| アグロサイエンスの道を歩んで(5) |
1957年春、2年間の教養課程を終え、本郷の専門課程に進んだ。この年には、旧ソ連が始めての人工衛星打ち上げ に成功し、日本では石橋内閣が総辞職し、岸内閣が誕生した。
さて、農芸化学の分野は化学、生物化学、土壌・肥料、農産製造、醗酵、醸造、栄養など実に多様な領域から成って いた。これらの各領域を担当する先生の講義の合間に、実習があった。秤量、無機系統分析、有機合成、農産製造(頭髪からのアミノ酸 採取、ウシ肝臓からのチトクロームCの採取)、醗酵、醸造などの実習があった。その中で特に思い出に残るのは、有機合成化学実験と アルコール製造であろう。有機合成実験では、松井研究室のスタッフの指導で、”もの作り”の喜びを味わうことができた。失敗もあり、 アセトアニリドの蒸留精製では、突沸させて飛まつで手首に焼けどしたことである。アルコール製造も興味深いものであった。当時、 農学部キャンパス内に本格的なアルコール製造装置があり、サツマイモを原料にして、精製エタノールを製造することができた。チーム を編成して、1週間から10日間、エタノールの製造に取り組んだ。最終工程で、エタノールがパイプを通って流出されてきたときは、 一仕事を終えた満足感を味わうことができた。現在は、この実習はもう行われていないようである。
このように、農芸化学は化学と生物とが渾然一体化した、実に幅広い分野であった。しかし、この分野においても 学問の進歩は驚異的であり、農芸化学は急速な変貌を遂げた。その後の学部再編成の結果、農芸化学科の名前は消えてしまった。現在は、 大学院大学となり、農学部には大学院農学生命科学研究科と農学部が併設されている。我々の時代とは大きく異なって、遺伝子や分子生 物学関連の実習がかなりのウエイトを占めていると考えられる。
4年生の後期、卒論実習があった。学生は各研究室へ振り分けられるが、人気のある研究室では抽選になる。私は、 第1希望で有機化学研究室を選んだが、抽選ではずれて、第2希望の生物化学研究室で卒論実習を行った。そこで選んだテーマは、イー ストホスホリラーゼの精製であった。研究室の教授は舟橋三郎先生であったが、卒論の指導教官は助教授の中村道徳先生であった。この テーマは先輩から受け継がれており、究極の目標は単離結晶化であった。しかし、半年という期間は余りにも短く、精製度を少し高める ことができた程度であった。この酵素は、その後、別のグループにより結晶化されたようである。短い期間ではあったが、この時に初 めて実験の組み立て方、報告の書き方、プレゼンテーションのやり方などについて、勉強することができた。舟橋先生、中村先生共にも う故人となられた。
同じ研究室で卒論実習を行ったのは6人で、その中に、もう故人となってしまった水野重樹君がいた。最後の卒論 発表会の折、水野君の発表は、実験の組み立て方、プレゼンテーションのやり方共に垢抜けしており、口やかましいので有名だったスタ ッフの一人からも賞賛されたほどである。水野君は、その後大学院に進み、東北大学に研究拠点を移した。水野君は、ここで多くの業績 を挙げたが、中でもヘテロクロマチンに関する研究は特筆すべきである。ヘテロクロマチンは、ヒトなどの体細胞で遺伝子発現抑制に 係わるタンパク結合体である。水野君は、その形成機構を分子生物学的方法で解析した。後年、東北大学農学部で日本農薬学会が開催さ れた折、水野君は主催者側代表として懇親会で挨拶された。その折、彼と久しぶりに再会し、話をすることができた。温厚な人柄、ソフト な語り口共に昔と変わらなかった。