
東海自然歩道第32回は三井寺から玄琢まで、今回も会社の同僚A君といっしょに歩いた。
平成18年10月2日(月)小雨
新横浜8時53分発の新幹線「ひかり」で米原へ、東海道線に乗り換え石山下車、そこで京阪線に乗り換え三井寺下車、そこから歩いた。
三井寺門前の食堂で昼食をとった後12時35分に出発する。法明院13時、近江神宮13時45分、この神宮は天智天皇を祀る。境内に時計博物館がありそこを見学する。昔から今にいたる諸々の時計が展示されていた。天智天皇が漏刻なる水時計により時を定めたのが今の太陽暦でいうと6月10日に当るという。
しとしと雨の降る中を14時15分に近江神宮を出発し比叡山への道を上がる。15時志賀の大仏(おほとけ)、優しいお顔の石仏である。15時20分崇福寺跡、この先工事中のため日曜祭日を除いて通行止めとの看板あったので引き返した。京阪線で南志賀から浜大津へ、そこで乗り換え京都市街に出て烏丸丸太町の今夜の宿に着いた。夜は先斗町、木屋町、河原町界隈を散策した。
10月3日(火)曇
烏丸丸太町から地下鉄で京都駅へ。朝食の後東海道線で石山へ、そこで京阪線に乗り換え坂本に出た。坂本からケーブルで比叡山に登る。前日引き返した山登りは後日の課題として残すことにした。ケーブルは10時発車、11分かかってケーブル延暦寺駅に着いた。そこから歩いて根本中堂へ。ここは天台宗の大本山で大勢の善男善女が拝観に来ていた。その人達といっしょに中堂に入り、般若心経一巻を誦する。そこを出て大講堂、戒壇院、釈迦堂を経てから奥比叡ドライブウェイに沿う歩道を行く。12時30分玉体杉、ここはその昔回峰行者が京都御所に向かって礼拝し、帝の息災を祈念した所という。後から若い女性の声がして、聞くと台湾の小姐で1人で山を歩いているのだという。A君といっしょに並んでカメラのシャッターを押してもらった。ここで昼食をとる。12時55分出発、横川(よかわ)中堂入口13時20分。中堂に入って拝観する。ここにも大勢の善男善女が坊さんの話に耳を傾けていた。13時45分中堂を離れ、仰木峠に向かう。つらい登りがつづき14時40分仰木峠に着いた。そこで少し休憩ののち大原へ下る。いたるところ北山杉がすっきりと姿よく立っていた。15時40分三千院に着いた。拝観はやめ、タクシーを呼んで市街に戻った。この夜は木屋町で魚料理を食べた後、祇園界隈を散策した。空には十三夜の月が輝いていた。と突然引き戸が開いて舞妓さんがぽっくりの音をひびかせ、路上に出てきた。
10月4日(水)曇夕方から雨
コンビニで朝食と昼食を準備したのち、地下鉄とタクシーを利用して三千院へ。三千院の石段で朝食をとる。早朝は誰もいないので気兼ねがなくていい。8時20分そこを出発し9時寂光院に着く。本堂は平成12年放火により全焼した。建礼門院ゆかりの八百年来の古寺だったのにとんだ気狂いがいたものである。昨年ようやく新しい本堂が竣工したというが、とてもとても昔のわび、さびの風情はない。
9時30分寂光院を離れて、10時10分弘文神社、10時30分に江文峠に着いた。そこを下りて静原の集落へ、集落のはずれから薬王坂を登る。なかなかつらい登りで11時45分峠に着いた。そこを下りて鞍馬の集落12時。鞍馬寺はここから上っていくのであるが、自然歩道は鞍馬川沿いに二の瀬に下ることになる。12時40分川のほとりで昼食をとった。13時5分出発、京福電鉄鞍馬線の踏切りを渡り夜泣峠へ上る。夜泣峠13時40分、ここを下って車道へ出ると大岩である。大岩着14時10分。ここから鴨川に沿って車道を下り、15時55分光悦寺のそばの玄琢に到着した。ここが今回のゴールである。15時30分頃からぽつりぽつりと雨がやって来た。歩行中の人に聞き、玄琢下バス停まで歩き、そこからバス、地下鉄を利用して京都駅に出て帰途に就いた。
平成19年3月18日(日)晴
昨年10月2日通行止めをくい、歩き残した分を歩き足した。10時45分京阪滋賀里駅から歩き出し、崇福寺跡を経て比叡山に登った。今回は通行禁止の立札はなく、工事箇所もよく分らなかった。登るにつれて道に雪が多くなってきた。晴れた空からときおり雪が舞いおりて来た。桜茶屋路傍休憩所12時45分、雪が3cmくらい積もっていた。その上にシートを敷き、ふるえながら昼食をとった。弁天堂を経てケーブル延暦寺駅に14時10分に着いた。
これで昨年歩き残した分を継ぎ足したことになる。ケーブルで坂本に下り帰途についた。