NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
29「八洲の閃光」


 夜になっても雨は降り続いていた。
 月夜には芦ノ湖を見渡せる双子山の山頂も、今は横殴りの雨と斜面からの雲でほとんど視界がない。
 山頂のわずかな平地は、四方からの仮設照明で明るく照らされていた。そこには鈍色のポジトロンスナイパーライフルが据えられている。急造のライフルは巨大で洗練されていなかった。
 人の身長よりもはるかに太い銃身には、とってつけたような冷却装置が乗せられ、骨組みもあらわな台座に据えられていた。根元から吐き出されている無数のケーブルは、貯水槽のような形をした数十基の集束装置を経て山道を下っていた。山頂からは伺うこともできないが、ポジトロンライフルのケーブルはさらに国道1号線を走って新小田原市まで伸び、そこから日本全土の発電施設につながっているのだった。
 リツコと技術三課の課長は、橙色の防水作業衣を着てポジトロンライフルを見ていた。照明の中では、何人もの作業員達が走り回っている。彼らの怒鳴り声は、吹きすさぶ風にかき消されていた。
 課長は、芦ノ湖から吹き上がる風に髪の毛を逆立たせながら口を開いた。強風のために、声は自然と大声になっていた。
 「資材を運び終えてからの風でよかったですね」
 「そうね」
 リツコは風にフードをまくられないようにしながら答えた。
 「しかし最終調整、間に合いますかね」
 リツコは銃身の先端の方を見上げた。雨は照明に乱反射して直線的に光っていた。
 彼女は言った。
 「間に合わせるのよ。急ぎましょう」
 二人は近くに止められた簡易移動式発令車へ向かっていった。
 その時、低い地響きが風の唸り声を縫って二人の耳に届いた。リツコが風下の方を振り向くと、風にしなる雑木林の向こうに零号機の黄色い頭部が見えた。
 「来たのね…」
 彼女は零号機の脇に、ぼんやりと光る初号機の両眼を認めて目を細めた。


 シンジは、足もとの作業員の指示に従って、不安定な斜面に初号機のひざを突かせ、雑木林の中に手を突いた。初号機のとなりには、同じように零号機がひざまずいている。
 彼は初号機をホールド状態にすると、エントリープラグの中で息をついた。初号機とのシンクロが一時的にカットされているので、彼の手足にはLCLの温かさが戻っていた。
 シンジは、零号機の黄色い機体を見ていたが、頭をゴロリと上に向けた。初号機の上空では、信じられないような速さで雲が流れている。
 彼は目をつぶると、右手を無理やり握り締めた。


 ただでさえ狭い双子山への道は、ポジトロンライフルへ電源を供給するケーブルのために、ようやく車が一台走れる程度の幅しか残されていなかった。その山道を、ミサトやオペレーター達は車両で登っていた。
 「エヴァ両機は双子山山頂へ到着した模様です」
 助手席に座って携帯端末を叩いていたオペレーターが、後部座席のミサトに言った。
 「そう。でも、こんなにひどい天気になって…、作戦は大丈夫なのかしら?」
 「ポジトロンライフルの照準システムは、物理的視野に左右されないそうですけど…。こんなに天候が悪いと心配ですね」
 ミサトは黙って窓の外へ目をやった。道路の脇には、人の腕ほどもあるケーブルが何本も雨足に曝されている。道路は曲がりくねり、何度もヘアピンのように折れ曲がっていた。林の中なので風は強くないが、木々が悲鳴を上げているのが車の中にいてもわかった。
 やがて唐突に林は途切れ、車は照明に照らされる双子山の山頂へ到着した。
 激しい雨の中、ミサトは発令車のわきに降り立ったが、その時はじめて背後に2体のエヴァが身を屈めていることに気付いた。
 彼女は顔を背け、発令車の中へ入っていった。
 発令車の中はかなり広く、リツコと三課の課長以外にも三人ほどの作業員が端末に向かっていた。
 発令車に入ると、ミサトは濡れた髪の毛もそのままにリツコ達に声をかけた。
 「ご苦労さま。作戦開始時刻に間に合いそう?」
 三課の課長が端末から顔を上げた。
 「もう10分下さい。お願いします」
 ミサトは眉をひそめた。
 「…もう34分も譲渡しているのよ。使徒がジオフロントへ到達するギリギリの時刻よ」
 リツコがミサトの方を向いた。
 「照準プログラムとハードとの誤差を詰めているの。せっかく撃っても当たらなくては話にならないでしょう?」
 ミサトは腕を組んだ。
 「7分で済ませて。それ以上は譲れないわ」
 三課の課長はそれには答えずに、背後の部下に向かって激しい口調で指示を出した。
 ミサトは溜息をつくと、オペレーター達の方を向いた。
 「状況は?」
 発令車の端末に座ったオペレーター達は、彼女を振り返った。
 「エヴァ両機との回線回復しました。両機ともホールド状態、正常です」
 「日本政府および自衛隊の目立った行動は報告されていません」
 「発電施設、および送電施設の状況は全て把握されています」
 ミサトはちらりと腕時計を見ると、口を開いた。
 「それでは、ヤシマ作戦のゼロ時刻調整を行います。作戦行動開始時刻を変更、午後11時28分丁度とします」
 「了解、以後カウントはゼロ時刻を基準とします」
 発令車の中があわただしくなっていく中、ミサトは腕組みをして、下を向いた。


 レイは零号機のエントリープラグの中で目をつぶり、別の自分から引き継いだ記憶をたどっていた。
 その記憶は、ぼんやりとしていてほとんどつながりがない。明るい寒々と長い廊下を歩いていたこととか、いい匂いのするシーツをさわっていたこととか、胸が焼きつくように痛くて血を吐いたこととか。そう言った断片的な記憶はいくつでも彼女の頭の中にわき上がっていくのに、それがいつ起こったことで、それから何をしたのか、レイは思い出すことができなかった。
 レイが唯一系統的に覚えているのは、培養槽から出され、すぐに赤いダミープラグの中に閉じ込められた本当の自分自身の記憶だけだった。
 彼女は目を開けると、頭をもたげてプラグの内壁に映る初号機の姿を見た。レイはプラグスーツを着た少年の姿を頭に描いた。しかし、どんなに記憶の断片を探ってみても、そこに少年の姿を見つけることはできなかった。
 レイの脳裏には、先ほどの少年の言葉が巡った。「君は死なないよ。ぼくが守るから」
 レイは初号機を見つめたまま、つぶやいた。
 「守る…。なぜ?」


 冬月は椅子を引き寄せると、ゲンドウのとなりに座った。
 発令所は、主要なオペレーターやミサトが双子山へ行ってしまったために、いくぶんひっそりとしていた。
 ゲンドウは黙ってメインディスプレイを見つめている。ディスプレイは複数のウインドウに分割され、さまざまな情報を表示していた。
 冬月は椅子の背もたれに身体を預けると、息をついた。
 「作戦時刻は午後11時28分だそうだ。使徒到達ギリギリの時刻だな」
 「そうか」
 ゲンドウは、冬月の方を見もせずに答えた。
 冬月はきれいになでつけられた髪の毛の後ろを押さえながら言った。
 「避難しないのか?」
 ゲンドウは苦笑した。
 「この作戦が失敗すれば人類は終わりだ。そんな必要はないだろう」
 冬月は目を細めた。
 「自信があるのか?」
 ゲンドウは、はじめて冬月の方を向いた。
 「私はただ結果を待っているだけだ」


 日本の各地からは、街の灯が一斉に消えはじめた。
 外灯は端から消え、部屋を照らしていた照明も失われ、わずかに緊急医療施設にのみ電気が残されるだけとなった。バッテリーで駆動させるテレビやラジオは、相変わらず人々に落ち着いた行動を求めるだけで、この唐突な大停電の原因を伝えることはなかった。
 人々はざわめき、おののいていた。
 はるか上空から日本を見下ろすと、光を失った八洲の大地は海の底へ消え去ったようにも見えた。


 激しかった雨が、いつしか弱まりはじめている。
 第三新東京市の市街地でも、雨はまばらに降るのみとなっていた。使徒は相変わらず無機的にビルの群の中に沈んでいる。表面には水滴一つ残っておらず、使徒の真下のアスファルトは不自然に乾き切っていた。使徒の直下の地面は、正方形に水の進入を拒んでいたのだった。
 その中心ではオレンジ色のボーリングが静かに回転していたが、ジオフロントまでの距離はあとわずかだった。最後の装甲板にボーリングの先端が達し、回転が一瞬鈍くなった。
 双子山の山頂でも、横殴りの雨はだいぶ穏やかになっていた。しかし、流れる雲の濃さはさらにひどくなり、視界はほとんどなくなっていた。
 ミサトは腕時計を見ると、オペレーターの方を向いた。
 「どう?」
 「国内の全発電エネルギーは、ポジトロンライフルへと集中しています。可動率102.4パーセント。いつでも集束を開始できます」
 彼女はうなずくと、口を開いた。
 「エヴァ両機と回線をつなげて」
 「了解」
 発令車のディスプレイには、シンジとレイの顔が映し出された。
 ミサトは腕組みをした。
 「二人とも、聞こえる?」
 シンジは顔を上げ、レイはうなずいた。
 「間もなく作戦を開始するわ。いいわね。本作戦の目的は、ポジトロンスナイパーライフルによる使徒の一点射撃よ。使徒のATフィールドを破るために必要なライフルの電力は、日本中の発電施設から集められるの。それを全てあなた達に託すわ」
 オペレーターの一人が、顔を上げた。
 「行動開始の時刻です」
 ミサトはリツコと三課の課長を振り返ると、言った。
 「もう待てないわよ」
 三課の課長は、端末を見下ろしたまま何も言わずに黙っていた。額に冷たい汗を浮かべながらディスプレイを見つめている。ミサトがもう一度口を開こうとしたとき、彼は深々と溜息をついて下を向いた。
 リツコがミサトの方を向いていった。
 「間に合ったわ」
 ミサトは一瞬目をつぶったが、息を吸い込んで言った。
 「それでは、配置に着いてもらうわ。こまかい移動方法は外の作業員の指示に従って。…シンジ君、レイ。健闘を祈ります」
 シンジは初号機のホールドを解除して立ち上がった。雨はほとんど止んでいて、湿った空気が吹き抜けていた。彼は足もとの作業員の指示に従い、ゆっくりと斜面を登りはじめた。初号機が凪ぎ払ってゆく木々の感触が、膝にべったりと残った。
 すぐ目の前の山頂は強力な照明に照らされていて、流れる雲の中にぼんやりと浮かんでいた。ポジトロンライフルの銃身が、乳白色の空間の先にかすんでいる。シンジはその脇を過ぎて、斜面に無造作に伏せられている巨大な隔壁を見下ろした。
 隔壁は照明に灰色に浮かんでいた。大きさはエヴァを優に超え、厚さも壁とは思えないほどのものだったが、シンジは眉をひそめた。
 エントリープラグの中に、リツコの声が響いた。
 「技術説明をする暇がなかったから、作業をしながら聞いて。その隔壁は、特殊な材質を使っているので使徒の攻撃に20秒間耐えられる性能を持っているわ。理論上むこうの攻撃に3回耐えられる代物よ。急造品だけど、グリップをつけてあるから、それを持って扱って」
 (こんなもので…)
 彼は一瞬、初号機が使徒の光線を浴びる姿を思い浮かべたが、息をついて隔壁に手をかけた。隔壁はゆっくり持ち上がり、初号機の足もとは地面に沈んだ。作業員の指示に従い、シンジは隔壁の位置や角度を調整した。
 レイは零号機をぎこちなく歩ませると、ライフルの脇に機体を伏せさせた。彼女がライフルを構えると、エントリープラグの内壁に照星カーソルとデジタルカウンタが表示された。
 リツコの声が聞こえた。
 「ポジトロンライフルの放つ陽電子は、地球の地場やその他の気象条件などにより、直進しないわ。だけど、照準システムが全て計算してくれるから心配しないで。それから、今は雲で視界がゼロだけど、それも大丈夫。あなたは引き金を引くだけでいいのよ。1回射撃するとエネルギーの再集束のために、1分間は射撃ができなくなるわ。その感覚はデジタルカウンタを目安にして」
 レイはライフルのむこうで隔壁を掲げる初号機を見ながら答えた。
 「了解」
 作業員達はあわただしく走り去り、唐突に照明が落とされた。
 シンジは暗闇の中で、隔壁の先に渦巻く雲を見つめた。吠える木々の斜面からたたみかけるように吹き込んでくる雲は、ぞっとするような勢いで形を変えていた。
 (自分なんかどうなったっていいと思っているのに。どうして…、こんな気持ちになるんだ)
 彼は早まる呼吸を押さえるように息を吸い込むと、ほとんど硬直しているかのように動かない右手を、左手で押さえつけた。


 時計の針が、午後11時28分を指した。いつしか雨は止んでいる。
 ミサトは、発令車の中で眉を引き締めて言った。
 「ヤシマ作戦、行動開始」
 オペレーター達が、緊張した面持ちで端末を叩きはじめた。
 「了解、作戦行動開始」
 「集束装置へ、電力供給開始します」
 「ポジトロンライフルの冷却装置、加圧します」
 「照準システムに問題なし、零号機による軌道修正良好です」
 ポジトロンライフルの背後に並べられている集束装置は、一斉に冷却機能を全開にしはじめた。周囲に吐き出される冷気は雲を濃くし、足もとの草花を凍らせていった。そこから国道1号線へと伸びる送電ケーブルは何事もないかのように沈黙しているが、中では全国から集められた巨大なエネルギーが渦を巻いていた。
 ミサトは腕組みをしたまま、じっと発令車のディスプレイを見つめている。リツコも作業衣のポケットに手を入れたまま、端末に表示される数値の上下へ目を走らせていた。
 リツコはふと、口を開いた。
 「この作戦が失敗したら、私達は使徒の攻撃で一瞬にして蒸発するわね」
 ミサト眉間にしわを寄せた。
 オペレーターは言った。
 「集束完了まで30秒」
 ミサトは別のオペレーターの方を向いた。
 「使徒の状況は?」
 声をかけられたオペレーターは振り向いた。
 「完黙中です」
 ミサトはうなずいた。
 「後10秒です」
 シンジは、渾身の力を右手に込めた。
 レイは雲にかすむ空間を指す照星カーソルと、千分の一秒単位でカウントダウンされている数字を見つめていた。
 零号機の構えるポジトロンライフルは、冷却装置から冷気を吐き出しながら、じっと沈黙している。
 その時、突然オペレーターの一人が顔色を変えた。
 彼が口を開こうとしたとき、零号機の中ではカウントの数字がゼロを打ち、照星カーソルが赤く光った。
 レイは雲の向こうの使徒を目指してグリップの引き金を引いた。零号機は人工的な素早さでポジトロンライフルの銃口を微動させ、陽電子の光弾を放った。高エネルギーによって、双子山を覆う雲は一瞬にして蒸発し、芦ノ湖があらわになった。
 それと全く同時に、使徒は光線を発射した。光線は周囲の兵装ビルを焼きながら、双子山へ向けて飛んで行った。
 二つの陽電子の束は同一直線上を急進していたが、芦ノ湖の上空でふいに干渉し合い、ねじれるように進路を変えた。一方は駒ヶ岳の山腹に直撃し、もう一方は三国山の向こうへはじき飛ばされていった。
 陽電子の電波障害で、発令車のディスプレイはノイズに埋め尽くされた。
 ミサトは身を乗り出して叫んだ。
 「どうしたの?当たったの?」
 先ほど叫び声を上げたオペレーターが振り返った。
 「わかりません。ただ、こちらの射撃直前に、使徒に高エネルギー反応が現れました」
 「何ですって?」
 ミサトは発令車の外に走り出した。
 彼女はあれほど立ち込めていた雲が消えているのに驚いた。ミサトはポジトロンライフルと2体のエヴァが健在なのを確認し、それから箱根山の山腹に巨大な火の手が上がっていることに気付いた。
 彼女は眉をひそめた。
 「外れている…」
 リツコはオペレーターの方を向いて言った。
 「再集束は開始しているわね。集束装置の状況は?」
 オペレーターはうろたえながら端末を叩いていた。
 「装置は作動している模様ですが…。くっ、電波障害で詳細は不明です」
 リツコは唇を噛んだ。
 シンジは二つの陽電子が絡み合い、お互いに別の方向へねじまがっていったのを見ていた。今は再び雲が立ち込めようとしていたが、芦ノ湖の彼方に、小さな火の手が上がっているのが見えた。
 (やられていない…、あそこにいるんだ…)
 彼は喉の奥がカラカラになって、めまいがするのを感じた。
 その時、シンジは一瞬ひどい寒気を感じた。それと同時に、ほとんど雲で見えなくなりかけた湖岸の火の手から、強い光が発せられた。
 彼の目の前が、一瞬にして真っ赤になった。使徒の放つ光線は、初号機の掲げる隔壁に直撃して激しく燃え上がった。双子山の山頂は、太陽が振ってきたかのようなすさまじい明るさとなっていた。
 ミサトが呆然と見上げる中で、隔壁の背面は赤熱化していった。使徒の攻撃は、止む気配なく続いている。
 何秒経ったのか、ミサトには永遠の時間のように感じられた。白く光りはじめた隔壁の背面を見て、彼女はつぶやいた。
 「隔壁が…」
 リツコはミサトの飛び出していった発令車の入り口が、フラッシュをたいたように激しく光っているのを見ていた。
 彼女はつぶやくように言った。
 「再集束まで、あと時間は?」
 オペレーターがかすれた返事をした。
 「30秒を切ったばかりです」
 リツコは目を細めた。
 「使徒はどこからこんなエネルギーを…。駄目か」
 シンジは、まぶしくて何も見えなくなっていた。手のひらが、突き刺されるように痛んでいた。隔壁が光熱のために内側に折れ曲がっていくのがわかった。
 (駄目だ。もうもたない)
 シンジはつぶやいた。
 「死か」
 彼は目をつぶった。
 その時、彼は唐突に誰かに呼ばれる声を聞いた。
 シンジは目を見開き、心が深い悲しみにうたれるのを感じた。隔壁が溶解し、彼の目の前は白一色になった。
 初号機の目の前の空間が突然歪みはじめ、足もとの木々は草葉のようになぎ倒され、地面に深い亀裂が走った。
 隔壁を突き抜けた光線は、突然何かにはじかれて垂直に空へ昇っていった。
 ミサトはつぶやいた。
 「何が起こったの…」
 それは陽電子をもはじく強力なATフィールドだった。
 レイは使徒の攻撃が火柱のように噴き上がっているのを見て目を見開いた。
 しかし、初号機のつくりだすATフィールドは次第にその力を失っていった。垂直に折れ曲がっていた光線は、ゆっくりと角度を下げていた。
 レイは初号機から視線をそらし、カウントダウンを再開している数値を見た。カウントは残り10秒程度だったが、彼女は引き金を押さえる指が震えるのを感じた。
 使徒の放つ光線は、ついにATフィールドを突き抜けた。
 光線は初号機の顔部を直撃した。
 それと同時に、レイは引き金を引いた。
 ポジトロンライフルから放たれた閃光は、使徒の光線と平行に芦ノ湖を走り抜けた。使徒はATフィールドを放ったが、120ギガワットの陽電子はたやすく貫通し、使徒をも突き抜けた。
 使徒は一瞬沈黙した。そして、陽電子の突き抜けた穴から炎を吹き出しながら、激しい音を立ててビルの森の中に横倒しになった。ちょうどジオフロントに到達したボーリングも、光を失って動かなくなった。兵装ビルの森は火の海になり、たんぱく質が焦げるような嫌な匂いが周囲に広がった。
 レイは体を起こして初号機を見た。初号機は、何かを抱えるように両手を掲げたまま、背後に倒れた。顔部の装甲がどろりとはげ落ち、生々しい白い歯があらわになった。


 シンジは暗闇の中で座っていた。
 膝の上に両手をついて、ぼんやりと目の前を見ている。そこにはいつの間にか透明なガラスのコップが浮かんでいて、水が注ぎ込まれようとしていた。
 シンジは父親の声を聞いていた。
 「お前に水をやろう」
 シンジはコップの中の液体が揺らぐ様を見ていた。水はそれ自体が光を放っているようで、コップの輪郭を美しく浮かび上がらせていた。
 姿の見えない父親が言った。
 「シンジ、お前に水をやろう」
 シンジはコップを手に取ると、その重みを味わった。彼はつぶやいた。
 「父さん…。でも、ぼくは父さんのために飲むんじゃないよ」
 シンジはコップを口に持っていくと、水を飲み干した。


 「勝ったようだ」
 冬月は受話器を降ろすと、ゲンドウの方を見た。
 「そうか」
 ゲンドウはデスクから体を起こすと、立ち上がった。
 冬月は眉をそびやかした。
 「どうした?」
 ゲンドウはドアに向かいながら言った。
 「老人達の機嫌を取らなくてはな。今度の損失は大きい」
 ゲンドウが発令塔から姿を消すと、冬月は喝采のこぼれる発令所を見下ろしてつぶやいた。
 「そうだな…。これが勝利と言えるかどうか」


 いつしか、双子山の空には朧月が浮かんでいる。
 シンジの救出作業は、あわただしく行われていた。初号機のエントリープラグが緊急排出される中、それを取り囲むようにミサト達が見つめていた。
 ミサトは口元を拳で押さえたまま、じっと作業員の手元を見つめている。リツコも彼女のわきに立っていた。
 リツコはミサトを横目で見て、つぶやくように言った。
 「私を恨むでしょうね、シンジ君が死んでいたら」
 ミサトは目を細めた。
 シンジの乗ったエントリープラグのハッチが開かれると、LCLが激しくあふれ出した。作業員達がハッチに取りつこうとすると、人込みの中から誰かが歩みでた。
 それはレイだった。
 零号機の中で待機を命じられていたはずなのに、彼女はいつの間にかエヴァを降りていたのだった。
 ミサトやリツコが呆気にとられる中、レイは作業員を押しのけるように、プラグのハッチをのぞき込んだ。
 シンジはシートの上でぐったりと目をつぶっていた。
 レイがさらにプラグの中に身を乗り込ませると、シンジはむせながら目を開いた。
 彼はレイに気がついて口を開いた。
 「倒したの?使徒を」
 レイは無言でうなずいた。
 シンジは弱々しくほほえむと、つぶやくように言った。
 「君も生きていたんだね。よかった…」
 LCLに濡れたレイの頬に、涙が流れた。彼女は驚いて、自分の目もとに手を当てた。