NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
27「正義」


 陽が沈もうとしていた。
 下北半島にある六ケ所村でも、空は青とも赤とも白ともつかないような色をしている。セカンド・インパクトで数キロも海岸が押し寄せ、海面下に没してしまった尾鮫の西では、高速増殖炉と核燃料再処理施設を中心とした核エネルギー基地が弱まった陽の光を浴びていた。
 関東中部地方に非常事態宣言が発令されているとは言え、使徒の被害が直接及んだことのない東北では、人々の生活はいつもと変わりがなかった。新たに付設しなおされた国道338号線は、核エネルギー基地からさらに数百メートル内陸の原生林の中を走っていたが、たまに走り抜ける車の窓からはタバコを挟んだ手がのんびりと伸びていたりした。
 基地の門を守る守衛も、守衛小屋の中で生欠伸をかみ殺していた。彼は椅子の上で大きく伸びをすると、腕時計をちらりと見て溜息をついた。
 その時、基地へ車が近づいてくる音が聞こえた。守衛は身体を起こすと機械的に窓の外を見たが、次の瞬間目を見開いて立ち上がった。切り開かれた草原の中の道を走ってくる車両は、数台の軍事車両だったのだ。
 守衛は帽子をかぶりなおすと、慌てて守衛小屋の中から顔を出した。車両の中にはジープやトラックの他に、軽戦車の姿もあった。くすんだオリーブ色の車体には、すべてUNという黒文字が描かれている。守衛はどうしてよいのかわからぬまま、ゲートの傍に立った。
 長野県松本盆地、第二東京市のはずれには周波数変換施設がある。
 この施設は日本の東西によって違う供給電力の周波数を変換し、微妙に変動する地域ごとの電力需要の調整を助けていた。非常事態宣言が発令されているとは言え、機能を停止させることのできない施設のために、職員はいつものように機能の保全維持に勤めていた。
 そこをなんの前触れもなく占拠した国連軍の将校は、とまどう職員と所長に向かって徴用状を読み上げた。
 「現在、日本国内には厳戒令が発令されています。当施設は連邦政府の指揮下に入ります」
 黒縁のメガネをかけた周波数変換施設の所長は、とまどいながらも言った。
 「しかし、うちは電気の周波数を変換しているだけのところです。指揮下と言っても、そんな…」
 将校は所長をじっと見つめると、徴用状を黙って差し出した。
 日本各地で賑やかに流れていたテレビやラジオは一瞬沈黙し、人工的に響くアナウンサーの声を流し始めた。
 「緊急放送です。テレビやラジオをお聞きの皆さんは、身近な人に声をかけ、より多くの人がこの放送を聞けるようにしてください。繰り返します…」
 人々はとまどいながらテレビの画面を見上げ、あわただしく遠のいてゆくサイレンの音を耳にした。いつの間にか、幹線道路には国連軍の車両が姿を現している。
 アナウンサーの声は、変に静まりかえる街並みに広がっていった。
 「ただいま、わが国に厳戒令が発令されました。国民の皆さんは連邦政府の指示に従い、落ち着いて速やかに行動してください。会社や自宅等におられる方は、テレビをつけたままにして路上に出ないでください。自動車などの交通機関をご利用の方は、国連軍、あるいは係員の指示に従い、速やかに最寄りの避難施設へ移動してください。電話、端末等の通信施設は、緊急回線をのぞいて使用できなくなります」
 ネルフ本部の発令所は、日本各地から流れ込む様々な情報で、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
 「厳戒令が発令された模様です。国連軍は首都及び主要都市の拘束と発電関連施設の確保に入っています」
 オペレーターが報告すると、ミサトは顔を上げた。
 「ポジトロンライフルと、零号機は?」
 「ポジトロンライフルの方が遅れていますね。配備完了は30分ほど遅れそうです」
 「そう。ぎりぎりね」
 ミサトは口をつぐむと、息をついた。
 オペレーターはミサトの後ろ姿を見ていたが、やがて口を開いた。
 「葛城一尉」
 ミサトは顔を上げた。
 「何?」
 「あの、そろそろ搭乗者召集の時刻ですが…」
 ミサトは下を向いた。
 「そう。…待機室に召集して」


 シンジは尋問室から連れ出された。
 廊下を歩く彼の両脇には、諜報部の男達が黙って付き添っている。シンジは男達と共に、エレベーターを下った。
 エレベーターが下り始めると、シンジは息の震えを男達に気付かれないようにゆっくりと吐き出した。
 (今度は死ぬのかな…)
 シンジはエレベーターの入口を見つめた。入口の扉は光沢のある灰色で、天井の照明に反射してシンジや男達を黒っぽく映し出していた。彼は自分の姿を見つめた。それは鏡の像と違ってどことなくまがい物のように見えた。
 (死んだっていいや、別に…。でも、怖い目に遭うのは嫌だ)
 シンジはつぶやいた。
 「怖いのは嫌だ…」
 エレベーターの扉が開くと、男達はシンジをロッカールームに連れていった。ロッカールームの扉を開くと、男の一人がシンジに言った。
 「用意をして、待機室へ行ってください」
 シンジはロッカールームのベンチに投げ出してある新品のプラグスーツに気付いて目をそらした。
 シンジはプラグスーツに着替えると、待機室の扉を開けた。待機室の中には、既にレイがいた。シンジがレイを見ると、レイもそれと同時に包帯で隠れた顔を上げた。
 その時、シンジは一瞬奇妙な違和感を感じた。しかし、シンジは下を向いてベンチに座った。
 待機室の中は静かだった。天井の方で、空調のかすかな音が聞こえた。いつもは騒がしいはずの廊下の人通りもなぜかなくて、シンジが腕を動かすとプラグスーツの素地がぎゅっと音を立てた。
 シンジは言った。
 「またエヴァに乗るなんて…。ぼくは気が変になりそうだよ」シンジは力の入らない右手を見ていた。「綾波は、そんな大怪我をしても平気な…」
 シンジは喋っている途中で、吐き気を覚えて口をつぐんだ。何も入ってないはずの胃からこみ上げてくるものを押さえるために、彼は無理やりつばを飲んだ。
 空調の音がかたりと音を立てて止まった。
 レイは先程から赤い瞳をシンジに向けていたが、ふと口を開いた。
 「私を知っているのね」
 シンジは無意識にうなずいてから顔を上げた。
 「え?」
 レイは視線を落とした。頭に巻かれた包帯が、蛍光パネルに照らされて白く浮かび上がっていた。
 シンジは言った。
 「どういうこと?」
 レイはうつむいたまま答えなかった。
 彼の脳裏に零号機が焼かれる姿が浮かんだ。
 (まさか、怪我で記憶を?)
 シンジは口を開いた。
 「もしかして、ぼくを覚えてないの?」
 「…知らないの」
 「知らない?」
 レイは感情のこもらない瞳を床に向けたまま、淡々と答えた。
 「私は三人目だから。あなたのことを知らないの」
 「ええ?」
 シンジは目を見開いた。


 リツコは零号機を固定する拘束具のブリッジの隅で、椅子に座って携帯端末を叩いていた。
 彼女の指先は止まることなく動き続け、携帯端末のホログラフィックディスプレイは雪崩のようにスクロールを続けていた。時たま零号機の修理をしている作業員が彼女に指示を仰いでいたが、リツコはディスプレイから顔を上げることなく、てきぱきと指図をしていた。
 しかし、リツコは最後にリターンキーを押すと、息をついて顔を上げた。
 彼女は赤い液体の中に首だけ出している零号機を見ると、側に立っていた作業員に声をかけた。
 「零号機、いけそうね」
 作業員は、リツコの方を振り返った。
 「はい。絶対不可能だと思っていましたが…後は胸部の拘束具をつけるだけです」
 リツコは微笑むと、端末から発令所を呼び出した。ディスプレイのウインドウにはミサトが顔を出した。
 「どう?リツコ」
 「何とかなったわ、零号機は。ポジトロンライフル用の照準プログラムも、今マギにデバッグさせているところよ。こちらも大丈夫だと思うけど」
 「そう、ご苦労さま。ちょうどよかったわ。これから搭乗者への作戦主旨説明があるのよ。込み入った状況だから、リツコにも出席してもらおうと思っていたの」
 リツコはうなずいた。
 「わかったわ。発令所まで行く時間が惜しいから、私は待機室の方へ顔を出すわ。搭乗者たちは、どうせそこでしょ?」
 「そうよ。よろしくね」
 「ミサト」
 「何?」
 「わかっているわね」
 ウインドウの中のミサトは、一瞬口をつぐんでうなずいた。
 「…わかっているわ」
 「それじゃあ、待機室でまた会いましょう」
 リツコ端末の接続を切ると、椅子から立ち上がった。
 彼女が待機室の扉を開けると、中ではプラグスーツ姿のシンジとレイがベンチに座っていた。リツコが部屋に入ってきても、二人は顔を上げなかった。リツコは無言のまま待機室の端末にアクセスすると、発令所との回線をつなげた。
 リツコはディスプレイにミサトが姿を現すのを見ると、口を開いた。
 「始めて」
 ミサトは小さくうなずくと、シンジとレイの方を見て口を開いた。
 「それでは、これよりヤシマ作戦の主旨を説明します。本作戦の概要は、エヴァによる超長距離射撃よ。使徒はエヴァの発生させる位相空間を感知して攻撃するタイプのものと推察されるわ。だから、その圏外からのポジトロンライフルによる射撃を行います」
 レイは顔を上げて画面のミサトを見ていたが、シンジはじっと下を向いたままだった。ミサトはシンジを見て眉を曇らせた。しかし、言葉を続けた。
 「今回の作戦では、零号機と初号機を同時に起用します。零号機はポジトロンライフルの射手を担当、初号機には…隔壁装甲による防御を担当してもらうわ」
 それを受けて、リツコが口を開いた。
 「修復したとは言え、零号機には左腕と歩行機能に問題が残っているわ。でも、ポジトロンライフルの操作には何とか対応できるから安心して。それから、初号機の支える隔壁だけれども、理論上使徒の攻撃を3回防御できる代物よ」
 リツコは、うつむくシンジを見て眉をひそめた。
 「シンジ君、聞いているの?これはとても重要な話なのよ」
 シンジはようやく顔を上げると、画面のミサトを見た。シンジの顔に血の気は失せていた。彼はつぶやくように言った。
 「…ミサトさん。誰ですか?」
 「え?」
 「この綾波は、誰ですか?」
 「…シンジ君、どういう意味?」
 「この人は、ぼくの知っている綾波じゃありませんね」
 シンジの言葉を耳にして、リツコははっとしてレイを見た。レイは画面から目をそらし、床の一点を見つめている。
 リツコはシンジの方へ視線を移した。
 「何を言っているの、シンジ君。彼女は綾波レイ以外の何者でもないわ」
 シンジはリツコを見た。
 「…この人は、ぼくを知らないそうです」
 リツコは、一瞬眉を動かした。
 「レイは怪我による一時的な記憶の混乱を起こしているのよ」
 「…嘘ですね」
 「嘘じゃないわ。本当よ」
 シンジは突然立ち上がった。
 「嘘だ!この人は綾波なんかじゃない。この人は、ぼくを知らないんだ」彼はリツコを睨み付けた。「…三人目って、どういうことですか?」
 リツコは口をつぐんだ。
 ディスプレイのミサトは、眉をひそめて二人を見ていた。
 「リツコ、どういうこと?シンジ君は、何を言っているの!」
 リツコは冷たい視線でレイを見つめていたが、ふいに待機室の端末に近付き、発令所との接続を切った。
 「?」
 発令所のミサトは、思わず端末に身を乗り出した。
 「リツコ?ちょっと!」彼女はオペレーターを見た。「回線を戻して、早く!」
 オペレーターは首を振った。
 「駄目です、向こう側から接続が拒否されています」
 ミサトは眉間にしわを寄せた。
 「リツコ…?」
 彼女は身を翻すと、オペレータールームの扉の方へ駆け出した。その場にいたオペレーター達は、驚いてミサトの後ろ姿を振り返った。
 リツコは待機室の端末に背を向けた。
 「…迂濶だったわね」
 シンジは押し殺した声で言った。
 「綾波をどこへやったんですか?」
 リツコはシンジの言葉など聞こえないかのように、レイを見ながらつぶやいた。
 「パーソナルを採取していた時点では、レイとシンジ君はまだお互いを知らなかったのね」
 シンジは怒鳴った。
 「説明してください!」
 「死んだわ」
 リツコはシンジの方へ視線を向けた。
 「あなたの知っている綾波レイは、死んだわ」
 シンジは息を飲み込んだまま、立ちすくんだ。
 リツコは目を細めた。
 「零号機は陽電子砲の直撃を受けたのよ。生体部品は炭化し、LCLは気化していたわ。そんな状態で搭乗者が無事なわけないでしょう?」
 シンジは目を見開いていた。何か言葉を喋ろうとするのだが、後頭部に綿のようなものを詰め込まれているようで単語が思い浮かんでこなかった。
 リツコは言葉を続けた。
 「でも、彼女も綾波レイよ」
 レイは、先程からじっと床を見つめたままだった。頭の包帯からこぼれた灰色の髪の毛が、壁に長い影を落としている。
 シンジはやっとのことで言った。
 「…違う」
 「同じよ。遺伝子は共通だもの」
 「違う。この人は、ぼくを知らない」
 「それは仕方ないわ。そこまでパーソナルを採取できなかったのだから」
 シンジはキッとリツコを見返したが、言い返すことができなかった。
 その時、待機室の扉が開いてミサトが飛び込んできた。
 ミサトは息を切らして、リツコを見た。
 「リツコ、どういうこと?」
 リツコは眉をひそめた。
 「…あなたがこんな所に来てしまってどうするの?」
 ミサトは一瞬言葉をつまらせたが、唇を噛んで体を起こした。
 「いいから説明して、赤城博士。なぜ回線を切ったの?シンジ君は、何を言っていたの?」
 リツコは白衣のポケットに手を入れた。
 「回線を切ったのは、機密保持のためよ。レイが死んだことを、シンジ君に騒がれては困るから」
 「死んだ?」ミサトは目を見開いて、レイを見た。「だって、レイなら…」
 リツコは息をついた。
 「彼女は代わりなの。今、レイという存在を失うわけにはいかないから」
 「代わりって…」
 リツコはこともなげに言った。
 「クローンよ」
 ミサトはレイから視線をそらすと、はやまる動悸を抑えるように深く息を吸い込んだ。
 「リツコ…自分が何をやっているのか、わかっているの?」
 「わかっているわ。使徒を倒すために全力を傾けているのよ」
 「!」
 ミサトは奥歯をかみしめると、リツコの頬を平手打ちした。リツコはその勢いで壁に肩をぶつけ、頬を押さえた。
 リツコは顔を上げると、声を強めた。
 「ミサト、我々はネルフよ。人という種の存亡を賭けているのよ。私達が何をすべきなのかわかるでしょう!」
 ミサトの唇は、小刻みに震えていた。
 「わからないわ。ここは狂っている」
 リツコは壁から体を起こした。
 「狂っていないわ。私達は、人類を存続させるために最善の努力をしているだけよ。使徒を倒さなければ、我々は滅んでしまう。私達には、エヴァが必要なのよ。エヴァのためなら、何だってするわ」
 ミサトは肩で息をしながら、じっとリツコを睨んでいた。
 「レイやシンジ君を、こんなにしてでもということ?」
 「そうよ、仕方がないわ。彼らに同情して人を滅ぼすわけにはいかないもの」
 「シンジ君達の前でよくもそんな…」
 リツコは赤くなった頬から手を放すと、ゆっくりと喋りはじめた。
 「ミサト、あなたにはわかっているはずよ。私が正しいということを。人にとっては、人という種を守ること以上の正義なんて存在しないのよ」
 「こんなのが正義な…」
 リツコはミサトの声を遮るように言った。
 「いえ、正義よ。ミサト、ネルフの作戦課長として、目を開きなさい」
 「そんなの…、納得できないわ」
 しかしミサトは、リツコから弱々しく目をそらしていた。
 「それができないのなら、司令に指揮を任せるだけよ」
 リツコは立ちすくむシンジと、うつむいたままのレイを見てから、再びミサトの方へ視線を向けた。
 「時間を浪費してしまったわ。作戦時間が迫っているはずよ。技術的なことに関する詳しい説明は、双子山でさせてもらいます」
 リツコは三人に背を向けると、待機室から出ていった。
 ミサトはプラグスーツ姿の子供たちに視線をやったが、きつく目をつぶって下を向いた。