文学=運動あるいは運動としての文学
――移住者たちの公共圏――


移住者たち

   カリブ文学は移動の中にある文学である.カリブ出身の作家たちが,いかに「故郷(ホーム)」を離れた「エグザイル」的境遇の中で作品を発表してきたかについては,本特集[『英語青年』2003年12月号]の年表を見てほしい.1913年にアメリカ合州国に渡り,ハーレム・ルネサンスに大きな影響を与えたジャマイカ出身のクロード・マッケイから,今日のノマドと呼ぶしかないほど,決して一箇所にとどまろうとしないキャリル・フィリップスのような作家にいたるまで,作家たちは移動し,移動の中で作家として形成していった.1950年代の英国(ブリテン)で開花する「カリビアン・ルネサンス」の嚆矢となった2つの出世作,ジョージ・ラミングの『この膚の砦の中で』とサム・セルヴォンの『ブライター・サン』が,ともに大西洋を渡る移民船の上で書き次がれていたというエピソードは象徴的である.

   現代の英国社会を構成する人口の10パーセントはさまざまな移民であり,カリビアンは1パーセントほどであると言われる.この1パーセントが英国社会に与えてきたインパクトの大きさは,ここで詳述するまでもないだろう.スポーツにおいても,文学においても,音楽においても,学術においても,政治においても,ストリートの文化や若者のスタイルにおいても,もはや「英国的なもの」がそれなしで語れないほど,カリビアンは英国社会を象徴的に変容させてきた.ロンドンのノッティングヒル・カーニヴァルは,いまや英国最大のフェスティバルのひとつとして,毎年観光客をひきつけている.

   カリビアンたちの英国への移民の歴史は,主要には,第二次大戦後の復興ブームに支えられてはじまったとされる.1948年,ウィンドラッシュ号をはじめとする3隻の船が,約700人の英領西インド人を英国に運んで以来,移民の数は年を追うごとに増え,10年後の1958年には,約125,000人の西インド諸島出身者が英国社会に暮らしていた.1948年の英国の国籍法は,「連合王国および植民地」の住民に同等の市民権を保証していた.対照的に,米国では1952年に厳格な移民規制法(マッカラン法)が通り,戦後も悪化する一方の生活に展望を見出せないカリブの島々からの移民の流れは,北の大国よりも,大西洋を越えた宗主国へと向かうことになった.

   この流れは,1961年に英連邦の新しい移民規制法ができるまでつづく.1950年代の移住作家たちによる「カリビアン・ルネサンス」が,こうした移民ブームと並行していたことをまず押さえておきたい.この時代の移住者たちの境遇は,セルヴォンの『ロンリー・ロンドナーズ』(1956)やラミングの『移住者たち』(1954)ほかの作品が活写している.

   移民ブームの50年代はまた,カリブでは自治・独立運動が次第に高まっていく時代でもあった.1958年の西インド諸島連邦成立で頂点を迎えるこの汎カリビアン・ナショナリズムの高まりは,連邦内の政治的・経済的摩擦によって1962年にはジャマイカ,トリニダード・トバゴの独立となって分解していく.だがそうしたカリビアン意識の高揚を支えた文化的要素は,ナショナリズムが政治的収束を迎えたのちにもかたちを変えて,さまざまな汎カリブ的文化運動となって続いていくだろう.

   この世代の作家たちに自己表現の大きなきっかけを与えたのが,BBCのラジオ番組『カリビアン・ヴォイシズ』であったことはよく知られている.毎週西インド発の新しい「声」を届けるこの番組の最初のきっかけをつくったのは,ジャマイカ出身のフェミニスト詩人・活動家のユナ・マーソンである.1930年代末からBBCの台本作家として働いていた彼女は,戦時中 Calling West Indies と題した番組を制作し,これが兵役で英国に滞在している西インド人たちの人気番組となっていた.やがて文学番組に特化していったこの放送枠をのちにBBCのヘンリー・スウォンジーが改組して,1946年から週1回の『カリビアン・ヴォイシズ』の放送がはじまった.BBCのネットワークを通じてカリブでも放送され,若い世代に多大な影響を与えたこの番組は,英国とカリブをつないで,はじめて本格的にカリブ文学の「読者(オーディエンス)」を創出したと言っていいだろう.実際,それが若い作家たちにロンドンでの活動のチャンスを与え,移住の決意を固めさせた部分は小さくない.この番組に関わった顔ぶれには,V.S. ナイポール,アンドリュー・ソルキー,ウィルソン・ハリス,エドガー・ミッテルホルザー,ラミング,ウォルコットら,のちのカリブ文学の代表的な男性作家たちが並んでいる.


二種類の移民

   だがそれ以前からも,英国は移住者たちにとって,労働需要だけでなく,専門的訓練の機会,さらには自由な表現の機会も提供してくれる場所だった.戦前の,比較的恵まれた境遇にあった少数の移民たち(そのほとんどが男性だった)の中には,高等教育を受けるため,専門技術を学ぶため,職業的技能を生かすために,海の向こうの「母国」に渡った者が多かった.現代カリブ美術を代表する彫刻家のロナルド・ムーディは,1923年に渡英して歯科技術を学んでいる最中に,造形美術への関心に目覚めたという.植民地の「ネイティヴ」にとって,「医者と弁護士」が個人的な努力で望みうる最高の地位であった時代を考えるなら,これも決して意外な状況ではなかっただろう.あるいはまた,トリニダード出身の思想家・作家C.L.R. ジェイムズのように,高名なクリケット選手の友人の招きで,クリケット記者の仕事を得ながら,文筆活動のチャンスを広げるために渡英した(1932年)者もいた.しかしいずれの者にとっても,植民地生まれの自分の本当の能力を伸ばし,生かせる場所が「母国」たる宗主国であるのは,疑う余地もないことだった.

   このような傾向は,移民ブームをへて,英領カリブの島々が国民国家として独立していく1960年代にもまだつづいていた.ジャマイカ,トリニダード,バルバドスに西インド大学が開校してからも,優秀な西インド人学生の男女にとって,卒業後,英国の大学院教育を受けるために渡英していくのは望ましい選択肢だった.だが1960年代には,すでに別の種類の西インド移民たち,すなわち英国の戦後復興のための労働力として渡っていった移民たちのコミュニティが,英国社会に根を下ろしはじめていた.その象徴的な表われが,1960年代半ばにはじまるノッティングヒル・カーニヴァルである.

   1960年代の英国には,いわばこうした2種類のカリビアンのコミュニティ,もしくはネットワークが存在していたと言える.ここで焦点を当ててみたいのは,その2つのはざまで生まれた,ある文学=文化運動の存在である.CAM(Caribbean Artists Movement)がそれである.


CAMの運動

   1967年,ロンドンで結成されたCAMは,詩人・作家,出版者,画家や彫刻家,音楽家や舞踏家,演劇人,批評家,歴史家,教育者,思想家や政治活動家といった人びと――実際には,そのいくつもを兼ね備える人物も珍しくない――からなる文化運動であった.中心となった創立メンバーは,トリニダード出身の詩人・活動家ジョン・ラローズ(1961年に渡英),バルバドス出身の歴史家・詩人エドワード・カマウ・ブラスウェイト(50年代に留学,65年に渡英),そしてジャマイカ出身の作家アンドリュー・サルキー(52年に渡英)であった.その他の主要メンバーでは,CLR ジェイムズ,ウィルソン・ハリス,ケネス・ラムチャンド,ジョージ・ラミングらが大きな役割を果たしている.

   誕生したばかりのCAMはロンドンの西インド学生センターを拠点に,講演会や公開討論,展覧会,書籍市,詩の朗読などのイベントを組織していった.CAMの公開セッションは徐々に話題を呼び,西インド学生センターに足を運ぶ人びとは次第に増えていった.アーティストや学生に限らず,オーディエンスは移民コミュニティ全体に広がっていった.

   CAMに参加した人々の多くは,作家をはじめとするいわゆる知識階層の人びとではあったものの,CAMの活動は,決して閉じられた知識サークルにだけ向けられていたのではなかった.逆にそれは,芸術の公共的な役割を意識した運動であり,コミュニティに根ざした文化啓蒙活動であった.1950年代に一挙に数を増した移民たちは,黒い肌の植民地出身者への偏見や敵意にさらされながら,英国に定住するという展望には不安を抱いていた.こうした状況においては,コミュニティ活動が果たす役割はきわめて大きい.重要なことは,かれら移民たちにとって,英国(ブリテン)が故郷の島では出会うことのなかったほかの島々の出身者たちと出会う場所になっていたこと,そうして「西インド人」として生きる場所になっていたことである.さらにこのことは,故郷ではすれ違って生きていた異なる社会階層の人々の間に,「同じ西インド人」としての結びつきを生むことにもなっていた.英国社会の片隅にわずかでも地歩を固めようと必死だった移民たちにとって,CAMは,英国で成功している著名な作家やアーチストたちが,同じ西インド人(カリビアン)として,自分たちの存在を英国社会に向けてアピールする運動に映ったのである.

   1967年にケント大学で開かれた第1回CAM国際会議が,作家たちの小さなサークルにすぎなかったCAMの活動を一挙に広げる突破口となった.この公開セッションは「週末サミット会議」と名づけられ,「西インドおよび英連邦(コモンウェルス)出身の,文学,演劇,絵画,彫刻,音楽のアーチストや批評家によるトークやセミナー,公演や詩の朗読,展覧会」が予告された.さまざまな分野のアーチストが一堂に会してカリブにおけるアートの現状と課題を論じ,演じて見せたこの会議が,すべての参加者に深刻な知的衝撃を与えたことは疑いない.CAMはこれ以後,一連のミーティングや公開セッションを通じて,アーチストたちが相互に啓発し合う場となっていく.

   さらにジャマイカやバルバドスにもメンバーが広がり,CAMの活動を報告するニューズレターはカリブにも届けられるようになって,このロンドン発の文化運動は「故郷」カリブにもオーディエンスを広げはじめた.いわば作家たち自身が媒体となって,いまやBBCの力を借りることなく,新しい「カリビアン・ヴォイシズ」をつくりはじめたのである.それはもはや土曜の夜(カリブでは日曜の午後)の30分間,ラジオに耳を傾けるだけの時間とは大きく異なっていた.


新たな公共圏

   CAMの創設と並行して,ラローズは出版事業を立ち上げる計画を進めていた.独自の編集でカリブ関連の書籍を専門的に刊行する,ニュー・ビーコン・ブックスがそれである.この名前はもちろん,1930年代のトリニダードで生まれた先駆的な文芸誌『ザ・ビーコン』を意識している.

   ここで少し振り返っておくなら,現代のカリブ作家たちの文学活動の発端は,作家たち自身による自主的な出版活動としてはじまっている.新聞以外にはほとんど発表の場のなかった20世紀前半のカリブでは,作家たちは創作の発表の場をつくることからはじめる必要があった.トリニダードでは1930年代にC.L.R.ジェイムズらが『トリニダード』『ザ・ビーコン』の発刊や執筆にかかわり,40年代初頭のバルバドスではラミングらが『ビム』の同人だった.ガイアナの『キック・オーバー・オール』,ジャマイカの『フォーカス』などが,のちの主要な作家たちを育てる場となっていた.

   CAMの出版活動がカリブの「自生的」な文学活動の系譜に自らを位置づけたことは,大西洋を横断する「オーディエンス」を自ら作り出す意識をもっていたことの証左だろう.ブラスウェイト,ハリス,マイケル・アントニーらの作品やエッセイの出版をはじめ,この出版社がカリブの文学・文化の発展に果たした役割ははかりしれない.今日でもロンドンのフィンズリー・パークにあるニュー・ビーコン書店には,カリブ,アフリカ関連書籍をはじめ,広く第三世界の文化政治や人種・民族問題などの貴重な書籍やブックレットが所狭しと並んでいる.

   CAMが公的な活動を休止する頃から起こってきた,よりコミュニティ・ベースの文化=政治運動としては,主に1970年代〜80年代前半にかけて,南ロンドンのブリクストンを拠点に活動を展開した,レイス・トゥデイ・コレクティブも注目に値する.機関紙『レイス・トゥデイ』は,ダーカス・ハウが編集主幹をつとめ,リントン・クウェシ・ジョンソン(LKJ)らが編集委員となって,英国で黒人(主にカリブ,アフリカ出身者)たちが日々直面している人種問題や労働問題に,アクチュアルに斬り込む記事が満載されていた.さらに教育・文化活動のサポート,イベントや政治行動の呼びかけや組織など,コミュニティ活動にも重点が置かれている.機関紙に付された「英国ブラック・コミュニティの声」(Voice of the Black Community in Britain)という副題からは,「ブラック・ブリテン」という新しい公共圏を形成しようとする志向をも伺うことができるかもしれない.CAMがなおハイブラウなアートの領域で公共圏を作り出そうとする運動だったとしたら,レイス・トゥデイはそれを,コミュニティに密着した「下からの」運動でなしとげようとする運動だったと言えるかもしれない.レイス・トゥデイもまた,LKJの詩集や,コレクティブのメンバーの手になるアクチュアルな論文,C.L.R.ジェイムズの講演録などの,独自の出版活動を行っている.

   このように見てきたのは,カリブ作家たちの表現の努力が,表現の場を作り出す努力と不可分であり,そうした場を作り出す努力の中で,ほかの領域で活動するアーチストたちとも課題を共有してきたことを強調したいがためである.自らの手でオーディエンスを作り出す努力は,表現者のネットワークを組織し公共の場を作り出す努力と不可分であり,それはまた,自律的なコミュニティを組織する努力とも密接に関わっている.カリビアンのアーチストたちにとって,アートとは公共性を生み出す力をもったものであり,その信念は,作家たちにおいても,いっそう強く自覚されていた.

   文学者たちの運動としてCAMを見た場合にも,それが多彩な活動領域を横断する運動であったということは,強調しておく必要がある.たとえばソルキー,ハリス,ラミングのような主要な職業作家をとりあげてみたとしても,かれらの活動は作家としての創作や出版に限られるものではない.C.L.R. ジェイムズのような「文人」に至っては,およそ職業的な肩書きを特定することなど無意味というほかないだろう.CAMは「文学」の領域を切り離して論じることのできないような,総合的な文化運動としてあった.そして逆に,そのような総合的な文化運動の中にこそ,CAMの作家たちが目指した「文学」があったと言ってもいい.


カリビアンであること

   もっとも重要なことは,これらの横断的な文化活動こそが,「カリビアン」の意識を生み出し,維持していくものであるということである.少なくともそれなしでは,カリブとは貧しい島々がばらばらに点在するだけの,地図上の一地方にすぎなかっただろうということである.

   一般にカリブ諸社会は,(構造主義が想定するような)静態的で持続的な文化・社会構造がきわめて弱く,歴史的には,つねに経済的・政治的な激変にさらされてきた.日常生活を秩序づける一定の価値観のシステムを見出すことは可能だとしても,言語,家族,教育,労働,宗教,食といったどの側面をとってみても(さらには「自然」でさえも),内的一貫性よりは外在的なものの影響のほうがきわだって大きいことは明らかである.こうしたカリブ社会を記述するキーワードとして,不断の混淆や変容のプロセスを表わす「クレオール」という言葉はすでによく知られているだろう.

   1990年代にカリブ文化の「クレオール性」を高らかに賞揚したのは,フランス語圏マルチニークの言語学者ジャン・ベルナベと,作家のパトリック・シャモワゾー,ラファエル・コンフィアンらである(『クレオール礼賛』,平凡社,1995年).だが彼らが敬意をもって論じた先駆者エドゥアール・グリッサンその人が,シャモワゾーらの賞揚する「クレオール性」を批判して,「クレオール化」にこそ可能性を求めたように,変容それ自体を一定のパターンや原理に還元しようとすることも,やはり疑わしいことなのだ.ただ,開かれてあること,関係の中にあること,その中で変わってゆこうとすること,そうしたあり方があえて言うなら「カリビアン」の本質であり,おそらくカリブ文学とは,この可能性に向けて編み出される,ネットワーク状の何かなのだ.

   はじめにカリビアンの移動について触れたが,移動や変容によって特徴づけられる「カリビアン」のありかたは,伝統的な「地域」の概念をもゆさぶってきた.地域としてのカリブ(The Caribbean)は,ひとつの言語にも,ひとつの領土にも,ひとつの「人種」にも,ひとつの歴史にさえも同定することはできない.それはむしろ,ちぐはぐでほころびの多い織物のような何かである.「故郷(ホーム)」のカリブ海においてそうであるだけでなく,カリビアンは,ロンドンにも,パリにも,アムステルダムにも,トロントにも,マイアミにも,ニューヨークにも,すでにその一部となったカリビアン・コミュニティをもっている.カリブの島々に住んでいる人々であっても,たいていの場合,海外で暮らしている家族や親戚や友人の一人や二人はもっており,しばしばカリブと海外のカリビアン・コミュニティとの間を行き来している.このようなネットワーク,地図上の観念ではなく,生きられるネットワークこそが,the Caribbean と呼ぶほかないものの実態なのである.

   資本と情報の集積からなる巨大な権力のネットワーク(アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが<帝国>と呼ぶもの)が,いたるところで生身の人間を(<帝国>のリソースとして)コントロールしようと監視の目を光らせている今日の世界には,また,そうしたネットワークの歴史的形成の端緒から踏み台にされ,蔑まれつづけてきてもなお,自らの文化と解放と自律を求め,模索しつづけてきた別様のネットワークも存在しているのである.マイノリティとして生きる民衆と,知識人・アーティストからなるこのネットワークは,運動としてのネットワークであり,同時に生活としてのネットワークである.

   文学はもはや,いかなる意味でも,閉ざされた「文化」の特権的な牙城ではありえない.そして文学の主要な役割のひとつが――今日ではますます重視されてきているように――「証言」にあるとしたら,多様な人びとが多様な関わりの中で生きている世界の中で書かれ,あっと言わせるような詩的なひらめきをもってそうした世界を「証言」してみせるのも,カリブ文学の大きな魅力であろう.


主要参考文献:
Anne Walmsley, The Caribbean Artists Movement, 1966-1972, New Beacon Books, 1992.この本は,「CAMに関わったすべての兄弟姉妹へ」と捧げられた,貴重な記録であり証言である.


初出:『英語青年』2003年12月号(特集:カリブの英語作家たち)
(語句や表記を多少改めました)  



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