サラスバティー
〜砂漠に響くヴィーナー(琵琶)〜

この物語は、紀元後1世紀頃のシルクロード沿線の中央、東アジアを舞台にした物語です。
この時代中国は前漢王朝をのっとり『新』という国を興した奸臣王莽(おうもう)を滅ぼした劉秀(後の光武帝)が漢帝国を再建した、という形で作られた『後漢王朝』の時代に入り、中央アジア〜北インドには紀元前西トルキスタン(パミール西の中央アジア)に勢力を誇った騎馬民族国家”大月氏国”をクーデターで倒したクシャン族による『クシャーナ朝』という大帝国が建国され、アジア全体が新たな時代に突入しておりました。一方モンゴル、オルドス地方(中国の黄河より北の地方)では北方遊牧民族匈奴(きょうど)が北匈奴、南匈奴の2つに分裂しておりました。南匈奴は漢に降伏し中国華北地方に南下して漢人に同化していきましたが、北匈奴は匈奴の故地であるモンゴルを中心に彼ら得意の騎馬軍団を率いて暴れまくり、かつて前漢に奪われた植民地であるタリム盆地(現在の中国新疆ウイグル自治区の天山、コンロン、カラコルム山脈にはさまれた大盆地。その大部分はタクラマカン砂漠に覆われている)のオアシス都市群を再び征服し、漢帝国の領土の北辺、西辺に再び侵入を繰り返しはじめました。漢帝国は最初国内の秩序の安定化を優先し、対外的に消極策をとっておりましたが、次第に匈奴の力が強くなり、漢の領土を脅かすようになると匈奴を撃退し、東西交易で栄えるタリム盆地を再び手中に収めようと匈奴とまた大戦争を再開しました。匈奴の本拠地近くのアルタイ山麓では漢帝国より派遣された将軍竇固(とうこ)が匈奴と戦い連戦連勝し、シルクロード交易で栄えるタリム盆地のオアシス都市群には竇固の部下である班超(はんちょう)が送り込まれ、同地から匈奴の勢力を一掃し、漢の西域における権利の回復のため戦っておりました。その戦場となったタリム盆地のオアシス都市群はあるものは漢につき、またあるものは匈奴について漢と戦うなどし、戦乱が絶えず起こりました。更にそれにはパミール高原西のクシャーナ朝も介入したりし、中央アジアはまさに激動の時代に突入しました。
その一方でこの時代は、インド〜中央アジアで仏教が盛んになり、大きな発展を遂げた時代でもあります。
その一つが、世界最古の分教美術である『ガンダーラ美術』が生まれたことです。
まず仏教の歴史(その生誕からこの物語の時代まで)に付いて説明しましょう。紀元前5世紀、インド北部で釈迦によって作られた仏教は、紀元前3世紀インド史上初の統一王朝「マウリア朝」を建て、仏教を保護しその流布に尽力したアショカ王によってインド全土に広まり、更にはパキスタン、アフガニスタンなどの中央アジアに伝わりました。その辺りはそれより100年前の紀元前4世紀、ギリシャのアレキサンダー大王の東征の際、大王の命令により移り住んだギリシャ人の末裔が多く存在しておりました。特に現在のパキスタン北部、いわゆる『ガンダーラ地方』はその例が顕著であり、そこで彼らギリシャ人もいつしか仏教に触れ、信じるようになりました。更に紀元前2世紀、インドでマウリヤ朝が滅びるとその後を受けたシュンガ朝がインド古代の宗教バラモン教(つまり仏教が生まれる以前から存在していたインドの古代宗教。多神教でカースト制度があり、現在のインドで一番主流を占める”ヒンズー教”の原型ともなった)を保護し、仏教を弾圧したので、多くのインド人仏教徒がガンダーラなどに逃れ、移住しました。それもガンダーラを含む中央アジアにおいて仏教が盛んになり、そこに住むギリシャ人の末裔達が仏教に目覚める事に拍車をかけたのです。
彼ら仏教に目覚めたギリシャ人の末裔は、ギリシャ神話の神像を元に仏を人間の形に表した『仏像』を作るようになりました。意外に思われる方もいるでしょうが、元来仏教は偶像を否定していたのです(仏は実体のないものだから、姿形に、特に人間の姿に現すなどもってのほかだ、という考えから)。しかしこの紀元前後の中央アジアにおけるギリシャのヘレニズム文化とインドの仏教の出逢いから仏教は偶像否定型宗教から偶像崇拝型宗教に変貌し、仏像、仏画などの仏教美術は生まれたのです。それらは最初ギリシャの神像とほとんど変わらないものでしたが、次第に仏教独自の偶像仏像へとその形を整えて行き、この紀元後1世紀頃それはほぼ確立されました。
もう一つが仏教が小乗仏教と大乗仏教の2つに分裂したことです。
それまでの仏教は厳しい修行と勉学により、悟りを開いて仏になろうとすることを目標としたものが主流でした。これを『小乗仏教』といいます。それに対し丁度この仏教がインドから中央アジアに伝わった頃、自らが悟りを得る為苦行を積むよりもむしろ大衆の間に仏の教えを広め、多くの人々を救っていこうとする『大乗仏教』が誕生しました。前者はその後主に東南アジアに伝わっていきますが、後者は仏教が早くから異民族に受け入れられ、ギリシャから伝えられたヘレニズム文化との融合により仏教美術が発祥した中央アジアにおいて発展し、隆盛を極め、更にはユーラシア大陸を横断しアジアとヨーロッパを結ぶ交易の道『シルクロード』を伝わって中国、朝鮮半島や日本などの東アジアに伝えられました。 並びにこの大乗仏教は多くの人々の信仰を得るべく、古代インドの人々の宗教バラモン教の神々をその教義の中に取り入れました。その結果ブラウマー(梵天)、インドラ(帝釈天)、クーベラ(毘沙門天)等の男神や、ラクシュミー(吉祥天)、サラスバティー(弁才天)などの女神が次々仏教の世界に現れるようになり、、彼ら(彼女達)は新たなる信仰を生み、その信仰は仏教の伝播と共に広まっていったのです。またガンダーラ美術、および仏教美術の発展の過程で、彼らも仏、菩薩らと共にギリシャのヘレニズム文化の流れを汲む新たなる技法により、偶像で表現されるようになりました。つまりこの中央アジアで、仏教は偶像文化の受容と古代インドの神々を融合したことにより、多神教化し他力本願、偶像崇拝型の宗教へと変遷を遂げ、新たな時代を迎えたのです。
更にもう一つ付け加えるならば、仏教ががシルクロードを通り、中国へ伝わったことでしょう。
紀元前2世紀、中国前漢王朝6代目皇帝である武帝に使える外交官、張騫(ちょうけん)が当時中央アジアを治めていた大月氏国(後クシャーナ朝に滅ぼされる)に派遣されたのをきっかけに中国の漢民族達と西域(ここでは中央アジアより西の地方、諸国全般を指す)の交易が開始され、東アジアでもようやくシルクロードの時代が始まりました。そのシルクロードを渡り、中国へ赴いたインド、中央アジアの人々により、仏教は中国本土(漢民族の勢力圏)にも伝えられました。実際、この時代中国を支配していた後漢王朝の都『洛陽』には、紀元後68年、つまり丁度この時代の舞台となる紀元後1世紀作られたという中国本土最古の仏教寺院、『白馬寺』が存在しています。ただここでは古くから中国に根着いていた道教、儒教など土着の宗教との確執が絶えず、並びに後漢、三国、晋、五胡十六国時代にかけての長い動乱期などもあり、仏教が流布、定着するには非常に時間はかかりましたが、とにもかくにも中国本土に仏教が入ったのは、この時代であることは間違いありません。
この物語は、前述した仏教に取り入れられたインドの神々の中の代表例とも言えるサラスバティー女神の信仰が、はるか東の中国へ伝わり弁才天信仰が生まれたことをヒントに考え出されたものです。
サラスバティー女神は、もともとガンジス川支流のサラスバティー川(架空の川らしいが)が神格化された神で、いつしか他の様々な女神の信仰などと融合して美、音楽、学問、弁舌、芸術をつかさどる女神として信仰を集め、古代インドの宗教バラモン教の神々の一人となりました。その後仏教が起こり、大乗仏教の誕生によりバラモン教の神々が仏教に取り入れられると、彼女も他の神々と共に仏法の世界の中に取り入れられました。更にその信仰は、いつしか東方に伝わり、七福神の一人弁才天として信仰されるようになりました。
その特徴としては、
@絶世の美女であること
Aサラスバティーはインドの伝統的弦楽器”ヴィーナー”を、弁才天は東アジア伝統の弦楽器”琵琶”を抱えていること
があげられます。
古代シルクロード交易が盛んだった頃、本当に広大なユーラシア大陸の東西様々な文化が、東へ西へと伝わり、更なる発展を遂げたのは言うまでもないでしょう。しかしその背景には、いずれにせよ何かのきっかけのような出来事があったはずです。
そこで私は考えました。
「仏教が中央アジアで新たな発展期を迎え、シルクロードを経て中国へ伝わった時代、サラスバティー女神のようなインド人(正確にはガンダーラ人)女性が中国を目指してシルクロードを旅し、道中様々な奇跡を起こすなどして活躍を遂げるのはどうだろう?」
その結果、生まれたのがこの物語です。
これは決して史実に基いて書かれたものではなく、あくまでフィクションではありますが、とにもかくにも東アジアや中央アジアが群雄の介入、抗争により大きな動乱期に落ちいる一方、仏教が大きな発展期を迎えその教えが更に東へ伝わり始めた紀元後1世紀頃、サラスバティー女神のような女性がシルクロードを旅し、人並みはずれた音楽的才能や不思議な力、仏教やサラスバティー女神への熱い信仰、更には純真な心と強い意志、行動力、分け隔てのない愛情をもってあらゆる活躍を遂げ、多くの人々を救い、導き、幸福と平和をもたらした、そんな光景を頭の中で思い描きながら、執筆を進めたいと思います。
☆注☆
この物語は基本的にフィクションです。
一部歴史上の人物(漢の将軍班超など)も出て来ますが、
後の登場人物、ストーリーなどは皆私の創作です。
ですので、
「本当にこんな人いたの?こんな事あったの?」
などと突っ込んだり、
「歴史を知らない人が見たら誤解してしまう。」
等とクレームを付けるのはお止め下さい。
また間違えないで欲しいのですが、この物語は弁才天信仰が生まれる話ではなく、
あくまで
『サラスバティー女神のようなインド人(正確にはガンダーラ人)女性が
中国を目指してシルクロードを旅し、道中様々な奇跡を起こすなどして活躍を遂げる』
物語であるということを断っておきます。
目次
第1章 ガンダーラ
第2章 魔のパミール
第3章 揺らぐ西域
第4章 班超
第5章 会見
第6章 タクラマカン砂漠
第7章 白賢
第8章 音楽と仏法のオアシス クチャ
第9章 李婆さん
第10章 天山の春
第11章 夜
第12章 泉の畔
第13章 運命の朝
第14章 さらばクチャ
第15章 天馬の末裔
第16章 ゼンゼン国(楼蘭)にて 前編
第17章 ゼンゼン国(楼蘭)にて 後編
第18章 敦煌の悲劇
![]()
☆地図はこちら☆