NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
19「悪夢」


 シンジは平原を歩いていた。地面は干からびていて、踏みつけると不快な暑さが靴底から伝わってきた。空を見上げると、7つの太陽が輪になって輝いている。背中は針で刺されたようにちりちりと焼きついていた。それなのに、あたりはサングラスを掛けたように薄暗いのだった。
 シンジはずいぶん歩き続けていた。彼は汗をかいているのだが、手の甲でこすると、既に塩の結晶になっていた。
 シンジは立ち止まると、溜息をついた。太陽は炎のように輝いている。彼はプラグスーツ姿の自分を見た。
 (これを脱げば楽になるのに)
 彼は額にこびりついた塩の結晶をこすり落とした。
 その時、シンジはふいに頬に衝撃を受けて地面に倒れた。顔を上げると、スポーツウェア姿の少年が立っていた。それはトウジだった。
 シンジは倒れたままあとずさった。いつのまにか地面は砂漠になっており、焼けつく砂地が彼の手足をつかんでいた。
 少年はポケットに手を入れると、言った。
 「お前はいらない人間や」
 (やめて…)
 シンジは口を開いたが、声が出なかった。彼の身体は、急速に砂地に飲まれていった。
 少年の身体が突然崩れはじめた。顔は泥のように地面に落ち、中から赤く光る球体が現れた。手足は風船が膨らむように膨張してゆき、皮膚が避けると、中から赤黒い触手が飛び出した。
 それは使徒だった。
 使徒は球体のまわりの触手をふるわせながら、シンジを押しつぶし始めた。
 (やめてっ)
 使徒の触手が、シンジの顔に触れようとしていた。シンジは右手で必死にそれを払いのけようとした。ところが、彼の右手は枯れ枝のように干からびていて動かなかった。
 「やめてっ!」
 シンジはベットから跳び起きた。
 彼は暗い部屋の中で、何が起こったのか理解できずに肩で息をしていた。時計の針は、午前4時を指している。カーテンの隙間から、淡い朝の兆しがこぼれていた。
 シンジは膝を抱えると、顔を伏せた。
 退院してから2週間も経つと、シンジの搭乗訓練は再開された。
 ミサトのマンションと、医療施設、それからネルフ本部の3ヶ所を移動する毎日が始まった。
 午前中はカーテンの締め切った自分の部屋ですごし、午後になると医療施設で精神科医のカウンセリングを受けた。夕方になるとジオフロントへ下り、地下施設で疑似体の中に身を横たえるのだった。
 シンジは黙って、それに従っていた。
 ただ、学校だけは忘れられたままだった。彼が学校へ行かなくなってから、もうすぐ2カ月になろうとしていた。
 シンジの担任の温厚な老教師は、週に何度か彼の部屋を訪れていた。しかし、黙ってうつむく少年の姿に口をつぐんで、帰って行くのが常だった。学校の教室にあるシンジの机は、ひっそりと置き去りにされていた。
 トウジは座り手のいないシンジの席を、じっと見ていることが多くなった。
 放課後、クラスメイトが帰ってしまった誰もいない教室で、トウジはシンジの机に近寄った。彼は机の中をのぞいた。机の中には、プリントが数枚入っているだけだった。
 「鈴原」
 トウジは、自分の名前を呼ばれて顔を上げた。いつのまにか、彼の後ろにはクラス委員長の洞木ヒカリが立っていた。
 「なんや?委員長」
 ヒカリは携帯端末を胸に抱いたまま、眉間にしわを寄せた。
 「週番なのに、何やってんの?早くゴミを焼却炉に持って行ってくれないと、用務員のおじさんに怒られちゃうでしょ」
 「お、すまん。今から持っていくところや」
 ヒカリは続いて何か文句を言おうとしたのだが、トウジの顔を見てふと口をつぐんだ。
 「…どうしたの?」
 「ん?ああ、いや。転校生がな…」
 ヒカリはシンジの机を見た。
 「碇君のこと?そういえば、ずいぶん学校を休んでいるわね」
 「ほんまやな」
 トウジは両手をポケットに入れて、シンジの机を見下ろした。
 「鈴原達が見たって言う怪物と戦ったときの怪我、まだ治らないのかな」
 「…」
 トウジは口を結ぶと顔を上げた。
 「なあ、委員長」
 「何?」
 ヒカリは顔を上げた。
 「転校生の住所、わかるか?」
 「え?うん。ちょっと待って」
 彼女は携帯端末から、クラス名簿を呼び出した。
 「すまんな。ちょっと紙取ってくるわ」
 トウジは自分の机まで行って、プリントと鉛筆を持ってきた。彼はプリントを裏にしてシンジの机の上に広げると、ヒカリの差し出す携帯端末のディスプレイを見てメモを取った。
 ヒカリは、鉛筆を走らせるトウジの横顔をじっと見ていた。
 「お見舞いに行くの?」
 「ん?まあ、ようわからんけど」
 「えらいね」
 「そんなもんやないで…。おし、ありがと」
 トウジは顔を上げた。ヒカリは我に返ったように端末に目を落とした。
 「ほな、ゴミ捨ててくるわ」
 プリントと鉛筆をポケットにねじ込むと、トウジはごみ箱の方へ歩いていった。
 ヒカリは言った。
 「鈴原」
 「なんや?」
 トウジは振り返った。
 ヒカリは息を吸い込んで言った。
 「鈴原が碇君を殴ったって陰口たたく人がいるんだけど、そんなの嘘だよね」
 トウジはゴミ箱をつかむと、ヒカリを振り返った。
 「…いや、それは嘘やない。本当のことや」
 「そんな、どうして」
 「わしはアホやからな。転校生が学校に来んのは、たぶんわしのせいや」
 トウジは吐き捨てるように言うと、教室から出ていった。ヒカリは呆気にとられて、彼の消えた教室の入口を見ていた。
 トウジは学校の帰り、プリントのメモを見ながらシンジのマンションをたずねた。トウジは「葛城」という表札の掛かっている扉の前に立ち止まった。
 「ここや」
 トウジは壁のボタンをじっと見つめた。しかし、ぐっと奥歯を噛みしめると呼び鈴を押した。
 部屋の中で、チャイムが鳴るのが聞こえた。しかし、扉の向こうに人の気配は訪れなかった。トウジはもう一度ボタンを押した。電子音だけが虚しく響いた。
 「なんや、留守か…」
 彼は溜息をつくと、辺りを見回した。
 マンションの廊下は山の斜面に面していて、雑木林がすぐ目の前まで迫っている。夕暮れの風は林を波立たせ、木の葉に反射する太陽の光を明滅させていた。


 シンジはいつしか、レイと言葉をかわすようになっていた。
 ただでさえ口数の少ない二人の会話は、ともすれば沈黙に支配されることが多かった。しかし、待機室やロッカールームの入り口、あるいは診察室の前のベンチで、シンジはレイが視線を向けてくれることを待ち望むようになった。
 「綾波は、なんでエヴァに乗るの?」
 シンジはジオフロントから地下へ通じる長いエレベーターの中で、レイにこんな質問をしたことがあった。
 レイはシンジに背を向け、エレベーターのドアを見ていた。
 「私はそのために生まれてきたから」
 シンジは色素のほとんどない灰色の髪の毛へ視線を向けた。
 「…エヴァに乗るの、怖くないの?」
 「どうして?」
 「だって、…ぼくは怖いから」
 シンジは右手に力を入れた。
 レイはじっと黙っていた。
 シンジはエレベーターの壁に背中を預けた。エレベーターの下降するかすかな機械音が、背中に伝わっていた。
 (それなのに、ぼくはなぜ訓練なんか受けているんだろう?)
 エレベーターのカウンターを見上げると、デジタルの数字がゆっくりとカウントを打っていた。
 「私が怖いのは生き物。人が怖いわ」
 レイが突然口を開いたので、シンジは我に返った。
 「あ…ああ、それはぼくにもわかるよ。ぼくも人が怖い」
 しばらくの沈黙の後、シンジは再び口を開いた。
 「…でも、やっぱりエヴァも怖いな」
 「なぜ怖いの?」
 「だって、エヴァに乗ったら死ぬかもしれないんだよ。綾波は、死んでもいいの?」
 「かまわないわ」
 レイはつぶやいた。彼女の視線は、ずっとエレベーターのドアをとらえていた。
 「私が死んでも、代わりはいるもの」


 E1観察室には、オペレーター達が端末を叩く音が静かに響いていた。
 リツコは、シンジの訓練データを一通り整理し終えると、端末を抱えて立ち上がった。
 「私はE2観察室の方へ行くから、あとよろしくね」
 オペレーター達は顔を上げると彼女に会釈した。その中の一人が、リツコに言った。
 「いよいよ再起動実験ですね」
 「あらゆる対策を施したのだから、後は結果待ちよ」
 リツコは微笑むと、観察室の出口を振り返った。すると、今訓練を終えたばかりのシンジが立っていた。
 彼女は歩きながら、シンジに言った。
 「ご苦労さま、今日はもういいわよ」
 シンジは無言でうなずくと、肩に掛けたカバンのベルトを引っ張りあげた。
 リツコは廊下に出ると、E2観察室の方へ歩いていった。廊下では、作業員や研究員があわただしく擦れ違っていた。その中の何人かが、リツコの姿を見て頭を下げていった。
 リツコは、エレベーターの前で副司令の冬月が誰かと立ち話をしていることに気付いた。彼女はまっすぐ歩いて行くと、冬月に声をかけた。
 「副司令」
 冬月は、リツコの方へ顔を向けた。
 「うん。赤城君か」
 「零号機の再起動実験のために、お見えになったのですか?」
 冬月は笑みを浮かべると、手を後ろで組んだ。
 「そんなところだな。どうだね、経過は?」
 「順調です。想定しうる問題点は、すべて対処済みです」
 「そうか。期待しているよ。いつまでも初号機だけというわけにはいかんからな」
 「碇司令は、お見えにならないのですか?」
 「ん?遅れて来るそうだ。会議の連続だからな」
 「そうですか。では、観察室へ行きましょう。すぐに実験が始まります」
 冬月はうなずくと、先ほどまで話をしていた男の方を見た。
 「こちらは三課の小林君だ。先日ドイツから来たばかりでね。彼も実験に同席したいと言っている」
 リツコは男を見た。
 「はじめまして、赤城です」
 男はリツコに手を差し出した。
 「こちらこそ。お会いできて光栄です、博士」
 リツコは男と握手すると、廊下の向こうを見た。
 「では、あちらへ」
 三人は、廊下を歩き始めた。
 彼らが行ってしまった後には、シンジが一人立ちつくしていた。彼はエレベーターに乗ろうとして、偶然三人の会話を耳にしたのだった。
 シンジはリツコ達の消えた廊下の角を凝視していた。
 (碇司令…。父さん?)