乾 杯
折々の雑文 #48
ウエディングドレスを着た幸せそうな彼女を見ると、私の心は喜びを感じた。喜び? 私の生涯で最も愛した女を他の男に取られるのを確認する屈辱の儀式というのに、私は心底喜んでいた。そんな感情が芽生えるなど私自身、予想出来なかった。となりの席の男は、「あの子、綺麗になったな」と私に確認を求めるように聞いてきた。私は生返事をした。私は彼女を愛していた。おそらく、あのにやけた顔で新婦の隣にいる男よりも。
私が彼女に出会ったのは、大学のゼミナールだった。私はゼミ幹事と言う立場で、彼女は三回から編入学と言う形で私たちの仲間になった。彼女が自己紹介で、
「わたしはこのゼミに入った理由は、警察官になりたかったからです」
と言ったのをよく覚えている。ゼミの先生は徹底的に現刑事司法制度を批判し、あちらの業界には敵が多い立場なので、私はうちのゼミから警察にいけるのかと余計な心配をしたものだ。彼女は、取り立てて美人と言うわけではないが、浜崎あゆみの出来損ないのような女には全く興味のなかった私には、魅力ある存在だった。奥手だった私が、彼女と頻繁に話をするようになったのは、私が就職活動で連敗につぐ連敗を重ねていた頃だ。確か愚痴を携帯メールで送るようになってからだ。彼女は私の愚痴を律儀に返信してくれ、それからしばらくして、彼女も私に愚痴のメールをするようになった。そのようななにげない友達の延長線上に、私たちのつきあいは始まった。彼女は、見た目よりも芯のある女性で、しっかりと自己主張をして煮え切らない私をリードしてくれた。
しかし、卒業して、私はなんとかサラリーマン稼業を得て歯を食いしばるように働き始め、彼女が試験を合格し婦人警官の道を歩まれると、次第に忙しくなって二人で会う機会は自然と減ってきた。自然消滅だった。積極的な彼女だったから、おそらく私に飽きたのだろう。それでも、優しい彼女は、最も罅の少ない形で終わらしたかったのだろう。
新郎も同じゼミのメンバーだった。彼は早くから公務員の勉強を始め、地方公務員上級試験を現役でパスし、現在もK市市役所で勤務している。彼は学生時代から、明らかに私より優秀な学生だった。確か、学生時代は他の女の子とつき合っていたようだが、卒業後には、彼女に乗り換えた。
式は私たちのゼミ担当だった石井先生の式辞まで進んでいた。先生は、頭髪の砂漠化が幾分かは進行いたが、あの頃と変わらない。先生は、刑事学と正義と酒――そしておそらく奥さんを愛されている。先生もようやく刑法学者として認められたのだろう。ジュリストの監獄法特集で、巻頭を飾る論文を執筆している。しかし、先生は相変わらずジョークなんかを飛ばして参加者を笑わしていた。
「……では僭越ではありますが、ヒデオ君とマリコさんの未来を祝福し、『乾杯』などを歌って私のいい加減な祝辞を終えさせて頂きたいと思います。ご静聴ありがとうございました」音楽がかかる。先生はマイクもって歌い出した。『かたい絆に 想いをよせて』酔った先生の声は微妙にトーンがずれていて参加者の笑いが漏れた。『乾杯 今君は 人生の……』のサビの部分では何故か酔った連中は先生と一緒に歌い始めている。歌と同じように、新郎新婦の口が僅かに開いた。先生が歌い終わると拍手がおこった。しこたま飲んだビールとワインのせいか、少し胸にこみ上げてくるものがあった。
キャンドルサービスで、私たちのテーブルに新郎新婦が来た。
「本当におめでとう」
私は笑顔を作って挨拶をした。夫妻は、礼を言った。蝋燭を持ったウエディングドレスの彼女は、私を見据えた。私も彼女を見る。蝋燭の火が揺れている。一瞬だけ目を合わせた。ああ。私は声が漏れそうだった。喉の乾きを覚えた。緩くなったビールを飲む。私は、頭の中で百人のサッキュバスに弄ばれるような悦びに支配された。前にいる地方官僚の道を歩んだあいつの表情を見た。何も知らぬあいつは可哀想だ。彼は彼女の最も美しい姿を知らない。私は突き抜けるようなある種の優越感を得た。君に――いや、マリコ女王様に幸せあれ。
(2002/5/13)
◆『飲めや歌えや雑文祭』出品作品
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