発病から初めての入院まで
 




































 

00年
 7月24日








 

足の親指が痛かったのでかかりつけの病院に行った。血液検査をしてもらうと白血球が高いといわれすぐに近くのK大学病院に行けといわれた。明日仕事がというと「そんなこと言ってる場合じゃない」「白血球が高いとないがいけないの」と言うと「白血病かもしれない」「またまた先生」「ところで白血病ってなに」「血液のガンじゃ」「ふーん」こんな感じで病院を後にした。この病院で以前にも大腸ガンかもしれないと言われ、それはつらい検査をされて、結局なにもなっかたと言うことがあったので「またまた」と思っていた

白血球
 24100
赤血球
 520
血小板
 17万




 

00年
 7月25日

 採血の後、初マルク、胸を金槌でたたかれる感じがした。もうビビッタ。


 

00年
 7月26日





 

慢性骨髄性白血病と宣告される。しかし、それ誰のことって、全く恐怖感がない。兄弟間でHLAが合えば骨髄移植で70%治る、それがだめならインターフェロン、それがだめなら、骨髄バンクで骨髄移植で50%治ると言われ、治るんだとおもっていた。体はいったって元気。まして慢性骨髄性白血病ってなんだ。わからないので帰りに本屋で白血病の本を買って帰る。








 

00年
 7月26日









 

 本を読んでいくと白血病の怖さが身にしみてくる。兄弟でHLAが合ったとしても70%は治るが30%は治らない。治らないということは風邪などと違い「死んでしまう」と言うことに初めて気付き死への恐怖感が沸いてくる。兄とHLAが合わなければ半分は死んでしまっている。兄と合う確率は25%2人いるので簡単に50%である。その本には5年生存率が何%と書いてある。その日から落ち込み、夜も寝られなくなる。寝てもすぐ目が覚める。平均睡眠時間3時間。

 












 




































 







































 

00年
 7月28日







 

 会社に行き病気のことをはなすも、兄たちもあまり気にしていない。私の最初と同じで、ことの重大さがよくわかっていないように思った。悩んだ末に母親にも話すことにした。母親にかなり心配をかけてしまった。父親にも話をした。父親もことの重大さがよくわかっていないようで、芝刈り機の故障が気になっていた。兄たちの薦めもあり、違う病院でもう一度調べてもらうように考えた。買った本のドクター{H氏}がいるOSセンター 病院に行くことにした。










 

00年
 7月31日










 

 OSセンター病院に行くが{h}ドクターは居らず、代わりのドクターに診てもらうことになった。このドクターが曲者でとてもいやな思いをした。ドクターはみんな忙しいにも関わらず、そのドクターは暇そうで、煙草を吹かしながら、移植をするかしないか、したって助かる確率は、非常に低い。本に書いてあるのは病院の広告みたいなもので実際はもっと低い。子供がいるから、お父さんは頑張ったと言う姿を見せて、死んでいくのもよい。私も明日交通事故で死ぬかもしれない。などあたかも、もう君はだめだ、と言わんばかりのことを言われた。落ち込んでいる僕は、目の前真っ暗になる。3日後{H}ドクターに会うことを約束して、帰る。

白血球
 31710
赤血球
 501
 ヘモグロビン
 16.1






 

00年
 8月1日
から
 8月2日

 他の白血病のHPやメーリングリストに参加し励ましのメールなどいただく。白血病と闘っている人がたくさんいることを知る。しかもみんな前向きで、落ち込んでいる僕には理解できなかった。




 

00年
 8月3日?






 

 OSセンター病院で{H}ドクターと会う。{2時間以上待たされる}}結果はやはり慢性骨髄性白血病だと言われる。{ガックリ}しかし、前のドクターとは違い相談窓口など教えていただき、後はどこで治療するか決断を促される。OSセンターでは01年3月まで無菌室はいっぱいだと言うことで、K大学病院で治療していくことにした。しかし、うまく断られたようなきもする。
 









 







































 

























































































































 

00年
 8月8日





 

 やはり眠れない日が続くので、兄の薦めでK大学病院に眠剤をもらいにいく。しかし、眠剤を飲むのには抵抗があった。K大学病院にはいつもの先生は居らず、女のドクターが診察してくれた。眠れないことをはなすと、骨髄移植事態すでに確立された治療法だし、もしドナーが見つからなくとも、いろいろ方法があると言われ、少し安心して帰ることができた。まったく、大阪Sセンターの前のドクターとは大違い。








 

00年
 8月11日
から
 8月13日




 

 家内の両親の実家、兵庫県笠岡市の六島に遊びに行く。そこはもう素晴らしいところでる。なにが良いかと言えば、ないもないところが良い所なのである。しかし海の幸はふんだんいある。もう来年はできないだろうと思い、素潜りでアワビやサザエ、タコなどを網いっぱいとる。来年のために子供に取り方を仕込むが、やはり小学四年と一年である。ここでお気付きと思うが、来年のことを考えている僕がいるのである。
自然は素晴らしい。









 

00年
 8月15日



 

 ご家族一緒にきてください。とドクターが言われたので両親もついていくが、そんなこと言わない。今日は、詳しく話をでにないと言われ、17日に兄と一緒にHLA検査をかねていくことになる。マルクの結果20/20にフィラデルフィア細胞が視られ間違いなく慢性骨髄性白血病と言われる。






 

00年
 8月17日




 

 今度は兄2人と母親ともに病院に行きました。兄2人に採血をしてもらいました。とても申し訳なく感じました。別にどこも悪くない兄に。それからドクターの説明が始まりました。改めて移植の生存率、生存曲線など話していただきました。結構誰のことって感じで聞いていました。それより母が眼鏡をかけてメモを取っているのが印象的でした。







 

 00年
9月5日?










 

神様感謝します。なんと上の兄とHLAがあったそうです。妻と顔お合わせ喜びました。白血病になったのは不幸なことだけど、みんなドナーがいなくて困っているのをそのときすでに知っていましたので、私はなんと幸運なのかと思いました。と同時に移植への不安が膨らんできました。
 実は、以前に兄の紹介で移植されたALLの患者さんとお話ししたことがあるのです。その人はH医大病院でされたそうです。私もいろいろ調べた結果私もH医大病院で移植することに決めました 。K医大病院のドクターは快く病院を変わることを承諾してくれ、紹介状を書いていただきました。ほんとにお世話になりました。













 

00年
 9月6日







 

K医大学病院から紹介状を持ってH医大学病院にいきました。移植をここでお願いしたいことを伝えると私どもの病院を選んでくれてありがとうと言われました。一生懸命全力を尽くしますと言う暖かい言葉をいただいた。Oドクター。でもK医大学病院のドクターより説明は少ないと感じた。そしてこの日から、初めて薬を服用するようになった。ハイドレア1日3錠。そして、尿酸が高いのでザイロックス一日1錠。ついに病人になってしまった気がした。いったいどこが悪いのだロー。

白血球
39000
赤血球
495
ヘモグロビン
15.3
血小板
21.2
尿酸
10.4

00年
 9月20日







 

通院日、2週間に一度のペースで通院となる。年内様子を見て新年21世紀正月に移植することになる。これは私の希望でもあり、病院側の都合でもある。私としては、2000年世紀末は妻の父が亡くなったりどうもついていないような気がする。新しく21世紀に向けて新しい命をいただくつもりで取り組みたかったからである。病院側としては11月まで無菌室が改装工事中らしかった。白血球がまだ高いと言うことでハイドレア一日4錠となる。
 

白血球
21400
赤血球
494
ヘモグロビン
15.5
血小板
21.0
尿酸
7,4

 00年
10月4日







 

白血球も下がり移植前のいい状態が続いてますと言われた。そういわれても本とはまだ移植が怖いので、やっぱり移植した方がいいですかと聞くと、Oドクターはそら良いに決まってる。せっかく兄とHLA合ってるのにと言われた。みんなドナーがいなくてこっまっているのに。といわれた。でも私は正直やっぱり怖いのである。臆病者と言われても。「ハイドレア1日3錠だったかな、もう少し増やしても良いな」「ああ、4錠か」なんて言われる。しかもマルクをしてかえる。恐怖でおびえる。看護婦さんに手を押さえてもらった。

白血球
6100
赤血球
446
ヘモグロビン
14,5
血小板
27,9
尿酸
6,1

00年
10月8日?


 

H医科大学病院で骨髄移植者の同窓会があることを知り、終わってからCMLに移植者に話をしていただいた。大変助かりました。ありがとうございました。みなさん前向きに白血病と闘っていらっしゃいました。





 

00年
10月18日














 

 通院日。2週間に1度のこの日が来ると憂鬱である。これが終わればまた2週間 猶予が与えられたように感じる。
あとは、白血病のことを忘れているのである。体のどこも悪くない私にとって、未だ病院に行っているとき以外は、全くふつうと同じなのだから。とは言っても仕事もたまにしかでず、後は神{天理教}にお願いする毎日。今まで神など全く信じなっかた僕が、恐怖におののき、このときだけお願いする。天理教は元々妻方が信心していて、病気になった私に勧めてくれた。今は非常に感謝している。
 痛い思いをしたマルクの結果はまだだそうだ。なんと遅い。この日兄と一緒にきてもらう。兄がドナーとして健康状態のチェックをすると言うことで、レントゲンや心電図を取った。
 保健所を見て、驚いたことにこの日兄の誕生日だった。

白血球
5700
赤血球
439
ヘモグロビン
15,1
ヘマトクリット
45,2
血小板
20,5
尿酸
9,2




 

00年
11月1日













 

 こないだ検査した兄の結果をO先生は見ていないみたいだ、「この前お兄さんきてもらったな」と言ってメモとっていた。その後見たのかな。マルクの結果20分の19フィラデルフィア細胞が見られたらしい。まあだいたい前と一緒。発病からずっと飲んでいる健康食品、アガリクス、かいやぼ芋、利いていないと言うことか。でもこれは、みんなの善意の固まりなのである。それでも続ける。それから、いったいいつ検査入院になるのか。以前の話では、11月はじめ検査入院するはずだったのに、ベットが空かないと言うことで連絡待ち。O先生が入院担当の先生に連絡してくれて11月6日から10日までに入院できるように手配してくれた。しかしいつになるか分からない。電話があって「ベットが空きましたので明日からきてください」と言う形になるそうだ。
 

白血球
6100
赤血球
416
ヘモグロビン
15,3
ヘマトクリット
44.3
血小板
16,9
尿酸
8,2