NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
23「灼熱の陽光」


 ミサトは、緊急回線を知らせる携帯電話の電子音でベットから飛び起きた。
 「はい、わたし」
 スピーカーの向こうで、オペレーターのとまどった声がした。
 「2分前に、位相空間の発生を感知しました。恐らく使徒です」
 ミサトは眉間にしわを寄せた。
 「で、場所は?」
 「本市直上約3000メートル。毎分60メートルの速度で降下中です」
 「なんですって!」
 ミサトは部屋のカーテンを引きむしるように開けた。
 第三新東京市のはるか上空には規則的に光る点が浮かんでいた。
 「よりによって、こんな時に来るなんて…」
 携帯電話から、オペレーターの声が聞こえた。
 「本市到達時刻は48分30秒後の予定です。すでに絶対防衛圏内に侵攻しています。どうします?本当に、突然現れたんです」
 ミサトは携帯電話を耳に当てた。
 「わかったわ。第一種警戒体制を発令します。関係者を緊急召集、市内には避難勧告、日本政府にもH回線で時事通達をして。私もすぐに行くわ」
 「了解」
 ミサトは携帯電話をベットに放り投げると、Tシャツを脱ぎ捨てた。
 彼女が手早く身支度をすませてマンションを出る頃には、第三新東京市一帯に非常警報のサイレンが響き始めた。ミサトは地下の駐車場にある自分の車に乗り込むと、始動キーをまわして一気にアクセルを踏み込んだ。499馬力まで改造された電動モーターカーは、超電導のスパークを散らしながら路上へ飛び出していった。


 シンジは非常警報のサイレンを耳にして、驚いて顔を上げた。コンビニエンスストアの店員がモップを手に持ったまま空を見上げている。シンジは通りのむこうを見上げた。
 遠くのビルの群が、ゆっくりと沈み始めていた。
 シンジはつぶやいた。
 「使徒が…、来たんだ」


 第三新東京市のはるか上空には、巨大な正8面体が浮かんでいた。表面はシリコンの単結晶を彷彿とさせる深みのある青紫色で、一辺が200メートル以上もあった。物体は音もなくゆっくりと回転しながら、表面に朝日を反射させていた。
 物体が発見されてから20分もすると、地上から放たれた十数機の偵察ヘリが、そのまわりを取り囲むように飛来しはじめた。
 発令所のホログラフィックディスプレイには、無音のまま浮遊する八面体が大写しになった。それを見たオペレーター達の間には、どよめきが広がった。
 ゲンドウは発令塔に姿を現すと、デスクに片手を突いてディスプレイを見上げた。
 「状況はどうだ?」
 オペレーターの一人が、ゲンドウを見上げた。
 「は、はい。現在、使徒は第三新東京市Eブロックの上空1680メートルです。市民の避難には、後50分ほど必要です。日本政府からは戦略自衛隊派遣の連絡が届いています」
 ゲンドウは八面体を見上げながらメガネのフレームを押さえた。
 「本市への戦自の進入は許可できない。部隊を撤退させろ」
 「は?しかし…」
 「特務遂行権の行使だ。はやくしろ」
 「は、はい」
 ゲンドウはデスクに座ると、頬に手を触れた。
 「使徒の状況はどうだ?」
 別のオペレーターが顔を上げた。
 「はい、依然一定速度で降下中です。偵察ヘリは最大で60メートルまで接近していますが、攻撃行動などは見られません。本体下部には、かなりの位相空間が発生しています」
 「そうか。零号機の起動にはどれくらい時間がかかる?」
 「1080秒です」
 ゲンドウは、自分の頬から手を放した。
 「起動作業にかかれ」


 綾波レイには、自分の部屋と定まった場所がなかった。
 実験や、訓練、あるいは入院などによって、彼女はそのつどあてがわれた部屋を使っていた。起動実験の事故によって負った怪我のために、彼女は久しく医療施設にいたが、今はネルフ本部の地下にある一室で寝泊まりしていた。
 その部屋は壁のコンクリートがむき出しの寒々としたところで、もちろん窓もなかった。パイプ製のベットと、小さな冷蔵庫、それから洗面台と鏡。家具と呼べるものはそれ以外なにもない。天井から皓々と灯る照明は、無造作に丸められたシーツや冷蔵庫の上に散乱する錠剤、洗面台の脇で冷たく光るガラスのコップなどを白く照らし出している。
 記憶がある頃からずっとネルフ本部にいたレイにとって、そこは一番過ごした時間が長い部屋と言えないこともなかった。
 携帯電話で緊急召集の連絡を受けると、レイはベットから降りてドアへ向かって歩き始めた。
 その時、彼女は洗面台の鏡の前をよぎった。レイは、ふと歩みを止めた。鏡には、感情の表れない赤い瞳が映っていた。彼女は自分の姿をしばらく見つめていたが、やがてきびすを返すと部屋の外へ出ていった。


 シンジはシェルターへと避難する人の流れに混じって、混雑する道路を歩いていた。
 人々は、荷物や毛布を抱えながら、不安げに先を急いでいた。歩みの止まりがちなシンジは、何度も背中を押され、通りの端の方へ押し出されていった。
 シンジは電話ボックスのわきで立ち止まった。
 (ぼくがいなくなって、どうするんだろう?ミサトさん…)
 彼の目の前で、年老いた夫婦連れが立ち止まり、眉をひそめて北の空を指さしていた。
 シンジは顔を上げた。兵装ビル群の上空には、黒い不可思議な物体が月ほどの大きさに浮かんでいた。シンジは慌てて目をそらした。
 彼は口をつぐむと、下を向いて歩き始めた。
 (ぼくにはもう、関係ないんだ)
 シンジが足早に歩き去ってしばらくすると、駅前通りの方から避難する人々の中にトウジの顔が見えた。彼は歩きながら北の空に浮かぶ黒い物体を見ていた。
 降下してずいぶん大きく見えるようになった物体は、時々三角形の朝日をはじきかえしていた。
 トウジはつぶやいた。
 「転校生の奴、もうネルフに行っとるんやろか。…また怪物と戦うんやな」


 ミサトが発令所に飛び込んでくると、リツコはすでに白衣を着てディスプレイを見上げていた。
 リツコは振り返った。
 「ご苦労さま」
 ミサトは画面に大写しになっている青黒い8面体を見上げて目を見開いた。
 「…これが、使徒?」
 リツコは白衣のポケットに手を入れた。
 「恐らくね」
 「使徒って、生物じゃないの?こんな形をしていて…」
 「位相空間の発生は感知しているわ。本当に、人知を越えた存在ね、使徒は」
 ミサトはぐっと口をつぐむと、発令塔を見上げてゲンドウを探した。
 「司令、零号機を使用することになると思います」
 ゲンドウはミサトを見下ろした。
 「零号機はすでに起動作業に入っている。運用に関しては、君に一任する」
 「はい」
 ミサトは腕を組むと、再びディスプレイに映し出されている使徒を見上げた。
 「日向君」
 「はい」
 オペレーターの一人が顔を上げた。
 ミサトは言った。
 「状況の説明と、マギによる判断を聞かせて」
 正八面体の使徒は、兵装ビルに巨大な影を落とすまでに降下していた。使徒の真下の空間はかげろうのように揺らいでいて、道路や信号機を波立たせている。一番背の高い兵装ビルがそのゆらぎの中にのみ込まれると、建物は内側に押し潰されるように崩れていった。残骸はかげろうから吐き出され、雨のように地面へ降りそそいだ。信号機はコンクリートの塊に叩き落とされ、アスファルトの上には瓦礫が堆積していった。
 やがて使徒はさらに街並みへ身を沈め、その下にある建築物を雷のような音を立てながら圧殺した。周囲には、不可解な圧力で押し出された粉塵が煙のように広がっていった。


 シンジは激しい倒壊音を耳にして振り返った。兵装ビルの森の中に、黒光りする山のようなものが沈んでいた。そのまわりには黄色い粉塵が立ち込めている。
 人々は言葉にならない声を漏らして、北の方角を見ていた。シンジの隣で、父親に抱かれていた小さな子供が裂けたように泣いている。
 やがて、群衆は雪崩のようにシェルターへ急ぎはじめた。
 シンジはもみくちゃにされながら公園にあるシェルターの入り口までたどり着いた。しかし、彼は必死に両手でかき分けて、人の流れの外に出た。
 シンジは兵装ビルの中に沈む使徒を見た。
 「どうしよう…」
 彼は右手を握り締めた。


 「使徒の降下は、地上約10メートルで停止しました。回転もそれと同時に止まっています。兵装区域の避難は完了しましたが、一般区域の方はあともう少しです」
 オペレーターはミサトに報告すると、再び端末のディスプレイへ視線を落とした。
 ミサトは腕を組んだまま、リツコを見た。
 「どう思う?」
 リツコは首を振った。
 「私もマギと同意見よ。情報がなさすぎるわ」
 「こんな角ばった形をして…。どんな攻撃手段を持っているのかしら」
 「わからないわ」
 ミサトは溜息をついた。
 「困ったわね」
 オペレーターの一人が顔を上げた。
 「葛城一尉」
 ミサトは顔を向けた。
 「零号機の起動、完了しました」
 「了解、零号機は待機させて」
 ミサトは眉間にしわを寄せた。
 発令塔には、冬月が姿を現した。彼はゲンドウのわきに立つと、メインディスプレイを見た。
 「これが使徒か?生物とは思えんな」
 ゲンドウはつぶやくように言った。
 「使徒を自然科学の範疇に捉えるのは無理だよ」
 冬月はゲンドウを見下ろした。
 「戦自を撤退させたそうだな。後で政府がうるさいぞ」
 「彼らに介入されても迷惑なだけだ」
 「前回の使徒に第二東京市を蹂躙されて、連中は過敏になっとるんだ」
 ゲンドウは息をついて冬月を見上げた。
 「この街の外までは、私も責任が持てん」
 その時、オペレータールームからミサトの声がした。
 「司令」
 ゲンドウはミサトを見た。ミサトは言葉を続けた。
 「司令、兵装ビルによる、有線ミサイルの使用を提唱します」
 「偵察攻撃か」
 「はい」
 「いいだろう」
 ミサトは正面を向くと、使徒を見上げた。
 「使徒近隣の有線ミサイルを稼働」
 オペレーター達は、素早くキーボードを叩きはじめた。
 「了解。F、R、Sブロックの兵装ビルを稼働します。有線ミサイル発射口、開口します」
 使徒の周囲に点在する有線ミサイル発射用のビルが、一斉に変形を始めた。窓一つなかった殺風景な建物は、斜めにスライドするように円形のミサイル射出口をのぞかせていった。
 水面のように滑らかな使徒の表面に、ミサイルを蓄えたビルの横顔が映し出されていた。
 「発射準備完了しました」
 オペレーターはミサトの方を見た。
 ミサトは口を開いた。
 「まず、一発撃ってみて」
 「了解」
 白いミサイルが、兵装ビルから垂直に打ち出された。
 ミサイルは10メートルほど上昇して尾翼を伸ばすと、弧を描くように折れ曲がって使徒の方へ飛んでいった。発射口から伸びるワイヤーが、空気を切り裂いている。
 ミサイルは使徒の表面に着弾する寸前に、突然透明な壁のようなものに突き当たって炸裂した。
 「ミサイル着弾。微弱な位相空間の発生を感知しました」
 リツコは目を細めながら言った。
 「ATフィールドね」
 ミサトはうなずいた。
 「有線ミサイル、5発同時発射」
 「了解」
 使徒の周囲に一斉に白煙が上がり、5発のミサイルが同時に発射された。ミサイルは、それぞれが全く同じ半径の弧を描きながら、使徒を襲っていった。
 ミサイルはほぼ同時に着弾し、激しい轟音と硝煙をまき散らしていった。
 「ミサイル全弾着弾。同じく位相空間の発生を感知」
 ミサトはオペレーターを見た。
 「使徒の反応は?」
 「特にありません」
 硝煙の幕が消え去ると、使徒は何事もなかったかのようにビルの森の中にたたずんでいた。
 ミサトは息をついた。
 「やけに紳士的な使徒ね」
 リツコは苦笑して振り返った。
 「兵装ビルを14棟も破壊されておいて、紳士的?」
 「攻撃しても、何も仕返ししてこないでしょ…。そうね、避難も遅れていることだし、このまま少し静観しようかしら」
 ミサトは、ゲンドウに報告しようとして顔を上げた。その時、オペレーターの一人が慌てて振り返った。
 「使徒に変化が現れました!」
 「え?」
 ミサトはさっと顔を向けた。
 「詳細は不明ですが、使徒の下部より何か棒状のものが伸びています」
 「棒状?」
 使徒の最下部からは、直径5メートル近くあるオレンジ色の棒が伸びはじめていた。棒はゆっくりと地面に向かってゆくと、先端を赤く光らせはじめた。赤い光がアスファルトに触れると、アスファルトは嫌な臭いを立てて融解していった。
 「ボーリングの一種のようです。地面を掘り進んでいます」
 オペレーターは、不安気にミサトを見上げた。
 ミサトは唇をかんだ。
 「直接ジオフロントへ乗り込むつもりね。…まずいわ」
 リツコはミサトを見た。
 「どうするの?」
 ミサトはうつむいていたが、やがて顔を上げた。
 「零号機を使う…か」


 零号機は拘束具に両肩を押さえつけられたまま、赤い液体に首まで浸っていた。
 レイはエントリープラグの中に横たわって、内壁に映し出されている格納庫の映像を見つめていた。彼女は右手を動かすと、液体の感触を味わった。それに伴って零号機の右手が液体をつかんだ。
 その時、内壁の映像の一部に通信用のウインドウが開いた。そこにはミサトが映っていた。
 「レイ、聞こえる?」
 「はい」
 「零号機で出撃してもらうわ」
 「はい」
 「今から使徒の画像を送ります」
 エントリープラグの内壁に、もう一つウインドウが開いた。ウインドウの中には、ビルの隙間のむこうに青黒い山のような物体がそびえていた。
 ミサトの声は続いた。
 「これが使徒よ。使徒の下部に注目して」
 ミサトの声と同時に画像は拡大され、オレンジ色の柱のようなものが地面へ伸びているのが見えた。
 「パレットライフルを使用して、この部分を狙撃してもらうわ」
 「はい」
 「今のところ、使徒に攻撃行動は見られないけど、念のために兵装ビルを盾にしながら接近して。零号機の地上への射出も、使徒の死角へ行うわ」
 「はい」
 「Gブロックに射出するから、そこから300メートルまで接近して斉射。反応がないようなら、さらに100メートルまで接近して。アンビリカブルケーブルの長さは、十分もつはずよ」
 「はい」
 「では、健闘を祈ります」
 「はい」
 二つのウインドウが消えると、格納庫内にサイレンが響き渡った。赤い液体はゆっくりと水位を落としてゆき、重々しい音を立てて拘束具のロックが外されていった。
 拘束具が奥の方へスライドして行くと、レイの視界に初号機の肩が入ってきた。彼女はふとそちらへ顔を向け、目を細めた。


 シェルターへ避難する人の数は、ずいぶんとまばらになっていた。先ほど大音響を放っていた使徒への攻撃も沈黙し、あたりには不自然な静寂が広がっていた。鳥の鳴き声すら、聞こえてこなかった。
 シンジは公園の片隅で、じっとうつむいていた。彼の足もとには、タバコの吸い殻が汚らしく踏みつけられていた。シンジは吸い残りの先端から、茶色いタバコの葉が飛び出しているのを見ていた。
 (迷うことなんてないのに…、でも…)
 彼は突然、誰かに肩を触られた。
 「君、何をしているんだ。はやく避難しなさい」
 驚いて顔を上げると、警察官が見下ろしていた。
 「は、はい…」
 シンジは息を飲み込むと、シェルターの方へ歩き始めた。彼は歩きながら、公園の奥の方を見た。そこには、うたた寝してしまったベンチと、暗闇で水を吹き上げていた噴水があった。しかし、今は噴水の水は止まっていた。
 シンジはもう一度、北の兵装ビルの方を向いた。
 その時、ビルの隙間から黄色い巨人が姿を現した。巨人はこちらに向けた背中を、巨大な最終拘束具で押さえつけられていた。
 シンジは立ち止まった。
 (黄色いエヴァ…。零号機?)


 「大変です!」
 オペレーターの一人が半立ちになって振り返った。
 「使徒内部に高エネルギー反応。急速に集束しています!」
 リツコはオペレーターのディスプレイを見て息を飲んだ。
 「なんですって?まさか…」
 発令所のホログラフィックディスプレイには、地下のゲートから射出されたばかりの零号機が映し出されていた。
 ミサトは我に返ったように叫んだ。
 「レイ!よけて!」
 エントリープラグの中に横たわっていたレイは、ミサトの悲鳴を耳にして顔を上げた。
 「え?」
 青紫色に光る使徒の表面から、突然矢のような光が発せられた。光は2棟の兵装ビルを一瞬にして貫通し、零号機の胸部に直撃した。


 エレベーターが、微かに機械音を響かせている。天井の照明が、室内を明るく照らしていた。オレンジ色の模様のある入り口の扉に、照明の丸い形が映っている。
 レイは言った。
 「私が怖いのは生き物。人が怖いわ」
 彼女の背後で、シンジの声がした。
 「あ…ああ、それはぼくにもわかるよ」


 次の瞬間、零号機胸部の装甲は溶解し、エントリープラグの中に満たされていたLCLは146度の沸点に達した。
 零号機が使徒の放つ光の直撃を受けるのを見た途端、シンジは吐き気を覚えて胸を押さえた。右手が冗談のように激しく震えていた。
 彼は駆け出すと、シェルターの入り口に飛びついて、扉をめちゃくちゃに叩きはじめた。
 「開けて!開けて!」
 入り口で市民を誘導していた警察官が、慌ててシンジの肩を押さえた。
 「君、無理しなくても入れるよ。君!落ち着いて!」
 シンジは必死にもがきながら叫んでいた。
 「開けて!開けて!」