かおりの好きな人
折々の雑文 #30
「かおりって、うちのクラスに好きな男の子がいるんだって」
イマフクさんはそう言って、ぼくたちを恐怖に陥れた。イマフクさんは、少し大人びた女の子で、納豆が海藻類の一種だと思っていたというどっかの雑文のネタみたいな人であった。基本的に男はそんなバカな女の子が好きだ。あと一、二年で泥沼のような思春期に至る小学六年の男子であったぼくらも、そのような嗜好が芽生えてきたのだろう。イマフクさんは男子に人気があった。かおりは同じクラスの女の子だった。彼女は太っていて、顔つきも可愛いとはお世辞にも言えず、どんくさく、内向的な女の子であった。いつも、親の趣味かお嬢様みたいな趣味の悪い服を着ていた。それがちっとも似合わない。口調がおかしく、口の悪い男子たちは彼女のまねをしては笑いの種にいていた。ただ知恵遅れとかそのような子ではなかったように思う。でも、勉強や運動は当然の如くできなかった。
かおりはイマフクさんに『支配』されていた。結構可愛い子がブスの女の子とやたら仲がいいことがあるが、イマフクさんとかおりは、まさにその例であった。もしかしたら、イマフクさんはぼくらにはわからないコンプレックスがあって、彼女はかおりといると、その劣等感が癒されたのかもしれない。かおりには好きなひとがいる、という衝撃の事実に男子たちは大騒ぎだった。ドッジボールやキックベースなる野蛮なスポーツに興じていたぼくらも、このウワサで気が気ではなかった。あんな女に好きになられたら、ベンツやポルシェに乗ったり、きれいなおんなの人とけっこんする予定のおれのかがやくべきじんせいにまっくろな雨雲がかかる。みんなそう思っていた。ぼくらは今のように狡くはなく、世間を斜に構えて見るような人間ではなく、正しく大人になって大きな会社に勤めるような真人間になるのがエラいのだという信念のもとに生きていた。そのために不愉快な算数や塩分の濃度の勉強などもするのだ。
「あいつ、いったいだれがすきなんやろう」
カツノリが言った。ぼくらの一番の問題はそれであった。どうもクラスの女の子には全員伝わっているらしい。ウツミさんとかタケウチさんにぼくが聞くと、
「さあ、誰やろな」と楽しそうに答えた。少しイヤな予感がした。
イヤな予感がげんじつになったのは、男子数人とイマフクさんを頼み込んで聞いたときだった。
「かおり、腹黒君のことがすきなんだって」
イマフクさんは、そう言った。ぼくはなんといえばいいかわからず、ただ、困った表情をした。困った表情はイマフクさんにも伝わり、
「でもいいじゃない、もしかしたら、十年後には綺麗になってるかもしれへんやん」
とつけ加えてくれた。ありがとうイマフクさん。となりのカツノリはぼくに入学試験におちた子を励ますお父さんのような顔をした。そして、自分がそうならなかったのを喜んでいるのが、手に取るように分かった。ありがとうカツノリ。
ぼくはドラえもん第一巻に所収されているのび太が、ジャイ子とけっこんする話を思い出した。けっこん。そういえば、担任の先生が、同じクラスメイトが十数年後けっこんした、という話をしていた。ぞっとした。ぼくらは小学六年になると、大の大人がハダカになって夢中でするものの存在を知っていた。そして、彼女は、授業中に空想の中でぼくをひっぺがしているに違いない。そうでもなくとも、キスぐらいはされているだろう。ぞっとした。ぼくはあの女に嫌われなければならない。どんなにブスな女に好きだと言われても、どこか「気になる」のだ。もちろん「好きになるようになる」とは断じて違う。授業中、かおりがぼくの方をちらちら見始めたのは、それからイマフクさんの発言からしばらくたってからだった。ぼくも少し気になりだした。授業が終わった後、妙にみんなニヤニヤしていた。これはやばい。他のクラスメイトは既成事実をつくって、ぼくとかおりをくっつけようとしている。ぼくは、彼女がぼくから興味を失う方法を考えた。ほかの男子たちもまきこんで。
結局、ぼくら男子は担任の先生に居残りを命じられ、かおりをいじめるなと長々とお説教された。ぼくらは先生の言うとおりだとおもったし、怒られても仕方ないと考えていた。でも、
「どうせ、中学になってもいじめれるだから」
その時、先生はぼそりとそういった。
そりゃそうだろう。あんたは正しい。そしておれたちが悪い。かおりは中学校でもいじめられるだろう。ぼくらは『仲間はずれ』なった人間をいじめるのだ。一人がそいつをいじめはじめると、みんなもいじめ始める。仲間はずれは恐いからだ。いや、恐いどころじゃない、明日は我が身となる。ぼくたちはこの連鎖を断ち切るほど強くない。ちっとも。
でも、先生の「中学校になっても」という言葉にいやなものを感じた。先生あなたが言ってはいけない。けど、なにもぼくは言わなかった。元々、ぼくにはこんなこという権利などまったくない。それから、かおりはぼくにほとんど気に掛けなくなった。
かおりを卒業後何度か、制服を着た彼女を街で見かけたことがある。どこか私立の制服を着て、小学校の時より殻を被って周囲を拒絶していた。残念ながら、彼女はイマフクさんの予言は見事に外れ、小学校時代から変わっていなかった。かおりはかおりのままで成長していた。今かおりにあったら、ぼくは何をいえるのだろうか。彼女はぼくになにをいうのだろうか。ただ、ぼくはこの言葉しか言えない。かおり、どうか許して欲しい。
(2001/8/4)
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