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今週(5/20)の講座は、高橋忠利さんの講座「皆さんで楽しいマジック」でした。高橋さんは東京アマチュア・マジシャンズ・クラブに所属しており、ボランティア委員長として活躍中です。アマチュア奇術研究家として35年のキャリアがあり、昭和四十九年には、天覧奇術の経験もあるというすごい方です。また全国マチュア奇術大会に出場して、マニピュレション部門賞を受賞しております。今日は身の回りの物を使ってやる手品で、楽しませてくれました。

 

☆私たち東京マジシャンズ・クラブでは、ボランテイア活動として老人ホームなどへよく出かける。手品という判り易い娯楽として喜んでもらえると同時に、自分たちの腕を磨く場としても、大切に考えている。要望があれば、連絡網を使って仲間の都合を調整する。お客の反応はどうであったか、拍手はどうであったか、喜んで戴いたのかどうか、様々な反省をする。

 

私は、まだ若いときだったが、靖国神社の例大祭で舞台に立ったことがある。時間が早かったせいか、あまり客が集まっていなかった。しかし、段取りは決まっているので、客がいようが、いなかろうが、時間通りにやらなければならない。あっと言わせるのが身上の手品で、見る人がいない舞台で上演するくらい辛いことはない。

 

身障者の福祉関係の集まりでも、しばしば手品を頼まれる。ボランティアでは色々な経験をしている。知的障害者で、ある筈のものが無くなる不思議を理解できない方の前では、やっていて苦労する・…など、また幼稚園などでやると、タネが判って「おじさん、そこに見えてるよ」など、ませた子どもに言われることもある。

 

仮にタネが見えたとしても、大人なら半分お世辞で驚いたふりをしてくれるが、子どもは正直だ。それは、しかし演技をやることによって、初めて体験することである。自分で、ではどうしたらいいのか、どのような演出をしたらよいか、夫々の経験をもとに積み重ねていくのである。お祭りなどでは、人がざわざわ集まっているが、そんな場所で見せるのは、どんな出し物がいいのか、勉強の材料には事欠かない。

 

私は満州で生まれて、戦後引き揚げて山形県で暮らした。高校を卒業したのち神奈川県の川崎市に移った。バス会社に就職して、現在は子会社の旅行会社に出向して、経営者となっている。旅行に同行して、お客さんにマジックを見せたりして、これはビジネスではないが、楽しんで戴いている。

                                

以前、サンケイ学園の奇術教室へ奇術を習いに行ったことがある。東京アマチュア・マジシャンズ・クラブの坂本種芳先生が講師をやっておられたが、その時ゲストとして、横浜のサンケイ学園に入園した。そして、一年後には助手となり、その後自由が丘の学園を講師として十五年間担当した。その中で、大勢の生徒になった方々との出会いがあった。

 

大手町のサンケイ学園でも、色々な出会いがあったが、手品をやっていなければ絶対に出会いがなかった方々もいる。渡部という鉄工所の社長さんは、もっと、もっと教わりたいというので、お宅まで出張して教えに行った。渡辺さんはテレビの奇術を見ても、職業柄仕掛けがすぐわかる。あれは、こうすればいいという意見がすぐ浮ぶ。

 

いまや、日本のマジック界のプロ使う道具類は、ほとんど渡部定次(八十数歳)さんの手で作られている。そればかりか、自分で作った道具で、自分で演出して奇術をしているほか、プロ用の道具を考案して、新しい手品を次々に発表している。マジック界では、知らぬ人はいない存在である。

 

同じ教室の大島さんは、会社をリタイアしてから故郷の鹿児島に帰り、九奇連(九州奇術連盟)を作って活躍している。時々全九州における活動ぶりをビデオにとって送ってくる。私のほうも、近況ビデオをお返しするという交際があって、実に楽しい。

 

倉成元外務大臣は、東京マジシャンズ・クラブのメンバーである。クラブの発表会などでは、倉成先生は政務多忙であるから、秘書の方と出演時間の打ち合わせするのが、大変であった。しかし、決めた時間には、ちゃんと現れて演技をされた。外国へ出かける際には必ず小物を準備して、要人と会談をする前にマジックを見せ、場を和らげてから始めたという。

 

将棋の名人・木村義雄さんもクラブ・メンバーであった。普段は聞けないような、将棋の裏話をよく聞かされた。お医者さんでマジックの好きな方が多い。イカキーズ・クラブというお医者さんだけのクラブや、弁護士さんのクラブなど、各職業別のクラブがたくさんある。

 

大学のマジック・サークルも盛んである。慶応マジック・サークルほか、ほとんどの大学にある。東京マジシャンズ・クラブは、何故か慶応出身者が多い。マジックを通して、横のつながりが深くなることは、趣味の集まりではあるが、実に有り難いことである。

 

昭和四十九年一月二十三日、東宮御所において当時は皇太子だった現、天皇陛下のご前で奇術を披露したことがある。マジックをやっていなければ、私ごときが生涯そのような晴れがましい場所に、入れるはずがない。その時は、そう思わなかったが、今にしてつくづく有り難く思うのである。

 

その時の情景を思い出す。東宮御所の前で車をおりて、やや緊張して門をくぐった。上演するホールで、最初にリハーサルを行う。同時に映画どりをする。終わって本番となる。

 

陛下は、すぐその辺にお座りになってご覧になる。出し物一回ごとに、拍手をされる。わが父は、もと近衛兵であったこともあって、私は非常に嬉しかった。特別のお言葉はなかったが、大拍手を戴いたあとに、木盃を賜った。これは我が家の宝として、神棚に飾ってある。

私は趣味として、ビデオ撮影も行っている。講師を呼んで、技術論を聞くだけではなく、私が住んでいる稲城市の文化を残すという目的を持って、ビデオ撮影に取り組んでいる。稲城市もどんどん都市化が進んで、変化が著しい。もとの稲城はこうでしたよと、次の世代に伝えなければならない。八名の会員とともに、がんばっている。

 

三年前に、計らずも松下視聴覚財団から、作品に対して助成金を戴いた。その助成金によって、作品を市に寄贈するともに、ビデオ編集に必要な機材、タイトラーや、エフェクターも設備し、文字を挿入したり、音楽を入れたり、フェイド・アップ・ダウンなどができる編集機能が向上した。

『稲城の梨』という題で、稲城名産の梨の歴史をビデオで編集したことがある。それをご覧になった稲城第五小学校の伊藤教頭先生から、「歴史ではなく、梨がどうやってできるかを、ぜひ撮って欲しい」と要望された。『稲城の梨』は一年間に渉って撮影したから、その中から切りとったものを十七分に編集して、ご要望通りのビデオを作って非常に喜ばれた。

                              

このビデオは、稲城市の学校の教材になっている。むかしは、梨の自然受粉はハチの役目であったが、現在は、ボンテン(刷毛)を持った人の手で交配作業が行われている。花粉そのものをどのように生産するかまで、撮影できた。

      

お父さん役のナレーションは先生の担当である。子ども役は当然、生徒である。子どもの質問に、お父さんが答える形で画面が進行して行く。我々の手作りのビデオ作品が、教育の場でも活用されているとは、遣り甲斐があることである。一年に一本作成をグループの目標にしている。

 

自分の趣味の作品は、随時それぞれで撮影する。また春は日帰り撮影会、秋は一泊撮影会をして技量向上に努めている。ビデオ編集は最近、パソコンを使って、実に簡単にできるようになている。会社を辞めたら、パソコン編集を研究していい作品を残したい。リタイヤ後の人生は、パソコンでビデオ編集をやり、手品にはさらに没頭し、もっと楽しく過ごしたいと思っている。

☆さて、私の話はこの位にして、今晩のパーティに間に合う手品を教えます。

用意してきた演目は、

  1. カレンダーの予言。
  2. 数字の予言
  3. マッチモンテ
  4. テッシュペパー
  5. コインマジック
  6. カード(4枚のエース・取ったカードを当てる)
  7. ロープマジック
  8. その他(千円札にボールペンで穴をあけ、元通りにする・…)

                                  終わり

                            (文責 三上卓治)

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