NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
3「使徒」


 シンジは表札を見た。
 「ここか…父さんが住んでいるのは」
 そこは第三新東京市の郊外にある、マンションの一角だった。シンジは六階の突き当たりの扉の前に立っていた。
 彼はふと、右手にこわばりを感じた。右手を動かそうとすると、指先が小刻みに震えるのだった。シンジは自分の右手を見つめてから、左手でドアの脇のボタンを押した。奥の方で小さくチャイムが鳴った。
 しかし、ドアは沈黙したままだった。シンジは右手で、ボタンを押した。1回…、2回…、3回…。
 「いないのか」
 シンジは溜息をつくと、あたりを見回した。廊下の手摺のむこうには、第三新東京市の街並みが広がっていた。建物はまばらで、ビルは中心部にほんのわずか密生しているだけだった。
 「寂しいところだな…」
 シンジはカバンを床に置くと、扉を背にして座り込んだ。
 (仕事なのかな。でも、ぼくが来るってことは、父さんも知ってるはずなのに)
 カバンの中からウォークマンを取り出すと、シンジは再生スイッチを押した。


 その異変に初めて気づいたのは、日本の地球観測技術衛星ADEOS3だった。
 宇宙開発事業団の衛星管理コンピュータは、衛星の空間波放射計が捉えた異変を、緊急回線で日本政府に伝えた。政府は国連に事態を通達するとともに、緊急閣議を召集、関東中部全域に非常事態宣言を発令した。


 「非常事態宣言?」
 シンジが聞き慣れぬ言葉を耳にしたのは、ウォークマンのテープが2往復もしてからのことだった。
 彼はイヤホンを外すと顔を上げた。遠くの方でヘリコプターが飛んでいる音が聞こえた。廊下の天井にあるスピーカーからは、機械的な音声が流れている。
 「ただいま、関東中部全域に非常事態宣言が発令されました。市民の皆さんは、すみやかにシェルターへ避難してください。当区域のシェルターは北千歳公園にあります。繰り返します。ただいま、関東中部全域に…」
 シンジは立ち上がると、廊下の手摺に近寄った。
 (大津波…いや、戦争?)
 しばらくすると、あたり一帯にうなるようなサイレンの音が響きわたった。
 シンジは、はっとしてつぶやいた。
 「シェルターに行かなくちゃ」


 衛星の捉えた異変は、大島の南60キロの地点をゆっくりと北上していた。それは何の前触れもなく、日本の沖合に現れたのだった。
 国連は日本駐屯の国連軍を出動させるとともに自衛隊の運用を日本政府に許可した。関東地方の沿岸沿いには国連軍と陸上自衛隊の合同部隊が配備され、上空には那覇や三沢の基地からも航空部隊が飛来していた。


 シンジはシェルターの入り口でPカードをスリットに通すと、中に入った。シェルターは教室2つ分くらいの広さがあって、すでにたくさんの人々が避難していた。シェルターの隅には大型のディスプレイがあったが、そこには非常事態宣言を告げる静止画像が映されているだけだった。
 シンジは靴を脱ぐと、シェルターの隅へ行って座り込んだ。
 シェルターに避難している人々は、知人や家族同士で円くなっていて、ときおり笑い声なども聞こえた。シンジは人々の会話に耳を澄ませたが、非常事態宣言の理由についてはよくわからなかった。
 (もしかして、避難訓練なのかな?)
 シンジはウォークマンのイヤホンを耳に当てると、再生スイッチを押して目をつぶった。


 西暦2000年のセカンド・インパクトにおいて、日本の海沿いの都市の多くは水没の憂き目にあっていた。熱海市もその例外ではなく、かつての賑やかな温泉街は20メートルの海面下に没していた。セカンド・インパクト以後、相模湾沿いの熱海ビーチラインは水没し、国道135号線には防波工事がなされていた。
 国連軍と陸上自衛隊の合同部隊は、旧熱海市付近の国道135号線に急遽戦線を張っていたが、そこからは海面から突き出すいくつかのビルの残骸を見ることができた。
 空はよく晴れ渡り、海辺は穏やかだった。生態系の戻りかけている海岸では、鳥の姿を見ることもできた。国道に並ぶ戦車大隊の兵隊達は、ときおり頭をよぎる航空機の爆音を耳にしながら、自分達がひどく場違いな存在のように感じるのだった。
 しかし、突然沖合に噴き上がった水柱によって、そんな錯覚は消し飛んでしまった。水柱の後に現れた物体は人間の常識をはるかにこえていて、戦線を張って待ちかまえていた兵員たちを驚愕させた。
 50メートル近くあるその物体には、手と脚が生えていた。腹部には、突き出したあばら骨で支えられている巨大な赤い球体があり、頭と呼べる部分がなかった。そして、その代わりに胴体の上部に二つの眼窩を持つ面のようなものがついていた。
 物体は海から立ち上がった。だらりと伸びた手の先からは、滝のように海水が流れ落ちていた。物体は薄暗い両眼(それが目なのかどうかもわからなかったが)で海岸線を見渡すかのように、体をゆっくりと巡らした。物体の体から、大木のきしむような鈍い音が響き渡った。
 物体を映し出した映像は、自衛隊の作戦本部へ送られるとともに、第三新東京市の地下深くへも伝えられた。
 碇ゲンドウは、第三新東京市の地下の一室にいた。そこは戦艦の艦橋を彷彿とさせる巨大な発令所で、彼の目の前ではたくさんのオペレーターが端末へ向かっていた。発令所の正面には立体ホログラムディスプレイがあり、相模湾に姿を現した物体を大きく映し出していた。
 ゲンドウの傍には、冬月コウゾウが立っていた。彼はだいぶ白くなった髪の生え際を指でこすると、物体の映像を見て目を細めた。
 「15年ぶりだな」
 ゲンドウは指令塔のデスクの上で手を組むとつぶやいた。
 「ああ、間違いない。使徒だ」

 自衛隊と国連軍の合同部隊は、堰を切ったような攻撃を始めた。戦車部隊の砲弾は、無数の弾道を描いて飛んでいった。岩戸山上空に待機していた攻撃機部隊は、対艦用巡航ミサイルを放った。
 使徒は戦車の砲弾には何の反応も示さなかった。砲弾は、弧を描いて使徒に着弾し、無数の爆炎で使徒の姿をかすませるほどだった。しかし、使徒は何事もないかのように陸へ向かって歩き始めた。砲撃の煙の中から、巨大な影がゆらりと姿を現した。
 岩戸山上空から放たれた巡航ミサイルは、山の斜面上空五十メートルを正確に維持しながら使徒を目指していた。国道上の兵員達が地響きを感じたかと思うと、巡航ミサイルは矢のように彼らの頭上を飛び越えていった。ミサイルは、最後の軌道修正のために、吸い込まれるように高度を落とした。
 ミサイルは使徒の胸部に直撃しようとしていた。しかしその瞬間、使徒は左手でミサイルを受け止めてしまった。
 ミサイルはバナナの皮をめくるように四方にひしゃけ、次の瞬間爆発した。そして、その閃光の中に第2第3の巡航ミサイルが着弾していった。
 爆風で海面には波が立ち、落下するミサイルの破片が海水を蒸発させた。使徒は硝煙とイオンの匂いがする水蒸気で見えなくなった。
 冬月は映像を見つめながら溜息をついた。
 「無駄なことをするものだな。自衛隊の上層部は知っているんじゃないのかね、使徒の性質を」
 ゲンドウは、メガネを押さえると言った。
 「もちろん知っているさ。だが、知っているのと理解しているのとでは違う」
 陸上部隊は攻撃を中断して様子をうかがった。しかし、視界はもうろうとして開けず、海岸に打ちつける波の音がするだけだった。
 その瞬間、国道上に待機していた戦車の一つが、不可解に輝く巨大な棒に串刺しにされた。戦車の装甲は一瞬にして蒸発し、その下のアスファルトまで融解していやな匂いをまき散らした。輝く棒の根元には、巨大な影が立ちはだかっていた。使徒はもう陸の間近に来ていたのだ。
 輝く巨大な棒は、使徒が手のひらから突き出したものだった。全体としてみれば、それは槍のように感じられなくもないのだが、槍と考えるにしては、あまりに巨大だった。使徒は戦車を貫いた槍を腕の中に収めると、ゆっくりと国道に足を掛けた。使徒の体からは、雨のように海水が落ちていった。海水を浴びた戦車達は、慌てふためいて逃げ惑ったが、使徒はその一つを紙細工のように踏みつぶした。
 冬月は眉をしかめた。
 「無残だな」
 その時、電子音が鳴った。冬月はデスクの傍にある受話器を取り上げた。
 「冬月だ…。そうか、わかった」
 冬月は、受話器を置くとゲンドウの方を向いた。
 「やはり爆雷を使うそうだ」
 「そうか。時間稼ぎになってくれれば助かるな」
 「時間稼ぎか…、シンジ君は見つかったのかね」
 「先程諜報部から連絡があった。北千歳のシェルターにいるそうだ」
 「11年ぶりの再会になるな」
 冬月は、ゲンドウの顔を見た。しかし、ゲンドウは無表情にディスプレイを眺めているだけだった。


 シンジは夢を見ていた。
 彼の目の前には、ゲンドウが立っていた。しかし顔ははっきりと見えず、ただメガネだけが光に反射していた。ゲンドウは言った。
 「シンジ、お前に水をやろう」
 シンジはまだ幼い子どもだった。右目がなぜか無性に痒くて、彼は目をこすりながら言った。
 「水なんかいらないよ」
 ゲンドウは、シンジの襟首を引っ張ると、もう一度口を開いた。
 「シンジ、お前に水をやろう」
 「いらないよ。それにぼくはシンジじゃない」目のかゆさのために、シンジは涙をこぼした。「水なんかいらないよ。それに、ぼくの名前はシンジじゃない」
 その時、ふいに聞き慣れぬ男の声がした。
 「碇シンジ君ですね」
 シンジは、自分の名前を呼ばれて我に返った。
 目の前には、背広姿の二人の男が立っていた。
 「碇シンジ君ですね」
 「は、はい…」
 「我々は、ネルフ諜報二課の者です。我々と同行願います」
 「え?ネルフって…。あの、どういうことですか」
 「詳しい事情はあちらにいってから説明があります。時間がありません。同行してください」
 背広姿の男の口調は丁寧だった。しかし目もとには感情がこもっておらず、態度はどこかしら高圧的だった。
 「あ、あの、なんのことだか…」
 「詳しい事情はあちらに行ってから説明があります」
 背広姿の男は、もう一度機械的に答えた。
 シンジは仕方なく、立ち上がった。
 北千歳公園の外には、黒塗りの自動車が止まっていた。シンジが車に乗り込もうとた瞬間、彼の背後で激しく何かが光った。
 「!」
 彼は南の方を振り返った。芦ノ湖の向こうには、とてつもなく巨大な火柱が立っていた。そして、地震のような低い爆発音が響いてきた。
 「な…」
 背広姿の男が、シンジの背中を押した。
 「さあ、早く乗ってください」
 車はシンジを乗せて急発進した。シンジは後部座席の窓から火柱を見つめた。火柱の上には、巨大なキノコ雲が広がっていた。
 (何が始まるんだ…一体?)
 間もなくあたりには、火柱から飛ばされてきた衝撃波の突風が吹きすさんだ。