日本郵趣協会
鹿 児 島 支 部

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2011.10.23更新

このWebサイトでは、地元鹿児島の話題を中心に、すべての切手愛好家が楽しめる郵趣情報をお届けします。どうぞよろしく。

管理人多忙のため、このところ更新が滞りがちですが、どうぞご勘弁を。


スタンプショウかごしま 2011

2011.10.1〜2開催

例年の会場(KKR鹿児島敬天閣)において、例年どおりの規模で開催されました。多数の御来場、ありがとうございました。今年は、2日間で延べ247名の方に楽しんでいただくことができました。当日のスナップ写真や開催データなどを、ここに掲載しておきます。

 
今年の公式ポスターです 

会場でのスナップ写真

 

会場全景

作品展示

恒例の「使用済切手つかみどり」

郵便局臨時出張所

買い物


スタンプショウかごしま開催データ

日時

2011年10月1日(土) 10:00〜17:00
       10月2日(日)  9:00〜16:00

会場

KKRかごしま敬天閣(黎明館となり)2階会議室 

主催

公益財団法人日本郵趣協会九州・沖縄地方本部
日本郵趣協会鹿児島支部

後援

南日本新聞社、南日本放送、郵便局株式会社九州支社

入場料

無料

展示作品

約18フレーム

(招待作品) 世界の鉄道遺産

日本郵趣協会「鉄道切手部会」のご協力によって、多数の鉄道切手作品を展示することができました。

「世界の鉄道遺産」は、今年春に東京で開催された「トピカル切手展」での金銀賞入賞作品です。

(招待作品) 山陽・九州新幹線

(招待作品) 世界の高速鉄道

(招待作品) 路面電車の郵便局

(特別展示) 九州の鉄道郵便印−西回り路線とその枝線−

毎年ブース出店されている中嶋克巳さん(小郡)の作品です。

(特別展示) 鹿児島県の集配郵便局

昭和50年代の鹿児島県内集配局の消印を、一覧展示します。

支部会員の作品
「バードパワー」、「第1次国立公園切手」、「台湾」、など

郵便局

例年どおり、鹿児島東郵便局による臨時出張所が開設されました。最近の新発行記念切手が多数販売されたほか、下記図案の小型印が使用されました。


切手鑑定

2日10時〜11時(伊藤JPS九州沖縄地方本部長)

昭和30年代以降の未使用記念切手類は、切手額面程度の価値しかないものがほとんどですが、それより古い切手(状態のよいもの)、使用済切手、葉書や封筒に貼られて使用されたままのものなどには、大変貴重なものが含まれているかもしれません。

 

 

フレーム切手

下のフレーム切手は支部会員のためにごく少数制作しましたが、このHPご覧の方で入手ご希望の方があれば、極力ご希望に沿いたいと思います。本ページ末尾のアドレスあてにご連絡ください。今年は、市内の鉄道好き保育園児に描いてもらった絵を図案にしました。

記念カード

展示作品にちなんで、現代の路面電車をデザインした記念カードを作成し、入場者にはおひとり様1枚、無料で差し上げました。50円以上の切手を貼って、上記の記念小型印を押せば、よい記念品になります。

無料配布品

・さくら日本切手カタログの旧年版(毎日先着20名様)
・郵趣サービス社の郵趣用品カタログ
・日本郵趣協会入会案内
・郵趣サービス社の販売カタログつき情報誌「スタンプマガジン」の最新号
などなど

つかみどり

例年と同様に、最近の日本切手(記念切手主体)の紙つき使用済切手を、無料でつかみ取っていただきました。

 

出店

アオヤマスタンプさん(広島)、松本さん(臼杵郵趣会)、中嶋さん(小郡)



九州新幹線全線開業

2011.03.13

昨日3月12日に、いよいよ全線開通の日を迎えました。開通前日に発生した東日本大震災のために、派手な祝賀行事は中止になりましたが、鹿児島中央駅は多数の遠来のお客さんで賑わっていたようです。

この九州新幹線全線開通と合わせて、県内の郵便局ではフレーム切手が販売されています。ひとつは全線開通そのものを記念したもの、もうひとつはそれに合わせて開催される「全国都市緑化フェア」にちなんだものです。

九州全域で販売される新幹線の方は、鹿児島への割り当ては多くなかったようで、鹿児島中央局では整理券を配っての制限販売でした。しかし郵便局のWebサイトでは3月15日から通信販売されるので、買いそびれた方はこれを利用するのもよいでしょう。

また「スタンプラリー」用の押印台紙が無料配布されています。2ヶ月の間に博多、熊本、鹿児島の3局で、この台紙に指定の小型印を押印した人は、抽選で「九州新幹線携帯ストラップ」がもらえるとのことですが、もらえるのが30名様というのは、少々ケチくさいのではないでしょうか。

 

(以下、後日追記)

こんな風に3局の押印(記念文字が博多、熊本は上端に入っているのに鹿児島は下端ですね)を揃えて、郵便局の窓口にもっていくと、3角クジ方式のくじ引きが1回できます。台紙の裏には、抽選済を表す示すゴム印が次のように押されます。

そして運がよければ、次のような携帯ストラップがあたります。クジ運の悪い筆者なのに、なぜかあたってしまいました(ただしこの押印済台紙は他の方からの預かりものです。もちろん賞品は、その方に送ります)。「30名様」というのは本当でしょうか。みなさんも挑戦してみてはいかが?。押印のためだけに熊本や博多に出かけるのは、お金がかかりすぎますが。

 


広告つき年賀葉書(九州新幹線)

2010.11.07

みなさんは、もう来年用の年賀葉書を買い求めましたか? 近年の年賀葉書は、いろいろな種類のさまざまなデザインのものが販売されていますね。そんな多種の年賀葉書の中には、郵便局に貼ってあるカラフルなパンフレットに載っていないものもあります。そのひとつが「広告つき年賀葉書(エコー年賀)」です。

企業や地方の公共団体などがスポンサーになって経費を負担し、一般の年賀葉書の下部に広告を入れて、利用者には一般の葉書より5円安い値段で販売するものです。今回の年賀葉書では、全国で東京の2種と鹿児島の1種のみが発行されました。その鹿児島版が、下に紹介した葉書です。スポンサーは鹿児島商工会議所で、来年3月に全線開通する九州新幹線がデザインされています。

発行数が少なかったため、ほとんどの郵便局では販売初日に売り切れてしまったようですが、もしかしたらまだどこかに残っているかも知れません。下の葉書は、スポンサーの鹿児島商工会議所にちなんで、鹿児島東郵便局の販売初日の消印を押した記念品です。


ふるさと切手「九州の花と風景II」

2009.4.18

2006年(平成18年)6月1日に発行されたふるさと切手ですが、最近鹿児島市内の郵便局で販売されているこの切手には、以前のものとの間に興味深い違いがあります。下のシート画像の左側が以前販売されていたもの、右側が現在販売されているものです。

一見しただけでは同じに見えるかもしれませんが、注意深く見ればどなたにも違いがおわかりになるはずです。明らかな違いは、シート右下の耳紙上にあります。この部分だけを拡大した画像をご覧に入れましょう。

いかがですか。ポピーの切手の下に入っている文字が違います。以前の切手(左側)には「国立印刷局製造」、現在販売されている切手(右側)には「凸版印刷株式会社製造」と書かれています。これは切手の製造所を表す文字で、「銘版」と呼ばれています。わが国に限らずどの国の切手でも、ごく一部の例外を除いて、このような文字が入れられています。日本切手約140年の歴史の中では、19種の銘版が用いられました。その中で「大蔵省印刷局製造」は、戦後1952年から2001年までの50年間にわたって使われた銘版で、筆者が子供の頃は銘版つきの切手のことを「大蔵省つき」などと呼んでいました。この銘版は、切手のほか収入印紙やお札にもつけられています。

今世紀に入ってからの省庁再編に伴い、この銘版は「大蔵省印刷局製造」→「財務省印刷局製造」→「国立印刷局製造」と変化しました。それに加えて記念切手やふるさと切手の一部は、外国の会社を含む民間会社で製造されるようになり、それらにはそれぞれの会社の銘版が入れられました。「凸版印刷株式会社製造」はそのうちのひとつで、多種のふるさと切手につけられています。

平成元年(1989年)に発行が始まったふるさと切手は、1995年頃から、需要に応じて増刷がくり返されるようになります。しかし増刷分と以前の分を区別することは、ごく一部の切手以外ほとんど不可能でした。切手の製造技術の確立した平成の世では、以前と全く同じ切手を増刷することに何の技術的困難もなかったからです。

しかし2006年末に登場した増刷切手の一部に、以前とは異なる銘版のついた切手が発見されました。この銘版変更切手はその後も続々と出現し、現在までに20種以上に達しました。それらの中には銘版以外にも、以前のものと異なる特徴が見られるものがあります。増刷ふるさと切手のすべてにこのような銘版等の変化が見られるわけではありませんが、それらも含めてこれら増刷ふるさと切手は、復刻ふるさと切手と呼ばれるようになりました。郵政民営化の翌年2008年に、それまでのふるさと切手に代わって「新ふるさと切手」が登場したのちも、新しい復刻ふるさと切手の登場が続きます。その最新版のひとつが、ここに紹介した「九州の花と風景II」です。銘版等に変化のある復刻ふるさと切手は、九州ではなかなか出現しませんでしたが、このたびやっと登場したわけです。

実は今回のこの復刻ふるさと切手には、銘版以外にも大きな変化があります。それは印刷方式が「グラビア」から「オフセット」に変更されたことです。詳しい説明は省略しますが、その違いは15倍程度のルーペで覗いてみればわかります。拡大画像を下に示しましょう。

切手の図案はこのような点々の集合で構成されていること、その点々の並び方が以前のグラビア切手と今回のオフセット切手で明らかに異なっていることが、おわかりいただけることでしょう。ということは、シートから切り取った1枚の切手であっても、以前の切手と今回の切手とを区別できるということです。もちろん使用済切手でもOKです。正確な分類にはルーペが必要ですが、使用済切手の場合は消印の年号でも大方の分類はできます。2008年以前の消印のついた切手は確実に旧版、2009年以降のものは確実ではありませんが新版の可能性大ということになります。数年後には、消印の年号と見比べながら使用済切手の山から新旧の切手を拾い出す楽しみが待っています。

この切手の場合、ルーペを使わなくても肉眼で新旧の切手を区別できるポイントがあります。10種の中で最も顕著なのが、実は上で示した鹿児島県の「ナノハナと開聞岳」なのです。図案の下部、ナノハナのバックの葉の部分を見比べてください。いかがですか? 新旧のシートをおもちであれば、10種中の他の切手についても、違いを探してみましょう。以前にこの切手を買って保存している方は、ぜひ新版を郵便局で買って、挑戦してみてください。


鹿児島交通の鉄道郵便

昭和50年代の末期まで、伊集院から枕崎までの間を、日置、加世田を経由して結ぶひとつの鉄道がありました。「鹿児島交通枕崎線」です。前身は明治の末期に開業した「南薩鉄道」で、地元ではその後も南薩線と呼ばれて親しまれていたそうです。最盛期には、知覧線、万世線という2つの支線もありました。

この南薩線の特徴は、昭和50年の春まで、私鉄としては珍しい郵便輸送が行われていたことです。郵便局で仕分けられた郵便物を積み込むほか、駅前のポストに投函された郵便物のうちその輸送便の行先方面あてのものをそのまま積み込み、車内で仕分け・消印の作業を行うことがありました。このような郵便輸送システムは当時の国鉄では広く見られ、そのための専用車両が多数用意されていました。その郵便車内での作業に使われた鉄郵印と呼ばれる特別な形態の消印は、古くから人気ある収集対象となっています。この南薩線で使われていた消印の印影を紹介いたしましょう。

普通の郵便局で使われていた当時の消印と比べると、上部の局名の部分に路線名「伊集院枕崎間」が入り、下部の引受時刻の部分に便名「上」が入っています。便名とは「上り便」「下り便」の別を示しています。同方向に一日に何便も設定されている区間では「上二」とか「下一」のように表示されますが、一便しかないこの区間では単に「上」と示されています。

封筒全体の姿(一部カット)は右のようになっています。昭和50年2月26日に沿線の駅前ポストに投函された東京あての速達便です。これが一日一便の「上り便」に積み込まれ、「伊集院枕崎間/上」の消印が押されたわけです。

終着駅伊集院からは先は、接続する国鉄に積み替えられて西鹿児島(現鹿児島中央)駅で降ろされ、鹿児島中央局で集められた郵便物とともに自動車に載せられて鹿児島空港に向かい、空路東京へと送られたものと考えられます。ただし伊集院・西鹿児島間はわずかな距離ですから、西鹿児島を経由せず直接鹿児島空港に陸送されたかもしれません。どちらであるかは、当時の「郵便路線図」を調べればわかるはずです。

このような地方私鉄の鉄郵印は、いざ入手しようと思っても、なかなか巡り会えるものではありません。速達便がポストに投函されることは少ないので、90円という(この時代の)高額切手に押された例は特に希少です。

ここに示した例は「上り便」ですが、これがもし逆の「下り便」であったら、それこそ「お宝」と言ってよい代物となります。沿線各駅では、上り便には伊集院を経由して鹿児島市内や東京・大阪に向かう多くの郵便物が積み込まれましたが、逆向きの下り便には積み込まれるのは、枕崎方面あてなどごく限られた量でしかなかったからです。

 

この鹿児島交通の郵便路線は昭和50年3月10日に廃止となり、自動車輸送に切り替えられてしましました。駅前ポストで集められた郵便物もすべて各地の郵便局に集められて消印されるようになりました。ここに紹介した速達便(50.2.26)は、その廃止直前のものということになります。

その後も、全国各地の鉄道郵便路線は次々と自動車輸送に切り替えられていきます。昭和59年1月には郵便車内での消印・仕分け作業が全廃され、鉄郵印が姿を消しました。さらにその2年後には、鉄道による郵便物輸送そのものも廃止されてしまいました。

一方鹿児島交通枕崎線の鉄道自体も、乗客減による経営難が続き、存続が危ぶまれるようになりました。そんな折、昭和58年6月の豪雨で大きな被害を受け、一部区間は運転再開されたものの全線復旧の資金の目処が立たず、そのまま翌59年3月17日に廃止されてしまいました

この鹿児島交通線の面影は、廃線後20年以上が過ぎた現在でも各所に残されていて、それらを尋ね歩く「廃線跡を尋ねる旅」が、鉄道ファンの間で静かなブームを呼んでいるそうです。「南薩線」で検索すると、さまざまなWebページにヒットします。


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