
今日(4/18)の雑学大学は、鈴木雅和さんの「花づくり、庭づくり、街づくり」
−−英国風景式庭園や花による街づくりコンクールの実例から考える−−でした。
鈴木さんは、農学博士、筑波大学助教授でありまして、芸術学系環境デザインの研究のため、昨年英国の伝統的庭園の視察を行った一端を、見事な写真200枚あまりのスライドによって披露されました。
●私の専門分野はランドスケープと言って、環境デザインの設計である。東大の農学部の果樹園で造園に用いる果樹の研究をしたあと、住宅公団に入り、団地の緑樹環境や公園の設計をした。この近くでは、練馬区の光が丘団地の屋外設計は私が行ったものである。
しばらく、市町村の公園の設計をしていたが、日本の公園は画一的で、なにか足らない。それは何かと考えて見たら、草花がないことに気付いた。そこで花壇を設計したら、市の担当から怒られた。一年草を植えたら年度末には草花が枯れている。会計監査のときに花が残っていないと税金の無駄遣いと指摘されるのだ。
だから公共の公園は、草花ではなく、木を植えなさい。というのが常識だったが、最近はやっと公園で草花を見かけるようになってきた。怒られたことが私のトラウマ(精神的外傷)になっており、何時かはきっと・・・という気分だった。ヨーロッパの公園などを視察すると、どこもかしこも草花で溢れている。
最近、わが国でもイングルッシュガーデンが、テレビ、雑誌、教科書などで紹介されているが、いずれもガーデニングの部分の紹介で、本場の伝統的に行われている造園が語られていないことを感じる。私は昨年、学生達と一緒にイギリスの1700年代から伝わっている代表的な庭園を視察した。
その写真をスライドで上映して、説明したい。最初に紹介しするのは、バース市である。イギリスの、三十数年前に始まった、花による街づくりの非常に成功した典型である。バース市はこの運動が始まって以来、10回優勝をしている。
優勝をすると、次の2回は優勝出来ない決まりがある。バース市は従って出展する度に優勝をしたことになる。バースすなわちBATH。温泉の街である。年間200万人くらいの観光客が訪れ、バスツアーまである。市としても、街を美しくすることのメリットがあるので、当然力を入れている。
まず、公園。色とりどりの草花が咲き乱れている風景。中間色の花が多く、日本原産の「やつで」もあった。賞を取った記念のレプリカを花壇の中に飾る。3回も賞を取ると、優勝杯も取りきりになるのだろう。 街の歩道の花飾り。ペーブメントの外灯風で、一段と大きい台座の上で輝いているデザインの花篭に、いっぱいの花。 ショッピングの人達も楽しそうにおしゃべりをしている。
バース市には、ローマ風呂の遺跡がある。プール大の浴場を囲んで、ロマネスク建築のテラス。お湯を満々の浴場を見物する観光客。
私のゼミの、大学生の修士論文によると、イギリスの花一杯運動は、その源はパリに発している。ある園芸ジャーナリストが戦後のパリを訪れたとき、○○フローラとかいう、パリを花で飾る運動があり、荒廃してしまったパリを蘇らせたのを見て感動し、それをイギリスでもやろうと企画した。
それがイギリスで30都市以上の都市が参加する、花いっぱい運動の一大キャンペーンになったという。訪れたのは、昨年の6月。バースの街は、町中が花盛りであった。町角でフラワーボールを作っている人たちは、みんな市の職員である。
温室で花の手入れをするおじいさんがいた。聞いてみると、元市長であった。イギリスでは市長の職は名誉職で、給料は貰わない。ボランティアで行うから、元々職業を持っている人がその職に就任する。もと市長といっても、政治活動に明け暮れない文化都市だ。市長の職が終われば、もとの職に戻る。
グレニンパレス。1600年代にモールバラ侯爵が、フランス軍を破った功績のほうびに、国王から拝領した土地がグレニン。成田空港の7倍の広さである。その広大な庭園の中に威圧的な王宮風の建物がある。褒美が過ぎるとのではないかと当時、政治問題になったという いわくつきである。 モールバラ家は現在も続いており、当主がここに住んでいる。名宰相チャーチルは当家の出身で、家門の誉れとかで、チャーチル記念館もある。邸宅の周りが幾何学的庭園である。幾何学庭園は、イスラムから発しており、スペイン、イタリア、フランスに伝わり、それからイギリスへ渡ったものだ。
幾何学庭園の先は、イギリスの風景式庭園ができる前の様式の庭園となる。1600年代、鳥や動物の形に刈り込みした樹木などを、芝生などの点景にす様式である。リバビリティ・ブラウンが140年後に大胆に改造した。現在のイングリッシュガーデンの様式が始まりである。いまから260年前のことだ。
オールドガーデン。レンガの壁に囲まれた広場の庭園である。エスパリエといって壁に、樹木が張りついた形に造形する。レンガの赤茶色と、樹木の緑色の配色の妙。HAHAという空堀と隣接する羊牧場。 空堀の1mほどの段差を羊たちは越えられない。緑の牧草地に点在する羊たちの風景。一つの借景だ。


庭園の中の洞窟。グロッコというのだが、グロテスクの語源にもなっているほど、やや気味が悪い雰囲気を醸し出す。1600年代に造った庭園の中のマングルーの大橋。そこに川を作り、滝を流した。巨大な樹木と見まがう、7−8本の木の密集林。素晴らしい造園の技術だ。
16世紀のイギリスは、裕福な子弟の留学熱が盛んであった。その中でイタリアに留学した学生が帰国して、持ち帰った情報に、イタリアの風景式庭園があり、イギリス国内でそれが評価され、次第に広まった。
次に見るハーブウエイ庭園が、その代表的風景式庭園である。 ここは、勝手に入る。もちろん、入場キップの自動販売機はあるのだが、庭園の中では、半日いて誰にも会わなかった。ここは1600年代の幾何学的庭園だったのを、ウイリアムケントが1760年に風景式庭園に改良した。広くて美しい。しかし、ここは犬は入れるが、15歳以下の子供は入れない。
最初にオールドガーデンがある。部屋が連続しているような造り。花だけではなく植物の種類と葉の色彩にまで工夫があり、眺めて飽かさない。庭園の中に孔雀が3羽、放し飼いされている。同行の女子学生が、驚きの嬌声を上げる。尖んがり屋根の、瀟洒な円形の石塔がある。これは鳩小屋だ。

イギリスの庭園の良さは芝生にある。大きな広場の向こうに山々が霞む。広場の芝生の、色の鮮やかなこと。つぎの写真は、1760年代にウイリアムケントが設計したままの状態で、残されている風景式庭園である。

宮殿風の建物の前庭に広がる芝生。これはボーリングローンという名がついている。昔は15本ピンで芝生の上で、ボーリングをした名残であろうか。その先、鬱蒼とした森の一部に穴が空いている。穴をくぐると、本格 風景式庭園となる。遠景に白い像。
白い像は、ビーナスである。距離を置いた対角には、アポロの像が置かれている。ビーナス側からアポロをみた距離と、アポロからビーナスをみる距離感が全く違って見える。逆遠近法という、だまし絵のような仕掛けである。
ここで、我々以外の訪問者二人に出会った。あとにも先にも、この二人だけ。蔦が一杯の壁の前に、瀟洒な長椅子がある。周りの草花に囲まれて、実にいい雰囲気である。わが国ならば、さしづめ、椅子の背中に、興ざめな「明治アイスクリーム」とか「キンチョール」とかが、あるところだ。
次のシシングハースト庭園。 ここへ行くためのバスは、一日2〜3本。バス停からさらに30分ほど歩く。遠いが、しかし、いい気持ちで歩ける。途中とてつもない巨木があったりしてハイキング気分満喫だった。出来たのは、比較的新しく1940年である。
イギリスの不動産の広告を見ていると、4LDK庭園付き(庭園が2ヘクタール)2000万円とか、築780年庭園36ヘクタールつきとかの不動産がざらにある。この庭園は50年前に出来たが、建物は1600年代のものである。したがって、納屋などもビクトリヤ様式になっている。
チケット売り場には客が大勢いた。英国にナショナルトラストが出来てちょうど100年になる。風景式公園などの維持にもナショナルトラストが貢献しているから、会員は庭園入場券の割引(3分の1になる)などの優待を受けられる。ここの庭園の入場料は1500円程度だった。
庭園環境を保つために、一度に入場する人数の制限がある。ただし、15歳以下の子供でも入場は出来る。芝生の刈込が綺麗で、樹木の根元まで芝生が密生している。その芝生に白の野外テーブルセット。何げなく置かれているが、芝生と樹木とファニチュアーの構図が実にいい。

かと思うと、自然のまま(ビルダネス)に放置した庭がある。長く伸びた草は、やはり芝草である。刈り込むと先に見た庭のようになるが、そのままにしておくと、このように伸びる。一見荒れ放題の庭風に見えるが、芝草の間に、ピンクや黄色、紫などの彩りの花が、顔を覗かせている。
庭の仕切りはコンクリートを使わず、レンガなどを用いている。壁や塀なども、あまりきっちりした仕上げはしない。直線よりは曲線を、反復ではなく不規則に繋がっている。ある種のアマチュアリズムが、ゆったりした雰囲気を巧まずして演出している。
やや凸凹の石畳も、庭の自然によく似合う。荒れ果てた廃虚という雰囲気の庭があった。荒れ果てたのではなく、そのように造ったものだという。それとは、別の青い花だけで構成するブルーガーデン。赤い花だけのレッドガーデン。
建物のタワー。庭園全体のなかで、観客の視線を集めるポイントになっている。ここに、門番のおばさんがいる。タワーへの入場制限が役目である。一度に十人が限度になっている。タワーから庭園全体の鳥瞰図。ここでは、日本で紹介されているガーデニングがふんだんに見られた。
今まで見たように、日本ではイギリスの庭園といえばガーデニングの部分だけが紹介されて、いわばパーツで語られている。イギリスの庭園は1930年代のイングルッシュガーデンが本流であり、その源流は1700年代の風景式庭園とか、幾何学的庭園とかにあることには、あまり触れられていない。
イギリス庭園の話は、ここで終わって、あとは日本での庭造りの話へ。
筑波大学は江崎玲於奈先生が学長だった去年まで、先生の得意分野である情報化投資が積極的に行われ、超大型コンピューターなどで、多分日本一のレベルになった。その建物の北側の数百坪の空き地があったので、新学長に大学に相応しい、潤いのある庭づくりを進言した。
従来の感覚では、施工業者を呼んで見積もりをさせ、あるいは入札によって造園の作業が行われるのであるが、今回は予算2千万円をまず学校から出してもらって、あとは、私が造園設計し、現場監督を行いながら、学生と市民が庭造りに参加した。
設計のコンセプトは、イングルッシュガーデンである。
イギリスの広大な敷地の中での風景式庭園という訳に行かなかったが、どうやらそれらしい雰囲気の設計をすることができた。学生も市民も、最初は戸惑っていたが、進行とともに興味が湧いてきたか、泥まみれのまま、よく働いた。 スライドは、設計段階から、造園基礎づくり、給排水の水まわり、段差づくり、樹木植え、花壇の造成、庭園の完成までが30点ほどの写真にまとめられて、学生や市民の働く顔が、喜びの表情にあふれている。その庭園は昨年十月に完成を見たが、今は春、色とりどりの花に溢れている。
茨城県つくば市は、人工的な学園都市であるため、単身赴任者が多く、どちらかというと住環境としては生活の潤いに欠けるきらいがあった。しかし、このイングルッシュ庭園の造園の共同作業によって、学生、教授、市民の間に生活者として一体感が生じたように思われるのだ。
ゆくゆくは、つくば市の名所ぐらいになって貰いたいと思っている・・・・・。
終わり
(文責 三上卓治)