NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
2「転校」
碇シンジは学生服を着てダイニングルームに顔を出した。
「おはようございます」
キッチンでは、シンジの伯母が朝食の準備をしていた。コンロに掛けられた鍋の隙間からは味噌汁の匂いがこぼれ、食器棚におかれたラジオからはニュースが流れている。
「あら、シンジ君おはよう」
シンジは上着とカバンを廊下に置くと、いつもの席に座った。テーブルの上には、まだ開かれていない新聞が乗っていた。彼はそれを見ると、口を開いた。
「先生はどうしたんですか?」
「あの人はもう出ていったわ。第二東京市の大学で学会があるの」
「それじゃ、泊まりなんですか?」
「いいえ、遅くなるとは思うけど」
「そうなんですか」
伯母はキッチンから振り向くと、シンジの朝食をテーブルに並べた。
「新聞、読んでいいのよ」
「あ、ええ、はい。後で読ませてください。いただきます」
シンジは箸を手に取った。
伯母はシンジの朝食を用意し終わると、着替えるためにダイニングルームを出て行った。シンジは新聞を丁寧に開くと、見出しを読みながら箸を動かした。ラジオからは、アナウンサーの声が淡々と流れている。
シンジはめぼしい記事を読み終えると、新聞をもとのようにきちんと折り畳んだ。そして皿や茶碗を重ね持って立ち上がると、流しでそれを洗った。着替えを終えた伯母が、後ろから声をかけた。
「そういえば、今日でこっちの学校最後だったわね」
「そうですね」
シンジはスポンジで食器を洗い続けた。
「送別会とかあるんじゃないの?」
「ええ、そうみたいです」
「寂しくなるわね」
シンジは食器を洗い終えると、水道を止めた。
「平気ですよ。特に親しい友達がいるわけじゃないし」
「そう…」
シンジは手をふいて洗面台へ行くと、歯を磨きはじめた。伯母は玄関へ行ってヒールを履いた。
「それじゃあシンジ君、きょうは私も早く帰ってくるから。あの人も7時には帰ってくると思うし、今晩はご馳走にしましょう」
シンジは歯磨き粉を吐き出すと、急いで言った。
「本当ですか?すごく楽しみです」
「じゃ、行ってくるわね」
「行ってらっしゃい」
伯母は、玄関を出て行った。
シンジは歯ブラシを洗うと、その先にもう一度歯磨き粉をつけて歯を磨きはじめた。
●
彼が中学校に着いたのは、始業の1時間も前だった。校庭ではクラブ活動をしている生徒達が走り回っていたが、シンジはクラブに入っていなかった。教室に入っても、クラスメイトはまだ数人しかいなかった。シンジは黙って自分の席に座ると、カバンからウォークマンを取り出して、イヤホンを耳にあてた。
送別会は、午後の学級活動の時間に行われた。シンジは寄せ書きが書かれた色紙を渡され、黒板の前であいさつをさせられた。彼はどもりながら言った。
「あ、あの…。今までどうもありがとうございました。…さようなら」
担任の教師が、シンジに励ましの声をかけるとクラスの中にまばらに拍手が起こった。
送別会が終わり自分の席に戻ると、シンジは色紙を眺めた。「さようなら」「むこうへ行っても元気でね」「がんばってね」彼は色紙を封筒に納めると、目をつぶって考えた。
(思ってたよりも、転校って何でもないことなんだ)
学校が終わると、シンジは持ち物の片づけをした。机とロッカーの中のものを全部バックに入れると、彼は教室を見回した。教室にいるのはシンジだけだった。午後遅くの黄色い太陽の光が、窓から斜めに差し込んでいた。彼は自分の使っていた机の前まで来ると、使い古された表面を眺めた。
●
シンジの伯父は夜の七時過ぎに帰ってきた。
伯父は自分のコップにビールを注ぎながら言った。
「シンジ君とも、明日でお別れか」
「寂しくなるわ。一緒に暮らして何年になるのかしら」
伯母はテーブルの上のカセットコンロに、鍋を載せながら言った。
「11年です」
「あら、そんなになるのね。はい、小皿を取って。野菜は大丈夫だけど、お肉はもう少し煮込んでからの方がいいわよ」
伯母は小皿に鍋のものをよそうと、シンジに渡した。
「いただきます」
シンジは箸を手に持った。伯父はシンジを見ていたが、コップを口につけた。
「しかし、急にシンジ君を呼び戻すなんて、ゲンドウ君にも心境の変化があったのかな」
「だって、お父さんですもの。シンジ君に会いたくなるのは自然なことですよ」
「まあ、そうだが」
シンジは顔を上げた。
「先生…」
伯父はシンジを見た。
「ん?」
「あの、ぼくの父さんって、どんな人なんですか?」
「うん。どんな人か…」
伯母はシンジの小皿に湯気の立つ肉を載せながら言った。
「あなたのお父さんは、世界を守る大切な仕事をしているのよ」
「…っていうか、どんな性格の人なのかなって」
伯母と伯父は顔を見合わせた。
「うん。私達も、ゲンドウ君とはあまり会う機会がないからね」
「そうですか」
シンジは、くつくつといい音を立てる鍋を見つめた。
「でも、ものすごく優秀な人だということだけは確かよ。シンジ君が勉強得意なのも、お父さんに似たからなのかもね」
「そうですか…」
「確かに、ゲンドウ君は切れ者だな」
伯父は鍋に箸を伸ばした。
シンジは自分の部屋に戻ると、電気をつけた。部屋の中はすでに片づけられていて、段ボール箱が山積みになっていた。シンジはベッドに腰掛けると、カバンの中から手紙を取り出した。それは、シンジの父親の碇ゲンドウから送られてきた物だった。簡単な文面で、第三新東京市に引っ越してくるようにと書いてあった。第三新東京市は、ゲンドウのいる街だった。シンジは初めてこの手紙を読んだとき、発作的に引き裂いてしまったことを思い出した。手紙は、セロハンテープで貼りなおしてあった。
(ぼくを捨てた父さん…。11年もほったらかしにしていて、今さら何の用なんだ)
シンジはベッドに寝ころんだ。
「ぼくはなぜ、父さんのところへ行くんだろう?」
●
次の日の朝、運送会社に段ボール箱を運んでもらうと、シンジは玄関で別れを告げた。
「ほんとに、お世話になりました」
「シンジ君、むこうへ行っても元気でね。本当に駅まで見送りに行かなくてもいいの?」
「ええ、いいんです。ほんと、ここで十分です」
「ゲンドウ君によろしくな」
「はい、先生。…あの、今まで育ててくれて、本当にありがとうございました」
シンジは頭を下げた。
シンジが出て行ってしまうと、伯父はつぶやいた。
「育ててくれて、ありがとうございました、か。十四歳の子供の言う言葉じゃないな」
「ゲンドウさんと、うまくやっていけるといいですね」
「どんなものかな。私はあの男を好かんよ。切れ者かもしれないが、人間的にはどうもね」
「あなた」
「ユイを殺したのだって、あの男だ」
伯母はとがめるように伯父を見た。
「やめてください」
伯父は目をつぶって、ため息をついた。
「そういえば、シンジ君は最後まで私をおじさんと呼んでくれなかったな。たぶん、私はあの親子とそりが合わないんだよ」
伯母はきびすを返すと、家の中へ入っていった。一人になると、伯父はシンジの消え去った方向を見つめながらつぶやいた。
「なぜ、私たちには子どもが生まれなかったのかな…」