NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
20「再起動実験」


 E2実験室の巨大な空間は216基の強力な照明で皓々と照らされていた。実験室の壁には、特殊ゲルが封入された灰色の衝撃吸収材が張り巡らされている。その中に立ちはだかる零号機の黄色い巨体は、壁に埋め込まれた拘束具に18箇所のジョイントで固定されたあげく、両肩を大型のゲージで押さえつけられていた。
 その隙間にかろうじてのぞく零号機の頭部は、幾分うつむいて単眼のレンズを影に隠していた。
 リツコはE2観察室の窓から零号機の顔部を見つめていたが、白衣のポケットに手を入れると振り返った。観察室の中は、オペレーターと見学者でいっぱいだった。彼女が椅子に座ると、オペレーターが顔を上げた。
 「零号機のエントリープラグの挿入、完了しています」
 「そう。搭乗者の状態は?」
 「脈拍、呼吸共に正常値です」
 リツコはうなずくと再び黄色い防弾ガラスの向こうを見た。リツコの側に立っていた冬月がつぶやいた。
 「いよいよだな」
 リツコは言った。
 「それでは、零号機の再起動実験を開始します」
 レイは、エントリープラグの中で白い内壁を見つめていた。外部とのモニターは切られていたので、プラグの中には耳の痛くなるような静寂が漂っていた。彼女は溜息をつくと、シートに横たわる自分の身体へ視線を移した。
 やがて微かな機械音がして、エントリープラグの中は急速にLCLで満たされていった。


 シンジは4基あるエレベーターの入り口に立っていた。エレベーターの入口の脇には、彼の背丈ほどもある観葉植物の鉢植えが置いてあった。しかし、それはプラスチック製の人工物だった。葉脈までくっきりと浮かび上がる鮮明な緑色の葉は、すべて印刷されたものだった。
 シンジは作り物の葉を1枚抜き取ると、指で触ってみた。葉の表面にはうっすらと埃が積もっていて、彼の指に白くこびりついた。
 その時、エレベーターの扉の一つが開いた。シンジは、はっとして顔を上げた。親指ほどもある太いケーブルを輪にして抱えた作業員が、シンジをちらりと見て向こうの方へ歩いていった。
 シンジは溜息をつくと、プラスチックの葉っぱに視線を落とした。
 廊下には、先ほどのあわただしさはなくなっていた。人通りはとぎれ、明るい照明で照らされた床が白く光っていた。
 シンジは抜き取った葉をもとのところに差し込むと、指についた汚れをズボンでふいた。
 エレベーターの扉が、再び開いた。シンジは顔を上げて、息を飲んだ。
 エレベーターから出てきた男は、シンジの脳裏に微かに残る父親の顔立ちを持っていた。男はE2観察室のある右の方へ視線を走らせた。その時、彼の視界の中に少年の姿が入った。男はシンジを見た。
 シンジは思わず、口を開いた。
 「父さん、父さんでしょ?」
 その男は、メガネの奥で目を細めると言った。
 「シンジか。久しぶりだな」
 男はすぐにシンジから視線をそらすと、歩き始めた。
 「あ、あの…」
 シンジは、自分の父親が歩き去ってゆく姿を呆然と見つめていた。男は、振り返りもせずに廊下の角に消えてしまった。
 シンジはつぶやいた。
 「…そんな」


 観察室の中は、オペレーターの声で騒々しくなっていた。
 「外部電源接続完了」
 「神経節に異状なし。頭部から5.5秒間隔で解放します」
 「左腕動力センサー、あとコンマ4上げてください」
 「感覚神経のヒューズ、作動値確認」
 「神経接続を開始します。A10神経接続開始。ニューロン交換回路に異常ありません。」
 「思考言語は日本語を基調とします」
 観察室の中の見学者達は、言葉をかわすのをやめて防弾ガラスの向こうの巨人を見つめ始めた。リツコは白衣のポケットに手を入れたまま、端末のディスプレイに現れる数値を凝視していた。
 オペレーター達は、端末を叩き終えると次々に顔を上げた。
 「搭乗者の異常、認められません」
 「全神経接続終了。異状ありません」
 「拘束具、神経ヒューズ、すべて問題ありません」
 観察室の中に、一瞬沈黙が訪れた。リツコは立ち上がった。
 「それでは、60パーセントの抵抗をかけてシンクロ開始。以後毎秒1.25パーセントずつ負荷を減らして行きます」
 「了解。零号機シンクロを開始します」
 オペレーター達は、再び端末に視線を落とした。
 巨大な実験室の中には、低い地鳴りにも似た低周波が生まれ始めた。
 その時、観察室の中にゲンドウが入ってきた。彼はゆっくりと防弾ガラスの前まで行くと、零号機を見下ろした。
 「どうだ?」
 冬月が、顔を向けた。
 「ちょうど今、シンクロを開始したところだ」
 リツコはゲンドウを見ると、口をつぐんで端末を見下ろした。観察室の中に、オペレーターの声が響いた。
 「シンクロ率現在1.24パーセント。毎秒2.1パーセントずつ増加しています」
 零号機の指先が震え始めた。身体の節々の筋肉組織が、まるで独立した生き物のように微かに痙攣し、拘束具のジョイントをきしませていた。
 「シンクロ率、順調に上昇中。10…12…14、まもなくボーダーライン突破です」
 ゲンドウは、メガネの奥からじっと零号機を見つめていた。リツコは、ポケットの中の手を握り締めた。
 オペレーターはモニターを続けた。
 「16…18…20!臨界突破。零号機起動しました」
 零号機はゆっくりと顔を起こすと、両手を握り締めた。
 観察室の中に、どよめきが広がった。リツコは息を吐き出すと、口を開いた。
 「了解。シンクロモニタを維持、各神経節の状況に注意して」
 冬月は、零号機の握り締めた拳を見て目を細めると、ゲンドウの方を見た。
 「やっと使えるようになったな」
 「ああ」
 ゲンドウはリツコの方を見ると、彼女に話しかけた。
 「神経ヒューズを使うまでもなかったな。よくやった」
 「ありがとうございます」
 リツコは笑顔を見せた。
 レイはエントリープラグの内壁に映し出された実験室を見渡した。
 照明はあらゆる角度から照らされ、この部屋に存在するすべての闇を消滅させようとしているかのようだった。彼女は正面から照らされるいくつもの強い光に目を細めた。零号機のオレンジ色のレンズが、素早く絞りを狭めた。
 プラグの内壁の画像は適度に照度調整され、正面にある観察室の窓が見えるようになった。
 彼女は身体中が何か固いもので押さえつけられているような感覚を意識すると、そっと息を吐き出して目をつぶった。
 エントリープラグの中に、リツコの声が響いた。
 「レイ、聞こえる?」
 レイはすぐに目を開けた。
 「はい」
 「実験は成功よ。ご苦労さま、あがってきて」
 「了解」
 突然、内壁に映し出されていた画像が蒸発した。レイは一瞬身体が痺れるような嫌な感覚を味わった。
 レイはグリップから右手を放すと、自分の頬を触ってみた。


 ゲンドウと冬月は、観察室を後にすると廊下を歩き始めた。
 冬月は白くなった髪の毛をこすりながら言った。
 「これで一段落だな」
 「ああ」
 「ポジトロンライフルの開発に人員を割ける」
 ゲンドウはメガネのフレームを押し上げた。
 「いや。最優先課題はダミーシステムだ」
 「そうなのか?火器開発の方が先決ではないのか?これまでの戦闘では、接近戦でひどい痛手を負っているじゃないか」
 「まあな」
 冬月は、眉をそびやかした。
 「また、ゼーレか」
 「老人達がうるさいのもある。だが、ダミーシステムが意外に使えるものになるかもしれないのでね。その期待の方が大きい」
 「ほう。初号機暴走時のデータを利用するという、あれか」
 「そうだ」
 二人はエレベーターのある場所まで歩いてきた。冬月は、観葉植物の影にシンジが立っていることに気付いた。
 「…お前の息子だぞ」
 ゲンドウは、メガネのフレームを押し上げただけで何も言わなかった。彼はシンジの前を通り越してエレベーターの入り口に立った。冬月は口をつぐんでシンジを見ると、エレベーターのボタンを押した。
 シンジは、ゲンドウをじっと見ていた。彼は言った。
 「父さん、待ってよ」
 ゲンドウは、シンジの方を見た。
 「何の用だ」
 その言葉を聞いた瞬間、シンジは奥歯を噛みしめた。
 「父さん。父さんはなぜぼくを呼んだの?」
 「お前の思っている通りだ」
 ゲンドウの前のエレベーターの扉が開いた。しかし、シンジは語気を強めながら自分の父親を見上げていた。
 「じゃ、エヴァに乗せてあんな怪物と戦わせるために、ぼくを呼んだの?」
 「その通りだ」
 冬月は、シンジの顔が紅潮していることに気付いた。彼はゲンドウを見た。
 「碇…」
 シンジは冬月の声を遮るように叫んだ。
 「嫌だよこんなの!なぜなんだよ!」
 「他の人間には、無理だからな」
 ゲンドウは無表情な視線をシンジからそらすと、エレベーターに乗り込もうとした。
 「待ってよ父さん!父さんは、ぼくがいらないんじゃなかったの?」
 ゲンドウは、ちらりとシンジを見て言った。
 「必要だから呼んだまでだ。つまらんことで煩わすな」
 ゲンドウはエレベーターの中に姿を消した。
 冬月は眉間にしわを寄せてシンジを見ていたが、彼に声をかけるすべを見つけられぬまま、扉の中へ入っていった。エレベーターはシンジを残して閉じられた。
 シンジは震えながら閉ざされた扉を見つめた。