NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
14「新たなる影」
ゲンドウはリツコから体を離すと、ベットから立ち上がってバスルームへと姿を消した。
リツコはシーツを首までかぶると、窓の外を見上げた。夜空は薄曇りだった。月がぼんやりとした輪を滲ませている。彼女はシーツから手を出して髪をかき上げた。
そこは、ゲンドウのマンションだった。4つも部屋のある広い間取りは、本来家族が生活するために造られたものだった。しかし、そのうちの3つは使われておらず、床には薄く埃が積もっていた。リツコがいる部屋にしても、ベットとテーブル以外、家具らしい家具もなかった。
明りの消された部屋の中には、窓の外から弱い光がさし込んでいて、リツコのまとうシーツを青く浮かび上がらせていた。
リツコは、バスルームから聞こえるシャワーの音に耳を澄ませた。シャワーの音は、ずいぶん長い間続いていた。しかし、やがてその音も途切れ、部屋の中へ人が入ってくる気配がした。
リツコは寝返りを打って、部屋の中を見た。ゲンドウはバスローブをはおっていた。彼はテーブルからメガネを拾うと、椅子に座った。
「初号機はどうだ?」
リツコは、ゲンドウがメガネを掛けるのを見ていた。
「はい。修復は、ほぼ完了しています」
「時間がかかったな」
「生体部品の移植には前例がありませんでしたから…」
ゲンドウは、テーブルに肘をついた。
「動かせるのか?」
「視神経系統の調整がまだですが、たぶん問題はないと思います」
「そうか。あとは零号機だな…」
リツコは、ベットの上で体を丸めた。
「司令」
「なんだ」
「ドイツでの会議、いかがでした?」
「新たに4体のエヴァ製造が決定した」
「一気に4体。すごいですね」
ゲンドウは、自分の顎に触った。
「ゼーレの老人達の根回だよ。使徒の再来があったことも大きいが」
「既に建造中の弐号機を含めて、エヴァが七体…。ダミーシステムと、SS機関。すべて完成すれば、世界を滅ぼすことも可能ですね」
ゲンドウは、顎から手を放してリツコを見た。
「老人達が求めているのは神だよ」
「エヴァは、慈悲深い神になりますか?」
ゲンドウは、椅子の背にもたれかかった。彼は何も答えなかった。
リツコは、シーツで身体を覆ったままベットから体を起こした。彼女は言った。
「それから、レイのパーソナルの採取も終わっています。ダミーシステムの開発も最終段階に入りました」
「零号機暴走時のデータは使えそうか?」
「はい。恐らく」
「そうか。とりあえず、まず零号機の再起動を取りつけろ。それが終われば、ダミーシステムに人員をいくらつぎ込んでもいい」
「はい」
リツコはベットから立ち上がると、シーツを手放してバスルームの方へ歩き始めた。ゲンドウは、再び顎に手を触れながら白い壁を見つめている。リツコはバスルームに入りかけて、ふと立ち止まった。
「司令」
ゲンドウは、頭を動かした。
リツコは言葉を続けた。
「シンジ君のことですが…」
「どうした?」
「学校で暴力を振るわれたそうです。葛城一尉が心配していました」
「初号機搭乗に差し支えがあるのか?」
「いえ、搭乗には問題ありません。シミュレーションの成績は驚異的ですし」
ゲンドウは、窓の外を見た。
「なら問題ない。シンジのことは、葛城君に一任してある」
「はい…」
リツコはゲンドウから視線をそらすと、バスルームの扉を開けた。
バスルームに入ると、リツコはシャワーのコックをひねった。温かな水が、無数の糸となって彼女に降りかかった。自分の指先から流れ落ちていく水を見つめながら、リツコはつぶやいた。
「シンジ君のことなんか、どうでもいいはずなのに。…今さら罪悪感なのかしらね」
●
机の上の時計は、午前3時を指していた。
シンジはベットに横になったまま、夜光塗料で薄緑色に光る時計の針を見つめていた。
シンジの部屋は、生活感がないほど整頓されていた。服や日用品は、すべて押入れの中に収納されている。机の上には教科書や音楽雑誌がきちんと並べられていて、椅子の背もたれにはカバンがぶら下がっていた。
シンジは寝返りを打って、窓の外を見た。薄雲に被われた月が、傘をかぶっている。眠気はまったく訪れなかった。彼はベットから体を起こすと、溜息をついた。
シンジは自分の部屋を出た。廊下は真っ暗だった。ミサトは警戒当番のために、今夜は帰ってきていなかった。彼は廊下の電気をつけると、バスルームの扉を開けた。
薄暗い浴槽をのぞくと、ペンギンが静かに顔を上げた。シンジがその頭に触れようとすると、ペンギンは水音を立てて体をひねった。シンジは手を引っ込めると、バスタブの縁に両肘をついてペンギンを見つめた。
ペンギンは浅く水の張られたバスタブの底に立ち上がると、口を大きく開けた。くちばしの間から、黒くて細長い舌が見えた。
シンジは自分の頬に手を当てた。シンジの頬は、トウジに殴られた痕が青黒いあざとなって残っていた。指先に力を入れると、頬全体が鈍く痛んだ。自分を殴りつけた少年の顔を思い出して、シンジは目をつぶった。
シンジはその日、学校を休んでいた。ミサトが出て行ってしまうと、彼は一日中、ベットの中でウォークマンを聴いていた。
シンジは目を開いた。
(誰かと話をしたかったんだ。それだけなのに…)
ペンギンが、シンジの顔を見た。廊下から差し込む明りのために、目がオレンジ色に光っていた。
その時、部屋に残してきたシンジの携帯電話が、奇妙な電子音を鳴らした。シンジは、はっとして立ち上がった。
「この音…。緊急召集だ」
宇宙開発事業団のADEOS3は、午前2時56分、佐渡島の北西50キロの地点に空間の歪みを検出した。
それはなんの前触れもなく、この地球上に現れたのだった。情報は、宇宙開発事業団のサーバーからネルフのマギシステムへ通達された。
第3新東京市地下にあるネルフ本部の発令所には、すぐさま灯がともった。ミサトは、オペレータールームから巨大なホログラフィックディスプレイを見つめていた。
「この前の使徒が15年ぶり。今度はたった1カ月とはね…」
正面のディスプレイには、ADEOS3の捉えた巨大な黒い影が映し出されていた。影は半径500メートルの空間を歪ませながら、南南東の方角へ進行していた。
ミサトはオペレーターの方を見た。
「日向君、リアル画像はまだなの?」
オペレーターは振り向いた。
「はい、本土に上陸しなければ無理です」
「そう。本市への到達予想時刻は?」
「午前8時35分です」
ミサトはディスプレイを見上げた。
「搭乗者召集は?」
「はい。レイは既に待機しています。シンジ君は、37分後に到着の予定です」
ミサトは目を細めた。
「日本政府に、非常事態宣言発令を要請。第三新東京市市民に緊急避難勧告を出して」
「了解」
暗闇に浮かぶ第三新東京市の街並みに、低いサイレンの音が響き渡った。
黄色の点滅を繰り返していた信号は一斉に赤に変わり、足止めを喰らった長距離トラックの運転手が、いぶかしげに窓から顔を出した。矢のように空を貫く高層ビルの群は、地下へ向かってゆっくりと沈降を開始した。
シンジは迎えに来た自動車に乗って、ネルフ本部へと向かっていた。車の窓からは、ビルの航空標識灯の点滅がゆっくり沈んでゆくのが見えた。後部座席に座っているシンジは、窓から目をそらして自分の右手を見つめた。
車は、すさまじいスピードで地下へ向かうトンネルへ飛び込んでいった。
●
仙石原の市民文化会館のシェルターは、非難してきた人々によって徐々に騒がしくなっていた。
トウジは持ってきたスポーツバックを枕にして、天井の蛍光灯を眺めていた。
「あれ?トウジじゃん」
トウジが顔を起こすと、相田ケンスケが傍らに立っていた。
「お、ケンスケか。お互い、難儀やなあ」
ケンスケは、トウジのとなりに座り込んだ。
「トウジ、お前この近くだっけ?」
「湖尻のシェルターは、危険やゆうてな。おとうがここまで連れてきてくれたんや」
「ふーん。で、親父さんは?」
「こんな非常時に、うちの親が暇なわけないやろ」
「そりゃ、ちょうどいいや」
「あ?」
トウジはバックから頭を起こした。
「あのさ、頼みがあるんだけど」
「頼みって、なんや?」
ケンスケは、トウジの耳もとにささやいた。
「おれが外に出るのを、手伝ってよ」
トウジは体を起こした。
「ああ?外になんか出たら、怪物に殺されてまうで」
「見たいんだよ。ネルフの秘密兵器を」
「あのロボット?あんなもん見てどないするっちゅうんじゃ」
「世紀の大イベントだぞ」
「何が大イベントや。大体、シェルターから外へなんか出れへんで」
ケンスケはニヤリと笑った。
「調べてあるんだよ。トイレの天井に、非常用の脱出口があるんだ。だけど、おれ一人の力じゃ開けられないんだよ。トウジはそこを開けるのを手伝ってくれるだけでいいんだ。あとはおれ一人で行くからさ」
トウジは起き上がると、あぐらをかいた。
「無茶な話や」
「頼むよ」
「死んでまうで」
「死なないよ。遠くから、様子を見るだけさ。トウジに迷惑はかけないよ」
トウジは頭をかくと、溜息をついた。
「お前もほんま、自分の欲求に忠実な奴やなあ」
●
夜が明けはじめていた。
水中を潜航していたその物体は、ゆっくりと浮上し、海面に姿を現した。波を切る先端部分は、船の切っ先のように鋭かった。赤黒い物体の表面は、日光を吸い込んでいるかのように光沢がない。
陸地が近づくと、物体は聴力がマヒしてしまいそうな低音を響かせはじめた。海水は、物体から逃げるように渦を巻いている。やがて、物体は空中にその全貌を現し、海面は物体の放つ低音に押し潰されて不可思議なくぼみをつくった。
東の水平線が白々と光りはじめる中、物体は旧直江津市に上陸した。
軟体動物を彷彿とさせる先端部分のヒレには、巨大な眼球のようなものがある。しかし、それが本当に眼球なのか、それとも疑似眼なのかはわからなかった。エラの下には甲殻類のもののような脚があり、鈍く光る赤い球体を守るように折り曲げてられていた。ヒレから伸びる長い胴体は、空中に浮遊しているのが理解できないほど巨大だった。
物体が上空を通ると、電柱はへし曲げられ、アスファルトは亀裂をおこして陥没していった。建物は押し潰されるように倒壊し、木々は一瞬にして木の葉を散らし、めきめきと悲鳴を上げて裂けていった。
それは、新たなる使徒だった。