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今週(7/8)の雑学大学は、青山 徹さんの「国際語としてのエスペラント」でした。青山さんは、学生時代から約40年間エスペラントに親しみ、世界各地での大会に出席され、世界中に同好の知己がおられます。現在、世界エスペラント協会専門委員、日本エスペラント学会会員。世界的に有名なエスペラントですが、判っているいるようでよく判らない部分を、やさしく解説して戴きました。

 

★ エスペラントとインターネット

 今日お集まりの皆さんの年配だと、エスペラントとは、大体どいうものかお分かり戴けているが、最近の若い人に「エスペラントを知っているかい?」と質問すると、「それ食べられますか?」とか、「どんな色ですか?」と逆に聞かれたりする。英語の教科書に載っているものもあるが、それほど多くはないから、大方はエスペラントの存在を知らない。

 

エスペラントは国際語であるから、世界的に使われることを目的としており、またインターネットも国際的そのものの存在であるから、この二つが融合するときわめて便利になる。実際我々はそのような使い方をしている。今日はその一端をコンピューター⇒テレビでお見せしたいと思う。

 

最初にエスペラントの演説。この声を、どこかで聞いた記憶があるはず。ローマ法王の演説である。ローマン・カソリックはポーランド人が法王になるケースが多いが、いま演説中の法王ヨハネ・パウロ二世で、やはりポーランド人である。エスペラントの創始者、ザメンホフ(18591917)もポーランド人である。

 

今のローマ法王の発言は、音が綺麗でエスペラントのモデルとなっている。クリスマスや新年には、法王が祝福のお恵みを四十数カ国語でする慣わしがあるが、その中のひとつがエスペラントである。昔は短波放送で聞いていたが、いまはインターネットで聞くのが音も綺麗で流行(はやり)である。

 

ポーランド放送局は、エスペラント放送をアナログで継続しておこなっている。法王の次は、ポーランド人のエスペラント放送である。方言というほどでもないが、話すスピードやイントネーションが微妙に他国人と違っている。

 

次にチーナ・ラディオすなわち中国放送のエスペラント。ポーランドとスピードに差があって、本場ポーランドの方が圧倒的に速い。中国の短波放送は、日本でもよく聞こえるので、エスペラントのヒアリングをこれで慣れてから国際会議などに出ると、機関銃のような早口でまくし立てるエスペラントに遭遇して、ほとんど聞き取りができない。

                          

その速いスピードの会話で、冗談を言われて周りがドッと笑うが、聞き取れない日本人だけが、キョトンとする場面もある。エスペラントというのは世界的で、とくに最近ではインターネットやテレビ、ラジオ、CDなどによりエスペラントは統一傾向があるが、その中にも各国の言葉自身がもっている特性が現れる。

 

たとえば、日本人は「R」と「L」の発音の区別ができないと指摘をうける。「BU」「VU」=「ブ」はあまりうるさく言われない。そのような問題はあるが、ラジオ放送やインターネット、ホームページを通じて非常に便利になっている。

特に電子メールは1通1、2円で、ポーランドでもドイツでもブラジルへも瞬時につく。今までは封書に110円の切手を貼ってポストに入れ、それが到着するまで1週間も掛かっていたが、インターネットでは瞬時に届いてしまう。ブラジルは日本との時差が12時間で、ちょうど夜昼が逆なので、今日送ったメールの返事が翌朝に来ている。これを一生懸命やっていると、疲れてしまうので、ときには放置して手抜きをすることもある。

 

エスペラントの生い立ち

エスペラントはポーランド人のザメンホフの発明(1887)である。100周年記念の世界大会がワルシャワで行われた。東ヨーロッパはソ連の崩壊によって、1990年に自由主義経済に移行したが、それまでは共産主義圏のなかにあって、英語は使用しにくい環境だった。主流はロシア語、またはその他の言語であった。

 

東欧諸国はソ連経済圏の中にあったが、ソ連に対しては恨みこそあれ、親近感があるわけではないので、第三の言語はエスペラントということになり、補助金を出したりして奨励した。ポーランドでは、エスペラント協会がビルをもつほどの待遇を受けていたが、90年以降は利益を生み出さないものへのチェックが厳しくなるなどの改革が行われて、全体として現在は低迷している。

 

中国でも、中華人民報道という画報が出版されていたが、最近になって廃止された。エスペラントによる中華人民報道も、同時に廃止された。エスペラントの場合は廃止されたが、全部ネット化されて継続されている。最近の市場経済は、金のかかるものはなるべく止めるという動向にあるが、エスペラントは直接利益を生むものではないので、世界的に補助面では厳しい現実に直面している。

 

テレビに新宿区早稲田にある日本エスペラント学会の写真。

日本のエスペラント運動の本拠地である。私は火曜日と金曜日に、ここで機関誌編集のボランティアをしている。ウィンドウズでテキストを作り、マックで編集するという作業をしている。

書籍売場。

数千種類の書籍の在庫がある。

 

世界的にも、ビルをもっているのは、むしろ珍しい部類に入る。もともとは、御茶ノ水にあったが、旺文社のユースホステル協会敷地と交換して早稲田に移ったものである。一時は3,000人ほどの会員がいたが、今は1,400人しかいない。

冒頭に述べたように、エスペラントの名称さえ知らない若者が増え、一方熱心な人は世を去り、そういう結果である。しかし、エスペラントのホームページを見て、存在を知ったという人も逆に増えている。ホームページを見て、emailで資料請求するパターンである。

 

エスペラントの言葉の仕組み

ではここで、エスペラントが、実際にはどいうものかをお話したい。

フランス語のPONT(ポン)は「橋」という意味だが、エスペラントはヨーロッパ語中心の組み立てになっているから、OをつけてPONTO(ポント=名詞)と書いて「橋」となる。これらのことはWeb上に載っているから、無料で勉強することができる。

 

エスペラントは原則として、単語の末尾にOがつくのが名詞である。

HOMOは「人間」を表す。ラテン語のホモサピエンスのホモである。サピエンスは賢いとい意味であるから、本来の意味は「賢い人」である。

 

 

LIBRO(リブロ)は「本」という言葉である。池袋などにリブロという本屋もある。

PANOはパン。BELAはベラ化粧品というように美しいという意味。

英語のHaveに当たるのがHavas。ASをつけると動詞の現在形になる。ついでな

がらAがつくと形容詞になる。語尾につく文字によって品詞がわかるような仕組みになっている。

シェクスペアの詩などは他の言葉に直すとき、極めて難解である。倒置法とか韻などの約束事があるからだが、エスペラントの場合は語尾で判断できるからあまり問題はおきない。英語民族でない人で、エスペラントにして初めてシェクスペアの詩の意味が分ったという人もいる。

たとえば代名詞など、Iに当たるのがMi、Weに当たるのがNi

形容詞に名詞をつけた場合、両方に語尾がつく。

「きれいな本」=Bela Libro。複数にするときはjをつけてBelaj libroj

目的格のときはnをつける。「きれいな本を」の場合はBelan Libronとなる。

 

このような言葉の仕組みを説明すると、エスペラントはいかにも人造語のニュアンスを残すようだが、実際どの国の言語でも多かれ少なかれ、このような約束ごとはあるのだ。フィンランド語などは十六世紀以降に体裁を整えた言葉であるし、ヘブライ語も、千年以上使っていない言語を復活させたものである。

 

当初、約束事に違和感があっても、言葉は長く使っているうちに、なじんで来る。言葉に関していうと、ザメンホフの時代には、人工衛星もテレビも存在しなかったから、これに当る言葉はなかったが、「物」が出来てくると、その「物」に対する言葉が出来てくるものである。また、それらの言葉に英語が多すぎるとフランスあたりから、文句が出ている。

 

もう一度ホームページに戻って、

さっき聞いてもらったポーランド放送は、Real playerでそのまま聞き流すこともあるが、FTPでダウンロードしてハードディスクに取り込み、あとで再生してゆっくり聴くことが多い。

 

エスペラント世界大会

 

この画像は84回世界エスペラント大会(1999年)に参加したときの記録である。(青山徹で検索するとホームページ「青山さんち」が出てくる)私はゴミ箱が好きで、あちこち撮ったものだが、これはドイツのゴミ箱。ちょうど、会社が定年になった年である。昨年はテルアビブ(イスラエル)で世界大会(2000)が行われた。

 

イスラエルとヨルダンは、ご承知のような関係であるから、日本からの海外旅行でも行く先がイスラエルも、ヨルダンもあるが、両国を同時に訪れる企画の旅行は絶対にない。去年の世界大会は、それを行った。両国ともエスペランチストも大勢いて、個人的には仲がいい。

大会も全く問題がなく終了した。ところが、1ヶ月も経たないうちに関係が悪化して、戦争状態に入ってしまった。エスペランチストが訪れた最後の機会になったようだ。今年は、クロワチア(旧ヨーゴースラビアの一部で、最初にユーゴースラビアから離脱した国)のザグレブで行われる。

 

私は今月20日に、それに向け出発する。来年はブラジルのフォルトレザー、そのあとがスエーデンのイエテボリーに決まっている。世界大会は毎年一度行われるが、2006年に日本でやらないかと、打診されている。1965年に一度、東京で行われた。大手町の農協会館と上野の東京文化会館が会場であった。

 

朝日新聞などで、当日の世界大会の模様が大きな写真入りで報道される予定であったが、大阪湾でタンカーが沈没する事故があり、記事が全部差し替えになった。記事が出たことは出たが、小さい記事になってしまった。その当時と状況も変ってきているので、もう一度日本でという話になっている。

 

アジアでは北京、ソウルでも世界大会が開かれたことがある。アジア大会は三年に一度開かれるが、来年はソウルの予定である。では、日本ではどういうことかというと、1999年の長野県佐久郡望月町で全国大会があり、2000年には熊本市で行われた。今年は、10月に宝塚市(兵庫県)で行う。

 

国際青年大会は、世界エスペラント大会が行われる国か、あるいは近くの地域で行われる。青年大会と銘打っているが、年齢は特に関係なく自分が青年だと思っている人は、誰でも参加できる。ただし、会場はデラックスなホテルではなく、学校などを借りて宿泊する。その代わり、夜はドンチャン騒ぎが展開される。

 

日本のエスペラント

 

日本で、最初にエスペラントを普及させたのは、二葉亭四迷である。

二葉亭四迷は、シベリヤでエスペラントの話を聴き、帰国して「世界語読本」を書いた。これが、わが国最初のエスペラントの教科書である。お見せするのは、日本エスペラント学会にあるもののコピーである。

 

世界的には、トルストイがエスペラントに理解をもっていた。しかし、その当時はツアー(帝政)の政治体制だったので、ロシア国内のエスペランチストは左翼視された。二葉亭四迷も宮沢賢治も、自分の文学を世界中の人に読んでもらうためには、エスペラントがいいと考えた。

 

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は、タイトルをエスペラントで書いている。宮沢賢治はどのくらいエスペラントを勉強したか。これは肉筆の原稿の写真でるが、縦に日本語の文章が書いてあり、端に俳句と横書きのエスペラントの訳が書いてあり、勉強のあとが偲ばれる。しかし、内容はそれほどでもない。

 

現代では、数十ヵ国語を話すという民族学者の梅棹忠夫先生がエスペランチストである。民族学とは、まず研究対象の民族の中に入りこむ。そこで、何ヶ月でも一緒に生活をする。その中から習慣、言葉などを拾い出して、それがどのように発達して現代まで来たかを検証する学問である。

 

梅棹さんは、そのように民族学を研究するが、言葉が最も大切であるという。しかし、一つの研究が済んで次の民族に接する際は、前の言葉は忘れるのである。言語としては、英語、フランス語などは身についているが、日本語とエスペラント以外の言語を話すときは、必ず通訳をつける。

米沢冨美子慶応大学理工学部教授は、日本の学会で初めて(日本物理学会)女性の会長になった人である。京都大学エスペラント研究会で夫と知り合い、結ばれたという経緯の持ち主で、今年行われる宝塚の全国大会では、同教授が記念講演をする予定になっている。このように、知っている人は知っており、やっている人はやっているエスペラントであるが、全体的には比重がまだまだ小さい。

 

エスペラントのメッカ・ポーランド

昨年、エスペラント関係者が企画したツアーでポーランドへ旅行した。ポーランドは創始者ザメンコフの母国であり、エスペランチストにとっては、ある意味でのメッカである。

その時の画像。ザメンホフの墓、生誕地ビアリストックの街。ワルシャワ市街、ポーランドのゴミ箱。スエーデンのゴミ箱(両者は巨大なスケール、色による分別など共通点がある)。ドイツのゴミ箱(クレーン車で吊り上げ、空箱と交換。ゴミは工場で分別する仕組み)。これは自分の仕事の関連調査。

 

本題に戻って、ワルシャワのエスペラント協会が入っている建物。以前は建物を丸ごと使っていたが、現在はその中の一室のみの使用。コカコーラの真っ赤な布地の宣伝が、全壁面を占めている有名なホテル。ユダヤ人墓地にあるザメンホフの墓。彼の父母の墓もあるが、子どもたちの墓はない。ナチの台頭と時期が重なり、虐殺の対象となってしまった、

コルチック先生と子どもたちの像。ナチのために子どもたちがガス室に送られとき、先生は対象外だったが、子どもたちとともにガス室に向かった。ビヤリストックの街。ザメンホフが生まれた、この街のエスペラント語のホームページ。現在ビルが建っている場所で、ザメンフホフが生まれたとある標識。

ザメンホフの胸像がある公園。ただし、説明書がなく、周りの人もよく知らない状態なので、日本人が中心になって整備しようとする動きがある。1990年以前、ここに壮大なザメンホフ公園を作る計画があったが、東欧政治体制が崩壊してしまったので、計画もご破算となった。ビアリストック市は歓迎している。

 

 

ベルリン世界大会

ベルリンのソニー・ブラザ建設風景。珍しいトンボ型クレーン。ベルリンの壁の裏側。郊外の国際会議センター。1999年、エスペラント世界大会が行われ、65ヵ国から2,700人以上集まった。圧巻は、2,700人の異国の人が同時通訳なしに会議ができることだ。

エスペラントは、それを学ぶ人はすべて一からスタートする言語であるから、これ以上の公平はない。とはいうものの、この言語の基礎はヨーロッパの言語になっているから、中国、韓国、日本などの漢字文化圏の人は、若干不利になることは否めない。単語はすべて新しく覚えなければならないが、ラテン系の単語からの連想ができるから、ヨーロッパ言語系の人は上達が早い。

国際会議センターの世界大会の開会式。

ナショナル・イブとしてドイツの古典舞踊のパフォーマンス。

閉会式。舞台に飾られた旗はEUの旗と、ドイツの旗。ベルリンの旗の3本。

 

青山 徹のホームページ

http://homepage1.nifty.com/aoyama-t

日本語とエスペラントの併記となっている。

日本のコンピュータには、日本語の活字が入っているから、私の文章が読めるが、外国のコンピュータでは当然文字化けになり、それが読めない。そのためエスペラント併記にしている。

ホームページの更新には、なにかきっかけが要るから、「私の月記」というタイトルで、その月の情報を載せることにしている。月に一度、何かを書いている間は、私は健在である。

 

画像は、71日に調布で行われた関東エスペラント大会。

リンク集に神田雑学大学。目黒自然教育園。吉祥寺村立雑学大学。荒川治水資料館(青山 士氏、パナマ運河建設に参加したただ一人の日本人、エスペラントで書かれた碑がある)。

 

ヨーロッパ経済圏が統合されることは、新しい言語を必要とすることになる。もしEUが新しい言語を採用するとしたら、エスペラントになる可能性が十分にある。といっても、エスペラントの思想はその国家本来の言語は大事にして、国際共通語として用いるということであるから、この場合、ヨーロッパ中が新しい言語になるということではない。

 

では実際に、世界でどのくらいエスペラントが使われているだろうか。その前に、日本のエスペラント人口は約10,000人である。世界では確かなことは判らないが一応1,000,000人と言われている。世界総人口に60億人に対する比率は微々たるものだが、しかし、同好の士のネット結束は非常に強い。

 

世界エスペラント協会には色々な専門委員や都市代表などがおり、役割分担が細かく分かれており、何か調べものをするときは、きわめて迅速に情報収集ができる。パスポートサービスというのもあって、若い人などが世界旅行をするときにこれを利用すると、家に泊まってもいいという返事がすぐ集まる。世界数十ヵ国を、宿泊費はほとんどタダで旅行することができる。

 

エスペラント界が最近力を入れているのは、エスペラントにインターネットを如何に取りに取り込むかということである。無料のインターネット講座もあるし、若い人にも分かってもらえる読み物や、ザメンホフの評伝なども流して普及に努めている。国際語としてのエスペラントは、インターネットの普及によって、新たな可能性が出てきたからである。

                                 終わり

                            (文責 三上卓治)

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