道場丼には罪はない
折々の雑文 #17
道場丼(みちばどん)を出す居酒屋は、京阪電車沿線の或る駅前にある。詳しくはお教えできない。でも、ヒントはあげよう。その店は、築三十年以上はゆうに立ちそうな建物である。実際、崩れかけている。今度、大地震が起こる際には、間違えなく倒壊するであろう。おそらく、建設されたときから手抜き工事で、建築基準法に違反しているだろうが、そんなことはどうでもいい。道場丼には罪はない。なお、その店にはカウンター席しかない。
そんな前置きはさておき、「道場丼(正式名称:道場-DON)」である。値段は400円。どて焼きより100円ほど高いがどて焼きに勝る美味であり、量も多くコストパフォーマンスも高い優秀なツマミである。材料は、チンゲンツァイ、キャベツ、豚肉のバラ肉、卵、ご飯と秘伝のタレのみである。
注文があると、店の大将は「道場丼入ります!」と叫び、バイトがまず大皿にご飯をよそう。酒のツマミに飯モノは禁物だ、と言われる原理主義者の方もおられると思うがそんなことはない。極めて合理的な理由によりご飯が必要なのだ。どんぶり物だし。ここからは大将の仕事だ。まず、飯以外の材料をしんなりするまで中華鍋で一気に炒める。強火であおるので、それほど時間はかからない。あとは秘伝のタレをたっぷりかけ、ご飯の上にのせ、最後に半熟の目玉焼きをのせるだけだ。これだけである。が、旨いからしょうがない。
おそらく、このタレこそが重要なのだ。たっぷりかかったピリ辛ダレが曲者なのだ。こいつのおかげで、野菜が安物の肉が旨くご飯によく合い、酒が進むのだ。特に、ビールによく合うのではないかと思われる(筆者はビールが苦手である)。半熟の目玉焼きもご飯も、秘伝のタレの辛みをマイルドにしてくれる。ここで、飯もの禁止原理主義者も、ご飯が無いと辛すぎるからどんぶり物なのかと自分の過ちに気付くのだ。そうかそうか、判ってくれたか友よ。この道場丼が優れている理由はそれだけでない。大皿にのせて出される為、量もかなりあり普通の客は小皿にとって少しずつ食すのだ。友達と呑みに来ているなら小皿を二つ出してもらい、二人で仲良く分けあって食えばよい。量もたくさんある。これなら、割り勘でも一人につき200円だ。革命である。万国の労働者、貧乏学生よ団結……はしなくていいから道場丼を食って、酒を呑め。日頃のウサを晴らせ。
なおこの道場丼のネーミングの由来は不明である。秘伝と思われる、タレのレシピも不明である。筆者はまだその店の常連客と呼べるほど、通い詰めていないので詳細な情報を得ていない。この由来についてはやはり道場六三郎氏が一枚噛んでいるであろうが、「これは日本料理ではないやろ」と悪友Mが反論して「道場丼論争」に発展したが、筆者の見解では、かの鉄人・道場六三郎が家でさっさと作れる酒の肴として考案したのではないかと考えている。
それを大将はテレビで紹介されているのをみて、拝借しているのではないか。鉄人道場の「味は盗んで覚えろ」との格言を実践している。素晴らしい。とここまで書いてきて、筆者は道場丼の名称の由来にもう一つ有力な仮説を思いついた。それは店の名前にから――おっと、それ以上はお教えできない。
道場丼には罪はない。(2000/10/7)
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