『地域と人権』埼玉版『人権のひろば』
---- Net版04年6・7月号No.281・282
   

9月に埼解連終結大会と埼玉県地域人権連創立
 県連は7月18日、熊谷会館会議室でひらいた第4回県委員会で、運動の発展的転換の具体化を協議。9月12日午前に埼解連第30回定期大会を開いて埼解連運動の終結を決議し、午後、(仮称)埼玉県地域人権運動連合会の創立大会を開催することとし、これにむけて総力をあげて運動と組織の発展的転換に取り組むことを決めました。
 県委員会では、現執行委員会を「仮称・埼玉県地域人権運動連合会創立準備委員会」とすることを決め、創立大会の開催、新組織の規約案、04年度運動方針案骨子と予算案、役員選出規定案、創立宣言案などについて討論し決定しました。
新組織の名称および略称
 「埼玉県地域人権運動連合会」。略称「埼玉県地域人権連」または「埼玉人権連」。
▽組織の性格 ―連合体組織。 ▽組織構成の基礎単位―地域組織(支部)と団体。
▽「地域組織=支部」の形態――「一市町村一支部」とし、支部の下に「班」を作る。支部の名称は「埼玉県地域人権運動連合会○○支部」を標準とする。過渡的には「全解連○○支部」もある。 個人会員制を原則とする。居住する市町村に支部がない場合、県連に直接加入。近隣の支部への加入も可。
 郡単位で「地域協議会」をつくり、相互支援をはかる。
▽地域組織(支部)と団体との関係――同一市町村を主な活動エリアとしている団体とは、「地域人権連○○市・町協議会」をつくり相互に支援しあう。

核兵器のない平和な世界に
^^^今年も各地で網の目の平和行
8月の原水爆禁止世界大会をめざして、今年も全国各地平和行進が、で行なわれています。
 7月19日の午後4時に上武大橋で群馬県から引き継いだ行進が、同日午後6時から深谷市で行なわれました。「核兵器のない平和な地球を」「憲法9条を守ろう」などのシュプレヒコールとともに、県平和委員会の青年が弾くギターに合わせ、子どももまじえて平和の歌を歌いながらの夕暮れの行進に、沿道から手を振る人も。
 熊谷に引き継がれた行進は、翌20日午前9時から市役所前で市助役も出席して出発式を行なった後、市内を行進。午後妻沼町に引き継がれました。

歌を歌いながら市内を行進(深谷)^^^△うちわ祭の山車とすれちがう(熊谷)

児玉郡に見る人権教育研究集会
っっっっっ教職員を動員する〃公〃の正体

 「解同」の要求を受けて始まった「人権教育研究集会」が今年も郡単位で計画されています(今年で3回目)。
 8月28日の午後、本庄市文化会館で開催される「児玉郡市人権教育研究集会」の「開催要項」によると、保育園・幼稚園職員、小・中・高の学校職員、市町村職員などを対象に550人を集める計画で、参加者名簿を園・学校単位で作成して各教育委員会(学校教育課)に提出か直接事務局に申込み。市町村教育委員会は名簿をまとめて7月20日までに実行委員会事務局に提出することになっています。
 「解同」の名は直接ありませんが、各市町村の人権教育推進協議会(事務局=市教育委員会)や児玉郡市人権教育推進協議会(同=県教育事務所)ほか官民合わせて23団体が名を連ねる「実行委員会」の中に、「部落解放・人権政策確立要求児玉郡市実行委員会」と「美里町同対審共闘会議」が入っています。「参加対象」に、学校職員や市町村職員のほかに「人権教育関係者」とあり、「部落解放・人権政策確立要求実行委員会」や「同対審共闘」で「解同」の役員が参加するのでしょう。
 「開催のご案内」文で、「『部落差別の解消を目指す同和教育をはじめとする新たな人権教育を創造する』という意義とねらい」が語られ、特別措置法が失効して一般対策に移行したが、地対協意見具申で「特別対策法の終了が同和行政の終結を意味するものではない」と指摘していると説明し、「人権教育・啓発推進法の趣旨にのっとり、『同和問題の解決のためには、人権教育の中核に同和教育を位置付けて推進する』ことが重要となっています」と述べています。『』の引用文と思われるものが、どこからの引用なのか不明の「公文書」です。
 分科会は同和教育のほか障害児教育、子どもの虐待、保育、男女共同参画の六分科会。その中で同和教育は「差別の現実と同和教育」と「部落解放と地域進出」の二分科会。
 さて、実行委員会事務局は――。「児玉町立隣保館内」と、ここでも公が装われていますが、電話番号は「解放同盟児玉郡市協議会」のものです。

「人権」に移行した行政が「人権連」への対応に苦慮?
っっっっっっ問われているのは行政の民主主義、主体性

 「埼解連の支部が人権連になれば、これまでのような対応はできない」と言っている行政があります。同和対策審議会の委員からもはずれる、と言うのです。
行政自身は特別法の終了に合わせて「同和対策課」の名称を「人権政策課」など 「人権」にすでに変更しています。その行政が、自分の名称変更は時代の流れにそうとしながら、運動団体の名称変更はダメと言わんばかりの対応をしてくるとは、どういうことでしょう。
 行政の「人権」への名称変更の理由は、同和問題以外にも取り組まなければならない人権課題が特に最近多くなっている、ということでした。「同和問題以外にも」と言いつつ、実体は従来と変わらないと住民から見られている実状がありますが、それでも「同和問題以外の人権課題」にも目をむけるようになっています。
 私たちの名称変更の理由やめざすものは、行政とは当然違っていますが、それでも、部落解放運動団体が「同和問題以外にも目をむける」ことを歓迎こそすれ、「困ります」とは言わない、と考えるのが自然です。
 この問題をめぐっていくつかの行政と懇談しました。
 「審議会委員」では、A市では、設置条例で運動団の審議員はどういう分野から選出されているかを質すと、「学識経験者」ということでした。「同和問題に関する学識経験者が、団体名が変わったら突然学識経験者でなくなるのか」と質問すると行政は答えることができませんでした。
またB市では、「運動団体対応基準」からはずれるので「対応はむずかしい」と説明。「団体対応基準」は1998年に市町村が一斉に作った(99年度から施行)もので、「同和対策事業への協力」「同和地区住民が○○世帯以上組織されていること」などを内容とする「対応基準」に私たちは反対してきましたが、「基準」が作られた時と現在では状況が本質的に大きく変わっており、今日では「基準」そのものが廃止されるべきものです。にもかかわらずそれを持ち出す行政に、「特別法が終了してなお、同和地区住民であるか否かを行政が問題にする根拠は何か」「何をもって行政が該当者を判断するのか」と質すと答えられず、せいぜい「これまでの実績による」の答え。「ならば、名称がどうあれ運動の実績で判断すればよいのでは」とさらに詰めると「まあ、そういうことになりますかね」と答える行政とダンマリのままの行政とがありました。
 さらに、「人権」団体を名乗るえせ同和団体への対応に苦慮していることから、「人権」名ではそれらとの関係で「困ります」とする行政も。「部落解放」や「同和」を名乗るいくつものえせ同和に対処してきたはずの行政が、今さら何をというところですが、要求内容とこれまでの実績で判断すれば済む問題です。
 行政側のこうした姿勢の背景には、対応している既存の他の運動団体の意向を意識しているところが感じられるとともに、部落解放運動団体としての埼解連がこの分野に踏みとどまって最後の仕上げに尽力してほしいとの期待もあるようです。
 しかし、「同対審答申」が1960年代前半期の実態にもとづいて、「最も深刻にして重大な社会問題」としたような「社会問題としての部落問題」が基本的に解決し、部落解放の名で「同和地区住民」を組織して運動を続けることが今の時代に反するものである以上、運動の発展的転換が必然です。そして発展的転換の中でこそ、「最後の仕上げ」の課題を達成することもできるのです。
 問われているのは行政の民主主義、主体性であり、私たちの主体性です。

桶川ストーカー事件控訴審勝利へ
^^^^^支援市民集会開かれる

 桶川ストーカー事件国家賠償訴訟の控訴審勝利をめざす市民集会が7月2日夜、埼玉教育会館でひらかれました。
 180人余が参加した集会では、1999年の栃木リンチ殺人事件で息子を失った須藤光男氏と同年・99年の兵庫ストーカー殺人事件で妹を失った尾ノ井広行氏ら全国犯罪被害者の会の会員がストーカーに対する怠慢な警察の対応への怒りと裁判の勝利を訴え、全国犯罪被害者の会代表幹事の岡村勲弁護士が、この裁判は「国民が安全に生活できるかどうかがかかっている」と挨拶しました。
 弁護団の中山福二弁護士が、控訴審の論点について説明。この事件はストーカー殺人事件であり、上尾警察署の捜査の怠慢やこれを隠すための調書改ざんの違法行為と詩織さんが殺害されたこととの因果関係が明白であるのに、これを認めていない一審判決は不正確であり不当と話しました。
 原告の猪野憲一さんと京子さんは「助けて下さいと言ったら助けてくれる大きな力があるんだと言えるために、そして二度とこんなことのないように闘っていきます」「すべての警察が憎いのではありません。頼りになる警察になってほしい」「娘の無念をはらすために絶対に勝たなくてはなりません」と話して裁判への支援を訴えました。


コラム「風&光」

 イラクの武装勢力に捕われた自国民の命を救うために、フィリピンのアロヨ大統領が武装勢力の要求を受け入れてイラクから軍隊を撤退させることを決断、人質は無事釈放された▼大統領の決断を、アメリカなどが「テロに屈するもの」として非難している中で、フィリピン国民の大多数は大統領の決断を支持したと報道されている。海外で働く人が800万人、イラクにも4千人が働いているというフィリピンの事情があるにしても、「テロには屈しない」と人質の命よりも自衛隊の駐留を優先させた日本の総理、これを支持したマスコミ、多数の国民。挙げ句に人質となった人に「自己責任」論があびせられた。フィリピンとはあまりにも対照的な対応だった▼テレビのニュースで、「フィリピンは独立国だ。アメリカの言いなりになる必要はない」という趣旨の発言をしていた街のおばあさんの、堂々とした姿がさわやかでとても印象的でした。

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