NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
6「恐怖」
芦ノ湖の湖岸にたどり着いた使徒は、湖水の中へ身を沈めていった。使徒の表面組織を覆っていた体液が、水面に不可解な油膜をつくった。
使徒は湖に体を沈めきると、驚くような速度で潜航を開始した。湖面は、使徒が腰のえらから吐き出す水圧で大きく揺らいだ。
そして、途中で1回転して面のある部分を上に向けると、使徒は湖の中から光線を発した。光線は湖水を激しく蒸発させながら上空に飛び出すと、急角度で折れ曲がり、第三新東京市の街並みを襲った。ビルの一つが光に包まれ、十字架の形をした爆炎の中で消滅していった。
「Cブロックの兵装ビル、消滅しました」
オペレーターの一人が、顔を上げてゲンドウへ報告した。
冬月はつぶやいた。
「なぜ、空中で屈折するのだ?我々の理解を超えた攻撃だな」
ゲンドウは、黙ってディスプレイを見つめていた。
ディスプレイには、すでに日も沈んで暗くなった芦ノ湖の中で、赤い球体を光らせながら潜航している使徒が映し出されていた。
別のオペレーターが、顔を上げた。
「初号機、まもなく発進準備に入るそうです」
「そうか」
ゲンドウは言った。
●
シンジはプラグスーツに着替えると、監視室の扉を開けた。プラグスーツはぶかぶかだった。彼は両足を引きずるようにして、橋桁の方へ歩き出した。橋桁の上では、何人かのウェットスーツ姿の男たちが、怒鳴りながらケーブルや機器を液体の中から引き上げていた。
「碇シンジ君、こっちよ!」
声のする方を振り向くと、
赤城リツコがエヴァンゲリオンの肩の上に立っていた。シンジは橋桁のわきの方を歩いて、リツコのいる場所へ行った。
「仮設のブリッジだから、歩きにくいと思うけど。それから、プラグスーツは着たらここを押すのよ」
リツコは、シンジの左腕を取ると、手首にあるボタンを押した。プラグスーツは、エアの抜ける音がして、シンジの体をぴったりと包み込んだ。
「あ」
シンジは自分の体を見た。リツコは少し微笑んだ。
「ぴったりね。よかったわ。体に密着してくれないと、シンクロ率が落ちるから。それから、こっちに来て」
リツコは、エヴァンゲリオンの首の後ろの方へ歩き始めた。
エヴァンゲリオンの首の後ろには、巨大な白い棒が突き刺さっていた。白い棒は、中央部がハッチのように開いていて、中にはシートがあった。
シンジは、白い棒の側まで歩いてきた。白い棒のまわりは紫色の装甲が外れていて、人間の背骨のような形をしたもので支えられていた。シンジは、それを踏みつけたとき、思った。
(動いている…いや、これは鼓動だ。生きているのかな。これ)
シンジは、鼓膜の奥に白い物を詰め込まれたような気分になっていた。何を考えているのか、自分でもよくわからなかった。
「さあ、ここに乗って」
リツコは、白い棒の中を指した。
「本当に、乗るんですか?」
その言葉を口にした瞬間、シンジは自分の心臓が壊れそうなほど速く波打っていることに気付いた。しかし、リツコは言った。
「そうよ。急いで」
(助けて…)
シンジは辺りを見回したが、助けてくれる存在がいるとは思えなかった。ところが、シンジは何かの気配を感じて、仮設ブリッジの隅を見つめた。
そこには見慣れぬ少女が立っていた。
「?」
リツコは、まゆをひそめて言った。
「碇シンジ君、時間がないの」
シンジは慌てて振り向いた。
「あ、はい」
白い棒の中のシートに座りながら、もう一度少女の立っていたところを見ると、そこにはもう誰の姿もなかった。
(…錯覚?)
リツコは、外からシンジを覗くと、言った。
「とにかく、あなたはそこに座っていてくれればいいわ。後は私たちの指示に従って。いいわね」
「はい」
リツコが体を引くと、ハッチは音もなく閉まった。
●
ミサトは、ドアを開けると発令所のオペレータールームに入ってきた。
「どう、状況は?」
オペレーターの一人が顔を上げた。
「使徒は現在、芦ノ湖を潜航中。本市より、約三キロです」
「もうそんなところに…。初号機は?」
「搭乗者はエントリープラグに乗りました。発進準備に入っています」
「そう」
ミサトはちらりと司令塔を見上げた。ゲンドウは、ディスプレイの映像を見つめていた。
ミサトは正面を向くと、強い口調で言った。
「8番ゲート用意。使徒を水際で迎撃します」
「了解。8番ゲート用意します」
別のオペレーターが、顔を上げた。
「初号機、神経接続に入りました」
ミサトはまゆをひそめ、つぶやいた。
「いっそ、シンクロに失敗すれば…。いや、エヴァがなければ、私たちは使徒になす術がないんだ」
ミサトのつぶやきは、思わず大きくなった。
「あんな少年の、背中に隠れて!」
●
リツコは、エヴァ初号機を望む観察室の中から、端末のディスプレイを見つめていた。
「これより神経接続作業にはいります。エントリープラグ挿入」
オペレーターの一人が、キーボードを叩き始めた。
「了解、エントリープラグ挿入します」
シンジの乗った白い棒、エントリープラグは、突然エヴァンゲリオンの背骨の中へ吸い込まれていった。背骨は閉じられ、紫色の装甲は厚くエントリープラグを覆った。
それを見たリツコは言った。
「続いて、LCL注入」
「了解、LCL注入します」
シンジは、薄暗いエントリープラグの中でじっと座っていたが、突然足元から湧き出した黄色い液体を見て驚いた。
「な、なんですか?これ。あ、わ!」
シンジの体は、あっという間に液体の中へ沈んでしまった。
どこからか、リツコの声が聞こえた。
「大丈夫、LCLで肺が満たされれば、そこから直接酸素を取り込んでくれるわ」
シンジはたまらず肺の中の空気を吐き出し、何度もむせ込んだ。
(気持ち悪い…いやな味がする)
リツコは、ディスプレイの表示を見ると言った。
「では、神経接続開始。思考言語は日本語を基調とします」
端末に向かっていたオペレーター達は、一斉にキーボードを叩き始めた。
「了解、神経接続開始。A10神経接続良好です。他の神経も、順次解放します」
「神経節の異状ありません。左脚出力は、0.2パーセント負荷を落とします」
リツコは、初号機の顔を見つめると、言った。
「それでは、50パーセントの負荷をかけてシンクロ開始。毎秒2パーセントずつ、負荷を減らしてゆきます」
「了解。シンクロ開始」
薄暗かったエントリープラグの内壁には、光り輝く模様が現れ始めた。シンジは呆然とそれを見つめていた。
リツコの端末のディスプレイには、震えながら上昇する棒グラフが現れた。彼女はそれを凝視した。観察室に、オペレーターの声が響いた。
「シンクロ率順調に上昇、まもなくボーダーラインを突破します。0.8…0.6…0.4…0.2…臨界突破。初号機起動しました」
エントリープラグの内壁の輝きは、どんどん複雑さを増し、ついには赤い液体と、初号機の前に渡された仮設ブリッジが映し出された。
シンジはつぶやいた。
「…すごい」
リツコは初号機起動を示すディスプレイの表示を見て、大きくため息をついた。
オペレーターは、さらに言葉を続けた。
「シンクロ率、さらに上昇します。…すごいですね。最終シンクロ率、42.8パーセントです。…ハーモニクス正常、神経異状ありません。」
リツコはふと眉をひそめ、つぶやいた。
「さすが、血は争えないのね」
しかし、彼女はすぐに正面を向くと言った。
「初号機起動完了。発令所へ回して」
●
発令所のホログラムディスプレイには、隅に小さく初号機の映像が映し出された。
オペレーターの一人が顔を上げた。
「初号機、起動しました」
ミサトは腕組みをしたまま言った。
「初号機、8番ゲートへ」
オペレーターは、端末を叩き始めた。
「了解、初号機8番ゲートへ移動します。E0号室、排水開始。第1・第2拘束具を除去します」
エヴァンゲリオン初号機が浸っていた赤い液体は、急速に水位を落としていった。仮設ブリッジは弧を描くようにたるみ、下方にある循環口からは、滝のように液体が流れ落ちていた。
液体の水位が下がりきるのと同時に、エヴァンゲリオンを両肩から抑え込んでいた拘束具が前方へ外れていった。シンジが先ほどプラグスーツに着替えた監視室は、巨大な拘束具の中にあったのだ。
続いて背後のゲートが低い音を立てて開き、初号機は背中を第三拘束具に固定されたまま、中へ運ばれていった。奥には10基ほどの巨大なリニアレールが、壁につけられてあった。第三拘束具は、そのレールのひとつに接続された。拘束具の台車は壁のリニアレールを噛み、初号機の足もとのジョイントは、強力に拘束具を抑え込んだ。それと同時に、初号機の天井の隔壁が、はるか上まで開いた。
シンジは、エントリープラグの中で、その様子をじっと見つめていた。
彼は先ほどから、奇妙な感覚に陥っていた。確かに、自分はシートの上に座っているはずなのに、それと同時に背中を何かに押さえられて、直立しているような感じもするのだった。シンジの心臓は、痛いほど脈打っていた。彼は自分の右手を見つめた。
「ぼくは…、ぼくは何をしてるんだ?」
オペレーターは、端末から顔を上げた。
「8ゲート、オールグリーン。すべて、発進位置です」
「了解」
ミサトは、司令塔を見上げると言った。
「本当に、よろしいのですね」
ゲンドウは手をデスクの上で組んだまま言った。
「もちろんだ」
冬月も、ゲンドウを見た。
「本当にいいんだな」
ゲンドウは、唇を曲げて笑みを浮かべた。
ミサトは、正面を向くと叫んだ。
「発進!」
拘束具の足もとのジョイントが外されると、エヴァンゲリオン初号機は激しいスパークを散らしながらリニアレールに沿って疾走し始めた。リニアモーターは、初号機と拘束具を一気に時速135キロにまで加速し、十数秒で地上へと運んだ。
芦ノ湖の湖岸には、巨大な集光塔が群れを成していた。その一角にサイレンが鳴ったかと思うと、地面が直方体に空いていった。そして、レールが60メートルほど飛び出したのと同時に、初号機は拘束具ごと地上に現れた。
シンジは、リニアモーターの激しい加速に耐えていたが、大きく息をついた。その息は、自分でもわかるほどに震えていた。
ミサトは、初号機が地上に出た映像を見ると、口を開いた。
「碇シンジ君、ごめんなさい。…最終安全装置、解除!」
初号機を押さえつけていた、最後の拘束具が、音を立てて外れた。初号機は、だらりと腕を垂らして猫背になった。
(ここは…、外…。建物が、あんなに小さい)
シンジは、あたりを見渡した。正面には、暗い芦ノ湖の湖面が見えた。もう夜だった。左右には集光塔が並んでいて、風がかすかに吹いていた。
(風…、ぼくは風を感じてる)
シンジは自分の体を見ようとした。しかし、体が鈍く動かないような、不思議な感覚に陥った。
「碇シンジ君、とりあえず、歩くことだけを考えて」
どこからか、リツコの声が聞こえた。
(あ、歩く…)
「右足を出すのよ」
(右足…)
右足が、ゆっくりと動くような感覚があった。初号機は、重々しく右足を踏み出した。
映像を見ていたミサトは、大きくため息をついた。
しかしその時、芦ノ湖の湖面に、赤く光る巨大な球体が現れた。
シンジは、息をすることができなくなった。
赤い球体は、水面ぎりぎりに浮かび上がったかと思うと、激しく水柱を上げた。そして次の瞬間には、岸辺へと足を踏み出していた。岸辺の柔らかい地面は深くのめり込み、大木がきしむようないやな音がした。シンジは、想像の範囲をはるかに超えた巨大な物体をただ見つめていた。
それは使徒だった。
使徒は湖尻水門を踏みつぶしながらもう一歩を踏み出した。その時、使徒の胸部に2つあった面のうちのひとつが、滑落して地面に突き刺さった。
シンジの背中には、感電にも似た激しい痺れが走っていた。それは骨盤から始まり、頭蓋骨の中へと続く痛みにも似た感覚だった。シンジは使徒を恐れた。それは本能的な恐怖だった。
「う、うわあああああ!」