唄暦 最終回
くるだんど節

<大熊展望台より名瀬湾を望む(2005年9月9日撮影) ©hidemi okumiya>
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ウタアシビの席で、朝花節、俊良主節に続いて唄われると言われている「くるだんど節」 (南のヒギャ節の順番です)。 島っ人(しまっちゅ)に広く知られている唄でもある。シマ唄は島に暮らす人は誰でも知っていると思われがちだが、本当のところ、あまり知られていないのが事実だ。私自身島にいる頃は、シマ唄をあまり知らなかった。糸繰り節、いきゅんにゃ加那節くらいだろうか。 シマ唄にそれほど興味もなかったのも事実。知っていても、知らなくても、島で暮らす上で何ら不自由を感じることが無かったせいもあるかもしれない。昔のように、集まればウタアシビなんてことは、大人になって島で暮らしていた頃は体験したこともない。 東京に暮らし、30を超え人生に躓いたとき、島の三味線の音が無性に聴きたくてたまらなくなった。 40歳くらいからシマ唄を始めた人には、懐かしくて始めた人が多いのではないかと思う。 シマ唄を習い始めた頃、自分が習っていた先生は、やはり、広く知られている唄から、教えていた。 生徒には奄美にゆかりのない都会の人が多く、言葉も難しいので三味線のみの指導だった。先生が弾くのに合わせて、生徒達が弾いていくという形だった。たまに、唄を先生が唄いながらということもあったが、生徒達も、別段唄を必要とはしていなかった。 「くるだんど節」くらいから、なかなか曲を覚えられなかった。それが、唄を知らなかったからなのだなぁと、今更ながらに気がつく。 唄を知っていれば、曲を覚えるのも、そう難しいことではなかったのかもしれない。 三味線の指導だけを受けて、弾けるようになったような気がしていたが、生徒たちが唄者達に合わせることがなかなか出来なかったのは、その曲自体を知らなかったからなのだと、唄を歌い始めて、やっとわかった。 ウタアシビの最初の三曲(「三献(さんごん)」と言うそうです)の一曲である「くるだんど節」には、歌詞がたくさんある。自分たちのシマ(地域)の自慢話だったり、美人を褒め称える唄であったり、奄美の歴史を唄った歌詞もある。 中でも先人達の教えや親への感謝を唄った歌詞が多い。年老いた親に気がつき、親不孝をしていた事を詫びる歌詞もある。とても身近な歌詞ばかりだ。 だからこそ、島っ人の記憶の中に残っているのかもしれない。 「くるだんど節」、年を重ねるごとに、好きになっていく一曲である。 親の教えのありがたさを唄った歌詞を一つ。 *** くるだんど節 (カサン節) 「(上の句) ハレイ なれよ(成れよ)なすび(茄子)よー ヨーハレイ 花のさきゅんかり(咲いているすべて) 一枝(ひとえだ)残さず なれよ なすび よー ヨーハレイ 花のさきゅんかり(咲いているすべて) 一枝(ひとえだ)残さず なれよ なすび よー (ハヤシ) 花のさきゅんかり(咲いているすべて) 一枝(ひとえだ)残さず なれよ なすび (下の句) ハレイ むねにすみろ(胸に染めろ)よー ヨーハレイ うやのゆしごと(親の教える事) 一言残さず 胸にすみろ(染めろ) ヨーハレイ うやのゆしごと(親の教える事) 一言残さず 胸にすみろ(染めろ)」 上の句と下の句で物語を作っている曲でもあり、自分の心境を歌詞に乗せやすい唄だったとも思われる。それゆえ、人々はこの唄を愛したのだろう。ウタアシビの始まりに、誰かが思いを乗せて唄い、また、誰かが、その唄に返しを入れ、その日のウタアシビの目的ができあがっていくのかもしれない。 そんな昔の車座のウタアシビの様子を思い描きながら、今夜もシマ唄を唄ってみようとおもう。 ***** 今回で、「唄暦」を終わります。 ご愛読ありがとうございました。 シマ唄とは、何なのでしょうか。島で暮らす人々の心の慰み? 後輩達への教え? 伝言板? いずれにしても、今もシマ唄は唄い継がれ、この東京にいても、生唄を聴くことが出来るというのは奄美出身の私にはとても幸せなことです。 そして、シマ出身でない沢山の人たちも、この「シマ唄」を愛し唄い始めているという事実があります。シマ出身でなくてもシマ唄は人の心を打つ何物かを持っています。 そういう宝物が島にはあるということが、嬉しいです。 これからも、沢山の人たちがシマ唄を愛し慈しんでいくことを願います。 (2012/02/01 屋宮秀美 記) *写真説明 「くるだんど節」は、「空が黒ずんできた」という意味だと聞いたことがあります。空が黒ずんできたから、(やっと)雨が降って仕事が始まるという歌詞が本歌だったということで、空が黒ずんできた写真にしました。 |
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屋宮秀美 (hide) 1962年、鹿児島県大島郡瀬戸内町生まれ。 高校卒業と同時に島を出る。 東京工芸大学短期大学部写真技術科を卒業。 写真恐がりだった幼い頃を経て、写真家になる夢を持って島を出て東京へ上京。 東京の都会に埋まり過ごす。 30代後半、シマウタに目覚め、島に目覚める。 連載「月暦」「新・月暦」にトライする。 40代、写真展「島色」「島色U」「島色V」開催。 |