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12/09
の雑学大学は、ほしひかるさんの「そば談義No.3」でした。ほしさんの講演分野は、古代史から、民俗学(獅子舞・祭り)、蕎麦など、広範囲にわたっていますが、それがすべてからみあって最後には、エッセイという文化情報として保存されております。いずれの日にか、「本」として出版市場に現れるのではないかと、期待されるものであります。
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私が吉祥寺村立雑学大学で、最初にお話したのは1990年である。今年は2001年であるから、12年目となる。毎年1回お話しているが、ある年だけ2回のことがあったので、都合13回登板した。1990年は確か午年で、来年でちょうど十二支を一巡りしたことになるが、私の素人談義も今回でおしまいにしたいと思う。充電したのちに機会があれば、またお目にかかりたい。
私は、サラリーマンをしながらエッセイを書いている。歴史に関心があり、なかでも古代史に興味があって、その年に歩いた遺跡をテーマに書き残したり、ここで話をした。そのうちに歴史のなかで、自分との繋がりを求めるようになり、自分の苗字の由来などを調べ、その方法をお話した。
そして、どうせ旅をするなら、その土地のイベントがあるときに行った方が面白い。祭事や民俗芸能の話は、そういうキッカケであった。旅のついでに、昼食は生来好きな蕎麦を食べることにした。すると、各地で食べた蕎麦について話をするという風に繋がり、蕎麦の食べ歩きの講座となった。
という経緯を申しあげると、吉祥寺村立雑学大学は私の人生にとって、重要な位置付けにあり、世話人のお二人をはじめ、私の話を聞いてくれた雑学大学の皆さんのお陰と、感謝しなければならない。
では、ここから蕎麦談義の第3回目の話を申し上げる。
私は、仲間
10名くらいで蕎麦を食う会を結成している。その名を「河漏会(かろうかい)」という。発足2回目、神保町の「出雲そば」で会をもったとき、「河漏」という額に入った書を見た。どういう意味かと主に訊ねたら「昔、中国では蕎麦のことを河漏といった」と言う。それがあって、その場で会の名前は「河漏会」となった。
念のために調べると、確かに昔は日本でも蕎麦のことを河漏と呼んでいたとなっている。でも、なぜ河漏なのだろうか。分からないままである。知り合いの中国の人に訊ねても、「知らない」と言う。ほんとに河漏とは何だろう。
河漏会は、年に2回の新蕎麦の季節
(春と秋)に自分たちで蕎麦打ちをする。
仲間の一人に早くから蕎麦打ちをやっている人がいるので、その人のコーディネートのもとに行うことにしている。
今年の秋は、鎌倉・建長寺の塔頭で蕎麦打ちを行なった。 周知の通り、建長寺は鎌倉五山の一つである。鎌倉五山というのは、足利義満のときに定めた臨済宗鎌倉五大寺、建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺をいう。なかでも建長寺は五山の筆頭である。建長寺は北条時宗の父、時頼が道隆(どうりゅう)を開山として創建した由緒がある。
なぜそのような名刹の厨房で蕎麦の会をすることになったか。
蕎麦は「蕎麦切り」というのが、本来の名称である。多分、江戸時代の初めごろに朝鮮の坊さんが、わが国に伝えたものである。つまり、最初、蕎麦は寺に伝わった。そのためだろうか、蕎麦と寺は雰囲気が合う。だから、私たちは寺で蕎麦を打つことに憧れていた。
そこに先刻申し上げた世話人の方が、この寺の住職さんと懇意にしているというので、ご無理を願って厨房を使わせてもらうことにしたわけである。
蕎麦は、挽きたて、打ちたて、茹でたてが美味しい。挽きたてというのは、粉を挽いたばかりということだが、実際問題として素人に「挽きたて」は難しい。せいぜい、信用のある蕎麦粉屋から買ってくるしか、方法はない。日頃、蕎麦打ちをしていると、自然に粉の良し悪しが身についてくるから、いい粉屋を選べるようになる。
打ちたては、作りたての意味であるが、なぜ蕎麦は打つというのだろうか。
蕎麦を打つには、「一鉢」「二伸し」「三包丁」という語路合わせの順番がある。 鉢とは、木製の直径
40cmほどの漆塗りの鉢。鉢に蕎麦粉を入れ、こねる。 粉は蕎麦粉八割、つなぎが二割の割合が、一番やり易く、美味しくできる黄金比である。これが素人向きの粉の調合である。河漏会のメンバーは
10人である。しかし、勤め人も多いので、常時集まる人数は6、7人であるが、建長寺の当日は、集まった4人分の蕎麦を打った。 蕎麦粉400g、つなぎ100gを鉢に入れて、山盛りにしたのち、頂上を凹ませる。水は
250ccを4回に分けて入れるが、まず250ccの半分を頂の穴に注ぐ。すると、蕎麦の香りが辺りに漂う。 蕎麦の香りは、まるで春のように薫る。この香りが蕎麦を打つ者には、こたえられない。無上の喜びである。
蕎麦は香りというけれど、食べるときには、そんなには香らない。喉越しにする香りは、時間にしたら
0,1秒くらいのものだ。しかし、蕎麦打ちの水を注いだときに漂う香りは、比較すれば10分間ぐらいという感じである。
水を入れたら直ぐ掻き混ぜる。水は様子を見ながら最初に半分、次にまた半分と足して掻き混ぜる。これを水廻しという。段々に、蕎麦粉は仁丹の粒のような大きさに丸まる。さらに続けると、パチンコ玉の大きさになり、それがそれぞれ密着してゴルフボールのようになって、最後はソフトボール大ぐらいになる。
ソフトボール大になったら、鉢の中で練る。焼き物の土を練る作業と似ているといわれるが、蕎麦の玉を包むように、畳むように練る。ここまでが「一鉢」の領域である。
次に「二伸し」である。言葉通り「伸し棒」で伸していく。蕎麦の玉を平らに伸して、幅
90cmの板状にする。それを4つに畳む。
「三包丁」は、それを一定の幅に裁断する作業である。
90cmの幅にするのには、訳がある。これを四つに畳むと約23cmとなる。蕎麦は、23cmくらいの長さが理想的と言われている。もっと、伸ばすと40cmくらいの長さになるが、これはプロでなければできない。
また、麺の太・中・細は包丁の角度によって決まる。
余談だが、乾麺の、うどん、そうめん、ひやむぎ、蕎麦のうち、大体うどん、ひやむぎの方が長く、そうめん、蕎麦は短くて
20cm前後である。うどんの理想的な長さは約30cmであるが、多分、うどんは温かくして食べることが多いからであろう。蕎麦、そうめんは冷たくして食べることが多いから、20cm程度が食べやすいからではないか。
自分の調査では、麺類は一般に、女性は温かい麺を食べ、男性は冷たい麺を食べているように思う。理由は判らないが、女の人は上品に、ゆっくり食べる。言葉を換えると、音を立てないように食べる。男は、あたりかまわずガガガガと、あるいはツルツルツルと音を立てて一気に食べるから、そうなるのか。
敢えて分類すると、男性は冷たい麺の蕎麦派。女性は温かい麺のうどん派になる。
さて、次が「茹でたて」である。たっぷりのお湯が沸いている大きな鍋に、蕎麦を入れ、泳ぐに任せて、あまりかき混ぜない。できあがったら、水にさらして笊に取り、水を切って直ぐいただくのが、茹でたてのイメージである。そのように蕎麦打ちを実際に行なうことで、満足度がさらに高まる。
なお、包丁裁きがまちまちだと麺が太・中・細とバラバラになる。そうすると茹でにムラが出るからご注意。
蕎麦を食べるに際して、大切なのは「汁
(つゆ)」である。決して「しる」と言いってはならない。蕎麦に対しては、草の葉にひっそりと溜まる「露」でなければ、美しくない。「つゆ」は「だし」と「かえし」で作るが、河漏会の「だし」専門家の話をつぎに披露する。「だし」水2リットルの場合。荒鰹節
60g(食べる二日前に準備)。「かえし」醤油
500cc、砂糖90g、味醂90cc(食べる二週間前に作り、当日持参)。たかが蕎麦だが、「だし」にこんなに手がかかるとは、あだおろそかに食べられないのである。また、その御仁の講釈では鰹節は何処どこがいいとか、何がどうとか、この世界も趣味と同様、のめりこむと切りがない。
蕎麦は、ツルツルと食べて前歯で噛む。あとは飲みこむから、ツル・カメ・ツル・カメの語路合せまである。飲みこむようにして喰うから、蕎麦屋には爪楊枝が要らないのだと粋がる人もいる。
あちこちの店へいくと、楊枝ひとつにしても、こだわりを感じる店がある。何がいい楊枝かというと、先の方が使っても割れたりしないのが、上物である。固くはないが、針のように尖がって形がよく、全体がしなやかである。
そんなわけで蕎麦を食べる音はツルツルと表現した方がよい。小説や随筆などに書かれたものを読んでも、「蕎麦をズズズと喰う」なんて書き方をしたものはない。ズズ系の濁音は、音として美しくないから、使われないのだろうか。多分、日本人の美意識がそうさせるのだろう。
ところで、麺類を食べるときに、音をたてるようになったのは、明治になってからという説がある。それまでは日本人も、あまり音をたてないで食べていたらしい。明治になってから、ある落語家が蕎麦の話をして、ツルツルツルと食べっぷりをやって見せた。そこから蕎麦は、音をたてて食べることが流行ったともいう。
もうひとつ余談。先ほどの建長寺の坊さん曰く、禅宗の修行のひとつに、食事の際に一切音を立てないで食べるというのがあるが、蕎麦だけは音を立ても宜しいと認められている。蕎麦は世界で現在、音をたてて食べるものと認められているのではないか。
では、次に蕎麦の「腰」って、一体なんだろう。
日本人なら「腰」といえば、大体の人は判るのだが、よく考えると難しい。 英語では何というか不明であるが「柔軟であるが、弾力性に富む」という感じである。
以上が、蕎麦打ちの話です。
以下からは雑談に入る。
蕎麦には「藪」と「更科」があり、「温かい」と「冷たい」があり、太さにも「大、中、小」がある。 「藪」は甘皮が入った黒い蕎麦粉を用い、「更科」は、甘皮を取り除いた白い一番粉を用いて作る。これまで、食べ歩いて最も白かった蕎麦は、神楽坂の「高砂」である。蕎麦が雪のように真っ白だった。芸術品の領域であると思った。
「更科」は、毛利の殿様が蕎麦を食べたいというので、「更科」の初代が庶民の蕎麦を供するのは恐れ多い、上品にできないかと考えて、甘皮を外して蕎麦を作ってみたら、白いきれいな蕎麦ができた。といういわれがあり、またの名を御前蕎麦と称する。藪は、文京区の藪下通りの「藪」から発している。関西系では「砂場」がある。それぞれルーツの特徴を持っているが、現在は入り乱れて、蕎麦の種類も混在している。
「つゆ」には、甘めと塩っぱめがある。蕎麦は江戸育ちだから、塩っぱめが主流である。自分の生まれが九州だから、一般的な好みからすれば、甘めであるが、蕎麦だけは塩っぱめがいい。
落語に、ざる蕎麦には「つゆ」をちょっとだけつけてすする、というのが通の食べ方だと聞いて食べていた男が、死に際に「つゆ」をたっぷりつけて食べたかった、いい残したというのがある。それは江戸の「つゆ」が塩っぱいから、そうなったとか。一説には、「蕎麦は悠長に食うもんじゃねぇ。早く食え」という意味だともいわれている。
塩っぱめの「つゆ」がたっぷり残っていると、蕎麦湯を飲むときに、まだ塩っぱくて飲めないことがある。店によっては、猪口になみなみと「つゆ」を入れてくる所がある。仕方なく「つゆ」をコップに分けてから、蕎麦湯を注いで飲むことにしている。もう少し、お客の気持ちを考えて欲しいものだ。ちなみに、前述の「高砂」では、蕎麦湯用の猪口は別に持ってくる。
蕎麦湯にも、上澄みと底湯とがある。
これにも好みがあって、上澄みのさらっとした湯が好きな人もあれば、底のどろりとした蕎麦湯の好きな人もいる。
蕎麦湯の器は、「湯桶(ゆとう)」という。よく見れば丸い筒形のものと、四角いものがある。最初の頃の「湯桶」は四角い形だったようだ。漆の黒塗りもあれば、朱塗りもある。
「猪口(ちょこ)」は、酒のちょこと同じ字を書くが、朝鮮語が日本語化したものである。これも木の器、白磁、陶器など色々である。江戸時代は伊万里焼が蔓延して、蕎麦猪口というと白磁に青の絵柄の伊万里であった。自分の好みには、陶器の猪口が合っている。
「薬味」は、葱と山葵(わさび)が主流である。
もともと、薬味はたくさんの種類があった。醤油が市中一般に使われるようになったのは、江戸後期であった。それ以前は、味噌のたまりに大根のしぼり汁を混ぜて食べた。もともと大根は辛いものだった(今の大根は品種改良して、辛味があまりない)。それに胡麻や山葵を入れて、薬味とした。
醤油が庶民にも行き渡るようになり、また醤油が美味しい調味料であったために、薬味として余計なものを入れなくなり、葱と山葵が残った。
今でも、蕎麦屋によっては薬味に大根おろしが、ほんの少しついてくることがある。あれは、その名残りである。
名残りというと、ロマンチックな響きがあるが、別のいい方をすれば「形骸化」しているとなる。名残りとすれば、大根おろしは伝統の継続であるし、形骸化といってしまえば、単なる飾りとなる。たかが大根おろしではあるが、光りの当て方で、様々な見方ができる。
薬味の葱に、ある人が、気がついた。お店で食べる蕎麦の薬味につく刻んだ葱は、白い部分が多い。しかし、出前で取った蕎麦の薬味の葱は、なぜか青い部分が多い。そこで、ある薀蓄のある蕎麦屋に聞いてみたら「伝統的にそうしている」という答えだった。細かいことに、気がつく人もいるものだ。ただし、その意味の解説はなかったという。
「薬味」にこだわる蕎麦屋もいる。自分の家
(文京区)の近所の「重ね蕎麦」は、六種類の薬味を出す。谷中の「七福神蕎麦」は、七つの薬味を出して七福神蕎麦を演出している。「蕎麦がき」も美味しい。蕎麦はむかし「蕎麦切り」といったことは、冒頭に申し上げた。蕎麦切りの前は「蕎麦がき」であった。
蕎麦粉にお湯を注いでかき混ぜれば、素人にでも「蕎麦がき」はできる。そばつゆに泳がせて食べる。しかし、自分が食べた「蕎麦がき」は、亀有の「銀八亭矢沢」のものと、神楽坂の「高砂」のそれが最高の逸品である。食すると、とにかく仕合わせ感に満たされる。柔らかくて、絹のような食感なのだ。
「箸」にも店のこだわりを感じさせるものが、結構多い。大体が割り箸であるが、その箸袋に、それが示される。これがあちこちで食べ歩いた記念に、持ちかえったもので、回覧願いたい。
箸の次に「お品書き」。壁に墨書きの木の札でかかっている場合もあるが、大体はテーブルの上に、厚い紙に印刷したメニューが多い。ここで、困るのは「ざる蕎麦」と「もり蕎麦」の区別である。海苔がかかかっていないのが、「もり」であると、一般の認識がある。明治の頃からそうなったらしい。
もともとは、「もり」とは皿に盛るから、「もり」になった。つゆを上からかけて食べる。ざるに載せても「もり」というのは名残りである。
「せいろ」は、せいろで蒸した蕎麦がざるに載っているいるが、これも名残りで、実態は「ざる蕎麦」である。ざるは竹であるから、蕎麦屋の箸は竹の方が合うと思っているが、竹の箸を使っている店はあまりない。
「ざる蕎麦」で有名なのは、浅草の「並木庵」である。この店の「ざる蕎麦」は中央が盛り上がっている。水切れがいいから、そうしているそうだが、一見量も多く見えるが、実は少ない。量の話になるが、大体東京の蕎麦は、量が少ない。大盛りを食べないと一人前にはならない。逆に、地方で大盛りを注文すると、うっかりすると食べきれない量で出てくる。
先ほど、蕎麦は江戸育ちと申し上げたが、蕎麦粉自体は北海道を中心として東北、一般に産地は北の方が多い。しかし蕎麦屋となると、地方の店よりも圧倒的に、東京に美味しい店が多いように思う。蕎麦を作るのは地方で、育ったのは江戸・東京だからではないか。
蕎麦屋が地方でトップになると、競争が少ないからその地位に安住してしまう。
東京は競争が激しいから、そこで勝ちぬくための工夫が、蕎麦を美味しくしているともいえる。辛辣な意見で恐縮であるが、実際問題として東京の蕎麦屋には美味しい店が多いのである・・・・…。
さて最後に、河漏会は続けてもう3年になるから、例会は
90回を越える。そのなかで、鎌倉五山筆頭の名刹、建長寺のある塔頭の厨房で自ら打った蕎麦を食するのは、特別の気分であった。
この後、お世話くださったお尚さんから、建長寺の由来などを有り難く拝聴した。打ち立て茹で立ての蕎麦を喰いながら、いっぱい飲みながらであったが、禅宗とは何かという話も伺い、記念すべきの会のひとつとなった。
いや、それ以上に、こちら「吉祥寺雑大」で話する機会をいただいたことに、感謝・感謝・感謝です。ありがとうございました。
終わり
(文責 三上卓治) [ホームページに戻る]