遙かなる絲綢之路!!






 (20数年前の若き頃〜高昌故城にて)


    今は昔、スウェン・ヘディンの”楼蘭〜さまよえる湖”やシルクロードに夢中
   になったものです。

   シルクロードとは、ドイツの著名な地理学者リヒトホーフェンが命名した
   Seidenstrassen「絹の道」と言われています。
   若き日、1980年12月29日から10日間、北京からウルムチ、トルファン
   と回りました。そのときのメモとスライド(700枚程度 あのころはカメラに
   も凝っていたなあ!)を保存していました。
   もう、20数年も前のことです。

   中国への夢が大きく膨らんだ頃です。
   今、またその夢に目覚めました。

   わずかに残っていた当時のメモから様子を語りましょう!!

  ☆ 交河故城 〜仏教寺院と仏塔(ストゥパー)


     1981.1.1

     案内者の説明では、「ここが交河故城です。二つの河に囲まれた城です。
     崖の高さは30メートルで、漢時代からトルファンの中心でした。
     南北の長さ1650メートル、東西の広さ300メートルあります。」
     とのことである。
     南東の住居跡を歩くと、茶碗のかけらが多数見受けられる。寺院内の
     仏像は、首がはねられている。戦乱の痕跡である。
     1時間余り歩いたが、日も落ち、静かな大地にストゥパーがポッンと
     たたずみ、夕日が射している。何とも静かだ!!



  ☆ 高昌故城 〜火焔山を背景に大寺院跡から宮殿を望む!


     1981.1.3

     午前9時招待所を出発。
     火焔山の麓を走り、アスターナ古墳群、高昌故城へ向かう。

     約1時間、高昌故城に到着する。近所の人々が走って集まって来る。
     周囲は、約5キロで、高さ10メートルから15メートルの城壁に
     囲まれていたようだ。南西の角にその城壁の跡が残っている。
     南西の大寺院跡から遠くに宮殿跡が見渡せる。
     ここには、玄奘も一月程滞在したという。仏教伝来の通り道で、
     南東の寺院跡には色彩豊かな壁画の一部が残っている。
     当時は、オアシスの活気あふれる街だったろう。



 ☆ ベゼクリク石窟寺院


    火焔山の麓の河岸にあります。火焔山は、その名のとおり真っ赤な炎のようです。
    サラサラした砂です。たしか西遊記にも出てきたと思います。
    よくこんなところに、石窟を造ったものだ。
    写真集で見た仏教絵図が、壁面にいっぱいです。



 ☆ トルファンの招待所の歓迎の夜!!


    地元のウイグル族の人たちの歌と踊りの歓迎でした。
    みんな楽器に合わせて軽やかなステップです。
    女の子の愛くるしい表情が何とも言えませんでした。
    郊外には、葡萄棚とカレーズという澄んだオアシスの水の流れです。



 ☆ 北京の一日!!

    万里の長城です。
    長城が天空まで連なっているよに見えました。
    長城の向こう側は、北方遊牧民族の辺境の地に続きます。匈奴の世界です。
    明の13陵です。
    道の両側には、象やキリン、それに架空の動物が陵墓への道案内です。



 ☆ あとがき

     1981年1月の中国西域の絲綢之路です。
     22年前の風景です。
     まだ、経済開放という言葉もなかった時代です。

     昨年の北京、一段と観光開発がなされています。
     明の13陵の道路脇の石像なんかありませんでした。
     万里の長城も、ずいぶん近代化の波が押し寄せています。

     いつの日か、再びウルムチ、トルファン、さらに奥地のカシュガル、
     そして、”楼蘭”を目指して旅してみたいです。

                          (2003.2.5記)



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