NEON GENESIS EVANGELION
新世紀エヴァンゲリオン小説化計画
9「やがて陽も沈む」


 シンジは、病室のベットに座っていた。
 風は止んでいて、窓のカーテンはひっそりと凍りついていた。その向こうに見える山並みは橙色に染まっていた。空は紫色で、細く浮かぶ雲が、不自然なほど赤かった。
 ベットの傍には、葛城ミサトが座っていた。彼女は窓の外を見つめるシンジに向かって口を開いた。
 「だいぶ涼しくなったわね。ここはまだましだけど、湖岸は暑くて。本当に高原なのかしらね、この街は」
 シンジは、ちらりとミサトの方を向くと、すぐに下を向いた。
 「ぼくにはよくわかりません」
 の鳴き声が、窓の外から聞こえた。ミサトも下を向くと、自分の靴の先を見つめた。
 「…はじめに、謝っておくわ。ごめんなさい。あなたには、ひどいことをしたわ」
 シンジは黙っていた。ミサトは顔を上げると、膝の上に乗せられているシンジの手を見た。シンジの手は細く長く、そして華奢だった。
 ミサトは言葉を続けた。
 「でも、わかってほしいの。ああしなければ、使徒を倒すことができなかったのよ。あなたにはエヴァに乗ってもらわなければ…ならなかったの」
 シンジはうつむいたままぽつりと言った。
 「…教えてください。なんで、ぼくなんですか?」
 「あなたにしか、エヴァに乗れないからよ」
 「どういうことですか?」
 「エヴァンゲリオンは、誰にでも操れるものじゃないのよ。エヴァの操縦には、特別の資質が必要なの。それは努力や訓練だけじゃどうしようもないものなのよ」
 「それを、ぼくが?」
 シンジは顔を上げた。
 「そう。あなたは世界中の人間の中からやっと見つけた、エヴァに搭乗できる数少ない適格者の一人なのよ」
 「適格者」
 「そうよ。あなたは選ばれた人間なの」
 シンジは、再び下を向いた。
 「つまり…、ぼくはまたあれに乗らなきゃいけないんですね」
 ミサトは一瞬、口をつぐんだ。しかし、息を吸い込んで言った。
 「そうよ。そうしてもらうわ。私達には、あなたが必要なの」
 シンジは右手をゆっくりと動かした。
 「…それは、父さんの意思なんですか?」
 「そうよ。そして、我々ネルフの意思でもあるわ」
 「父さんがぼくを呼び寄せたのは、あんなことをさせるためだったんですね」
 ミサトは顔を上げた。彼女はゲンドウの言葉を思い出した。予備が来た。よろしく頼む…。
 彼女は言った。
 「…司令としても、これは辛い選択だったと思うわ。だって、自分の子供をエヴァに乗せなくてはならなかったんですもの。でも、わかって。ネルフは人類を救うためにあるの。あなたのお父さんは、その責任者なのよ」
 「人類は、使徒に滅ぼされるんですか?」
 「それを防ぐために、ネルフがあるのよ」
 シンジは右手をシーツの中へ入れた。
 気がつくと、病室はずいぶん薄暗くなっていた。シンジの膝にかけられたシーツが、黒く深い影を刻んでいた。ミサトは立ち上がると、病室の電気をつけた。彼女はベットの上でうつむいている少年を見つめていたが、口を開いた。
 「さて、碇君には一晩入院してもらうけど、念の為ってことだから、本当は今日退院してもいいくらいなのよ。今晩はぐっすり眠って、元気出して」
 シンジは、顔を上げてミサトを見た。
 「はい、ありがとうございます」
 「私はもう行くけど、明日また迎えに来るわ」
 「はい」
 「それじゃあね」
 ミサトはにっこり笑うと、病室から出ていった。
 シンジは窓の外を見たが、部屋の中が明るくなったために、カーテンが白くぶら下がっているだけだった。蜩の合唱が、耳に響いていた。
 シンジはベットに横になった。
 (セミの声。…ここは嫌いだ)


 ゲンドウは席に着くと、メガネのフレームを押し上げた。
 そこは教室ほどの大きさの部屋だったが、ゲンドウが座っている席以外にはなにもなく、窓すらつけられていなかった。部屋のすべては白に統一されていて、黒いネルフの制服を着たゲンドウは不自然に浮かび上がって見えた。
 しばらくすると、照明が徐々に落とされ、部屋は暗闇に包まれた。ゲンドウは数メートル先の床を眺めていたが、もはやそこに床があるのかどうかもわからなかった。
 突然、ゲンドウの周りに白いもやのようなものがいくつも現れた。それらはカメラの焦点が合うように、急速に人の形になっていった。次の瞬間には、ゲンドウは7人の人物と円卓を囲んでいた。
 それは立体ホログラムの映像だった。7人の実体は、それぞれが世界の各地に散らばっているのだった。
 ゲンドウは、手を組んで両肘をデスクに乗せると、目の前に現れた7人を見渡した。7人は皆かなりの高齢で、体は青白くかすんで見えた。
 ゲンドウの正面には、奇妙なメガネをつけた老人が座っていた。そのメガネは顔を半分覆ってしまうほど大きく、横に細長いレンズは赤く濁っていた。メガネの上にのぞく白髪はぴったりと後ろになでつけられ、かぎ鼻の下でゆがむ唇は重々しく閉じられていた。
 その老人は、デスクに片肘をついたまま7人を見渡すと、体を起こして椅子の背にもたれかかった。光の加減で、老人の口元のしわが浮かび上がった。
 「さて…、今回集まってもらったのは他でもない。使徒の再来についてだが…」
 老人の声は、同時音声翻訳システムのために口の動きから一瞬遅れて薄暗い空間に響きわたった。まがい物の音声は、抑揚がなく機械的だった。
 ゲンドウの隣の小柄な老人が、口を開いた。
 「いささか唐突だったな」
 「しかし、我々は感謝してもよいのではないか?神は人間に、15年の有余をくださったのだよ」
 別の老人が、口からタバコの煙を吐きながら言った。タバコの先から昇る煙は、1メートルほど伸びて唐突にとぎれていた。
 「その通り。今度の使徒が1年早く現れていたら、どうなっていたかわからん」
 「我々の努力は無駄にならなかった」
 「希望の灯がかろうじてともったということだよ」
 老人たちは、思い思いに口を開き始めた。
 奇妙なメガネを付けた老人は、椅子の背に首を持たせかけてそれを聞いていたが、ゆっくりと頭を起こした。
 「しかし、そのつけは安くなかったぞ」
 「さよう。エヴァ初号機の損壊、第三新東京市の被害。なおすとなれば、国が一つ傾くよ」
 東洋人系の老人が、メガネのレンズを拭きながら言った。
 「やむをえんだろう、初陣だ。そもそも使徒に勝つこと自体、大いなる希望的観測だったのだからな」
 小柄な老人が、ゲンドウの方を見て言った。
 「君のご子息はなかなかの戦いぶりだったが、負傷したそうだね。どうかね、様子の方は」
 ゲンドウは口を開いた。
 「先ほど意識を取り戻しました。軽傷です。問題ありません」
 「大事にしてあげたまえ。貴重な適格者なのだからね」
 ゲンドウは目を細めた。
 「しかし、零号機の暴走といい、今回といい、搭乗者への負荷が大きいな」
 「ダミー・システムの完成は急いでもらわないと。君の息子が生きているうちにね」
 老人の一人が、目をつぶってこめかみを押さえながら言った。
 ゲンドウは口を開いた。
 「ダミー・システムの開発は順調です。先の起動実験の暴走による遅れはほとんどありません」
 「しかし、ダミー・システムだけでは困るぞ」
 タバコを吸っていた老人が、ゲンドウの方を向いた。
 「人類補完計画。これこそ君の急務だ」
 「さよう。補完計画こそ、この絶望的状況下における唯一の救いなのだからな」
 東洋人系の老人は、唇をゆがめた。
 奇妙なメガネをかけた老人が口を開いた。
 「そこで、ネルフ責任者より提出された追加予算の申請だが」
 「必要なのはわかる。しかし、額が額だな」
 口ひげをはやした老人が言った。
 「国連は火の車だ」
 「予算なんて、どこからでも折り合いがつくものだよ」
 「どうだろう。とりあえず、気候難民の対策予算から持ってきては」
 「それは無難だな」
 「おやおや、彼らも貴重な人口だということを忘れていないかね?」
 「どうせ有象無象の連中だ。私の国でも、手を焼いている」
 「滅びに拍車をかけるようなものだな」
 「連中を救っても、人の滅びを止めることはできんよ」
 「そうとも。気候難民を救って人類の寿命が延びるのなら、我々は必死にやっている。それに、もともと溝に投げ込んでいるような意味のない金だ。民意煽動のためのね」
 「中米は再び火を噴くぞ」
 「噴いてもらうさ。何のために、軍隊がおる。わしの国では、なかなかうまく抑え込んでいるぞ」
 「困ったな」
 「子に乳を飲ませるとなれば、飼い猫にはがまんしてもらわんと」
 老人の一人が溜息をつくと、円卓に言葉がとぎれた。奇妙なメガネの老人は口を開いた。
 「なるほど。追加予算は、気候難民の対策予算からということで、よろしいか?」
 6人の老人は、沈黙をもってそれに同意した。
 奇妙なメガネの老人は、体を起こしてゲンドウを見た。
 「使徒の再来による、補完計画の遅延は認められない。わかっているな、碇」
 「わかっています」
 東洋人系の老人が口を開いた。
 「後は我々の仕事だ。ご苦労だったな、碇君」
 老人がしゃべり終わると、6人の老人がかき消すようにいなくなった。暗い空間は、ゲンドウと奇妙なメガネの老人だけになった。
 老人は、椅子の背にもたれかかって腕を組んだ。
 「碇、後戻りはできんぞ」
 次の瞬間、奇妙なメガネの老人も闇の中へ消え去った。
 ゲンドウは、暗闇を見つめたままつぶやいた。
 「わかっている。人間に残された時間は少ないからな」


 次の日の午後に、ミサトはシンジの病室へ現れた。
 「碇君、調子はどう?」
 シンジは体を起こした。
 「はい…、大丈夫みたいです」
 「目の方は、大丈夫?」
 「ええ、眼帯はまだ取れないみたいですけど」
 「そう。…これはあなたの荷物と、監視室に置いたままだった服よ」
 ミサトは手に持っていたバックと紙袋を差し出した。
 「あ…、わざわざありがとうございます」
 「着替えたら、あなたの家まで送ってあげるわ」
 ミサトは微笑んだ。
 シンジとミサトは病院を出ると、彼女の車に乗った。
 第三新東京市は、今日も晴れていた。空にはこま切れの雲が低く流れている。箱根山の緑が鮮明だった。
 シンジは、車に乗ってからずっと口をつぐんでいた。ミサトは信号で停車すると、シンジの横顔を見た。
 「碇君、車とか興味ある?」
 「え?なんですか」
 シンジは顔を上げた。
 「自動車よ。男の子なんだから、メカに興味はないの?」
 「あ…、そういえばこの車、すごいスポーツカーですね。でも、ぼくは機械に全然疎くて…」
 ミサトは首をかしげた。
 「そう、残念。私は車オタクだから、いろいろ話ができると思ったのに」
 「すみません」
 ミサトはギアをローにいれると、アクセルを踏んだ。
 「碇君は、何が趣味なの?」
 「え?ぼくですか…、ぼくは特になにも…音楽を聴くことくらいです」
 「へー、どんなの聴くの?」
 「昔の音楽です。インパクト前の」
 「そうなんだ…」
 言葉がとぎれ、沈黙が広がった。ミサトは再び信号で止まると、サイドブレーキを引いた。
 シンジはミサトの方を見た。
 「あの、葛城さんは、何を聴くんですか?」
 ミサトは口もとに笑みをつくった。
 「私はたまにラジオ聴くくらいなの。音楽全然知らなくて…。ごめんなさいね」
 「そうですか…」
 シンジは再び、膝の上のバックを見つめた。ミサトは口をつぐむと、信号を見上げた。
 ミサトの車は市街地を抜け、新田にあるゲンドウのマンションの前に止まった。
 シンジは車から降りると、ミサトへ言った。
 「ありがとうございました」
 「いいのよ。あ、そうだ」
 ミサトは座席の後ろから、携帯電話を引っ張り出した。
 「これ、必須アイテムだから渡しとくわ。短縮の1がネルフの作戦部、短縮の2が私の携帯にしておくわね」
 ミサトは携帯電話に電話番号を登録すると、シンジに差し出した。
 「必ずパスワードをかけておいてね。作戦部の回線は機密だから。あなたの電話番号は、そこに小さく書いてあるのがそうよ」
 「はい…」
 「あ、あともう一つ」
 ミサトは胸のポケットからカードを取り出した。
 「あなたのセキュリティカード。仮のものだけれどね」
 シンジはカードを受け取った。カードの表には、赤地に白でネルフのマークが印刷されていた。裏側には、シンジの顔写真と、名前などが並んでいた。
 (こんな写真…いつ撮られたんだろう?)
 「さて…」
 ミサトは息をついた。
 「碇君も、荷物の整理とか学校とかいろいろで大変だと思うけど、頑張ってね。また、こちらの詳しいスケジュールは連絡するわ」
 「はい…わかりました」
 シンジは、助手席のドアを閉めた。ミサトは軽くホーンを鳴らすと、車を走らせていった。
 シンジは携帯電話をバックの中に入れると、マンションの中へ入っていった。
 6階にあるゲンドウの部屋の入口の脇には、シンジの荷物が入った段ボール箱が積まれていた。それを見たシンジは、はっとした。
 彼は入口の前に立つと、呼び鈴を押した。そして、しばらくしてからドアのノブを回した。しかし、ノブはロックされていた。シンジは積み上げられた段ボール箱を見つめると、ため息をついた。
 「父さん…、いつ帰ってくるのかな」
 シンジは扉を背にして座り込むと、バックの中からウォークマンを取り出した。彼はイヤホンを耳に着けて、再生スイッチを押した。
 時間はゆっくりと流れていった。いつしかあたりは夕暮れになり、やがて陽も沈んだ。シンジは同じテープが何往復もするのを、ただじっと聴き続けていた。
 真夜中になって、ついに電池はとぎれた。テープの回転は止まり、ウォークマンの液晶カウンターは消えてしまった。シンジはイヤホンを外すと、顔を上げた。廊下の蛍光灯が、シンジとシンジの荷物を青白く照らしていた。蛾が蛍光灯に当たって乾いた音を立てている。腕時計を見ると、既に夜の10時を回っていた。
 彼は三歳のときに、伯父に預けられたときのことを思い出した。シンジは伯父の家の前で激しく泣き出した。ゲンドウはシンジのとなりにかばんを置くと、泣きじゃくるシンジを残して去っていった。そのかばんは、三歳のときのシンジの身の回りのものすべてが入っていたかばんだった。
 シンジは立ち上がると、脇に積まれた段ボール箱を見た。箱は全部で7つだった。それが14歳のシンジの持ち物すべてだった。
 (あんなロボットに乗せたあげく、ほったらかしにして…)
 シンジはつぶやいた。
 「やっぱり…、ぼくはいらない人間なんだ」