アグロサイエンスの道を歩んで(7)


農薬合成研究の道へ−田村研究室の思い出(1)−

未だ自前の農薬合成拠点を持たなかった我々は、社外からサンプルを収集しては生物評価グループ(当時は工場に 所属していた)に送り農薬としての活性を評価して貰うのが重要な仕事となっていた。国内の研究所や企業からサンプルを受け入れ、 又外国文献にも目を通して面白そうな物があると手紙を出してサンプルを入手した。丁度その頃、会社の上司から、東大農学部農芸化 学科の田村三郎先生のグループが単離した天然物質サンプルを農薬として評価してほしいとの依頼があった。

そこで、卒業以来3年ぶりに母校を訪問し、田村先生から数種類のサンプルを頂いた。これらのサンプルは、早速 会社の生物評価グループに送られ農薬としての活性が調べられた。これらの中には、アオムシなどのりんし目害虫に強い活性を示したも のがあったが、温血動物に対する毒性が強く、又環境中で不安定であることが分かり、残念ながらモノにはならなかった。

しかし、この田村研究室訪問がその後の私の人生を大きく変えることになったのである。先生から、「大学に来て 合成をやって見ないか」と誘われたのである。私としても元々化学合成は好きであったし、会社としても合成化学者養成の必要を感じて いたようで、会社の了解も得られ、1962年春から研究生として大学に派遣されることになった。田村先生は、1962年、住木愉介 先生の後任として農産物利用学講座の教授に就任された。前任の住木先生は、イネ馬鹿苗病菌の生産物であるジベレリンの研究で輝かし い業績を残した。これはブドウのデラウエア種の栽培に応用され、種無しブドウを作る技術の原動力となった。

その伝統を受け継いだ田村先生は、研究室の基幹テーマとして生理活性物質の研究を掲げた。先ず、日本の伝統的な 産業であった蚕糸業を支えてきたカイコを被検材料に選び、微生物の培養液をカイコに塗布して殺虫性物質の検索を始めた。当時、イネ の大害虫であったニカメイチュウに有効な殺虫剤を見つけるのが目的であった。残念ながら実用的な殺虫剤は見出せなかったが、カイコ に含まれているホルモンやカイコに付く病原菌が生産する毒性物質の研究など、カイコ由来の天然物研究は、田村先生の後継者である 鈴木昭憲博士を中心として素晴らしい発展を遂げた。特に、カイコ前胸腺刺激ホルモンの化学構造は鈴木博士を中心とするグループにより、 世界で初めて解明された。

田村研究室における業績としてもう一つ挙げなければならないのは、タケノコに微量含まれるジベレリンの単離と 構造決定である。「雨後のタケノコ」という言葉があるが、タケノコの早い成長にはジベレリンが働いているに違いないと目星を付け、 生のタケノコからジベレリンを単離する研究を開始した。ところが、生タケノコ中のジベレリン含量は極めて低く、とても無理であるこ とが分かった。しかし、田村先生のグループは、農産製造の実例について調べ、タケノコの煮汁缶詰を製造する際、予め皮付きのままの タケノコを茹で、茹で汁は廃棄されていることを知った。そこで、タケノコ加工工場や薬品企業の協力を得て、タケノコ数十トン分の茹 で汁からジベレリンを高濃度に含む画分を得た。そこから苦心の末、タケノコジベレリン十数ミリグラムを純粋に単離・結晶化すること に成功した。

タケノコジベレリンは、アルデヒド基を有する水溶性ジベレリンで、ジベレリンA1から数えて19番目に発見され たので、C19ジベレリンと呼ばれている。当時としては、高等植物から発見された最初のジベレリンである。その後の研究で、この C19ジベレリンは、イネやマメ科植物にも含まれていることが分かった。尚、後で明らかになったことであるが、京大農学部の三井研 究室でもタケノコジベレリンの研究が行われており、構造決定はタッチの差で田村グループの方が早かった。

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