NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
7「地に落ちる箍」
シンジの悲鳴は、回線を通じて発令所に響き渡った。
葛城ミサトは唇をかむと、オペレーターにどなりつけた。
「湖岸の迎撃システムはどうなってんの?」
「現在起動中、あと5秒で稼働します」
集光塔の周囲に点在している兵装ビルが、一斉に動きはじめた。低い油圧シリンダーの音を立てながら、ビルは変形して有線ミサイルの発射口を覗かせた。
使徒は上陸すると、初号機へ向かって歩き始めた。兵装ビルの有線ミサイルは、ワイヤーの繰り出す羽虫のような音を響かせながら、一斉に使徒へ目がけて飛んで行った。ミサイルは激しく炸裂し、既に日の沈んだ湖面にフラッシュのような照り返しを浮かべた。しかし、使徒は歩みを止めなかった。
シンジの目の前には、飛び散る閃光の中から、黒い異形の姿が迫ってきていた。
「うわああっ!」
シンジは逃げようとしたが、体が動かなかった。例の不思議な感覚は、今一層強くなっていた。シンジは、自分がエントリープラグの中にいることをほとんど忘れかけていた。シンジは使徒の目前で、だらりと両手を伸ばしたまま、指一つ動かせずに立ちつくしているのだった。
使徒は、エヴァンゲリオン初号機の前に立ちふさがった。使徒の体からは、硫黄のような強烈な臭いがした。シンジはそれを感じた。
赤城リツコは、観察室のディスプレイからその様子を見ていたが、ふと口を開いた。
「使徒に勝つにしても…。搭乗者が死ななければいいけど」
使徒はいきなり、初号機の頭と左手をつかんだ。シンジはエントリープラグの中で前のめりになった。
「助けて!」
その時、使徒の両腕の筋肉組織が一気に膨張した。初号機は軽々と空中に持ち上げられ、激しい力で身体を引き裂かれはじめた。シンジは骨のきしむような痛みに左腕を押さえた。初号機が受けている攻撃を、シンジは同じように体で感じているのだった。
「あ!あああ」
ミサトは叫んだ。
「碇君、落ち着いて!あなたの手じゃないのよ!」
初号機の体は、嫌な音を立てて歪んでいった。使徒はさらに筋肉組織を膨張させると、初号機の左腕を握り締めた。その瞬間、左腕は骨格ごと握りつぶされ、ぶらりと垂れ下がってしまった。シンジは、左腕が凍ったように感じると同時に、肩甲骨の内側に何かを突き刺されたような衝撃を受けた。左手の先が痺れて感覚がなくなり、ひどい吐き気を覚えた。
観察室でディスプレイを見ていたオペレーターの一人が、リツコを見上げた。
「左腕神経節断線!搭乗者にショック症状が起こっています。危険です!シンクロ率を落としますか?」
「いえ、いいのよ」
「しかし!」
リツコは画面を見上げたまま答えた。
「現状を維持して」
使徒は、握りつぶした初号機の左腕を放すと、初号機の頭をつかんでいる手のひらを怪しく光らせはじめた。シンジは、半分気を失いながら目の前が白く光るのを感じた。
次の瞬間、使徒の手のひらからは、巨大な銛が突き出した。銛は初号機の顔面の装甲に当たり、激しく火花を散らした。
「まずい!」
ミサトはオペレーターの方を振り向いた。
「日向君、兵装ビルの攻撃はどうなっているの?」
「この状況では、攻撃は無理です。初号機に被弾してしまいます」
「しかし、このままじゃ。…リツコに連絡、エントリープラグを射出させて!」
「了解!」
使徒は、輝く銛を何度も初号機の顔面目がけて突き込んでいた。初号機の右目の装甲には亀裂が入っていった。シンジは吐き気のために呼吸ができなくなりながら、されるがままになっていた。
(や、やめて…)
観察室のオペレーターは、リツコに報告した。
「発令所より、エントリープラグ射出の要請が来ています。…博士。赤城博士?」
リツコは、黙って初号機の姿を見つめていた。
その瞬間、初号機の顔面の装甲は突き抜かれ、銛は右目から後頭部を貫通した。その勢いで、初号機は100メートルほど向こうにある集光塔に叩きつけられた。
シンジの視界は真っ暗になった。
ミサトは叫んだ。
「碇君!」
●
シンジの目の前には、ガラスのコップがあった。コップの中には、透明な液体が入っていた。
どこからか、ゲンドウの声が響いてきた。
「シンジ、お前に水をやろう」
シンジは右目をこすりながら、コップを見つめた。液体はゆっくりと波打っていて、かすかに光を放っていた。シンジは右手を目から放すと、コップを取った。コップは、驚くほど重かった。
彼はつぶやいた。
「ぼくは…」
シンジは、顔を近づけて液体を見つめた。液体は揺らぎ、少しずつ色調を変えていた。それは生命だった。生命は、液体となって微光を放っていた。
ゲンドウの言葉が、再びどこからか響いた。
「シンジ、お前に水をやろう」
シンジは言った。
「ぼくは…ぼくは水なんかいらない。それに、ぼくの名前はシンジじゃない」
しかし、シンジの右手は勝手にコップを口に運んでいた。
シンジは思った。
(悪いのは右手だ。いつも勝手に動かなくなる右手だ)
シンジは、コップの水を飲んだ。口に含んでみると、シンジは、自分がそれを渇望していたことに気づいた。右目がかゆくて、涙がこぼれた。
ゲンドウの声は、三度響いた。
「シンジ、お前に水をやろう」
(悪いのは父さんだ。ぼくを捨てた父さんだ)
シンジは水を飲み干した。
●
兵装ビルに叩きつけられた初号機は、がっくりと四肢を伸ばして動かなくなった。使徒が銛を引き抜くと、初号機は頭を垂れた。それと同時に、銛の貫通部から赤い体液が激しく吹き出した。
発令所のオペレーター用ディスプレイは、一瞬にして赤い文字で埋まっていった。
「初号機活動停止!損害不明です」
ミサトは叫んだ。
「エントリープラグの射出はどうなっているの?」
オペレーターが振り返った。
「観察室の方で、施行中のはずですが」
「何やってるの!リツコは。搭乗者の状況は?」
「不明です、モニター回路が断線している模様です」
ディスプレイ上の使徒は、動かなくなった初号機目がけて、再び歩き始めていた。
「…」
ミサトは絶望的な目でディスプレイを見つめた。
その時、初号機が頭を震わせた。続いて四肢に痙攣が走り、両手がぎこちなく持ち上げられていった。使徒は、一瞬立ち止まった。初号機は貫かれた右目を両手で押さえると、低い唸り声を上げた。
観察室のオペレーターが息を飲んだ。
「!エヴァ初号機、再起動。しかし、神経回路はさらに崩壊を始めています。…こんなことって」
リツコはつぶやいた。
「始まったのね」
ミサトは呆然と初号機の様子を見上げていた。
「何が起こったの…」
ゲンドウは、組んだ手の下で唇を歪めた。
初号機は、悲鳴に近い声を上げながら、目を押さえて身をよじった。そして、顔を覆う装甲に手を掛けると、それを引き剥がしはじめた。装甲を押さえるジョイントは吹き飛び、赤い体液にまみれたマスクは剥がされた。装甲の下には、緑色の光彩を持った巨大な片目と、人間のもののように白く生々しく並ぶ歯が光っていた。剥がされた顔部の装甲は初号機の手を離れ、アスファルトに突き刺さった。初号機は頭を抱えるようにして突き抜かれた右目を覆っていたが、緑色の左目をギロリと使徒に向けた。
使徒は光る銛を突きつけようとした。しかし初号機は獣のように跳躍すると、使徒の体に組みついた。初号機は使徒の右手をつかむと、激しくそれを引っ張った。使徒の右手は、まるで雑草のように千切れてしまった。引き抜かれた使徒の右手は、空を飛んで集光塔にあたり、紫色の体液を飛び散らした。続いて、初号機は使徒の胸部にある面に片手をかけた。しかし、使徒は左手の筋肉組織を膨張させると、初号機を突き飛ばした。
50メートルほど飛ばされた初号機は、猫のようにひたりと地面に着地した。初号機の背中から伸びる電源供給用のケーブルが、弧を描いてしなっていった。巨大な歯の隙間からは、獣のような唸り声が漏れていた。
その時、使徒は両目から光線を発射した。初号機はその直撃を受け、背後の集光塔もろとも炎の十字架の中へ消えた。しかし爆炎が消えると、半立ちになった初号機が緑色の眼球を光らせていた。初号機は雄叫びを上げると、右手を振りかざして使徒へつかみかかった。
ところが、もう少しで使徒に触れるというところで、初号機は何かに激突して進めなくなった。それは、波紋のように歪む透明な壁だった。
リツコはつぶやいた。
「ATフィールドが目視できるなんて!」
ATフィールドは、使徒と初号機の間にかすかな光を発しながら存在していた。それは位相空間によって物理的接触を遮断するものだった。使徒のATフィールドは今、人の目に見えるほど強力に張り巡らされていた。
初号機はATフィールドをかきむしっていたが、ふと握りつぶされた左手を目の前にかざした。すると、だらりとぶら下がっていた指先が狂ったように動きはじめ、潰されていた組織は急速に再生していった。
「すごい!」
ミサトは目を見開いた。
初号機は両手をATフィールドに押しつけると、扉をこじ開けるようにつめを立てはじめた。
発令所のオペレーターは叫んだ。
「初号機も、ATフィールドを展開。位相空間を、中和していきます!」
使徒のATフィールドは、初号機が腕を広げるに従い、微光を失っていった。初号機は、こじ開けられた空間の隙間から身を乗り込ませ、口を大きく開いた。
その時、使徒は再び光線を放った。光線は初号機を包み込み、芦ノ湖の湖面まで直進して巨大な十字架を吹き上げた。
初号機は、身体を後ろにのめらせたが、すぐに顔を起こし、使徒の面をつかんだ。そして使徒の体を軽々と持ち上げると、兵装ビル目がけて叩きつけた。兵装ビルは一気に倒壊し、横倒しになった。初号機は電源ケーブルを踊らせながら、走り出した。そして、使徒に肩から体当たりをした。使徒は、崩壊した兵装ビルごと200メートルほど引きずられた。
使徒はすでに、ぐったりと動かなくなっていた。しかし、初号機は使徒の身体に馬乗りになると、腹部の赤い球体を支えていたあばら骨に手をかけた。あばら骨はめきめきと音を立てて広げられていった。初号機はあばら骨の一つをむしり取ると、それを振りかざして赤い球体目がけて突き下ろした。何度も何度も突き下ろしているうちに、赤い球体には大きく亀裂が走った。
その時、使徒は赤ん坊のような悲鳴を上げると、急に体を起こして初号機の身体に巻きついた。
ミサトは息を飲んだ。
使徒の腹部の赤い球体は激しく光を発しはじめ、次の瞬間には初号機もろとも巨大な火柱に包まれた。火柱は上空で十字架になり、芦ノ湖の湖面を明々と照らし出した。
「自爆…」
ミサトは呆然とディスプレイを見ていたが、我に返ったように振り返った。
「初号機の様子はどう?」
しかし、口を開けてホログラムディスプレイを見つめるオペレーターを見て、ミサトも顔を上げた。
そこには、爆炎の中をゆっくりと歩いている初号機の姿があった。
発令所にいる人間の全てが、息を飲んで初号機の姿を見つめていた。初号機は低く唸ると、左目を左右に走らせた。
ミサトはつぶやいた。
「これが、エヴァ…」
冬月は、ゲンドウを見下ろすと口を開いた。
「勝ったな」
ゲンドウは、メガネのフレームを押さえると、デスクから体を起こした。
「ああ。だが、何もかもこれからだ」