
なぜ江南なのか?理屈より、実は先に映像がある。
今から21年(も!)前、大学1年の冬、
入学した目的も(大して考えていたわけでもなかったので)雲散霧消し、わけがわからなくなっていた頃、
クラスの友人(というより、以後、親友となった)に
さそわれ、「現代中国映画上映会(現中映)」の上映会に行ったみた。
はじめて見た中国映画は「氷山から来た客」。
新疆を舞台にしたサスペンスもので、
どこの映画だかわけのわからない作品だった。
これで懲りたら、それで終わりだった。
でも、次は中国本土が舞台だから、と、
もう一度見に行った。
それが、柔石原作の「早春二月」だった。
(柔石は、魯迅がもっとも将来を期待してた若手作家だったが、おそらくは中国共産党の路線闘争との絡みで密告され、国民政府によって逮捕・処刑された)
ときは五四運動の沈静化した頃、
運動の敗北に失意の青年(孫道臨が演じる)が江南にやってくる。
冒頭は狭い川船の中、主人公がやがて外に出ると、そこに江南の風景が広がるというシーン。
あるいは、主人公が、友人が校長を務める中学の附属小学の教師となり、ほのかな思いを寄せる友人の妹(謝芳)と、田舎町の水路沿いの道を歩く、そのシーン。
また、小さな田舎町の噂に翻弄され、主人公やヒロインが水田(?)の中の運河にかかる太鼓橋を駆け上がるシーン。
いずれも、うろ覚えではあるが、江南のイメージとして脳裏に焼き付いている。
今思うと、現中映は安直に2月だから「早春二月」を上映したのかもしれない。だけど、ぼくにとっては、これで中国といえば江南の風景が浮かぶようになってしまった。
さらにいえば、主人公たちは教員で、郵送されてきた『新青年』や『教育雑誌』を開くシーンもある。結局、今やっている研究テーマは、このとき「すり込み」されたといえるのかもしれない。
(追記:あらためてVCDで「早春二月」を見てみたら、
『新青年』を開くシーンはあったが、『教育雑誌』はそれらしきものが、チラッと見えただけだった。人の記憶とはそういうものだ)