1.MarilynManson加入前
ZimZumは、1969年6月25日にシカゴ州イリノイに生まれます。
ヒッピーのシングルマザー、祖母に育てられます。
Zimmyが自分のギターを手に入れたのは、13歳の時です。クリスマスの日彼の母親から
貰ったそうです。
初めてステージに立ったのは、16歳の時でした。(らしい)
ステージの上で、プレイ中機材に衝突して、肋骨を折る大怪我をした事もあるそうです。
(ZimZum少年時代についての情報は、各サイトを探しましたが、ほとんど書いてありません)
(とにかく、謎だらけの人です。この方は)
彼は、23歳当時にシカゴでLSDというバンドを組んでいました。LSDは、シカゴで数多くの
ライブをこなしていました。
そしてLSDは、音楽活動の拠点をLAに移すことになります。その時、Zimは他のメンバーと
一緒にLAには行きませんでした。
彼は、シカゴにいたほうがより多くの何かがある。と感じたからです。
当時、Zimはギターメーカー(修理会社?)に勤めていたそうです。
1996年5月、シカゴのローカル新聞にて「マリリンマンソン ギタリスト募集」という、広告を
見つけます。そして、テープを送ったそうです。
(広告を見てから、マリリンマンソンのテープを買いに行ったそうです。もともと、マリマンをよく
知っていた訳ではないようですねえ)
そして、そのテープは一次?選考に通りました。(応募者は、150人くらいで合格した人は
15人くらいらしいのです)
マンソンと直接会うオーディションの為、ニューオーリンズへ行く事になりました。
2.オーディション
Zimは、オーディション会場へは黒いシャツと、レザーパンツで行きました。
他の面接者から、だいたいのオーディションが行われている様子を知ると、彼はぶらぶらして
待つ事に決めたそうです。
Zimは、トニー(マリリンマンソンの当時のマネージャー)に、準備ができている事を告げ、
オーディションを受けます。
オーディションが行われている部屋の中には、トレント・レズナーもおり、Zimに「Good luck」
と言ったそうです。
Zimは、マンソンの前で「GET YOUR GUNN」、「ミザリー・マシーン」を演奏しました。
他にも、オーディションリストに無かった曲を演奏して、マンソンに大いに感銘をあたえたそうです。
オーディションが終わった頃には、そこらじゅうぶち壊していたそうです。
オーディションが終わった後、Zimは他のオーディションを受けた人々と、ブルボン通りでたむろした
そうです。
Zimは、7時30分頃ホテルに引き返し、11時頃マンソンからの電話を受けます。
その後、マンソンと会い昼食を取りながら、2時間くらい音楽の話などをしたそうです。
オーディションに合格したのです。
そして、Marilyn Mansonに加入し、Timothy Michael Lintonから、「ZIMZUM」となります。
3.MarilynMansonステージギタリスト時代
Zimのマンソン加入後、初の人々の前に出る仕事は、「The beautiful people」のプロモーション
ビデオだそうです。(ちょっと、怪しい)
初めてのステージは、1996年9月5日 Nothing Night Showcaseらしいのです。
その後、「Dead to the would」のツアーに出て、世界中沢山の会場でライブをこなします。
MarilynMansonはあっという間に世界的有名ロックグループになってゆきました。
(1996〜1997)
1998年MarilynMansonは、「Mecanicalanimals」レコーディングの為にLAに戻ります。
レコーディングを始めた当初は、Zimは沢山の曲を作り、マンソンとも良い関係で、仕事をして
いたそうです。
レコーディングをしている間に、Zimの人生に2、3の変化が起こりました。
多くの異なった扉がZimの為に開く事に気付いたのです。
Zimは、ソロ活動に専念しパフォーマーとして、作曲家としての自分の能力を広げたかったのです。
そして、MarilynMansonを脱退してしまいます。
(マンソンからは、「クビにした」と言われています。どちらが本当かは、・・・分かりません。)
4.MarilynManson脱退後
Zimは、マンソン脱退後、Cher、KoRN、などなど有名なパフォーマーと共に仕事をしたり
Dopeのプロデュースも手がけています。
そして現在、「Pleistoscene」(オリジナルバンドネーム「UltraFag」色々わけあって変えました)
という、Zim主催のバンドにて、シカゴで活動をしています。