『今年夏天』

昨年のレズビアン&ゲイ映画祭で見たあと、緑茶さんとこでDVDを買って見たのん。
いいよねー。
何がいいかと言い出すとキリがないのだが、アジアの映画やドラマを好んで見る嗜好がありながらも、それらで自分が納得いくような同志(ゲイ、或いはレズビアン、或いはもっと性的な少数派)ものに巡り合えないのねん。その中でも納得出来るレズビアン映画だ、という事。
監督の李玉、彼女はレズビアンではないそうだが、自分の母親との確執やらなんやらを抱えたうえでの製作であったようで。
出演者は全員プロの役者じゃありまへん。
とはいえ、ブティックの店員役の石頭さんは、レズビアンアーティストです。北京の芸術村などに入り浸りながら、自身もデジタルビデオでもって映像作品を作っているそうです。
象の飼育係の潘怡さんとは、この映画の撮影を通して知り合い付き合い、そして映画撮影終了とともに別れたそうな。号泣。
監督曰く「この映画の中での彼女達の感情は、だから本物なのです」と。うおお、恋愛って切ないわん。
じゃなくて。
私はこの映画の中での二人の「当たり前」に付き合ってる姿が愛おしかったのですよ。いや、欧米じゃあこれくらいは当然でアホらしいかもしれないが、何かと同性愛に理由づけをした挙げ句、主人公が死んだり、急に異性愛に「治って」しまったり、というモラルを背負ったアジア映画が多い中で!母親は娘に見合い話を持ち込み、娘は見合い相手のオヤジに「私、女が好きなんです」と言ったり、娘の見合い相手と結婚する事になったり(笑)、娘とその彼女の仲に特に疑問を持っていなかったり、崔建が好きだったり。
そういう「男の視線を意識しない」佇まいが気分良かったっす。
生き方や振るまいが、結局は男にとっての自分はどうか?ヘテロ社会の中での自分はどうか?で成り立っていると思われる、映画や小説や日常の世界での「女の生き方」!それは嘘だろう!と感じているのは何も私だけじゃなかったのねえええ。と、今更ながらアジア映画の中での居心地の良さを感じられる。これは珍しいっすす。貴重っす。
象の飼育係の女性には、元彼女がおり、その元彼女からの電話で二人の関係に波風がたったりするわけだが。その元彼女の抱える問題も、何回も見るうちに心に深く傷を残しますわ。私は「拳銃」とは「男根」の象徴と思いますんでねー。それを逆手にとった表現であるとか、それを使ってマッチョに対抗しようとする元彼女の姿は、心が痛かったですう。
それでもキチンと恋愛して嫉妬してすれ違って、また愛しあう「女同志(同士)」の姿!!
どんな理由も言い訳も辻褄合わせもない。なぜなら女と女が出会って、そこに恋愛感情が生まれても当たり前だからね。と。
石頭さんたら、中國大陸では崔子恩(カミングアウトしているゲイの作家、映画監督、そして北京電影学院副教授)や李銀河(フェミ的視点を持った希有なヘテロ社会学者)らと一緒に「同性愛」をテーマにしたチャットに出席したりしています。
とまあ、こんなアジア映画に出会えて感激っす。
ちなみに男同志(ゲイ)をテーマにした映画でも、なかなかそーいう「当たり前」を描いているのは数少なくてですねー。香港の自主製作映画『心灰』は、狭い価値観の中でもごく「フツー」に心を通わせる男と男の物語を描いており、セクシャルマイノリティーの定義はもういい、それから先の物語をこそ見たい!と思う私には愛すべき映画だった、と思うのです。

阿美
地獄天堂朝日堂
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