
本来なれば、安土城跡から始まって桑実寺、観音寺城跡、繖山(きぬがさやま)、近江能登川縦走と歩くのが順路であるが、JR安土駅は 新快速電車が停車しないので、一つ手前の近江八幡駅で普通電車に乗り換えねばならない。その連絡時間が20分待ちとなると、次の能 登川駅まで新快速電車で乗越し、逆コースを縦走した方が時間的ロスが少なく早く山に入山することができるので今回は逆コースを縦走 することにした。山の本によると、このコースはハイキングで紹介されており、安土城跡の挿絵には背広姿の男性とスーツ姿の女性が写し 出され、如何にも一般観光客、家族子供連れでも容易に歩けるかのような印象を与え、またそういう解説がなされているが、それは安土 城跡、風土記の丘のマイカー訪問ぐらいのもので、桑実寺から観音正寺、繖山に至る奥地背山は急峻な山道と鬱蒼とした樹木で視界が 悪く登山者でないと歩ける所ではない。少なくとも一般観光客の立入る所ではないので十分注意を要する。どうしてもという方は山歩きに 相応しい服装装備で入山することをお勧めする。なお女性の1人歩きは厳に慎まれた方が安全である。必ずグループ行動をとること。一般 観光客の、桑実寺、観音正寺訪問は表門参詣道を利用し本殿止まりで引き返すことである。桑実寺は午後5時で表門、裏門共閉鎖される ので、繖山、観音寺城跡からの下山者は時間に注意すること。以上気になったことを書きとめてみた。 平成16年4月7日(水曜日)、青春キップでJR加古川を7:32出発、能登川着9:37、ハイキング開始9:45、コースは下記地形図に示すとおり である。全行程12km、写真は歩いた順路とおり掲載したものである。 |

縦走路登山口にあたる、滋賀県能登川町猪子山の入口であり、 左中段下、朱書き現在地より先ず猪子山に登り稜線を
上山天満宮の入口でもあります。菅原道真公が祀られております。
縦走して右手上段の繖山、右手最下段の安土城跡へと
JR能登川駅より歩いて15分です。
歩きます。![]()

猪子山頂上までは、山道が良く整備されておりタクシー、マイカー 山道途中にあり、岩舟社というそうで先の上山天満宮の
等が楽に上がれます。 末社になるそうです。![]()

岩舟の謂われが説明されています。 その岩舟の現物が社の後ろにあります。なるほど船の形に
似てはおりますが、琵琶湖湖上を渡ったとは、昔の人は巨大
な空想を描きますね。![]()

猪子山の中腹あたりの光景です。秋の紅葉もいいでしょう。 お気付きですか。一見、灯篭に見えますが下部はお地蔵さんです。

猪子山には古墳が多いそうです。その一例です。 猪子山古墳群の説明がされております。

地元の人の信心深さが伺えますね。頂上には北向き その菩薩像の入口階段で、猪子山9合目付近になります。
十一面観音菩薩像が祀られております。

階段途中で一服して振り返りました。長い階段です。 30分ばかりかかって、やっと頂上に辿り着きました。

| これが北向き十一面観音菩薩像が祀られている社殿です。小さい社殿ですが立派なものです。屋根の作りに感心いたしました。 猪子山は標高267,5mあり、頂上には観音菩薩像、中腹8合目上付近には最初に説明した上山天満宮が祀られております。その コースは山道途中より分かれておりますので掲載は省略いたします。 |

さて、いよいよ繖山、観音正寺、桑実寺、安土城跡に向かって縦走です。取りあえず目前の336mのピークを目指します。

稜線縦走途中の光景です。この辺はよく踏み固められていて木漏れ日の歩きやすい道です。

猪子山同様、巨岩巨石が点在します。奇岩が古人の崇拝の
的になったわけですね。![]()

やっと、繖山(きぬがさやま432,7m)が見えてきました。 この地点を地獄越といいます。これから繖山に向かって
まだあそこまで登らねばなりません。現在位置で全行程の
急登が始まります。地獄の意味は分かりません。![]()
1/4地点です。

急登を1パターン登りきった台地です。大分近づきました。 縦走してきたルートを振り返っています。

ここが繖山(きぬがさやま432,7m)頂上です。難しい字ですね。当用漢字にはありませんね。パソコンも手書き入力
いたしました。右の写真が同頂上の三角点です。字が消えて見えませんが規模から見ると二等三角点のようです。

| 西国第三十二番札所、観音正寺です。平成五年五月に消失し現在も工事再建中です。出来上がると看板鳥瞰図のとおりにな ります。右写真、観音正寺城跡の桑実寺側からの入り口です。繖山から観音正寺、そしてこの城跡、桑実寺裏門に至る道は険し く鬱蒼としていて男でも1人歩きは気持ちが悪いですね。 |

| 観音寺城跡の謂われが書かれてあります。近江の守護人佐々木六角氏(近江源氏の祖)の居城であったと伝えられて います。永い年月をかけて応仁二年(1468年)に完成した大山城であるが、天正10年安土城とともに壊滅したと伝えられ ております。右写真、観音正寺城跡からの下り道で、振り返り撮影しています。 |

桑実寺裏門に至る山道です。自然に露出した岩盤と、岩を これが桑実寺の本堂です。南北朝時代の建立で入母屋造り
打ち砕いて敷き詰めた道です。 総檜皮葺きです。天智天皇の勅願寺院として白鳳六年十一月
八日に定恵和尚により開山されたという。桑実寺の寺名は定恵
和尚が中国より桑の木を持ち帰り、この地において日本で最初
の養蚕技術を広められた所以だと伝えられています。繖山の山
名も蚕が口から糸を散らしマユを作ることに因んでいるそうです。

中央石段の奥が裏門であり、そこから下山者が出てきます。
左手建物が経堂です。![]()

桑実寺本殿から表門に下る参道の光景です。 参道途中にある地蔵堂です。

これが桑実寺の表門で、西国薬師第四十六番霊場、天台宗桑実寺と 道中の慈母地蔵尊像です。![]()
書かれてあります。![]()

桑実寺とも別れ1kmほど歩き、風土記の丘までやってきました。

左は、県立安土城考古博物館、右は信長の館です。

また、1kmほど歩いていよいよ安土城跡です。 長い石段で上まで25分はかかります。これだけ石を使えたのも
信長の権力と威光があってのことでしょう。![]()

羽柴秀吉邸跡となっております。 地形の起伏に合わせて階段も少しばかり捻っていますね。
羽柴秀吉の土木技術か?![]()
石が足りないものだから、石仏まで徴用されたのですね。人が踏みつけるところにもありました。

ようやく中腹台地の広場にでてきました。安土山の稜線を拡げたような地形です。

標柱は、天守本丸跡に至るとしてあります。 再び階段が続きます。こんな長い階段を息を切らして登城し
いきなり信長に一喝されていたのでは家来もたまったものじゃ
なかったでしょう。![]()

よくもまあこんな広い台地を確保したものだなあと 右手奥に織田信長本廟があります。![]()
感心してしまいました。![]()

織田信長本廟の全景です。 廟内、織田信長の墓です。

ようやく辿りつきました。ここが安土城天守台跡地です。この場所に地下1階、地上6階の当時としては傑出した高層の大建築で天守閣が
建てられたそうです。完成後わずか3年、天正10年6月に消失しています。写真中央右手にあるのが説明掲示板で次の写真がそうです。
天守台跡地の説明板です。クリックすると大画面になります。右の写真が天守台本丸の城壁です。山の頂上にまだこれだけの城壁を
築いたわけですね。標高約210mあります。おそらく天守閣は天を突くような様相だったことでしょう。![]()

帰りに、今日1日縦走してきた地点を懐かしく振り返り帰宅の途につきました。