NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
12「毎日が日曜日のよう」


 鈴原トウジは、新小田原駅の改札口を出るとバス停へ行った。
 彼は日に焼けた少年で、ボストンバックを肩に掛けて身軽にバスに乗り込んだ。
 トウジは座席に座ると、バックを床に置いた。連日の快晴続きで、今日も雲一つなく晴れていた。トウジは照りつける太陽を見上げると、バスの冷房に息をついた。
 バスは新小田原の市街地を走り始めた。駅から伸びる中央通りには、ビルが競うように建ち並び、巨大な広告塔がインパクト前のように華やかな色彩を放っていた。片側3車線の道路には車がひしめき合い、信号が赤になると、横断歩道に人の群があふれた。空を見上げると、建設中の建物が巨大なクレーンを掲げている。
 新小田原市は、第三新東京市への中継地点として急速に成長している街だった。
 しかし市街地を離れると、突然巨大な護岸壁が目に入ってくる。灰色のコンクリートでできた壁は見渡す限り広がっていて、その向こうにあるはずの水平線と水没した旧小田原市街地を隠していた。
 新小田原市は、護岸壁にかろうじて守られた海面下の都市なのだ。
 バスは酒匂川を渡ると、総合病院の大きな門の前に停車した。トウジはバスを降りると、病院の敷地へ入っていった。
 午後の病院の待合室は、外来の患者でごった返していた。トウジは診察の順番を待つ人々を一瞥すると、外科の病棟へ行ってエレベーターに乗った。エレベーターの中は、移動用のベットが入るような奥行きの広いものだった。トウジは5階のボタンを押すと、エレベーターの中を見渡して溜息をついた。
 トウジはエレベーターを降りると、すぐ向かいにあったナースセンターをのぞいた。
 「あの、お世話になってます」
 カウンターに向かって端末を打っていた看護婦が顔を上げた。
 「あら、ご苦労さま」
 トウジは頭を下げると、病室へ向かって歩いていった。
 彼が足を踏み入れた病室は6人部屋だった。左右に3台ずつベットが置いてあり、それぞれがカーテンで仕切られている。ベットはすべて埋まっていたが、ほとんどが老人だった。トウジが入り口で軽く頭を下げると、ベットに腰掛けていた老人の一人が、うつろな視線を向けた。
 トウジは窓際のベットへ行くと、そこに横になっている女の子に声をかけた。
 「おう、起きてたか」
 女の子はトウジを見ると、にっこりと笑った。
 「兄ちゃん」
 トウジはベットの脇にたたんであった車椅子を広げると、そこにどっかり座った。
 「ふー、暑いわ。最悪やな。おい、ここも暑いんやないか?」
 「んーん。ねえ、それより兄ちゃん、持ってきてくれた?」
 「着替えは持ってきたで」
 「着替えじゃなくて!」
 「ん、なんや?」
 「もー!」
 女の子は、両手でベットのシーツをぱんぱん叩いた。
 トウジは笑い出した。
 「嘘や、嘘。ちゃんと持ってきたで。ほら」
 トウジはボストンバックの中から、携帯用のゲームマシンを取り出した。
 「やった!貸して貸して」
 女の子は、トウジからゲームマシンを受け取ると、さっそく電源を入れた。
 「そやけど、あんまりゲームばっかりやってたら、目悪くなるで」
 「だって、つまんないんだもん」
 「しゃーないやろ、怪我をなおさなあかんのやから。今は身体の方が先や」
 トウジの妹は、夢中になってゲームの画面をのぞき込んでいた。トウジは苦笑すると、バックの中から袋を取り出した。
 「あと、これ買ってきたで」
 妹は顔を上げた。
 「何?これ」
 「シュークリームや。山盛り入っとるで」
 妹は目を見開いた。
 「ほんと!…でも、看護婦さんが勝手に食べちゃ駄目って」
 トウジは鼻を鳴らした。
 「シュークリーム食って死んだ奴なんて、聞いたことないわ。かまへんって」
 「ほんと!ラッキー」
 妹は、袋の中からシュークリームを取り出した。
 トウジは妹がシュークリームをほおばる様子を眺めていたが、やがて立ち上がった。
 「さて、わしはちょっと洗濯してくるで。看護婦さんが来たら、うまく隠すんやぞ」
 トウジはベットの脇に置いてあった紙袋を手に取ると、車椅子から立ち上がった。
 彼は洗濯機のある場所へ向かって歩いていたが、廊下の角から外科の医師と看護婦が顔を出したことに気付いて足を止めた。
 「あの、先生」
 「ん、なんですか?」
 医師は立ち止まり、トウジを見た。
 「あの、鈴原トモミの家族の者ですが、いつも妹がお世話になってます」
 医師は面食らったように答えた。
 「ああ、いやいや。ご苦労さまだね」
 トウジは頭を下げた。
 「妹のこと、よろしくお願いします」
 トウジが行ってしまうと、医師は看護婦に尋ねた。
 「鈴原さんというのは、どんな患者だったかな」
 「はい。第三新東京市の例の事件の…。L1レベルでの脊髄横断の患者さんです」
 「そうか、あの子か…」
 医師は目を細めると、廊下の向こうへ歩いてゆくトウジの姿を見つめた。


 第三新東京市立第一中学校は、昼休みの時間になっていた。
 第一中学校は、各学年2クラスしかない少人数の中学校だった。しかし、廊下には生徒達の声が飛び交い、校庭ではバスケットを楽しむ子供達の姿が見えた。
 2年A組の教室の中にも、ときおり賑やかな笑い声がおこっていた。友達同士で車座になり、昼食を食べたり、雑談をしたりしているのだった。
 洞木ヒカリはA組のクラス委員長だった。長い髪を後ろで束ねた真面目そうな顔つきをした彼女は、教室に並ぶ机の一つを見つめていた。しかし、一緒に食事を取っていた友達の輪から立ち上がると、近くで大笑いをしている数人の男子のグループのところへ行った。
 ヒカリは口を開いた。
 「相田君」
 グループの中に混じって、戦車や戦闘機の写真が載った雑誌をめくっていた少年が顔を上げた。
 「何?」
 「鈴原のところに、ちゃんとプリント持って行ってる?」
 「プリント?」
 ヒカリは眉をつり上げた。
 「鈴原、最近休みがちでしょ。様子見に行ってないの?友達のくせに」
 「あ、ああいや。電話で連絡は取ってるんだけどね」
 相田と呼ばれた少年は、たじろぎながら言った。
 「おお、委員長こええ」
 近くにいた男子生徒が、ヒカリをからかった。ヒカリは、その生徒をきっとにらみつけると、少年に向かって言った。
 「それで…、鈴原はなんで最近よく休むの?」
 少年は、口をすぼめた。
 「あれ、委員長知らなかった?トウジの奴、妹が入院してるんだよ」
 「え?」
 ヒカリは一瞬トウジの机へ視線を走らせた。
 「ほら、例の怪物騒ぎ。あれで妹が怪我しちゃったんだってさ」
 「…だって、テレビでは怪我人はいないって」
 先ほどヒカリをからかった男子生徒が口を挟んだ。
 「そんなの嘘に決まってるじゃん。報道管制とかいうやつだよ。きっと死人とかもいるんじゃないの?」
 それをきっかけとして、グループの男の子たちは口々にしゃべり始めた。
 「やばいよなー」
 「そういやさ、鞍掛山がえぐれちゃったの、知ってるだろ?おれ、この前兄ちゃんと一緒に車で見に行ってきたんだ」
 「嘘!マジ?」
 「どうなってた?」
 「夜中にこっそり、立入禁止の柵をくぐり抜けて行ったんだけどさ。なんか、超クレーター」
 「ヘー。どのくらい」
 「もう、むこうが見えないくらい。そういや、まわりの森なんか黒こげになってたな」
 「怪物が、あそこに落下したんじゃないかってさ」
 「え?怪物は海から来たんじゃないの?」
 ヒカリはふたたびトウジの机を見つめていたが、少年の方へ視線を落とした。
 「相田君。鈴原の妹さん、怪我の具合はどうなの?」
 少年は、雑誌を閉じて息をついた。
 「さあ、おれもあまり詳しく聞いてないから。でも、入院してるくらいだから、結構やばいんじゃないの?」
 「そう…」
 少年はヒカリの顔を見上げて言った。
 「そんなに心配なら、電話で聞いてみたら?」
 ヒカリは、はっとして視線を泳がした。
 「私は委員長として週番のことが気になってたから。…ほら、鈴原って来週から週番じゃない」
 「まあね。代わりの人を決めといた方がいいかもね」
 少年は雑誌を机にしまった。
 「ねえねえ、委員長」
 雑談に盛り上がっていた男子生徒の一人がヒカリに声をかけた。ヒカリはきっと振り向いた。
 「なによ!」
 「え?あ、いや。委員長は、この噂知ってるかなと思って」
 「噂?」
 「ほら、うちのクラスに来た転校生。あいつ、実はこの前の怪物を倒したロボットのパイロットなんだって」
 「ええ?」
 ヒカリは教室の隅で、一人で弁当を食べている少年を見た。
 「まさか」
 「いや、これ結構信憑性高い噂なんだよ。B組に志賀って奴いるだろ?あいつの親父さんって、ネルフに勤めてるんだよ。で、志賀の奴、親父さんから聞いたんだってさ」
 男子生徒達は、ふたたび勝手にしゃべり始めた。
 「ほんとかなあ」
 「大体、怪物倒したのは本当にロボットなの?」
 「絶対、嘘だって」
 「見た奴いねーからな」
 「でもさ、ほんとならかっこいいじゃん」
 「バーカ、なんで中学生がパイロットなんだよ」
 噂を持ち出した男子生徒は、むきになって言った。
 「いや、これは絶対ほんとなんだって。ネルフからの情報だぞ」
 「いくらなんでも、嘘くせえよ」
 「だって、あいつが転校してきたのは、怪物がこの街を襲ってきたすぐ後だぞ。なんか変じゃん」
 「でもなあ」
 「本人に聞くのが一番はやいじゃん」
 「ま、そりゃそうだな」
 「お前、聞いてこいよ」
 「え?いや、おれあいつと口きいたことないから」
 「お前は?」
 「おれもしゃべったことないよ」
 「あいつと話したことある奴なんて、いるの?」
 男子生徒達は、教室の隅を見た。
 シンジは自分の席でひっそりと弁当を食べていた。
 それは学校へ行く前に、シンジが自分で作ったものだった。彼は冷たいご飯を口に運んでいた。
 シンジが転校生としてこのクラスにやってきたのは、1カ月以上も前のことだった。しかしその間、彼は一人で昼休みの時間を過ごし続けていた。
 シンジは手早く食事を済ますと、弁当箱をしまってウォークマンを取り出した。両耳にイヤホンを押し込むと、シンジはぼんやりと窓の外を眺めた。学校は長尾山のふもとにあったので、第三新東京市の街並みを遠く望むことができた。空は目が痛くなるほど晴れていて、焼けついた校庭が白くほこりっぽく見えた。
 シンジは学校が終わると、すぐにミサトのマンションへ戻った。午後6時から始まる訓練のために、ネルフ本部へ行かなければならないのだった。シンジはカバンを降ろすと、制服のままで部屋を出た。
 バス停のベンチで市街地行きのバスを待っていると、シンジの前を学校帰りの生徒達が通りすぎていった。シンジはイヤホンで耳をふさいだまま、アスファルトのひびを見つめていた。
 彼は思った。
 (慣れちゃえば、やっぱりここも同じなのかな…)


 「こんばんは、シンジくん」
 リツコの声が響き渡った。シンジは、プラグスーツを着てエントリープラグの中に座っていた。エントリープラグは疑似体の中にあり、疑似体はE1実験室の中にたたずんでいる。
 「こんばんは」
 「気分はどう?」
 リツコは観察室の窓から、疑似体を見下ろしていた。
 「慣れました」
 「そう、よかったわ。今日はアンビリカルケーブルの装換訓練を行うわよ」
 「はい」
 エントリープラグの内壁に映し出されていた画像が、突然街並みになった。コンピュータグラフィックによる架空の風景だったが、非常に精巧につくられていた。シンジの目は、一瞬その風景に騙された。
 リツコの声が聞こえた。
 「エヴァは通常、外部電源によって稼働することはわかっているわね」
 「はい」
 「背中に接続されているアンビリカルケーブルが、エヴァに電力供給をしているわけだけど、ケーブルの長さには限界があるの」
 「はい」
 「ケーブルの長さは1255メートル。だから、それ以上の距離を移動する必要がある場合には近くの電源ビルからケーブルを接続しなおさなくてはならないの」
 「はい」
 シンジの目の前に映し出された街並みの数カ所が、赤く点滅した。
 「これが電源ビル。750メートルおきの交差点に設置されているわ」
 「はい」
 「具体的な装換手順は、電源ビルの前へ行ったら説明するわ。とりあえず、100メートル先のビルまで行って」
 「はい」
 シンジは、目の前の架空空間へ向かって足を踏み出した。疑似体の足が、それと同じように前へ踏み出された。E1実験室の床には、巨大な無限軌道が設置されていて、疑似体はその上で歩き始めた。
 その時、観察室の中にミサトが入ってきた。
 「ご苦労さま」
 「あら、ミサト」
 リツコは顔を上げた。
 「どう?調子は」
 リツコはコーヒーの紙コップを取って苦笑した。
 「良すぎるわ」
 「なるほど」
 ミサトは無限軌道の上を歩いている疑似体を見下ろした。
 訓練が終わってロッカールームから出てきたシンジに、ミサトは声をかけた。
 「シンジ君、ご苦労さま」
 「あ、ミサトさん」
 「今日は、一緒に帰ろうか」
 「仕事、もういいんですか?」
 ミサトは溜息をついた。
 「よくないけど、いいことにするの。たまには早く帰らないと、死んじゃうわ」
 ジオフロントから地上へ向かうカートレインは、帰宅するネルフスタッフの車で埋まっていた。それぞれの車の中では、新聞を広げたり、座席を倒して横になったり、助手席の者と話をしたりしている姿が見られた。
 シンジは、ミサトの車の助手席から、暗いジオフロントを見つめていた。天井にぶら下がっていたビルの群は、地上に出ているために見えなくなっている。下の方では、ネルフ本部の建物の明かりが、星を散らしたように小さく光っていた。
 ミサトは座席を少し後ろに倒して、大きく息をついた。
 「まったく、なんでうちは会議ばっかりするのかしらね。たまらないわ」
 「ミサトさん、忙しいんですね」
 「まあね。シンジ君とも、あんまり一緒じゃないわね」
 シンジは、顔を上げた。
 「そうですか?毎日会ってるじゃないですか」
 「でも、家では全然顔合わせないじゃない。私は帰るの遅いし、シンジ君は学校行くのが早いし。…こんなことなら、お父さんのところの方がよかったかしら」
 ミサトは、頭の後ろで手を組んで、シンジの方を見た。
 「そんなことありませんよ。すごく、快適に暮らしてます」
 「そう。それならいいんだけど」
 カートレインの疾走する音が、車の中に響いていた。だいぶ上の方まで昇ってきていたので、巨大な採光管が、地上の星明かりをかすかに放っているのが見えた。
 ミサトは口を開いた。
 「ねえ、シンジ君」
 「なんですか?」
 「学校の方、うまく行ってる?」
 「はい、大丈夫ですよ。授業はこっちの方が進度遅れてたみたいだし、もう慣れましたから」
 「そう。ならいいんだけど」
 再び、車の中に沈黙が広がった。
 ミサトはカーステレオを鳴らそうとして、ふと顔を上げた。
 「シンジ君、なんかカセット持ってない?」
 「音楽のカセットですか?」
 「そうよ。なにか、聴かせてよ」
 シンジは首をかしげた。
 「あるんですけど…。このカーステ、MDですよね。それは持ってないんです」
 「それは残念」
 ミサトはラジオをつけると、カートレインの車内電波に周波数を合わせた。車のスピーカーからは、ディスクジョッキーが流れ始めた。シンジの耳に、DJの大きな笑い声が飛び込んできた。
 シンジは、ふと口を開いた。
 「ミサトさん」
 「何?」
 「使徒って、今度いつ来るんですか?」
 ミサトは首を振った。
 「さあ、わからないわ。明日か、1カ月後か、それとも1年後か。あるいは10年後かも」
 「使徒って、なぜ攻めてくるんですか?」
 「わからないわ」
 ミサトはシートに肘を突いてシンジの方を見た。
 「私達には、使徒がどこから来て、何を目的にしているのか。そもそも使徒ってなんなのか自体わかっていないのよ」
 「そうですか…」
 シンジは、窓の外へ視線を走らせた。
 ミサトは少し下を向いたが、すぐに顔を上げて言った。
 「シンジ君」
 「なんですか?」
 ミサトは口を開きかけたが、いったん閉じて微笑んだ。
 「とにかく、どんなことでもいいから、気になることがあったら私に相談してね。そのために、一緒に暮らしているのよ」
 シンジはうつむいた。
 「はい、わかってます」
 カートレインは地上へ通じるトンネルの中へ入り、車内に轟音が響き渡った。