NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
17「代償」


 ミサトはシンジの病室から出てくると、静かに扉を閉めた。
 そこはネルフ専用の医療施設だったので、廊下には人通りもなく、ひっそりと静まり返っていた。彼女は窓から差し込む強い日ざしを見つめた。廊下の空間は、日の光で斜めに切り取られていた。セミの賑やかな鳴き声が、窓ガラスを通じて聞こえている。
 ミサトはちらりと病室の扉を振り返ると、きびすを返して歩き去った。


 照明の消されたF5会議室の床には、べったりと地面に伸びる赤黒い使徒の姿が映し出されていた。そのまわりには、映像を取り囲むようにして作戦局のスタッフと副司令の冬月が立っている。
 「以上が、今回の使徒襲撃に関する一次報告の内容です」
 ミサトは喋り終えると、サイドテーブルに乗せてある携帯端末を閉じた。
 「しかしまあ、よく勝ったものだな」
 冬月は、床に映し出されている映像から顔を上げて息をついた。
 冬月の隣に立っている、小柄な作戦局長が首を振った。
 「今回の使徒も、我々の想像を絶するものでしたからな。142通りも立案したRシリーズの作戦ファイルは、すべて再考の余地があります」
 「ですが、あまりに共通点の少ない2件の使徒襲来を目にしては、次に現れる使徒への対策なんて立てようがないのではないですか?」
 作戦課第二課の課長が言った。彼はメガネを外すと、眉間を揉みほぐした。
 局長は、むっとして横を向いた。
 「何のための作戦局だ。課長自らが弱音を吐いてもらっては困るね」
 ミサトの隣に立っていた女性が、顔を上げた。
 「お言葉ですが、我々はあまりに使徒の存在について知識不足です」
 「そうだな…」
 冬月は、潰れた使徒の画像を見下ろした。
 ミサトは口を開いた。
 「私は、技術開発部へポジトロンライフルの早期開発を要求します。今のところ、使徒がATフィールドをまとって現れることだけは確実にわかっています。エヴァにはATフィールドを突き破ることのできる高エネルギー火器が必要です」
 「それがなくては、エヴァンゲリオンには接近戦しか残されていませんからね」
 二課の課長はミサトを見た。ミサトは言った。
 「そうです。そしてそれは、あまりにリスクの大きい戦闘行為です」
 冬月は、うなずいた。
 「ポジトロンライフルの開発は、最優先課題として予算も大幅に計上してある。プロトタイプも完成したようだしな」
 局長は冬月を見た。
 「あとどれくらいで、実用化されますか?」
 「うん…。早くて半年後かな。エヴァが携帯できるまで小型化するには問題が残っているようだ」
 ミサトの隣の女性は溜息をついた。
 「半年後ですか…」
 「その間に、新たな使徒が現れることは否定できませんね」
 二課の課長は言った。
 局長はスタッフ全員を見渡しながら口を開いた。
 「その通り。我々もただポジトロンライフルの完成を待っているわけにはいかない。Rシリーズの作戦ファイルは全面改訂してくれ。以上だ」
 床に映し出されていた画像は消され、会議室に照明が灯った。作戦局のスタッフたちは、ばらばらと部屋から出ていった。
 ミサトは廊下に出ると、冬月の後を追った。
 「副司令」
 「なんだ?」
 冬月は、足を止めて振り返った。
 「副司令、碇司令はどちらですか?」
 「司令は司令で別の会議だ」
 「そうですか…」
 「どうしたんだ?」
 「いえ、初号機の搭乗者について少しお話ししたいことがあったのですが」
 冬月は、息をつくと歩き始めた。
 「そうか。碇の息子か」
 「はい」
 「そう言えば、彼は君が保護しているのだったね」
 「はい」
 「容態はどうだね」
 「極端に衰弱しています。命に別状はないそうですが」
 「そうか、そうだな…」
 ミサトは冬月の顔を見上げた。
 「あの、ですから…。私にこんなことを言う権利はありませんが…、司令はまだ一度もシンジ君に会っておられませんし…」
 冬月は、立ち止まるとミサトを見た。
 「葛城一尉」
 「はい」
 冬月は言った。
 「碇はな、閉ざされた男だ」
 「…どういう意味ですか?」
 「碇に見えているのは、非常に狭い世界だけだ。その世界以外のものは、奴には関係ないのだよ」
 「…」
 「まあ、見えている世界は、はるか彼方まで見渡しているのだが…」
 冬月は息をついた。
 「碇の閉ざされた世界には、奴の息子は入っていないのかもしれんな」


 ゲンドウは、暗闇の部屋の中でホログラムの老人達と円卓を囲んでいた。
 「今回は、たった1カ月か」
 「我々の都合はお構いなしだな」
 「第四次拡張計画がようやく軌道にのったところだというのに」
 「薄氷を渡る思いだよ」
 「本計画への予算、さらに増やすべきではないか?」
 「いや、今でも限界だよ」
 「しかし、よく勝ってくれた」
 「全くだ」
 「君の御子息には、感謝の言葉もないよ」
 ゲンドウは、口を開いた。
 「初号機の損傷は深刻です。現在、ドイツから弐号機用の生体部品を急遽まわしてもらっていますが、修復には50日以上かかります」
 顔のほとんどを覆う奇妙なメガネをつけた老人が、口を開いた。
 「補完計画への影響はどの程度だ?」
 ゲンドウは言った。
 「はい。約1年の遅れが出るものと思われます」
 円卓を沈黙が襲った。
 しばらくして、東洋人風の老人が口を開いた。
 「仕方あるまい。1年で済んでいるのは幸運ではないか」
 「…莫大な金が必要だ」
 「この政権も、もう少し長生きさせねばな」
 「できるかね?」
 「やるさ。やらねばなるまい」
 「アジアの不満は、そろそろ限界だよ」
 「それを言うなら、我が国も同じだ」
 大柄な白人の老人が、溜息をついた。
 「いささか疲れたな。ほころびはあまりに大きい」
 東洋人風の老人は椅子にもたれかかった。
 「しかし、ここで立ち止まるわけにはいかんよ。調停が下される日は目前なのだ」
 「さよう。思えばずいぶん長い間、我々は歩いてきたではないか」
 奇妙なメガネの老人は、腕組みをした。
 「碇、スケジュールの遅れは1年に抑えられるのか?」
 「はい。問題なのは、エヴァシステムだけですから」
 「ならば1年間の遅延に耐えてもらわねばならないが…」
 メガネの老人は、円卓を見渡した。マスクのようなメガネからのぞく顎は屈強で、老人の固い意思を誇示していた。しかし、口元に刻まれたしわには、ぞっとするような老いが潜んでいた。
 円卓に座る影法師達は、重苦しい肯定の沈黙を示した。
 老人は言った。
 「以上だ」
 円卓は、一瞬にして暗闇に消え去った。
 ゲンドウは机に肘を突いて自分の頬に手を触れると、老人達の消え去った暗闇を見つめた。


 真上から照りつける強い日ざしに、第一中学校の校庭はほこりっぽく焼きついていた。2年A組の生徒達は、うんざりするような暑さの中で、体育の授業を受けている。
 トウジとケンスケはクラスメイトに混じって、50メートル走のタイムを計る順番を待っていた。
 トウジは校庭の土手に寝ころぶと、溜息をついた。
 「もう、1週間か…」
 ケンスケは振り向いた。
 「おれたちが、こっぴどく叱られてから?」
 「転校生が、血塗れになっとるのを見てからや」
 「あいつ、ずっと休んでるね」
 「大丈夫なんかなあ」
 「さあ。もしかしたら、やばいかもね」
 トウジは起き上がった。
 「やばいって、お前」
 ケンスケは鼻の下をこすった。
 「だって、血を吐いてたんだぜ」
 「…」
 トウジはうつむいた。
 ケンスケは、トウジの方を向いた。
 「えらく気にするじゃない」
 「何を?」
 「転校生を」
 トウジは溜息をついた。
 「…わしなあ。転校生のこと、どついてもうたんや」
 「らしいね」
 トウジは顔を上げた。
 「けどな、わし…」
 「わかってるよ」
 ケンスケは、遮るように言った。
 「トウジがあいつを殴った気持ちはわかってるよ」
 トウジは下を向いた。
 トラックでは、クラスメイト達が全力で走っていた。シューズの底で削られた地面が、土埃となって周囲に拡散している。
 ケンスケは膝を抱えながら言葉を続けた。
 「だけど碇って奴も、わざとトウジの妹に怪我させたんじゃないよ。きっと」
 トウジはぽつりとつぶやいた。
 「…あいつ、あんな無茶苦茶な化け物と戦かっとったんやな」
 体育の教師が、二人を呼んだ。
 「出番だってよ」
 ケンスケは、トウジの袖を引っ張って立たせた。二人はトラックの方へ歩き始めた。


 レイは診察室から出ると、自分の右腕を見つめた。
 彼女の右腕のギブスは、簡単なものに取り替えられていた。レイは動かせるようになった右手を握ってみた。
 レイが顔を上げると、廊下の向こうから移動式のベットが押されてきていた。ベットにはシンジが横たわっていた。シンジはうつろな眼差しで、天井を見上げている。
 ベットはレイのわきを通りすぎていった。彼女はなぜか、シンジの顔から目が放せなかった。
 ベットは診察室の中へ運び込まれ、扉が閉ざされた。
 レイは我に返ったように、誰もいない廊下を見渡した。