小さな灰色のタイプライター
――喪失と希望のあいだで



もはや故郷をもたない人間にとっては,書くことが住処となる.
――Th.アドルノ
移動の論じ方

     文化を固定的な境界内部に閉じ込められた「伝統」のようなものではなく,不断に移動と混淆の状態にあってせめぎあい,織りなすもの,混成状態にあるものとして再定義してきた民族誌のポストモダン以降,移動や越境をめぐるさまざまな用語は,文化を語るさいの中心的な語彙をしめてきた.旅をしながら書く民族誌家に対して,「ネイティヴ」を代表しているはずの「インフォーマント」もまた,「向こう側」と「こちら側」をつなぐ境界的存在であり,旅の専門家であったことが,いまではますます明らかになりつつある.そればかりか,土地に根ざし,「変わらない」生活をつづけてきたはずのネイティヴなコミュニティそれ自体が,大きな移動を経験していることもまた,明白に表れてきている.たとえばジェイムズ・クリフォードは,端的に次のように書いている.「もし部族集団が生き残るとすれば,それはいまや多くの場合,人為的に縮小させられ強制的に移住させられた(ディスプレイスト)状況においてであり,その場合には,成員の一部が一時的にか永久にか,その土地から離れた都市にバラバラに暮らしている」【1】.

     クリフォードが「部族的ディアスポラ」として示しているこのような逆説は,ずっと平板化された形で,しかし奇妙にねじれた形で,都市に住む中産層の日常にも敷衍することができるかもしれない.誰もが多かれ少なかれ根無し草であり,「故郷喪失者たち」である現代人にとって,移動そのものが「故郷(ホーム)」になるという逆説は,いまや少しも新奇なものではない.鈴木慎一郎は,カリブ各地で日常的に見られるストリートの風景の中で,エアコンのきいた車で忙しく動き回っている成功者と,日々同じような場所でたむろしては,とくにすることもなく屋外で日がな一日過ごしている路傍の「クルー」を対比して,「屋内」対「屋外」をそのまま「安定」対「移動」に重ねる見方に疑問を呈している.「屋内」が「安定」を表し,「屋外」が「移動」を表すというのは本当だろうか.窓を閉めきってエアコンをきかせて走る車はむしろ移動する私的空間ともいうべきもので,この場合「移動」しているのはむしろ「屋内」のほうではないだろうか,と【2】.

     つまるところ現代では,転がる石にこそ苔は集まるのである.移動は成功のステイタスをむしろ表わすものであり,移動する「屋内」とは,忠実に上昇志向の価値観を守ってきた中産階級の,どこまでも繰り延べられていく日常の比喩でしかない.……とすれば,鈴木が取り出している対比は,本当のところ,どのような対比なのだろうか? あるいは移動をめぐる論じ方のどこかに,重要な差異を見えなくさせてしまうものがあったのだろうか?

     移動や越境は,近代批判・国民国家批判の可能性として語られてきた.だが移動性(モビリティ)・柔軟性(フレクシビリティ)といった用語は,すでにポストモダンな生産のパラダイムとして,あるいは生産性の新しい基準として,グローバルなコントロール社会が人々に要求する原理となっている【3】.単純化して言えば,近代批判,国民国家批判がグローバリズム礼賛と足並みを揃えてしまうような時代を,私たちは迎えているのである.そこでの問題は,しばしばグローバル化と呼ばれるこうした転換から取り残される膨大な人々が,このような基準からは見えてこないことである.

     すなわち,いまや移動の性質それ自体の中に,きわめて大きなギャップが現われているのである.グローバルなエリートの移動と難民の移動,情報とテクノロジーに支えられた,高度に生産的で快楽的な移動と,それらへのアクセスからますます切り離され,生存の手段から疎外されてゆく,苦痛に満ちた移動…….ここで認識しておかなければならないのは,こうしたグローバリズムの大波から(もしくはグローバル化の言説から)取り残される膨大な人々の中に,移動や越境すらままならないか,もしくはそもそも移動すること・越境することを望んでさえいない人々が多数存在している,という現実である.こうした人々にとっては,移動によって新たに得るもの――それがどんな未知の可能性であれ――よりも,失うもの――それはともあれ自分が慣れ親しんだものであり,たとえ愛着よりも不満のほうが大きい場合にも,少なくとも不確かな世界の中で,経験によって信じるに足るものである――のほうがずっと大きいと観念されているのである.かれらもまた,できることならここを出たいと言うだろう.だが故郷への愛着を捨てることは,大きな喪失感をともなう.あるいは不本意な移住先にいてさえ――悲劇的なことに――その環境に慣れてしまい,精一杯苦労をしてようやく慣れたその場所からさらに移動することは,新たな不安をかきたてる.グローバル社会のエリートにとって,移動は未知の可能性へと開かれており,上昇の動きである.だが上のような多くの人々にとっては,移動は喪失であり,さらなる下降の動きである.こうした人々の現実の中では,移動が強制移住や新たな囲い込みを意味することさえ,決して稀ではない【4】.かれらにとって,さらなる移動はさらなる不幸を暗示しているのである.ただ唯一「帰還」の動きだけが,そうした恐れや不幸の観念を免れている移動の様式だろう.


エグザイルとディアスポラ

     先回りして言えば,本稿の目的は,移動する人々の「帰還」への欲求を,「故郷」との平板な同一化ではないしかたで考えてみることにある.そのために,さしあたり故郷との関係において定義されるはずの「西インド文学」に,離脱の中にある帰還のありかたをさぐってみることにしたい.「西インド文学」(英語圏カリブ文学)は,はじめに移住先で開花し,やがてナショナリズムの波とともに西インド諸島へと帰還していった運動であると大きく捉えることができる.その運動を担ったのは個々の作家たちであり,コミュニティであるよりはひとりひとりの個人であった.かれらの移動を特徴づけるのに,ここではまず「エグザイル」という言葉に注目しておきたい.

     「エグザイル」とは追放された者・亡命者・流浪の身を意味する言葉であるが,パレスチナ出身で自らもエグザイルの境遇を生きてきたエドワード・サイードは,この言葉に比喩的な意味を与えている.エグザイルの身になるとは,生まれ故郷から完全に切り離されることではない.むしろ今日の世界では,故郷は実際にはそれほど遠くにあるわけではない.かといって簡単に戻れるわけでもなく,この不安定などっちつかずの立場をつねに感じながら生きることを余儀なくされているのが,エグザイルの身である【5】.

     だが他方で,エグザイルの作家は,現在住んでいる場所と,あとにしてきた故郷とをつねに同時に生きる者であり,そこから思いも寄らないような創造的で普遍的な拡がりを獲得する可能性を秘めている.自らの置かれた世界をあらかじめ定められた必然的・伝統的なものとして見るのではなく,出来事の隣接的な関連の配置の中で形づくられてゆく偶発的・歴史的なものとして捉えてゆく視点もまた,エグザイルのもつ特質である.この特質は,世界をそのはじまりにまでさかのぼって発展的に捉え直してゆく,ヴィーコ的な構想力をもたらすものである.サイードによればそれは,起源(origin)ではなくはじまり(beginnings)を捉えてゆく思考である.サイードの初期の主要な文学批評作品である『はじまりの現象』が,このようなエグザイル的な境位によってもたらされたものであることはもちろんだろう.

     サイードがエグザイルを特徴づける中間状態とは,帰還の可能性を留保しながら,あるいは故郷との絆を保ったままで,離脱する方法であると言えそうだ.それは一般的な「ディアスポラ」のイメージとの対比で明らかになる.ディアスポラもまた故郷と移住先とを同時に生きる,中間状態として定義されるだろうが,エグザイルはディアスポラほど集合的な記憶を喚起するものではなく,しばしば個人的な選択さえともなっているように見られている.またそれはディアスポラのように大きな断絶を経験し――それゆえ故郷はいわば非在の場所に再想像される――ておらず,むしろかえって,「お前はなぜ帰らないのか」と問いただされ続けているような状態に見える.どこにいても異郷であるが,異郷に新たなコミュニティをつくりあげるほどの強い凝集性もない.それはおそらく,エグザイルが起源神話とは無縁な脱出であり,あるいは無意識に起源神話を拒否しているからでもあるだろう.起源神話が必然性を求める命名の思考だとすれば,エグザイルは偶発性とともに生き,移動状態の匿名性や仮名性に埋もれている.エグザイルの境位が強調しているのは,起源(roots)よりも経路(routes)である.

     さらに言えば,ディアスポラの形象がその根底に「撒種」のメタファーをもっており(生めよ,増えよ,地に満てよ),いつの日か「贖い」を得るという聖書的な約束を含んでいる――それはいつの間にか,ひそかに目的論的な時間へと転化しかねない――としたら,エグザイルはむしろ,再生産のサイクルからも疎外された不毛の状態であり,行き着くあてもない現在の境遇である.エグザイルは単純に動きであり,流れであり,目的論的な全体性をもたないがゆえに,「表象」の秩序にもくみさない【6】.もっとも逆に,こうして社会の生産的な秩序とは異質であるがゆえに,かえって追放されたものが帯びるある種の聖性を与えられることもある(さまざまな貴種流離譚のように).じっさい,エグザイルは多くの偉大な思考を生み,芸術を生んだだけでなく,そのような存在として語られ,表象されてもきた.だがここでとりあげるのは,そうした神秘化とも縁のなさそうな,ある小さな「はじまり」のエピソードである.


あいだにある海

     航海のイメージは,いまでは男らしい野心よりも,どこか憂鬱さや退屈さにつきまとわれているように思える.航海が偶然性に支配され,航路の開発が文字通り命がけの賭けであった時代から,世界をくまなく結ぶ定期航路や輸送路の整備がすすみ,蒸気船の発達をおそらく決定的な契機として,航海は男たちの命がけの賭けから,変わりばえのしない商品作物やスノッブな一般乗客を満載した,安全で退屈で,さらには憂鬱なものへと変わっていった.文学的想像力の中では,船は――とりわけ熱帯の海を何日間も航海してゆく船は――文明と野蛮(あるいは自然)のあいだで人間性の暗鬱な部分が露わになる舞台装置として,むしろ好まれてきたように思える.かつてあれほど冒険への情熱を掻きたてる帝国的拡大のプロジェクトであった航海が,20世紀にはむしろ帝国的権威の没落(豪華客船であれ巨大戦艦であれ,この世に沈まぬものなどないのだ)や,そうした崩壊過程にともなう離散や亡命の記憶とむすびついているように見えるのは印象的である.世界戦争と国民国家建設にともなう膨大な人口の移動を経験し,グローバルな経済・政治格差が南北問題として極大化した20世紀後半に,もっとも典型的な難民のイメージとして登場してきたのは「ボート・ピープル」であった.

     それでも移民船は,つねになにがしかの希望をはらんできた.1950年代には,西インド諸島から幾人もの作家や知識人が英国を目指して渡っていった(エドワード・ブラスウェイト,サム・セルヴォンとジョージ・ラミング,アンドリュー・ソルキー,マイケル・アントニー,V.S.ナイポール,ジム・キャルー,ウィルソン・ハリス,ジェイムズ・バリー,ステュアート・ホール……そのほとんどすべてが男性だった).かれらは書く場所を求めて,あるいは自分の能力を存分に発揮できるチャンスを求めて――ある者は絶望的にわずかな奨学金のチャンスを勝ちとって――移住していったという意味では,グローバル・エリートにむしろ近い.だが他方で,故郷では作家として生きてゆけるだけの資源も環境もなく,食うためにやむなく移民してゆく姿は,グローバル化の波に押し流されている人々の苦境を思わせる.英領西インド諸島の文学運動は一種の自主的な出版サークルとしてはじまったものの,その規模はごく限られたものでしかなかった.作家や芸術家として生きていこうとするなら,やはり島を出てメトロポリスに向かうほかなかった.そしてかれらこそは,いまではブラック・ブリテンと呼ばれる文化的な公共圏を形づくった最初の世代だったのである.

     それら若き作家の中に,ジョージ・ラミングとサム・セルヴォンもいた.バルバドスの文芸誌『ビーム』の同人であり,トリニダードに渡って教職についていたラミングと,インド系トリニダーディアンであり,『トリニダード・ガーディアン』の特集版の副編集長をつとめていたセルヴォンは,じつに同じ移民船に乗って英国に向かっていた.そして二人とも,最初の自伝的小説を執筆中だった.

     「移住という言葉は,1950年に私がほかの西インド人たちと英国に向かったとき,それを言い表わす言葉だとは思っていなかった.私たちは単純に英国へ行くのだと思っていたし,その英国は私たちの子供時代に,私たちが受け継ぐもの,私たちを歓迎してくれる地だという意識を植えつけていた」【7】 という英領植民地人にとって,大西洋を渡る航海は何重にも「英国的」想像力と結びついていたはずである.コロンブスの航海,デフォーの航海,ウォルター・ローリーの航海,あるいは海賊たちの航海.だがこの海はまた,中間航路の地獄の舞台となり,数え切れないほどのアフリカ黒人が捨てられた海でもある.そこはまさしく資本主義的近代を生んだ2種類の,あまりにも対照的な移動を経験した海だったのである.

     旧世界と新世界のあいだにあるこの海,奴隷船とバナナ・ボートを運んだこの海を,西インド人たちはいわば二度渡って,英国へと向かっていた.自らもインド系トリニダード出身の詩人・作家であり,英国カルチュラル・スタディーズの重要な人物の一人であるデヴィッド・ダビデーンが,デレク・ウォルコットの詩に触れて語っている卓抜な言い回しを借りれば,「エリザベス1世の時代から,奴隷船やクーリー船はわれわれをカリブ海に運んできた.やがてエリザベス2世の時代になって,その船はわれわれをイングランドに送っているのである」【8】.

     ダビデーンは1999年に北欧で行った講演で,英国に移住した西インド人作家たちの系譜を,豊かな共感と巧みなユーモアを交えながら紹介している.その中に,この二人を乗せた移民船のエピソードが出てくる.

こうして作家たちは〔……〕船に乗ったのである.かれらの持ち物といえば,燃えさかる野心と,個人的才能と,そしてサム・セルヴォンとジョージ・ラミングの場合には,共有していた一台の「帝国製」タイプライターぐらいのものだった.〔……〕セルヴォンは,ラミングがしばしばセルヴォンの船室にタイプライターを借りに来ては,自分が彼にしぶしぶ貸していた様子を語っている.ラミングはタイプライターを返すのを都合よく忘れたり,さもなければ自分の船室にこもって,出て行こうとしなかったという.セルヴォンはその彼に対して,ヴィヴィッドなカリブの言葉で罵り,ドアをぶち破って絞め殺すぞと脅したりしていたという.【9】
タイプライターを奪い合う植民地出身の若き作家の姿には,カリブ諸社会を特徴づけている,自己表現の「空間を求める闘い」(ネトルフォード)の寓意を見ることができるかもしれない.あるいはまた,(歴史/物語〔ストーリー〕を)書くこと,記録することが大英帝国の植民地統治の基本的なテクニックであったと見るならば,書くための機械こそはそのテクノロジーの象徴であると考えることもできそうだ.さらには,その「帝国製」のタイプライターを独り占めにし,船室にこもって「難解な」【10】 文学表現を模索している英語詩人を「ネイティヴの」方言で罵倒するセルヴォンの姿には,さしあたり対照的な性格と文体(スタイル)をもつように見える二人の植民地人作家のあいだで寓意化されている,脱植民地化の闘いを見ることさえ可能かもしれない(その「帝国製」のタイプライターは,さしあたりインペリアル・スタンダードの側に近いラミングではなくて,ネイティヴの側に近いセルヴォンの所有物である).

     けれどもここでは,「のちに大きな影響を与える傑出した二冊のカリブの小説〔……〕ジョージ・ラミングの『この膚の砦の中で』と〔……〕サム・セルヴォンの『ブライター・サン』も,その生い立ちはこんなにもみすぼらしいものだったのである」【11】 という,はじまりをめぐる小さなエピソードにとどめておくことにしたい(タイプライターをめぐる争いは,彼らがロンドンに着いて宿泊所の部屋を共同で借りてからも続いたようだが,ラミングが自分も中古の機械を買うことで,ようやく収まったという).のちのラミングの叙情的な回想の中では,セルヴォンは「時には彼が船の片隅で書きつづけているのが見られた.小さな灰色のタイプライターを膝に乗せ,長くて黒い髪のふさが垂れ下がって,ほとんど視界をさえぎっていた」【12】 という.「小さな灰色のタイプライター」には,帝国製の文学的教養を身につけ,「とるに足らない」島々から移住していった作家たちの若き日を回顧する,内的なイメージがそのまま投影されていると見るのがいいだろう.黒字に白くアルファベットの染め抜かれたキーの並ぶタイプライターの灰色は,名づけることの難しい,中間色としてのグレイだっただろう.

     むしろここで取り出しておきたいのは,移動する船の上という独特な時間のほうである.二人の作家が故郷カリブの植民地を舞台にした自伝的小説を書いていたのが,まさしく大西洋を渡る移動の途上であったことを思うのは興味ぶかい.植民地で書き始められ,本国で出版されることになる小説が書きつづけられた船の上の時間は,それだけを取り出して名づけることの難しい,まさしく<あいだ>の時間であっただろう.植民地と本国の<あいだ>だけではない.いわば,とりかえしのつかない喪失と,実現するかもしれない希望のあいだ,鬱症(メランコリー)と分裂症(スキゾフレニー)のあいだ,「もはや」と「いまだ」のあいだで,彼らは自らの生い立ちを遡行しながら,自分が何者であり,何者になろうとしているのかを問いつづけていたのである.

     のちにラミングがロンドンで出版することになる,西インド文学の最初の世代を代弁するような批評集『エグザイルの喜び』(1960年)は,シェイクスピアの『テンペスト』とC.L.R. ジェイムズの『ブラック・ジャコバン』のあいだで書かれている【13】.じっさい,ラミングはまさに<あいだ>に生き,<あいだ>を問題にしつづけた作家であった.プロスペローとキャリバンの<あいだ>,植民者と被植民者の<あいだ>,そして何よりも,詩人・作家であることとカリビアンであることの<あいだ>,文学と政治の<あいだ>【14】.けれどもこの<あいだ>は,そのままエグザイルの「喜び」に満ちた空間になるのでは決してない.それどころか,英語を話すキャリバンの緊張と苦痛と,それがもたらすファノン的ともいえる暴力性を,誰よりも執拗に描こうとしたのがラミングであり,シェイクスピアの『テンペスト』が本国(ヨーロッパ)の側に回収し閉じてしまった空間を,どこまでも分裂するポストコロニアルな現在として描き直し,問いただそうとしたのがラミングだったのである【15】.


パウエルとマシュー

      C.L.R. ジェイムズの自伝的なクリケット論であり西インド社会論でもある『境界線を超えて』は,窓からクリケットの練習試合を眺める6歳の少年の視点ではじまる.この美しい幼年期の回想のなかでもとりわけ忘れがたいのが,近所に住んでいたマシュー・ボンドマンという人物の思い出である.いつも汚い身なりをして,歯をむき出して粗野な大声で話し,バットを引きずるようにして裸足で歩き回るマシューを,敬虔なピューリタンの叔母や祖母はひどく嫌い,彼の仕草のひとつひとつを見つけては,大仰に眉をしかめていた.だがそのマシューこそは,ジェイムズにとって最初のヒーローであり,「社会の中での人格というものについて,幼い私にもっとも強い印象」を形づくった人物だったのである.

このマシュー,その生活のあらゆる点からみてあまりにも粗野で野卑であったマシューが,バットを手にするときには,まさしく洗練とスタイルそのものだったのである.彼が地域のクラブで練習していた午後には,人々は立ち止まって見物し,彼の番が終わると去っていった.彼は片方の膝を地面につけて低く身をかがめる,一種独特なストロークをしていた.カバー方向を鮮やかに切り裂くこともあれば,レッグ方向の地を這うこともあった.それがどんな打球であれ,マシューが身をかがめて一振りするたびに,長く低い「ああ……」が多くの観客の口から漏れ,私の小さな魂は,そこにマシューを認める喜びに震えるのだった.【16】
あらゆる偉大な芸術作品に,無名の人々の集合的な実践のアレゴリーを見ているジェイムズの批評眼の原点が,おそらくここにある【17】.のちにクリケットの試合のたびにピカソの『ゲルニカ』の写真を持ってゆき,試合の合間に写真を眺めては,「『ゲルニカ』を見ると,スペイン革命の動きのすべて,渦巻きのすべてが,美的なかたち(フォーム)に込められていることが分かるだろう」【18】 と語ったように,ジェイムズがマシューに見ていたもの,それはフォームであり,スタイルであった.だがこのスタイルへの意識は,同時にマシュー・ボンドマンという固有の生を想起することなしに,それだけを取り出して語れるようなものではない.そのことは,ジェイムズが『境界線を超えて』と同じ時期に書いていた,もうひとつのすぐれたカリブ文化批評である「トゥサン・ルヴェルチュールからカストロへ」によく表われている.

     『ブラック・ジャコバン』への四半世紀後の補論として書かれたこの現代カリブ論は,そのタイトルが示すように,現代のカリビアンの文化的アイデンティティの形成をトゥサン・ルヴェルチュールにまでさかのぼって論じようとするものであり,脱植民地主義的なカリビアンの意識の系譜をたどり直すものである.その終わり近くで,ジェイムズはラミングが植民地独立後の「サン・クリストーバル」【19】 を舞台にした小説『冒険の季節』の一節を引用している.少々長いが,ジェイムズによる引用をそのまま見てみよう(ジェイムズはこの一節を妻に読み聞かせるときには,決まって嗚咽を抑えることができなかったという).

  『冒険の季節』の登場人物のひとり,パウエルは殺人と強姦を犯した.要するに,西インド社会の犯罪者のひとりである.小説が9割がた終わったところで,〔ラミングは〕突然,「作者の注」と断って3ページにわたる部分を挿入している.そして第一人称で,パウエルのことをこう説明している.
  10歳になるまでパウエルと私は,二人の母親の愛情を等しく受けながら,一緒に暮らしていた.夢や感情を分かち合っていた.年齢も同じだったし,二人はずっと一緒の小学校で勉強した.
  そして別れのときがやってきた.私は奨学金を得て,ほかの世界へと踏み出していった.少年時代に知っていた世界とはルーツは同じでも,生活様式はまったく違っていた.これにより私は特権を得たが,パウエルとその小世界を永遠に失うことになる.それまで私はパウエルと身を接するように一緒に暮らしてきた.それにもかかわらず,私は,人びとが戦争を忘れるように,あの小世界のことを忘れてしまった.そして新しい世界に属するようになった.この世界は歴史も浅く,去ったばかりの小世界と比較すればあまりにも軽かった.本能的に,私は,かの新しい特権にしがみついてしまった.そして今日にいたるまで,どんなにあがいてみても,その腕の中から逃れられないままなのである.
  狂おしい衝動に駆られてパウエルが犯罪に走ったのも,私の所業に大きな原因があると,私は骨の髄から感じている.私はこれを環境のせいだと説明させたくはない.私は自分の道徳的欠陥によるものを,帝国主義者という名の外国人意識に転嫁させることを許しておくことはできない.私は,兄弟の身の上に降りかかったことは自分に責任があるのだと肝に銘じて,あの世まで行こう.
  パウエルはいまなお私の心の片隅に住んでいる.愛情と呼べるかどうかわからない愛情と,奇妙な,表現しがたい後悔の念がある.そして心の底からの深い郷愁がある.というのも,彼と共有した少年時代の世界によって自分が見捨てられていらい,私は,なにごとにも自分に正直であったと感じたことがないからである.
これは,おびただしい反植民地主義文学の中でも,なにか新しい傾向を表わしている.この世代の西インド人は,西インドに対する責任を全面的に受け入れている.【20】
ジェイムズがここで新しい傾向と呼び,あるいは外国に渡った西インド人作家に特有の典型と見ているもの.それを可能にしているものは何だろうか.ノスタルジーであるとも言われている.だが過ぎ去った時間に情緒的に耽溺することとも,失われたものを想像的に取り戻そうとすることとも,これは違っている.ここにはとりかえしのつかない断絶の意識があり,後にしてきた世界への情緒的な一体感よりも,見捨てた者の自覚が強くはたらいている.そして,そのノスタルジーとの微妙だが決定的な差異の中で,新しい「西インド人」の自覚とジェイムズが考えるものが醸成されているのである.

     移動によって徐々に特権を得てきたプロセスが,実は喪失のプロセスでもあったのだという自覚【21】.そして,後にした者と残された者,成功した者と忘れ去られた者,救い上げられた者と溺れた者とが,同じ高さに立って互いに承認しようとする「平等主義的」な倫理【22】.ジェイムズが上のように書いた1960年代の初頭には,まさに英領西インド諸島は連邦制による独立の機運が高揚しており,4世紀にわたるヨーロッパの植民地主義が分断してきた島々に,いかに新しい政治的な連帯を実現できるかが問われていた.連邦労働党の書記長をつとめるかたわら,斬新で多彩で文化批評によってこの独立運動に大きな影響を与えたジェイムズをつき動かしていた情熱(パッション)の根底にあったもの,それはおそらく,このような共感=共苦(コンパッション)の空間としての新しい<カリブ>の希望だったのである.

     と同時に,それは<スタイル>によって結ばれる<カリブ>でもある.この型破りな「作者の注」の中に,ジェイムズがマシュー・ボンドマンの,誰にも真似のできない固有のスタイルを想起していることは明らかである.そしてラミングにとってもまた,単なる小説の「文体」ではない<スタイル>,これ以外ではありえないという,生き方としての<スタイル>が重要であったことはまちがいない【23】.<スタイル>とは,固有の生が自らの意志とその時々の選択によって生み出すものでありながら,むしろその固有の生にとりついて,それを固有の生たらしめるものである.ジェイムズが引いている型破りな「作者の注」はむしろ,作家が作り上げた小説の「文体」を,生き方としての<スタイル>が食い破ってしまった瞬間だというべきだろう.自分が小説の中に造形したパウエルではなく,実際にカリブの島で固有の生を生き抜き,今もどこかで生きているはずの兄弟の姿を記憶の中から呼び戻そうとしたとき,それは「作品」の完結した形式をさえ破って,他に選択肢のない,そうするしかない,絶対的に固有な<スタイル>を要求したのである.この瞬間のラミングはもはや小説の「作者」ではなく,ただその要求を裏切ることのできない,一人の<カリビアン>であったというべきだろう.

     同時代を生きる他者の想起が,現在の完結性を食い破って現われる,この強度をもった発作的な闖入は,エグザイルが生きる決して完結しえない現在の,シンコペートする時間性をまさしく表わしている.それは自らの自覚と意志によって呼び起こされているかぎりで,トラウマ的なフラッシュバックとは異なっている.またそれはとりかえしのつかない過去を生きるほかないメランコリーとも,多幸症的なノスタルジーへの耽溺とも,あるいは約束の地を目指す目的論的な未来への希望とも,端的に異なっている.むしろそれが似ているのは,「危機の瞬間にひらめくような想起をとらえること」【24】 の倫理であるかもしれない.


【1】 James Clifford, Routes: Travel and Translation in the Late Twentieth Century (Harvard University Press, 1997), p. 254 〔ジェイムズ・クリフォード/毛利嘉孝ほか訳,『ルーツ』,月曜社,228頁〕.

【2】 鈴木慎一郎「周縁性は響きあうか」,DeMusik Inter. 編,『音の力――ストリートを取り戻せ』,インパクト出版会,2002年,278-281頁.

【3】 Michael Hardt and Antonio Negri, Empire (Harvard University Press, 2000) 〔アントニオ・ネグリ,マイケル・ハート/水嶋一憲・酒井隆史・浜邦彦・吉田俊実訳,『<帝国>』,以文社,2003年〕,とくに第2部第4章および第3部第4章を参照.

【4】 Kevin Bales, Disposable People (University of California Press, 1999) 〔ケビン・ベイルズ/大和田英子訳,『グローバル経済と現代奴隷制』,凱風社,2002年〕を見よ.

【5】 Edward Said, Representations of the Intellectual (Pantheon, 1994) 〔エドワード・W.サイード/大橋洋一訳,『知識人とは何か』,平凡社,1995年〕,第3章.サイードはたとえばV.S.ナイポールの辛辣さの中にも,こうしたエグザイルの苛立たしい中間状態を見ている.

【6】 ポール・ギルロイをはじめとする意識的な論者は,むしろ「ディアスポラ」の比喩に,積極的にこうした側面を見ようとしている.いわば起源と表象の秩序に束縛された「ディアスポラ」の比喩を,もう一度離脱させようとしている,と言えばいいだろうか.Paul Gilroy, The Black Atlantic (London: Verso, 1993) の,とくに第3章を見よ.

【7】 George Lamming, "In the Castle of My Skin: Thirty Years After," in Conversations: Essays, Addresses and Interviews 1953-1990 (London: Karia Press, 1992), p. 49.

【8】 このときの講演記録は,ブリティッシュ・カウンシルのホームページ,http://www.britcoun.de/e/education/studies/seach993.htm 以下で読むことができる.

【9】 Dabydeen, 前掲講演録より.

【10】 ラミングはその政治的発言においてカリブでのプレゼンスを高める一方,自分に政治的共感を抱く聴衆が自分の作品を「難解だ」と遠ざけていることに悩んでいた.Andaye, "The Public Task of George Lamming's Caribbean Speeches," in Conversations.

【11】 Dabydeen, 前掲講演録より.

【12】 Dabydeen, 前掲講演録による引用.George Lamming, The Pleasures of Exile (Ann Arbor, The University of Michigan Press, 1992), p.212.

【13】 『テンペスト』のアメリカスからの(ひいては植民地世界からの)読み替えの系譜において,ラミングの『エグザイルの喜び』,とくにその中の「怪物・奴隷・子ども」の章は,一般にカリビアンが自らのアイデンティティのあり方をキャリバン像に重ねた重要なテクストと考えられているが,実にその『エグザイルの喜び』の冒頭で,ラミングははっきりと自分がプロスペローの子孫でもあると宣言しているのである.Lamming, The Pleasures of Exile, p. 15.

【14】 注【10】 を参照.

【15】 とくに『テンペスト』の改作を試みた小説『苺の水』を見よ.George Lamming, Water with Berries (Holt, Rinehart and Winston, 1971) および Water with Berries (London: Longman, 1973). なおロングマン版では,その暴力的な結末のあとに,「誰もがみな,審判が始まるのを待っていた」という短い最終章が書き足されている.

【16】 C.L.R. James, Beyond A Boundary (Duke University Press, 1983), pp. 3-4.

【17】 マシュー・ボンドマンの形象がジェイムズにとって持っていた意味については,Sylvia Wynter, "In Quest of Matthew Bondman," in Paul Buhle, ed., C.L.R. James: His Life and Work (Allison & Busby, 1986) が示唆に富む.

【18】 Stuart Hall, "C.L.R. James: A Portrait," in Paget Henry and Paul Buhle eds., C.L.R. James's Caribbean (Duke University Press, 1992), p. 15 〔浜邦彦訳,「C.L.R. ジェイムズの肖像」,『現代思想』1998年3月臨時増刊,114頁〕.

【19】 ラミング作品で描かれる「サン・クリストーバル」は,カリブ社会のさまざまな性格を投影された想像上の島で,彼にとっての「故郷」の寓意ともなっている.

【20】 C.L.R. James, The Black Jacobins: Toussaint L'Ouverture and the San Domingo Revolution (New York: Vintage, 1989), pp. 413-4.〔青木芳夫監訳,『ブラック ジャコバン――トゥサン・ルヴェルチュールとハイチ革命』,大村書店,1991年,407-8頁〕 また Ian Munro and Reinhard Sander eds., Kas-Kas: Interviews with Three Caribbean Writers in Texas (Occasional Publication of the African and Afro-American Research Institute, The University of Texas at Austin, 1972) に収められたインタビューも重要.

【21】 「第一世界で教える第三世界出身の知識人」としての批評的な位置を交渉してきたG.C.スピヴァクもまた,同じ意識を分有している.彼女はポストコロニアルの(女性)知識人に対して,学んだ特権を“unlearn”することの重要性を説いている.

【22】 これは Peter J. Wilson, Crab Antics (Yele University Press, 1973) が提起して,のちのカリブ諸社会の分析のひとつの範型となった,二分法のモデル(「名望」と「体面」)の,平等化志向と序列化志向という論点から借りている.これについては鈴木「周縁性は響きあうか」(前掲)を見よ.

【23】 George Lamming, "But Alas Edgar," in Conversations, p. 34.

【24】 ヴァルター・ベンヤミン,「歴史の概念について」,浅井健二郎編訳,『ベンヤミン・コレクション I 』,ちくま学芸文庫,1995年,649頁.


初出: 杉浦勉・鈴木慎一郎・東琢磨編,『シンコペーション――ラティーノ/
カリビアンの文化実践』(エディマン/新宿書房,2003年)


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