糸魚川から南小谷まで

糸魚川---頚城大野  約6キロ


海岸に並行する北陸道から直角に分岐して「塩の道」千国街道はスタートする。 踏切までの両側
には、塩問屋をはじめ、休憩茶屋、船頭長屋などが軒を連ねて、往時は賑わったと伝えられる。
 道はゆるやかな上り坂になって美山公園を抜け、古街道の面影を添えながら大野の里に至る。


糸魚川市内を走る北陸道

経王寺入口の塩の道ガイド

頸城大野付近

〔コメント〕
 糸魚川は親しみやすい町です。 駅前の大通りを北上すると直に枡形になった北陸道と交差し、
海岸は目の前です。 地下通路で新道をくぐると簡易展望台へ上れます。 残念ながら眼下はテト
ラポットの味気ない眺めですが、落日はきれいに見えることでしょう。 北陸道には敷石と雁木の
歩道がよく整備され、老舗のたたずまいにも風格が感じられます。
 千国街道に入ると、旧問屋街を抜けて踏切に出ますが、渡った先は真直ぐの広い道ではなく、
左手にほぼ並行する道を選んで進みます。 美山公園には水道タンクを利用した展望塔があり、
糸魚川市内と周辺の山々を一望できます。


頚城大野---山口  約12キロ

 頸城大野の先で踏切を渡ると、間もなく小坂トンネルに差しかかる。 トンネル上を横切るのが
塩の道で、トンネル脇を登れば路傍に道標が立つ。 やがて山道に入ると早くも急勾配が現われ、
中山峠へ通じるウトウである。 ウトウとは長い年月にわたる踏み跡でU字形になった地形のこと
らしい。 ようやく峠を抜けると仁王堂があり、右手にはフォサマグナパーク。 
 民家の間を縫うバス道路を数キロ行くと山口。 ここには塩の道資料館があるので是非立ち寄
りたい。 なお、山口と糸魚川間には、一日5〜6便の路線バスが運行する。

ウトウからの眺め

フォサマグナパークの断層

塩の道資料館
〔コメント〕
 フォサマグナパークは姫川に沿った丘陵の一角にあり、天然の地形を利用した興味深い博物
公園です。 特に、糸魚川-静岡構造線(ユーラシアプレートと北アメリカプレートの断層露頭)を
眼前に仰いだり、日本最大規模の枕状溶岩が見られたりします。 「前方に見える山は3億年前
に熱帯の海のサンゴ礁が地球のプレート運動で運ばれてきたもの」などと説明する解説板もよく
整備されています。 
 塩の道博物館は昔の民家を利用した素朴なつくりで、二階から天井裏にかけて、塩の道に因
む衣裳や用具が数多く展示され、最近の道の状況なども詳しく聞かせてもらうことができます。


山口−−大網峠−−大網−−平岩  約15キロ

 大網峠越えは千国街道最大の難所と評される。11月から3月までの間は雪に覆われ、夏は虻の
群れ。 道は険しく、歩行者は少なく、分岐道に迷いやすい。 おまけに山口には「熊出没注意」の
貼紙さえ見える。 十分な装備と覚悟を固めて出発した。
 雲ひとつない秋空で、不安もどこへやら、標識はしっかりとして、道も歩きやすい。 一時間弱で
白池に到着。 数人のパーティの姿も見える。 ところが、角間池、大網峠、屋敷跡を過ぎると、様
子は一変した。 細い流れに沿う急勾配の下りで、ときどき流れと道が一緒になったり、滝直上の
飛び石伝いがあったりする。 ボッカはともかく、牛はどうやって歩いたのだろう。 人っ子ひとり見
えぬ難路を悪戦苦闘の末、ようやく吊橋までたどり着き、丘をひとつ越えて大網集落に入った。


白池から雨飾方面

大網集落に近い吊橋

大網集落にある塩倉

〔コメント〕
 道の険しさと分岐については、地図をよく読みながら慎重に歩けば大丈夫と思いましたが、問題
は熊でした。 塩の道資料館で確かめますと、「だいぶ下の方まで出てくるようですよ、まだ人が
危害を受けた話は聞いていませんが」とのことでした。 携帯ラジオと痴漢よけのブザーを用意しま
したが、ラジオは電波の届き具合が悪くて満足な音が出ません。 そこでブザーをときどき鳴らすこ
とにしました。 これは全山に響くような、けたたましい音でした。
 道標は大網峠までは完璧ですが、そこから先が少々心もとない感じです。 分岐は見当たらない
ので迷う心配は無さそうですが、道があまりに細く険しいので、本当に大丈夫かなと多少不安を感
じました。 コースタイムも前半はゆとりあり、後半はやや忙しいという実感でした。


平岩--葛葉峠--湯原--北小谷  まわり道を含め約11キロ

 平岩には大糸線の全通と同時に賑わい出した姫川温泉があり、行く手に白馬大仏像が座す。
 つづら折りを葛葉峠に登ると、2002年春以来、崖沿いの道が崩壊状態のままで、先へ進めない。
 やむを得ず、廃道に近い左手の急な坂をかき分けるようにして下り、蒲原温泉の前へ出た。
ガイドブックに通行不能と書かれているこの道が、実は本来の塩の道らしい。 国界橋で支流を
渡り、猫鼻から湯川へ向かう。 この辺も道の様子が変わり、地図から正しいルートを見つける
のは、かなり難かしい。
 湯原から先は山道に入る。 ほぼ峠に達したところに、民族伝承の世界と評される三体の神像、
三峯様が祀られる。



  



  
  国界橋付近の姫川支流


    猫鼻石仏群           






        
     峠の三峯様

〔コメント〕
 猫鼻温泉の古い看板は路傍に残りながら温泉宿は無く、石仏群の発見は困難でした。 あと
で小谷村観光連盟 http://www.vill.otari.nagano.jp/  刊行の「千国街道 塩の道紀行」という
パンフレットを参照したところ、この辺の詳しい様子も分かりやすく図示されていました。 小谷
周辺の塩の道を歩く際には、このパンフレットの必携をお勧めします。 湯原から先はファミリー
向きの天神道コースと紹介されていますが、4月18日現在ではまだ残雪が多く、通行に相当苦
労があり、少々危険な状態でした。 ファミリー向きになるのは5月下旬以降でしょう。


北小谷--来馬--浦川--下里瀬--南小谷  約12キロ

 夕方から雨になる予報が次第に繰上がり、出発後間もなく降り出した。 雨中の街道歩きも
悪くはないかと暢気に構えていたが、とてもそんな話ではなくなってくる。 浦川のあたりは濁流
沿いの雪原で、人家も人影もなく心細い。 三叉路に立つ道標も矢印の向きがはっきりと読めず
悩んでいたら、幸い車が一台通りかかり、確認してことなきを得た。 姫川も支流も、雪解けの
濁流が逆巻くすさまじい勢いだ。
 宿場の面影を残す下里瀬を過ぎ、虫尾の阿弥陀堂へ上がると、北アルプスの雄大なシルエット
が霞みながら眼前に広がる。 快晴なら素晴らしい眺めだろうにと、天候の不運が恨めしい。









    浦川の雪原








   虫尾の阿弥陀堂








   水仙に囲まれた仏像

〔コメント〕
 来馬から浦川へかけて、往時は今より姫川本流に近いルートだったようですが、明治44年
の8月、稗田山の大崩落で街道・村落・田畑は壊滅、20数名が死亡し、以後塩の道は山寄り
の現在ルートに替わったと謂われます。 石坂の近傍、川原を眼下に幸田文の文学碑と由来
の碑が小公園風のつくりの中に立てられています。  そこには惨事の詳細を説明し、また
この事件をテーマに作られた幸田文の「崩れ」が婦人の友に発表されて、後にその一部が
「歳月茫茫」に再録された事実を語る文が刻まれています。 当地方の地崩れは昔から何度か
あったようで、近年では1995年、大糸線の長期不通を招いています。


 山口と南小谷の間に、もう一つ別のルートがあります。 ガイドブックには千国古道
(古代・中世期には、こちらが主街道だったらしい)、あるいは東道として紹介されてい
ます。 ただ、途中の集落が過疎化していたり、草が深く茂ったりで、区間の一部に
ついては歩行危険との注意が地元から出されています。
 そこで、危険な区間は割愛して、三坂峠と南小谷の間だけを歩くことにしました。


北小谷--深原--地蔵峠--三坂峠 往復  約15キロ

 北小谷駅のはずれに立つ地蔵峠越えの標識に沿い、姫川の河原を一望に見下ろしながら、
つづら坂を上がる。 深原を過ぎて2キロ余りのところで車道と分かれ、峠道に入る。 
 かなりきつい登りが続く。 貝の平、地団駄など、上杉・武田合戦に因む名のポイントを経て
地蔵峠に達する。 平坦地の奥に地蔵堂があり、すぐ下に乳房の木と呼ばれる大樹が立つ。
 この先は一段と幅狭く、渓流を跨ぎながら原生林に覆われた道をたどる。 登りつめた先が
標高1215メートルの三坂峠で、観音像が一体。 左手間近の戸倉山をはじめ、新潟側の山並
が素晴らしい眺めで前方に広がる。


深原 左手の小峯が地蔵峠

       地蔵峠

   三坂峠からの眺め

〔コメント〕
 深原から見上げる地蔵峠は、なだらかな山容で明るいイメージですが、実際に峠道に踏み
込むと視界はあまり開けず、山奥深く分け入る印象です。 大網峠同様、こちらも歩ける期間
は6月から10月までで、健脚向きのコースとして「千国街道 塩の道紀行」には紹介されてい
ます。 ウイークデイのこともあってか人影は皆無でしたが、三坂峠の近くで突如、マウンテン
バイクが2台、行手から下ってきたのには驚きました。 三坂峠から北方を眺めていたら、この
まま道を先へとりたい誘惑に駆られました。


北小谷--深原--埋橋--高町--大峯峠--南小谷  約15キロ

 深原までは前日と同じ道になる。 火の見櫓の下で右に分かれて林道に入る。 銭上平を
抜けた先の埋橋は、2戸の家と畑地だけ残る静かな集落。 さらに進むと、高町も同様に高原
状の土地に広がる小規模集落である。 右手に平倉山が近い。 武田に追われた飯森十郎
が陣取り、上杉の援軍を待ったが間に合わず、全員が討死した城跡の山である。
 中土小学校の向かいから大峯山に登る。 頂上は樹林に覆われて何も見えないが、峠を
越えると広い車道が前方に開け、一本道で南小谷へ下る。


       埋橋

   城跡のある平倉山

  石原白山神社と大杉

〔コメント〕
 最初のプランでは大峯峠へ登ったあと、同じ道を引き返して、中土小学校の前からバスで
南小谷に出るつもりでした。 ここは南小谷から中土を経て小谷温泉まで村営バスが走って
いるところです。 峠を越えてみると歩きやすそうな道が一直線に延びているので、そのまま
南小谷まで歩くことにしました。 途中には天然記念物大杉のそびえる白山神社や宮本諏訪
神社があり、宮本橋を渡ると西道に合流します。