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1999年、春。 私は念願だった沖縄 八重山諸島への旅に出た。12日間のひとり旅。 テントとシェラフをザックに詰め、初めてひとりでキャンプをした。 この時までに、石垣島、黒島、与那国島、西表島と旅を続けていた。この間、ずっと天気が悪く、星も、太陽もまともに見えた日はなかった。これは旅の最後に訪れた波照間島での3日間の出来事である。(波照間島は八重山諸島の最南端に位置し、有人島では日本最南端の島である。) 5月6日 久しぶりに気持ちよく晴れた朝だった。今日は最後の島、波照間に行く。9時のフェリーはがらがらだった。天気がいいので甲板に出ると、どこからか三線の音が聞こえてきた。船員が操縦室で弾いていたのだった。青い空と青い海、三線の旋律にのって、いちばん南の島、波照間が見えてきた。平らな、光と海の島。とてもすがすがしい気持ち。この島でどんなことがおこるのだろうとワクワクした。ハテルマという不思議な語感に魅かれて、この島を最後にとっておいた自分の直感は、当たっているのかもしれないと思った。 港に入るとすぐ、その美しい海に目を奪われた。他のどの島でも見たことのない、これこそが沖縄の海。船を下りるとすぐ、車が拾ってくれた。あっという間にキャンプができるニシ浜の入り口に到着した。 ニシ浜の海は信じられないくらい透明で、きれいだった。浜の入り口に水場と東屋があり、キャンプできるところはずっと奥のようだった。海に見とれながら砂浜を歩いていると、向こうから見覚えのある誰かが歩いてくる。西表の星砂キャンプ場で出会った、神戸出身の彼だった。笑顔で再会、なかなかさい先がいい。彼も今日からキャンプするらしかった。少し先のところに2人ほどテントを張っていて、彼もそこに張ると言っていたので、私も一緒に張ることにした。これで今日は寂しい思いをせずに済む、とすこし安心した。 しかしどこまで行ってもテントが見当たらない。結局水場から1キロ程歩いたところに、テントを2つ見つけた。そこには自転車が倒されていて、2人の男の子がいた。「一緒にテント張ってもいいかな?」そんな言葉も終わらないうちに、チャリダーの彼等は私を歓迎してくれた。そしてその天然のテントサイトを私は一目で気に入った。ロケーションは最高、誰もこんなところまでは歩いてこない、キャンパーだけの、まさにプライベートビーチだった。 テントを設営した後、久々に晴れていたのでレンタサイクルでも借りて島をまわろうと思った。八重山に来てからというもの、天気には疑心暗鬼になっている。東屋まで戻ると、そこでこの旅で何回も出会っているしのぶちゃんに四たび?出会った。彼女とは、フェリーで同室だったあと、石垣の宿、与那国でも偶然再会していたので、すっかり仲良しになっていた。彼女も今日の船で波照間に来て、宿に荷物を置いてからニシ浜に泳ぎにきたという。彼女にレンタサイクルを又貸ししてもらって、日本最南端の碑へ向かった。 借りておいて言うのもなんだけど、ハンドルが抜けそうな、ぼろぼろの自転車だった。そのぼろぼろの自転車でたどり着いた最南端。とうとうここまで来た....なぜか、本当に来れるとは思ってなかった。とりあえず碑の前でシャッターを押してもらった。本当に何もないところだけど、荒涼とした感じではなくて、南の島らしい、どこか温かい、のんびりした空気に包まれていた。 最南端のとなりにある星空観察センターに行くと、張り紙がしてあり、何日も前から閉まっているようだった。そのかわりに与那国で出会っていた大阪弁の釣り人がいた。彼とは、与那国ではほとんど言葉を交していなかったが、私が声をかけると笑顔で応えてくれた。彼は浪人アジ(ガ−ラ)という巨大魚に魅せられて、キャンプをしながら延々と釣りを続けている、一風変わったキャンパーだった。キャンパーには珍しく、他人と一線を引いているような感じで、与那国でもみんな一目置いていたことを思い出した。 私と同じ船で与那国を後にした彼は、その日のうちに波照間に渡り、この高那崎の磯に毎日立って、竿を振り続けているらしい。今日は波が荒いので早めに切り上げたと言っていた。 彼の案内で高那崎の先まで行った。与那国での印象とは違い、彼はとても人なつっこく、よく喋り、少年のようだった。そこで見た景色は、本当に「果て」を感じる景色だった。とてもやさしく懐かしい風景。途中出会ったヤギの母子も、のんびりと幸せそうに見えた。気持ちのいい風に吹かれながら、夕暮れ前の高い空を見上げ、誰もいない、どこまでも続くさとうきび畑の中の一本道を二人で歩いて帰った。 そして集落に着き、日が傾く頃、空が少しずつ暗い雲に覆われていった。 キャンプに戻ると、チャリダー2人が相談していた。今夜の宴会場所が決まったと言う。一人が島民のタケさんという人と知り合ったようで、どうせ雨だし、みんなでその人の家に押しかけよう、という事になった。 2人はMTBを押し、3人で改めて自己紹介をしながらタケさんちに向かった。2人は石垣島のキャンプ場で知り会い、一緒に波照間に来たのだという。一人はニトロというニックネームで、私と同い歳で同じ職業だった。細くて筋肉質な体格がいかにもチャリダ−らしい。もう一人は、実家が北海道で姉が看護婦という状況から、「純君」と呼ばれるようになった26歳の、シャイな彼だった。 タケさんちは沖縄独特の、赤瓦の、玄関のない家だった。タケさんは横浜出身の31歳で、半年ほど前に宮古島から波照間に来たという。手当て療法(ヒーリング療法)をしている人で、繰り返し患部に手をあてて治療することにより、目が見えない人が見えるようになったり、歩けない人が歩けるようになっているのだそうだ。「自分でも怪しいなあと思うんだけどね」という所にどことなく真実味がある。そんな訳でまともな治療費も取らず、ほとんどご飯をご馳走になったり野菜をもらったりして生活している。家もただで借りていると言っていた。そして日本で2番目に南にあるその家には、冷蔵庫も、テレビも、電話も、まともなトイレすらなかった。 その夜はなぜか、近所のみのる荘(民宿)からもたくさん旅人が来て賑やかな宴会になった。そして、もう一人のキャンパーである神戸出身の彼もやって来た。彼は、似ているという理由から勝手にコブ平と呼ばれていた。彼はこの波照間に来て、淡い恋に落ちたようだった。相手はみのる荘に泊っている女の子で、2人がいい雰囲気なのはすぐに気付いた。他のみんなも気付いていたようだった。そして夜もやがて深け、民宿の女の子達は帰っていき、キャンパー達の静かな夜が始まった。そして無口な純君が、おもむろにギターで弾き語りを始めた。 『解き放て、いのちで笑え、満月の夕べ...』.....薄暗い明りの中で聴いたその歌で、私はとても落ち着いた気分になった。コブ平がアンコールと言った。なぜか、初めて聞いたこの歌を、いつまでも聴いていたかった。そして波照間に来て、見知らぬ人達が集うこの空間の中で、自分自身が本当に解き放たれているような気がした。
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