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●本物の恋愛という幻想 あるラジオ番組の恋愛相談を聴いていたら、こんなやり取りがありました。 相談者の23歳の女性は、友達の恋人を好きになってしまい、自分の気持ちを彼に告白するか悩んでいるそうです。 すると、ラジオのパーソナリティの年輩の女性は、このようにアドバイスしました。 「それは友達の恋人だから、友達が惚れている相手だから価値を感じているの。 それは錯覚であって、本当の愛では無いわ。 例え、告白したところで、3人の関係を悪くするだけだから、やめておいた方がいいと思います」 すると、もう一人のパーソナリティが、 「いや、本当の愛とか、本当の恋という言葉を使うのは良くないと思います。 愛や恋に、本当も嘘も無い。その人がそう感じたら、それは愛であり、恋です。恋愛に差別はありません。 自分の気持ちが本当だと思うなら、例え、失敗しても傷ついても修羅場になってもいいからアクションを起こすべきでしょう。 そうやって人間は成長していくのです」 と、答えて、なるほどなぁ、と思いました。 もし、本当の愛、本当の恋愛というモノが存在し、その条件に合わないすべての男女の交際行為が、 嘘の恋愛とされ、なにか一段劣る存在になってしまったら、恋愛とは何とも窮屈で楽しくないものになるでしょう。 人間は妄想の世界を生きている存在です。 私たちが信じている道徳や倫理、常識も、それが正しいことであると、 社会の構成員が共通の錯覚を抱いているから通用するに過ぎません。 例えば、結婚したら、夫や妻以外の異性とは性交してはいけないという常識がありますが、 かつて三百年くらい前までは、婚姻制度の無い乱交社会というのが現実に存在していました。 大航海時代にキャプテン・クックが初めてタヒチ島に上陸したときには、 そのあまりのありさまに、ビックリ仰天したそうです。 彼らが島に上陸したときに非常に困ったことは、露骨な性の誘惑もさることながら、 島民には「所有」という概念が希薄だったということです。 個人の所有物であろうと何であろうと、みんな勝手に持っていってしまうのです。 そのためキャプテン・クックたちと、島民との間でトラブルが多発することになったのです。 しかし、このまさに泥棒行為そのものでしかないことが、タヒチの島民にとっては何でもないことだったのです。 このような所有の概念があまり発達しなかった背景には、やはり乱交による性の共有というのがあるのではないかと思われます。 集団のしきたりとして、特定の異性とだけ性交することが許されず、頻繁に相手を変えて性交しなければならなかったのです。 生まれてきた子は、集団の子として、みんなで育てました。 このような昔のタヒチ島の人たちの行為を現在の道徳や常識に照らし合わせて、 「彼らは本当の恋愛を知らない」「性が乱れた野蛮な文化である」 などと批判することは、傲慢以外の何物でもなく、差別を生み出します。 同様に「本当の正義」「本当の友情」「本当の社会人」などといった概念も、非常に狭量で傲慢な概念だと思います。 本当の●●以外の概念を否定し、それらを劣ったものとして、差別することになるからです。 『管理人コラム』の目次へ戻る トップへ戻る▲ページの先頭へ |
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