NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
22「暗闇の噴水」


 ケンスケは建物の隙間に飛び込むと、身体を伏せて息をひそめた。
 あたりは薄暗かった。建物の壁はコンクリートでできていて、ところどころに跳弾の痕がある。地面にはどす黒い水たまりが広がっていた。ケンスケは通りの方をじっと見つめた。
 ひたひたと地面を蹴る音が聞こえたかと思うと、ケンスケの目の前を角を生やした化け物が走りすぎていった。全身を茶色い毛で覆われ、口からは犬のように舌を垂らしていた。長い爪を生やした手の先には、人間の生首がぶら下がっている。
 化け物をやり過ごすと、ケンスケは両手に持っていたショットガンの残弾を確認した。彼は壁に背中を押しつけて深呼吸をした。そして、ふいに半身を乗り出すとショットガンを連射した。
 10メートルほど先を走っていた化け物は、背中に散弾を浴びて前のめりに倒れた。化け物の手からこぼれた生首が、地面に転がって低い音を立てた。
 ケンスケはすぐに建物の隙間に身を隠すと、しゃがみこんでつぶやいた。
 「18匹目!」
 彼はショットガンに弾を補充すると、地面に転がる白骨化した死体をまたいで路地の奥の方へ歩き始めた。
 その時、ケンスケは首の後ろにしびれるような衝撃を感じて前にのめった。空を振り仰ぐと、1メートルはありそうなサソリが、壁の上の方にへばり付いていた。サソリは今しがたケンスケの首筋に突き立てたばかりの尾の針を、弧を描くように振り回していた。
 ケンスケは首の後ろに手をやった。手にはべったり血が付いていた。
 「あ…」
 彼の視界は、急速に暗くなっていった。
 ケンスケはヘッドマウントディスプレイを外すと、顔をしかめた。ヘッドマウントディスプレイがないと、そこは衝撃吸収剤で囲まれた灰色の小部屋だった。
 彼の目の前には、先ほどの戦闘結果とスコアがホログラムで表示されていた。ここはゲームセンターの一室で、ケンスケは仮想世界で怪物と戦うゲームを楽しんでいたのだった。
 彼はモーションキャプチャー用のつなぎのジッパーを降ろしながらつぶやいた。
 「まだまだ甘いねえ」
 ゲームセンターを出ると、ケンスケは腕時計を見た。時計の針は9時半を指していた。彼は自転車にまたがって夜の繁華街を走り出した。
 ケンスケはコンビニエンスストアを見つけると、自転車のブレーキをかけた。自転車のスタンドを出して鍵をかけようとして、彼は見たことのある少年が向こうの方へ歩いてゆくことに気付いた。
 「あれ、…碇?」
 ケンスケは立ち上がった。
 「おーい!碇」
 少年は身をすくめて振り返った。
 ケンスケは自転車にロックすると、少年の方へ歩いていった。
 「碇じゃない。おれ、わかる?同じクラスの相田だけど」
 少年は黙ってケンスケを見ていた。
 「ま、わかんなくても仕方ないか。どうしたの、学校休んでばっかりだったけど」
 少年はうつむくと、肩に掛けたバックを持ち直した。
 ケンスケは息をつくと言った。
 「ま、それはともかくとして…。ねえ碇、腹へってない?」
 少年は目を見開いて顔を上げた。
 「どっか食いに行こうぜ」
 「え?いや、ぼくは…」
 ケンスケはニッと笑った。
 「いいから、いいから。おれのおごり。ね」
 ハンバーガーショップの店の中は、オレンジ色の照明で温かく照らされていた。ケンスケとシンジは窓際の小さなテーブルを陣取ると、ハンバーガーやジュースの乗ったトレイをそこに乗せた。店内では他に二組の客が雑談をしながらテーブルを囲んでいる。窓からは、繁華街の派手なネオン灯が輝いて見えた。
 「碇って、この近く?いいよね桃源台って。おれんちのまわりはなんにもないからさ、ゲームするにもここまでわざわざチャリだよ」
 ケンスケは赤い包みを開くと、ハンバーガーを大きくほおばった。
 シンジは目の前のトレイに乗った、ハンバーガーの包みを見ていた。
 ケンスケは口をもぐもぐ動かしながら言った。
 「どうしたの?食べなよ」
 「あ、うん」
 シンジはオレンジジュースの入った紙コップを手に取ると、ストローをフタに刺した。
 ケンスケは言った。
 「そう言えば、この前の戦闘は大変だったね。大怪我してたみたいじゃない」
 「うん」
 シンジは無意識にうなずいてから、急に顔を上げた。
 「…知ってるの?」
 ケンスケはコーラでハンバーガーを飲み込んだ。
 「学校の先生は、碇は病気で休んでいるって言ってるよ。でも、おれは見ちゃったんだ。この前の非常警報のとき、こっそりシェルター抜け出して外の様子を見てたんだよ」
 シンジは再びうつむいた。
 ケンスケは言った。
 「見たよ。碇が戦っているところ。…碇が大怪我したところもね」
 店内には、80年代風のオールディーズが流れていた。向こうのテーブルに座っているカップルが、話に盛り上がって笑い声を上げている。
 ケンスケはシンジを見た。
 「好奇心だけで見に行ったんだけどさ、正直びびったよ。あんな怪物と戦うなんて…。すごい奴だな、碇は」
 シンジは顔を上げた。
 「え?」
 「おれなんか、遠くで見てただけなのに腰が抜けちゃってさ。ほんと、よく戦えるよな。感心しちゃうよ」
 「…」
 「怪我はもういいの?」
 「え?うん。怪我は、大丈夫だよ」
 ケンスケは食べかけのハンバーガーをトレイに置くと、頭の後ろで手を組んだ。
 「参っちゃうよなあ。同じ歳の奴が、エヴァンゲリオンのパイロットなんだからな」
 「…エヴァの名前まで知ってるの?」
 ケンスケはメガネのフレームを押さえた。
 「おれの情報収集能力を侮ってもらっては困るよ。だけど、エヴァって何?」
 「え?ああ、エヴァンゲリオンのことを、略してエヴァって呼んでるんだよ」
 「へえ。さすがにそこまでは知らなかったな」
 ケンスケは笑いながらハンバーガーの残りにかじりついた。
 シンジは自分のハンバーガーの乗ったトレイを見ると、ほっと息をついた。彼は、食欲を感じていなかったがハンバーガーを手に取った。
 食事を終えると、二人は店を出た。
 「どうもありがとう」
 シンジは自転車にまたがったケンスケに言った。
 「いいよ。おれも碇と話ができて嬉しかったから」
 シンジはたじろいだ。
 「そ、そんな」
 ケンスケはファイティングポーズを取って腕を振り回した。
 「ほんとすごいよな。エヴァのパイロットだもんな。あ、そうだ」
 ケンスケはシンジを見た。
 「トウジの奴、反省してたよ」
 「え?」
 「ほら、碇を殴った奴がいただろ?」
 「あ」
 シンジは夢にまで現れた少年の顔を思い出した。
 「あいつもおれと一緒に、碇が戦っているところを見てたんだよ。それで、すげー反省してた」
 シンジはつぶやいた。
 「…なんで、ぼくは殴られたのかな」
 ケンスケは眉をつり上げた。
 「あいつ、理由も言わずに殴ったの?…トウジらしいや。あのさ、あいつの妹が怪物とエヴァとの戦いに巻き込まれて大怪我しちゃったんだよ」
 「大怪我?」
 「で、それは碇のせいだってわけで、殴っちゃったんだよ」
 「…」
 「ま、碇が戦ってくれなかったら、この街全部がやられてたかもしれないんだから、殴るなんてとんでもない話だけどね。あいつの妹も大変なことになってるんだ。トウジの気持ちもわかってくれって言うのは、まあ無理か…。無理だよな。いきなりだもんな」
 シンジはうつむいた。
 ケンスケは自転車のグリップを握って言葉を続けた。
 「それより、がんばりなよ」
 「え?」
 「エヴァだよ」
 「あ…、うん」
 シンジは口をつぐんだ。
 「じゃ、おれ行くから。またね」
 「うん」
 ケンスケは手を振ると、自転車を走らせて通りの向こうへ消えていった。
 シンジはカバンを肩に掛けると、ケンスケとは反対の方向へ歩き始めた。彼は間もなく公園を見つけ、その中へ入っていった。シンジはベンチに座った。
 公園には誰もいなかった。赤いレンガを敷き詰めた地面が外灯に照らされている。公園の中央にある小さな噴水が、さらさらと水を吹き上げていた。
 シンジは闇の中で水が躍る様を見つめた。
 (妹が怪我して、それで…)
 彼はケンスケの言葉を思い出した。「トウジの奴、反省してたよ」
 噴水の水は、常に水を吹き上げながら一度として同じ形をしていなかった。不規則に盛り上がり、しぶきを上げてなだれ落ち、広く水面に広がっていった。
 彼は右手を握り締めてつぶやいた。
 「でも、もういいんだ。ぼくは逃げ出したんだ」


 「なんやて!」
 トウジが電話口であまりに大声でどなったので、ケンスケは顔をしかめて受話器から耳を離した。
 「うるさいな。静かに喋ってよ」
 「アホ!お前、なんでわしを呼ばんかったんや」
 「えー?呼んでどうするの」
 トウジは口ごもった。
 「呼んで…、それで謝るんやないか」
 「トウジが反省してたことは、ちゃんと言っといたよ」
 「そんだけじゃ、ぜんぜんだめや。わしはあいつをどついとるんやぞ」
 「まあ、そうかもしれないけど」
 「そやけど、なんで桃源台で転校生と会うんや?」
 「そりゃ、あいつの家が桃源台だからだろ?」
 「転校生の住所は金時山やぞ。まるで反対方向やないか。わしは一度、あいつの家に行ってみたことがあるんや」
 「ええ?そうなんだ。で、会えたの?」
 「いや、留守みたいやったけど」
 「ふーん。もしかして、それってダミーの住所なんじゃないの?」
 「ああ?」
 「だって、碇はネルフのパイロットだぞ。住所だって機密かもしれないじゃない」
 「…そう言えば転校生の住所を訪ねていったとき、入り口の表札が碇じゃなかったんで変やと思ったんやったな」
 「やっぱりそうだよ!あいつの住所は、本当は桃源台なんだよ」
 「そうか…。そりゃあかんな」
 「どうして?」
 「転校生の奴がどこにいるのか、さっぱりわからんやないか」
 「ああ、まあねえ」
 「ケンスケ、転校生の奴、学校に来るゆうとったか?」
 「え?いや、そういう話はしなかったけど」
 トウジは溜息をついた。
 「学校には来ん、家はわからんじゃなあ…」


 ミサトは自分のマンションに戻ると、入り口のドアを開いた。
 中は暗く、静まり返っていた。彼女は廊下の電気をつけると、ダイニングルームへ入っていった。テーブルの上には、コップが一つ、忘れられたように乗せられている。朝、ミサトが部屋をでたときのままだった。
 ミサトはそのままダイニングルームを通って、シンジの部屋の前まで行った。彼女はふすまを開けた。カーテンは閉ざされたままで、布団はきちんとたたまれていた。ミサトはシンジのベットに腰掛けると、彼の机を見た。目覚まし時計が、午前2時を指していた。
 ミサトはうつむくと、二つにたたんである毛布に手を触れた。彼女は毛布の感触を確かめながらつぶやいた。
 「シンジ君…。ちゃんと寝るところなんて、あるのかしら」


 シンジは寒さのために目を覚ました。
 目の前には、噴水がしぶきを上げていた。彼は、自分がベンチに寝ていたことに気付いた。プラスチック製のベンチには、うっすらと露が降りていて、手で触れると冷たいしずくを垂らした。
 シンジは、無理な姿勢で寝たために痛む肩を押さえながら起き上がった。噴水の向こうには、灰色のビルの森が広がっていた。右手の方を見ると、箱根山の背後が白くなっていた。
 彼は腕時計を見た。午前5時20分だった。
 (寝ちゃったんだ…)
 シンジはくしゃみをすると、震えながら立ち上がった。
 彼はコンビニエンスストアへ行くと、熱い缶コーヒーを買った。シンジは店の外に出ると、プルトップを開けてそれを口に運んだ。シンジはふと、顔を上げた。軒先にぶら下がっている誘蛾灯はまだ紫色の光を出していたが、虫はもうあたりを飛び交っていなかった。
 熱いコーヒーが身体を温めているのを感じながら、シンジは考えた。
 (とりあえず、この街を出よう)


 環状線の列車が桃源台駅に到着すると、トウジはホームに降り立った。
 ホームにはほとんど人影がなく、売店もまだシャッターを閉じていた。トウジは階段を見つけると、そちらの方へ歩いていった。
 駅の外に出ると、トウジはロータリーを見渡した。夜中には鮮やかな光を放つネオン灯も灰色に曇り、車通のない道路には白い朝の気配が立ち込めていた。タクシー乗り場には、3台のタクシーが客の来るあてもなく止まっていた。
 トウジはロータリーのベンチに座ると、スポーツウェアのポケットに両手を入れた。
 彼はつぶやいた。
 「ここで待っとれば、いつか来るやろ」
 トウジは駅の右手にそびえる箱根山を見上げた。箱根山からは、ゆっくりと太陽が昇り始めていた。空は雲一つなく晴れ渡っている。朝日に射られた街並みは、一斉に橙色に光り始めた。
 トウジはふと、北西の空で何かが光っているのに気付いた。
 「ん?」
 それはちかちかと朝日に反射する小さな点だった。その点は、市街地のはるか上空にあって、形も定かではなかった。
 その時、第三新東京市に唸るようなサイレンが響き渡った。
 「なんや?」
 トウジはベンチから立ち上がると、あたりを見回した。
 空の点は、地上で鳴り響く警報とは無関係に、淡々と朝日を反射し続けていた。