NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
25「陽電子砲」


 丸い大きな光が浮かんでいた。
 それは貝殻の内側のように白く微かに虹色を帯びていて、レイを優しく照らしていた。彼女は最初、それは月なのかと思った。
 「レイ、気がついた?」
 光の中に女性の顔が入り込んできた。それはリツコだった。レイは光の正体が、防眩処理を施した手術用の照明だったことに気付いた。彼女は手術台の上に横たわっていたのだった。
 「私が誰だかわかる?」
 レイは口を開いた。
 「赤城博士です」
 「起きられる?」
 「はい」
 レイは身体を起こした。急に首の後ろを引っ張られるように目の前が暗くなり、彼女はめまいを覚えて額に手を当てた。
 それを見て、リツコは言った。
 「心肺機能がまだ十分ではないから、身体を動かすのは少し辛いかもしれないわね」
 めまいがおさまると、レイは顔を上げた。手術台の周囲は薄暗くて、リノウムの床やタイル張りの壁が灰色に沈んでいた。部屋の隅には酸素ボンベや心電図などの様々な医療機器が置かれている。数人の研究員がそれらに混じって立っていた。
 リツコは研究員達に何事か指示を出していたが、レイの方を振り返った。
 「詳しく説明している暇がないけれど、今は非常時なの。私は行くから、指示があるまで待機していて」
 「はい」
 リツコは足早に手術室から出ていこうとしたが、側にいた研究員の方を向いて言った。
 「とりあえず、レイには包帯でも巻いておいて。無傷だったじゃ、不自然だから」
 レイは頭や腕に包帯を巻かれると、車に乗って医療施設を後にした。太陽が真上から照りつける道路はアスファルトが溶けそうなほど焼けついていた。避難勧告の出された街には動くものはなく、信号はすべて赤く点滅している。
 遠くに見える兵装ビルの森の中に、使徒が山のようにそびえていた。使徒の正八面体のうちの1面がちょうどこちらを向いていて、正視できないほど日光を反射していた。
 レイは無表情な視線を車窓からそらすと、右手を握り締めてその感触を確かめた。
 彼女を乗せた車は、カートレインを経由してネルフ本部に到着した。レイは研究員に付き添われて、とある部屋へ連れてこられた。
 「ここで待っていてください」
 研究員はそう言うと、レイを残して部屋から去っていった。
 彼女は部屋の中を見渡した。窓のないコンクリートの壁、パイプ製のベット、小さな冷蔵庫、洗面台。そして、それらのものを皓々と照らす天井の蛍光パネル。
 レイはベットに近寄ると、座り込んで溜息をついた。彼女には、歩くのは辛い作業だったのだ。動悸がようやくおさまると、レイは隅の方に丸められているシーツを見つめた。そして、生まれてはじめて入ったはずなのに、見覚えのある部屋を見渡した。
 彼女の視線は、隅にある洗面台の鏡に止まった。


 冬月は受話器を戻すと、発令塔のデスクに座っているゲンドウを見下ろした。
 「ダミープラグのレイは使えるそうだ」
 ゲンドウは椅子の背もたれに寄りかかった。
 「そうか。後は零号機だな」
 冬月は息をついた。
 「前と同じなのか?」
 ゲンドウは顔を上げた。
 「何がだ?」
 「ダミープラグのレイは、今までのレイと同じなのか?」
 「コピーしたパーソナルを移植してあるわけだからな。ただ、ダミーシステム用に多少人格を改造してある。全く同じではないだろう。今度のレイの方がシンクロ率は上かもしれんな」
 冬月は眉をひそめた。
 「碇…、レイはユイ君の命を受け継いでいるのではないのか?」
 ゲンドウは目を細めた。
 「何が言いたい?」
 冬月はこめかみを押さえた。
 「いや…」
 ゲンドウは発令所の正面を見た。
 「レイはユイではない。ユイは初号機の中で生きている」
 「…」
 ゲンドウはデスクにひじをついた。
 「どうした?今さら罪悪感か」
 冬月は髪の生え際をこすった。
 「ん?…確かに今さらだな」
 ゲンドウは言った。
 「我々の両手は、最初から血で汚れている」
 発令所のオペレータールームでは、ミサトが端末を睨んでいた。
 端末に向かっていたオペレーターが、彼女を振り返った。
 「以上が、先ほどの攻撃の簡単なレポートです」
 ミサトは腕組みをして言った。
 「なるほど。でも、なぜ使徒は通常攻撃には反応しないのに、死角に現れたはずの零号機を攻撃したのかしら?」
 「これは仮定ですが、エヴァの作り出す位相空間を感知して攻撃しているのではないでしょうか」
 「もしそうだとしたら、兵装ビルを盾に使う作戦は無効ということ?」
 「そうなりますね」
 ミサトは息をついた。
 「使徒はエヴァでしか倒せないのに、肝心のエヴァは接近すら許されていないわけね…。エヴァの存在を想定してつくられた使徒なのかもね」
 オペレーターは顔を上げた。
 「使徒は何者かによってつくられたものなのですか?」
 ミサトは苦笑した。
 「さあ。そんなこと、私にわかるわけないでしょ。それより、さっきの攻撃からエヴァが使徒に接近できる距離を計算できる?」
 「え?あ、はい。少し待ってください」オペレーターは端末の方を向いた。「…エネルギーの集束は、零号機が地下154メートルまで上昇した時点で始まっています。使徒との直線距離は675メートルですね。ただ、地形効果によって使徒へ到達する位相空間の量は減少しているはずですから…、それを計算すると…えー、2122メートル。約2キロメートルですね。障害物がない場合は、使徒に2キロ以上接近すると危険だと思われます」
 ミサトは眉をひそめた。
 「2キロ!」
 「…やっぱり、撤退するしかありませんか?」
 ミサトは無理に笑みを浮かべてみせた。
 「まさか、我々が逃げるわけにはいかないわ。…そうね」ミサトは目を細めた。「使徒の光線の正体は、陽電子砲だって言ったわよね」
 「はい、陽電子砲の一種ではないかと推察されます」
 オペレーターがキーボードを叩くと、ディスプレイに複雑な立体グラフが現れた。
 「これが光線の波形パターンです。形状が陽電子砲の攻撃に酷似しています。ただ、陽子の分散度にはかなり謎の部分がありまして、もしかしたら未知の素粒子が含まれているのかもしれません。あと、エネルギーの集束速度は陽電子砲にしては異常です。理論上ありえない数値です。そのような違いはありますが、陽電子をぶつけて対象物を破壊するという本質部分は共通ですから」
 「なるほど…」ミサトは波形パターンを見つめてつぶやいた。「陽電子砲か。…古い諺じゃないけれど、陽電子砲には陽電子砲を使ったらどうかしらね。それなら使徒に接近しなくても攻撃できるわ」
 「は?しかし、陽電子砲っていっても、どうするんです?」オペレーターは顔を上げた。「まさか…」
 ミサトはディスプレイを見つめながら鼻をこすった。
 「そう。技術三課の試作したポジトロンスナイパーライフル。あれ、使えないかしら」
 「え?さあ…。あれは試射すらしたことがないんじゃないですか?」
 「そうね。でも、少しでも可能性があるなら追究してみるしかないわ。…関係者を召集してみて」
 オペレータールームに顔を出した技術三課の課長は、ミサトの話を聞いて唸った。
 「不可能ではありませんが…かなりの賭になりますね。なにしろ、あの試作機は射撃実験を行っていませんし」
 「確かにリスキーだけど、こちらとしてはありがたい作戦だわ」リツコがダイバーズスーツの胸元を緩めながら言った。「零号機を完全に修復するのは不可能だけど、ポジトロンライフルを操作する程度までなら何とかなるから」
 ミサトは顔を上げた。
 「え?ポジトロンライフルは、遠隔操作できないの?」
 三課の課長はうなずいた。
 「はい。元々限界試験用につくったものですから。姿勢制御装置は何も装備していないんですよ」
 リツコは濡れた髪の毛をかき分けながらミサトを見た。
 「ポジトロンライフルの陽子は地球の磁場の関係で直進しないのよ。だから、照準には非常に高度なリアルタイム制御システムが必要なの。でも、まだ12時間以上あるからエヴァ用の照準プログラムをつくろうと思えばできないことはないわ」
 ミサトは腕組みをして唇を噛んだ。
 「エヴァによる長距離射撃というわけね。撃ち損じたら、当然反撃を想定しなくてはいけないわ。…つまり一撃必中でなくてはだめなわけか」ミサトは息をついた。「なるほどこれは賭だわ」
 リツコは言った。
 「マギの判断は?」
 ミサトの側に立っていたオペレーターが口を開いた。
 「マギによる判断は、条件付賛成2、反対1です。NRシリーズの作戦ファイルを考慮しても、もっとも高い値です」
 リツコが顔を上げた。
 「条件付賛成の、条件というのは?」
 「使徒の攻撃を最低1回防御する手段の導入と、初号機を射手にすることです」
 リツコは息をついた。
 「なるほど。どちらも難しいわね。…どうするの?ミサト」
 三課の課長はきつく結んだ口もとを手で押さえながら言った。
 「ポジトロンライフルの方は、何とか使えると思います。いや、技術三課の意地にかけても使えるようにしてみせます」
 リツコは言った。
 「零号機の方も、何とかなるわ」
 ミサトは眉を引き締めた。
 「どのみち我々には、時間も手段もほとんど残されていないんだものね…」彼女は発令塔を見上げた。「司令、この作戦を実行に移したいと思いますが」
 先ほどからデスクの上で手を組んで下のやり取りを見ていたゲンドウは口を開いた。
 「いいだろう。やってみてくれ」
 「はい、ありがとうございます」ミサトはこめかみに力を入れると、オペレータールームを見渡して言った。「それでは、これより長距離射撃による使徒迎撃作戦を展開します。ポジトロンライフル、零号機の各担当者は私に作業時間の予定報告をしてください。作戦スケジュールは追って告知します」
 三課の課長は息を大きく吸い込んだ。
 「わかりました。全力を尽くします」
 リツコは防水処理を施した携帯端末を抱えると、出口へむかって歩き始めた。
 「一か八かの決戦になるわね」
 リツコと三課の課長が散会すると、ミサトはオペレーターの方を振り返った。
 「さて、射撃地点を策定しなくては。理想的な地形を探してくれる?」
 「はい、わかりました。あの、一尉」
 「なに?」
 オペレーターは言った。
 「先ほど諜報部から連絡があったのですが、桃源台の平町公園シェルターにシンジ君らしき少年がいるとの通報があり、現在うちの人間がむかっているそうです。警察から流れてきた情報らしいですけどね」
 「え?」
 ミサトははっとして言葉を失った。オペレーターは、青ざめた顔に笑みを浮かべた。
 「よかったですね、これは吉兆かもしれません。シンジ君が戻ってくれれば、作戦成功の可能性も高まりますからね」


 シンジとトウジのいるシェルターの中は、長引く避難のためにぼんやりとした疲労の空気が漂い始めていた。シェルターの中に充満していた人々の会話も幾分トーンが落ち、カーペットの上で横になったり、抱えた膝の上に頭を乗せる姿が目に付くようになった。
 トウジは、シンジのそばにあぐらをかいて座っていたが、シンジが口を開こうとしないので、ずっと黙ったままだった。膝を抱えるシンジの足もとには、先ほどトウジがシェルターの自動販売機から買ってきた缶ジュースが置いてあった。しかし、それはシンジの手に触れられぬまま表面に水滴をまとっていた。
 トウジは自分の缶ジュースを飲み干すと、溜息をついて空き缶を握りつぶした。
 その時、シェルターの入り口に背広姿の大柄な二人の男が現れた。二人の男は、入り口にいた警察官と何事か言葉をかわしていたが、膝を抱えるシンジの姿を見つけて近づいてきた。
 二人の男はシンジの前に立った。トウジは身体を起こして男たちを見上げた。
 男の一人が口を開いた。
 「碇シンジ君ですね」
 シンジは打たれたように顔を上げた。二人の背広姿の男を見て、シンジの右手は硬直するように震えていった。トウジはシンジの右手を見て目を見開いた。
 男は再び口を開いた。
 「我々と同行してください」
 シンジは下を向いたまま身を固くしていた。
 男はシンジの肩に手を伸ばしながら言った。
 「緊急時です。我々と同行してください」
 「ちょっと待て、嫌がっとるやないか」
 トウジは立ち上がると、シンジに向かう男の手を振り払おうとした。しかし、もう一人の背広姿の男が、何も言わずにトウジの前に立ちふさがった。
 トウジは見上げるような男を睨んだ。
 「何やおっさん。友達かばって何が悪いんや」
 男は何も言わずにトウジを見下ろしていた。その背後では、シンジが肩を抱え上げられるように立たされているところだった。シンジの顔には血の気が失せていて、逆らいもせずにされるがままになっていた。
 「転校生」
 トウジがシンジのそばへ駆け寄ろうとすると、男はトウジの首の後ろをつかみ、簡単に床にねじ伏せてしまった。
 「痛っ!なにすんのや、アホ!」
 カーペットに押しつけられるトウジの視線の向こうで、シンジは引きずられるように連行されていった。避難していた人々が、何事かというように顔を上げていた。
 トウジはもがきながら大声で叫んだ。
 「転校生は嫌がっとるやないか!ええ歳して人さらいなんかしよって。そいつをロボットに乗せるくらいなら、お前らが乗れ!アホンダラ!」
 その言葉を聞いた瞬間、シンジを連れていた男がはっとして振り返った。その男が目くばせすると、トウジの首筋を押さえつける腕の力は一瞬にして強くなった。
 「あっ!」
 トウジは肺の中の空気を全部吐き出して昏倒した。