11
月5日の雑学大学は奈木滝子さんと高田素子さんの「ブラショフ(ルーマニア国)の赤ちゃんに乾いたおむつを!」でした。
奈木さんは、イラストレーターを職業としている方ですが、ある機会にルーマニアのブラショフの産婦人科病院の写真をみて、息が止まるほどにショックを受けたのです。未熟児を収容する保育ケースが、ブリキの箱だったからでした。
これから見てきたような話をするが、実は、まだ一回もそこには行ったことはない。ソビエトの崩壊が東欧にも及んで、
1989年、ルーマニアもチャウシェスク政権が倒れ自由主義経済となった。しかし、政変後も経済的困難は長く続き、市民生活のさまざまな場面に深刻な影響を与えている。
政変後、ブラショフを根拠地とする国立ジョルジュ・ディマ交響楽団が来日した。この交響楽団の指揮者に武蔵野市出身の曽我大介氏がいる。経済危機は楽団の存続の危機ともなり、楽器すら購入できない状況に陥っていた。そこで、曽我大介氏は帰国した時、武蔵野市長に面会、窮状を訴えて救援を求めた。
そして、武蔵野市が招聘する形で、ジョルジュ・ディマ交響楽団の日本での演奏会が実現したのである。おりしも「多摩ライフ21」という三多摩の都市が合同で大きな催しをしていたこともあり、ジョルジュ・ディマ交響楽団は三多摩の各都市で演奏会を開催することができ、以来、武蔵野・ブラショフ両市は友好都市となった。
その時に活躍した武蔵野市の市民たちが、武蔵野ブラショフ市民の会を結成し、楽器リコーダーを
3200本寄贈するなど、両市の友好関係に寄与している。引き続き文化交流が続いており、こちらからも文化交流団が同市を訪問することをしている。94年にはブラショフ市に日本語教室を開き、96、97年、講師を二名派遣している。
その日本語教室の卒業生各
3名が武蔵野市に招かれ、研修を受けている。97年8月には武蔵野市市民交響楽団が演奏旅行し、ディマ団員と合同でルーマニア三都市で演奏した。一行は大歓迎を受け、ブラショフではアンコール曲を2回も演奏した。このように交流を重ねてきた両市であるが、98年8月、ブラショフ市から希望で、ブラショフ県立図書館の中に日本武蔵野交流センターを設立した。ここには、武蔵野市から常駐の駐在員が派遣されている。
武蔵野市民の派遣団は、当然このセンターを中心に交流をすることになるが、
1999年、35万都市に1ヶ所しかないブラショフ産婦人科病院を見学した医療援助NPOグループの報告は、実に衝撃的なものであった。ベット数
305 入院者数18,110名(年間 99年度)出生児数
15(1日) 医 者 29名看護婦
122 創 立 1945デジタル・スコープでテレビに映写する病院の大型洗濯機の写真は、
55年前の創立当時のものといわれている。古色蒼然、見ているだけでガタビシ、キィキィと軋む音が聞こえてくるような気がする。詳しく聞いてみると第二次世界大戦のとき、進駐してきたドイツ軍の軍服を洗っていたものだそうだ。
医療援助NGOプロジェクトHOPEジャパンの報告では、医療機器そのものも非常に古いものが多く、最近戦禍にあったボスニアよりも、ブラショフの状態はひどい。産婦人科病院での胎児診察に欠かせない超音波エコーもなく、帝王切開手術に必要な麻酔機なども調子が悪く、使用途中でダウンすることもしばしばで、一刻も早く何とかしなければならない状況であるとのこと。
テレビに拡大した洗濯機の後ろの壁がまた、すごい。多分白壁だったに違いないが、黴と染みと汚れで焦げ茶色になって、不潔感が漂っている。洗濯機は
55年前のものだから当然だが、あちらこちらに錆びが浮いている。ドラム回転槽に洗剤と熱湯を入れて回転させ、脱水機にかけてから乾燥室で乾かす方式だ。
産婦人科病院は一般病院に比べて、おむつをはじめ汚れ物が多い。大型の洗濯機が
4台並んでおり、洗濯物の量が多いために乾燥室では乾燥しきれない。そこで、生まれたばかりの赤ちゃんに生乾きのままのおむつを当てるという、悲惨な事態も発生することになる。
HOPEジャパンが、あまりのひどさに驚いて早速、公的資金援助を使った医療機器援助で、命に関わるものから先にと超音波エコー、滅菌機などを優先して贈った。金額にすると約
1千万円に及ぶ。しかし、洗濯機などはなんとかしたいが、後回しになってしまった。以上はNGOジャパンや、NPOアクション・インターナショナルの報告による。
話しが前後するが
1999年10月、武蔵野公会堂で国際交流シンポジュウムがあった。外務省、武蔵野市、武蔵野国際交流協会の共催である。武蔵野市が友好都市としているハバフロスク、ブラショフ、忠州(韓国)、国内姉妹都市などの交流写真がたくさん飾られていた。
私
(奈木)は、国際親善使節団に参加したこともなく、また国際交流そのものにも実は、なじみが薄い。日常の生活だってぎりぎり切りつめている立場なので、外国の人のホームスティーなども、いいなあと思いながらも自分の行動としては考えたことがなかった。
シンボジュームのあと、ロビーで見た一枚の写真の前に、私は釘付けになった。
それはプロジェクトHOPEが撮影したブラショフ産婦人科病院の処置台の上に置かれたブリキ箱の写真であった。なんと、それは未熟児の保育箱であった。
私は、ショックで声を失った。保育箱には、湿度制御もついていないのである。これが、遠ーい国であっても、同じ時代を生きている国の現実なのだ。
このブリキ箱は
100年も前のものだといわれても、そうだと思うような保育箱。何かしなくてもいいのだろうか?自分とは身近なことではないのだが、なんとか出来ないものか。一枚の写真が、それから私の頭から離れなかった。
2000
年の年が明けた。武蔵野市の市報を見たら、ブラショフの日本武蔵野交流センターに職員を派遣する記事が載っていた。その派遣職員は自宅の近所の人だったので、あの病院の、写真の状況をもっと詳しく聞けるかもしれないと、早速手紙を出した。その返事にあったのが、いま映っている洗濯機の写真である。
赤ちゃんの方は、HOPEジャパンが最新保育箱を贈り、産室や新生児室も少しづつ綺麗になったという。しかし、洗濯機はまだこのままである。病院の洗濯室だというのに、信じられない汚さである。機械の塗料が剥げ落ち、錆が浮いている。乾燥室は写っていないが、想像するに余りある。
「皆で何とかしようよ」という気持ちは、写真を見た人にはあったと思う。
しかし、募金運動までしようとは、誰からも声が出なかったのである。
武蔵野市にはブラショフに関わっている団体が五つある。だが、このような病院の実態については、誰も知らなかった。夏に有志が集まって、募金運動の話題で話し合ったが、大型洗濯機4台となると現地見積もりで
1,200万円もかかるので、ちょっと額が大きすぎる。
そのころ、交流センターの派遣職員が一時帰国していたが、忙しい中を私に会ってくれた。実は、去年の医療機器援助の際に大型洗濯機の話しも出たので、病院側は大きな期待をもって、待っているというのである。こちらは少しづつでも、前に進めればいいか程度の気持ちでいたのに、ブラショフ側は洗濯機の後ろの壁を綺麗にして、待っているとは・…。
日本に帰ってみたら、この情報が行き届いてないみたいで、キャンペーンも何も始まっていないんですねー。と向こうとこっちの温度差に派遣職員もがっかりの表情であった。その顔に、反射的に「何とかしましょう!」と答えた人がいた。
小池さん、高田さん、原さんなどに私を加えた六人である。
実はこの六人、ブラショフへ行ったことがある人は一人もいない。唯一この写真の説得力が私たちを、そうさせたのである。しかし、病院の大型洗濯機、乾燥機付き4セットは、工事費込み現地見積もりで
1,200万円になる。
その金をどうやって工面するか。
武蔵野市の人口は
130,000人だから、一人100円出して貰えば、13,000千円になる勘定にはなる・・…。だが、武蔵野市民はこの問題に何の関わりがあるかといえば、何の関わりもない。私たちにとっても、どういう意味があるのか。
六人の議論は尽きない。
一人一万円の寄付をお願いしたらどうか。千円だったらどうか。議論百出の結果一人百円の募金をお願いすることになった。百円だったら、ポケットマネーから出して戴けるかも知れない。
早速、チラシを作ることになった。この、迫力ある問題の写真を
4色刷りにしてと考えたが、それだけの金はない。そこで、私が写真からイラストを起こして、1色刷りのチラシを仕上げた。そのチラシには次のようなコピーがついた。
『ブラショフ産婦人科病院へ洗濯機を贈りたい!私たちも、同じ地球に生きる友として、少しお手伝いできないでしょうか。ちょっとおつむをむつのほうへ。みなさんのポケットマネーを、ブラショフ市の赤ちゃんのために。国境を越えて、皆が一緒になれる小さな活動です。
あちらの病院が必要としているのは病院用大型洗濯機四基と乾燥機一基です。総額
1200万円ですが、全額は無理としても、なんとか2000年の暮れまでに半分でも送りたいのです。緊急を要するのです。一口100円の「3万人募金」を今始めたばかりです。ご協力をお願いします』
これって、友情というか、国際交流というか、あまり説明する必要もない。
ものすごく夢があると思いません?もし、このキャンペーンが成功して、向こうの国に洗濯機を贈ることができたら、非常に嬉しいことじゃないですか?
この募金を始めたときには、名古屋の水害もあったし、三宅島の地震もあった。
大きな市民グループは、それらの救援募金をそれぞれやっている。そこへブラショフへの募金は、そんなに簡単には行かないよ、との忠告も受けた。
だが、政府や市が出す金は、すなわち国際的「援助」である。しかし、市民がなけなしの金で贈るものは市民の「支援」である。「支援」はより共感できる行動=友情ではないか。
言葉の修飾はどうでもいいが、このことに共感される人が一人でも多くなれば、夢は叶う。これは皆で集めた金ですよと言われれば、私がブラショフの立場だったら、政府や市から出る金も有り難いけど、それよりも同じレベルで応援してくれる友達がいることが、もっと嬉しいに違いない。
ぜひ、このキャンペーンを実現したいと願っている。しかし、状況は厳しい。日本の国でも、私たちの生活でも、みんな苦しい。日本は物余りだといわれるが、現実にみんなニコニコと余裕があるわけではない。でもその中にあって、ちょっと視点を変えて、ブラショフの赤ちゃんに想いをはせるなら、何時もの自分と違う自分を発見できるのではないだろうか。
ものになるかなぁ…ではなくて、ものにするために、あっちでもこっちでも「お願いします」「お願いしまーす」を連発している。医師会にお願いしたら、額が大きいから市内の産婦人科だけでなく、一般医院にも募金箱を置いてあげましょうといってくれたので、募金箱を一所懸命に作った。
こんな「幟(のぼり)」も作った。【ブラショフの赤ちゃんに洗濯機を!】と白地にブルーの、自分の手書きだ。人の集まる処なら、どこへでも出かけてゆく。
100円お願いするのに80円かかるからDMもやらない。もっぱら募金箱だよりである。
募金箱は、各市政センター、市役所、コミュニティ・センターなどに置かせて貰った。先日ちょっと様子を見たら、場所によって金額に大きな差があった。
募金箱が目立たないからと、赤ちゃんの絵に色を塗ったり、キューピ人形に洋服を着せて立てたり、金の投入口を赤くしたり、夫々の想いがこもっていて、それが金額の差になっていた。
11
月16日(木)19:00から武蔵野公会堂で、ルーマニア国立ジョルジュ・ディマ交響楽団コンサートマスターのダヌーツ・マーニアのヴィオリン演奏会が行われる。「武蔵野からブラショフへ愛を贈ろう!」洗濯機募金&キャンペン コンサート。入場料は2000円。収益金は「ブラショフ洗濯機基金」に入る。
キャンペーンは年末まで続ける。
お金が集まったら、私たちは皆の想いが込められている募金箱ごと、ブラショフに贈るつもりである。
終わり
(
文責 三上卓治) [ホームページに戻る]