵祐阿房の句碑』 です。天空さんが送って呉れました。
実は2003年の『奥の細道を辿る旅』で
芭蕉が立ち寄った東雲寺を探したのですが
発見出来ず諦めていました。
帰宅して写真を整理していて東雲寺とあり、
びっくりしました。
お隣の東雲寺が当時お堂を建てていた
寺院との事、図らずも途切れていた
奥の細道が繋がったので
スッキリしました。
歴史って実に面白いですね!
愈々大広間で蕎麦打ち講習です。
【二八蕎麦の材料】    蕎麦粉:400g 、 小麦粉:100g 、 水:250g (50%) です。 
篩いに掛けて玉を無くして、空気に触れさせて、
混ぜ合わせます。
水を半分程入れて掻き混ぜます。
最初は手に付くので箸を使うと良い。
パラパラになるまで手の平で擦り合わせます。
丁寧に時間を掛けて行う事。
美味しい蕎麦を打つにはこれが秘訣。
残りの水半分を10ccぐらいは残して
追加して掻き混ぜます。
10ccは空気の乾燥状態により違うので
粉の様子を見ながら一・二滴づつ加えます。
今度は大豆大の玉になるので、
それをまとめて空気を抜く、
要領は陶芸の菊練です。
この時耳朶位の硬さがベストとの事です。
手の平で押して丸く30cm位に広げます。
最期はコロ(丸棒)で均一の厚さに延ばします。
コロに巻いて回転させながら内から外へ3回位、
縦・横 交互に適当な薄さになるまで延ばします。
四角に延ばせればベストです。
愈々最期の蕎麦切りです。
包丁を前に押して切り、押さえ板側へ寝かせて
蕎麦の太さを決めるのがコツと教わりました。
これが中々難しいのです。
自分の打った蕎麦をお土産に戴き、
翌日食べましたが思ったより太い蕎麦でした。
出来るだけ薄く、そして細くが反省点でした。
どうやら蕎麦打ちに嵌りそうです。
蕎麦打ちが終わり、
天空さんの打って呉れた蕎麦を戴きました。
造り立ての蕎麦を口に含むと
蕎麦の香りが広がり
これぞ本物との思いがしました。
次に蟹に黙々とムシャぶり付き、
その次はさっきまで生きていた海老です。
お腹一杯、これ以上もう食べられません。
満足・満足でした。
食事後、
別室の囲炉裏端でお茶を戴きました。
お土産に天空さん直筆の団扇を貰いました。
自室のステレオラックに飾りました。
いい記念になります。
中庭を眺めながら戴くお茶も又格別でした。
丁度エビネが可憐な花を付けていました。
あっと言う間に楽しい時間が過ぎました。
初対面でしたが
天空さん、ムセさん、まるさん、は
想像していた通りで、又何時か何処かで
お会いしたいと思える方々でした。
皆さん、楽しい1日を有難うございました。
感謝・感謝・感謝・・・ です。
帰りは日本海岸の漁火温泉まで天空さんの議員の友人が先導して呉れました。
お住まいの織田(織田信長一族の故郷)を通り越して現地まで案内して呉れ感激しました。
越前海岸の南端、敦賀湾のほぼ入口に
北前船主の館があり、国道を挟んだ海岸に
再現された北前船がありました。
日本海を南下、敦賀半島への日没です。
敦賀湾が見る々間に暮れて行きました。

次は『日本の旅』信越・北陸・中部編、後篇(山梨県・静岡県・愛知県)です。

次の3月17日(水)は 【城端SA・白川郷】082 です。

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